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56.継ちゃんの物語



※羽継視点。

※二人の昔の話になります。







"あの日の約束、忘れないよ。"




◆◆◆







―――俺と彩羽の出会いは、まだ腹の中に居た頃からだ、と母さんは笑う。


俺たちの両親は学生の頃から付き合いのある親友で、話を聞くと毎日バカをやっていたそうだ。

いつも冷静で優等生、だが真面目な顔で天然な言動をしては修羅場を引き起こすおじさん、当時からして問題がありまくるマッドサイエンティストなおばさん、【怪異】を引きつけやすいために毎度トラブルを持ってくる母さんに、逆に【怪異】がスーっと離れていくほど熱すぎる男の父さん。この四人がそろって何事もない日なんてなかったことだろう。


騒々しい青春の日々を終え、大人になって就職して結婚して―――同時期に妊娠した母さんたちは、家が近いのもあってよく互いの家に遊びに行っては育児の相談とか勉強をしていたそうで。「あの子のお腹に触ると、羽継くんがよく動いてねえ」と母さんはまたも笑っていた。


おばさんの出産時期が遅れたこと以外は特に何の問題もなくこの世に産み落とされた俺と彩羽。だがしかし、母さん曰く、すごく大変だったのはこのめでたい日からしばらく経った頃だという。



……というのも、基本的に彩羽はすぐ機嫌良くなったり夜もすやすや眠ったりと手のかからないヤツだったんだが、俺の家に来るとすごい駄々っ子になったらしい。まだまだ俺と遊ぶと言わんばかりの暴れようだったとか。

しかもあいつときたら自分の要望が通らないと(赤子のくせに)悟ると、母さんに抱かれて手を振らされていた俺の手を掴み、自分の母親の腕の中に俺を拉致しようと謀ったのだった。彩羽は手を離す気0、俺は泣き止む気配0と散々である。

……かと言って「会わせない」ことを選択すると俺たちが大騒ぎするので会わせるしかなく―――これが落ち着くのは、幼稚園に入った頃からだったそう。


あいつは本当に見た目が天使みたいに可愛くて、そのうえ素直でいつもニコニコしていたから、すごく大人受けがよかった。対して俺も「可愛い」と褒められていたようだが、どうにも怖がりで先生たちにあまり懐かなかったようだ。

同い年の子に対しても消極的で、自分から遊びの輪に入るのが苦手でもあったが、それでも幼稚園に休まず通っていたのは、彩羽とずっと一緒にいられるからだろう。


園の中でも外でも、俺たちはまるで双子のように一緒にいたし、移動するときは当然のように手をつないでいた。それに盛り上がる母さんたちによって服もお揃いのものになっていたが、すぐに泥だらけにしてたっけ……。



―――思えばあの頃は、とても幸せだった気がする。

隣には彩羽がいて、周りには友達がたくさん笑いかけている。遊び疲れて眠るときも隣には彩羽がいて、目覚めても彩羽がいる。

幼稚園から帰ればすぐに遊びに行ったり来てもらって、そのまま家の中で遊ぶか外で元気よく遊んでいた。


特に俺が気に入っていたのは家の中―――彩羽の部屋で過ごすことだった。

あいつの部屋には綺麗で珍しい絵本に仕掛けのある絵本、外国で買ってきたらしい木彫りの兵士の人形とか、とにかくここいらじゃあ見れない物が多かった。

彩羽はそれを、俺と一緒に遊ぶことに価値を見出していたらしい。たとえば一人遊び用の玩具とか、そういう物はあまり喜ばなかったそうだから。


俺が来るとニコニコして、俺も彩羽が来るとよく笑っていた。二人で分け合うことは当然のようにお互い思っていて、玩具の取り合いだとか喧嘩だとか、そういう展開に発展したことはない。


この頃から、俺の世界は彩羽中心だった。












―――しかし。


唐突に幸せな時間は終わった。今でも夢に見るあの日―――初めて彩羽を「攻撃」した日。…異能力に目覚めてしまった日。


その日を境に、俺の生活は激変した。




「こっちこないで!」


わあわあと、友達は泣いた。

俺のことが怖い、気持ち悪いと怯え、最悪引きつけを起こす。


「今日、珍しく休んでたけど大丈夫?」と俺のために様子を見に来てくれたはずなのに、全力で俺を拒絶したのはすぐのことで。俺を化物のように見た、あの顔は今でも忘れない。

あまりにもその光景は胸を裂いて、正直それ以降の記憶は思い出したくない。ただ言えるのは、彩羽が退院するまで、俺は部屋から出ることはなかった、それだけだ。



「羽継くん。今の君ではその力を押さえつけることはできない。しかしいつかは抑制する術を得るだろう。それまでは……」


―――彩羽が退院したのを機に、おじさんは俺のために三つの魔術をかけた。


一つは、俺が長時間居る場所に埋められた、核を四つに分けた異能封じ。

俺が誤って核に触れない限り、俺の異能を(半分ほどだが)封じ続けるものだ。


次にかけたのは俺自身への術。

俺が意識しなければ薄らとしか異能の力を縛るだけだが、俺が意識的に抑えようとすれば強力な拘束力となる。いつか俺が一人でもこの力を抑えることが出来るようになるためのもので、俺自身にかけられているから一日しか維持できない魔術だ。

そのため、夕方になると俺はおじさんによって魔術をかけ直してもらう。


最後の魔術、最も強力な封印は―――彩羽だ。

あの時は隙を突かれて俺の異能力に敗れたが、当時はまだ彩羽の方が強かった。

その溢れるような魔力を利用して、俺の力を呑み込んで霧散させることで、俺のほとんどの力を消し飛ばし、異能封じへの負担を殺し、また封印を強化したのである。


封印に封印を重ねなければすぐに喰い破るほどの俺の力はこうして無力化され、異物の存在に敏感な子供の中にいてもまあ…よっぽど敏感なやつのそばにいなければ、俺は怯えられることもなく暮らすことが出来るようになった。


……けれど。

俺は、あんなにも大好きだった彩羽のそばにいることが、恐ろしくて、仕方なかった。

優しく触れられても、まるで野獣に押さえつけられているような圧迫感を感じる。見つめられただけなのに威圧感に怯んでしまう。


―――きっと、彩羽は俺にとっての枷だから。俺の力がまったく通じないから。だから俺は怖いのだ。

こいつは俺に危害を加えないと分かっているのに、目の前にいる天使のような少女が恐ろしい化物に見えてしまう。離れたくてしょうがないのに、離れれば彩羽による封じが消えてしまう。そうすれば、また友達にあの目で見られ拒絶されるのだ。

なら、怖くても我慢しなければならない。彩羽は怖いけど、そばにいれば皆に囲まれて賑やかだから。だから怖くても頑張れる。





―――でも、やっぱり駄目だった。


日々ストレスを感じるばかりで、ちょっとしたことに躓くだけでひどく苛々する。人と話すのも煩わしい。なんで俺がこんな目に遭わなければならないのかと、毎日思っていた。


毎日毎日―――重くて辛いこの感情を引きずりながら、俺は彩羽と共に小学校に通った。

「あいつって目つき悪すぎ」と言うけれど、元々はこんなんじゃなかった。「怖いよね」と言われても、そんなもの、不快なものが多いからだ。

本当なら、俺はもっとのびのびと生きることができたはずだ。もっと幸せな時間を得ていたはずなのだ。

それなのにどうしてこうなった?俺は何もしていないのに。彩羽があの日、あんな強い魔術を俺に披露しなければ、こうはならなかったのだ。あの時、俺の手を取らなければよかったのに。いいや、もっとそれ以前、あいつと幼馴染になりたくなかった。出会いたくなかった。


―――俺はこんなにも嫌悪と不快感に噎せ返りそうになっているのに、どうして彩羽はあんなにも綺麗でいられるんだ。俺を苦しませるだけの存在なのに、そもそもの元凶なのに―――そいつだって、俺と同じ「異物」なのに。どうして皆、そいつを好きなんだ。なんであいつはあんな温かい場所で輝けて、俺はこんな寒い場所に縛り付けられているんだ。


苛々する。いいや、それよりもっと酷い感情だ。子どもが持つに相応しくないものだ。名前を付けるのなら殺意というやつかもしれない。


……あいつだって、俺のこのどす黒い感情に気づいているくせに、どうして毎日「一緒に遊ぼう」と言えるんだ。なぜ笑いかけていたんだ。本当は怯えていることを知っているんだぞ。毎日毎日、いつしか覚えてしまったストレス発散方法こと殴り合いの喧嘩をする俺の仲裁に嫌気がさしているのを知っているんだ。いっそ俺を捨ててしまいたいと思ってることすら知っている。

なのに、何なんだお前は。そこまで良い子ぶりたいのか。それとも贖罪のつもりなのか?


「羽継、遊ぼうよ」


俺じゃなくてもいいじゃないか。

俺と違って、お前にはたくさん友達がいて。本当は俺なんていらなくて。なのに声をかけるお前のその余裕が羨ましい。どんなに罵声を浴びせても怒ることのないお前が理解できなくて気持ち悪い。


「羽継」


保健室、行こう?―――そう、上級生との喧嘩に惨敗した俺に、あいつはそれだけ言って微笑む。差し出す手は白く綺麗だった。


俺はその手を握ることなく、黙って背を向けて歩き出した。やや遅れて付いてくる気配がしたが、「来るな」と言えば溜息を吐いて立ち止まる。

そのまま逃げるように廊下を突き進み、ぎゅうっと手を握る。

……例の事件から、何を変えることも向き合うこともせずだらだらと過ごしてきた。その楽さを知っているのに、このまま何も得るものもない時間を過ごすのが怖かった。



―――思えば、白髪が出来なかったのが不思議なくらい、当時の俺は色んなもの、色んなことにストレスを感じていた。

少しでも楽になりたくて、あの日も俺は授業に出ないでふらふらと校内を歩いていて―――気づけば、人の気配も微かな音も声もしない世界に、辿り着いてしまった。


異常にいち早く気づいた俺は来た道を引き返そうと走り出したが、時すでに遅く。帰ることも出来ずに、ジッとしていることも出来ずに彷徨うしかない。

だんだんとその不安にもつれる足は早くなり、この「異常」の元の存在がじわじわと俺を追い詰める。幼子の反応を楽しむように驚かされ、ついには足首から下がないのに俺を追いかける女の化物に殺されそうになった。

足の切断面、肉と骨が床にぶつかる不快な音と、甲高い声。背後から追いかけてくるものは全て恐ろしく。俺は自分の教室に飛び込むと、箒を閉まってあるロッカーに隠れてやり過ごそうとした。


……でもまあ、そんな隠れんぼは当然すぐ見つかるわけで。女の笑い声が教室に入ってくる。「ぼうや、ぼうや」と呼ぶ声は厭らしい。俺は息を止め、固く目を瞑った。そして神様にも女神様にも、それこそ仏様にだって祈り倒して、「たすけてくれ」と両手を組んだ。



「………?」


―――音が、しない。


神頼みが上手くいったのか、それとも違う場所を熱心に探しているのか。俺はしばらく悩んだ後、背伸びしてロッカーの覗き口から外の様子を伺った。




そこには、女の両目があった。


「…、……っ……ぁ、…ぁ、ぁ、ああああああッ!!!」


ガタガタと震えるこの体を、両目はジッと見下ろしている。隅っこに引っ込めばそれを目で追い、瞬きもせずにじぃっと俺を見つめている。極限まで見開かれ血走った目を、俺は長い間見つめてしまう。どんどんと指先から冷えていくのがわかった。


女はそんな無様な俺をただ見るだけで、無理矢理ロッカーを開けようとも揺さぶろうともしない。ただジッと見ている。じっと。

俺はその視線だけで、気が狂いそうだった。可能な限り縮こまって、何度も視線から逃れようとした。それでも痛いくらいの視線を感じる。縮こまって縮こまって―――やっと視線から逃れると、俺はやっと一息つくことができた。


と、同時に、何かが「ぼとっ」と肩に落ちた。



「………あ」


これ。


これは。


め、だ、



「――――うわあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



叫ぶ。

叫んで、扉を押して―――「出して!」と泣いた。出して出して、お願い出して、と。

でも何度押してもロッカーは開かなくて、諦めそうになった瞬間、また何か生暖かいものが落下してきた。それに耐え切れず、半狂乱で、体を叩きつけるように押せば―――ああ、やっと。


「……あっ?」


勢い余って転がるように飛び出すと、ぐちゃりと生暖かい感触が足に絡まる。


なんだろう? と見下ろせば、床は真っ赤だった。……ちがう。

俺が飛び出したせいで床に倒れたあの女、その切り裂かれていた腹に、俺の足が、内蔵を潰したりしている俺の足が、絡まれて囚われている。


その事実に固まれば、今度は両腕を掴まれ前のめりにされた。

目の前には、口が大きく裂けた、女が――――



「――――羽継!!」


目の前の女の首が、物凄い勢いで横に吹っ飛ぶ。そしてべちゃっと壁にぶつかる音がした。


「……消えて」


金の混じる美しい炎に女の体は焼かれ、やがてそれは俺の汚れた足にも絡みつく。

しかし炎は俺を焼くことなく、ただただ化物を焼き尽くし灰に帰した。


「い、いろ……彩羽」


少しの汚れもないその姿、可愛らしい顔に浮かぶのは笑みだった。

けれど彩羽はすぐ表情を引き締めると、「バカ継っ」と俺の鼻を摘む。


「あんなに口酸っぱく注意したのに。なんで七不思議に喰われかかってんのよ」

「ななふしぎ……え?」

「…やだ。もしかして()()()()の?…あんた、『神隠しに遭う』道を通って来たんだよ」

「えっ!?」

「まったくさー。彩羽ちゃんレーダーに引っかからなかったら、あんた死んでたんだからね」


「お父さん呼んでおいたから、行こ」と俺の腕をとる。

足をもつれさせながらも教室を出れば、先程よりも空気の悪さが目立つことに気づく。

じめっとして鬱陶しいそれに眉根を寄せると、彩羽は「あっ」と宙を見る。

険しい表情に変わる彩羽はそのまま立ち尽くし、何度か唸りながら目を閉じ耳を澄ましている。


「……。……どうしたんだよ」

「いや……。………」

「………」

「………」

「………な、何があったんだよっ」

「………」


腕を引っ張っても、彩羽は渋って答えたがらない。

しかし遠くから背筋が凍るような金属音が聞こえて、彩羽は早口に答えた。


「脱出予定先、塞がれたみたい」

「はあ!?」

「声が大きいっ!」


口を塞がれるも、すぐに手を離される。

その代わり手を強く握られて、走り出す彩羽に引っ張られたのだった。


「おい―――」

「口じゃなくて足を動かして。あいつら、私たちを出す気0だから」


硬い彩羽の声に、俺は無意識にその手を強く握った。





.



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