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55.今までの信頼が崩壊した日



あの後、いつものように文ちゃんの家に顔を出し、そして迎えに来た羽継と一緒に我が家に帰るとすぐにテレビを付ける。


……気づかれないよう慎重に探りを入れれば、文ちゃんは通り魔事件のことを知らないようだった――というのも、彼女の祖父母の手によってテレビのリモコンは隠され新聞も見当たらなかったのだ。

どうやらパソコンも持っていないらしい文ちゃんはここ最近のニュースは私か流鏑馬ぐらいからしか入手できないので、あの不審な事件のことを隠すのは容易だった。


「えーっと、ニュースはっと……」


文ちゃんに勉強を教えている間、ずっとニュースが見たくてそわそわしてた私に対し、羽継は携帯で先に調べたのか、特にテレビを気にすることなく、私の分も飲み物を入れてくれた。


『―――えー、それでは次のニュースです。……』


警察が忙しげに動く映像と共に伝えられる情報によると、犯人は当時、家事をしていた母親と家で寝ていた息子を刺し、なんとか助けを呼べた母親に気づいて逃げ出したとのこと。

どうやって侵入してきたのかは不明で、犯人の容姿については何故かはっきりとしない。

そして―――犯行時間は、午後の授業の途中だ。

もしも…もしも、学生が犯人であった場合、授業を抜け出すか当日休んでいなければならない。


「―――流鏑馬じゃ、無理だな」

「うひゃっ」


ぴと、と冷たいコップを頬に押し付けられて、私は変な声を出してしまった。

ちょうど足元でコロコロ転がっていた手鞠はそれを見て、「ウヒャッ、ウヒャ――!」と真似る。なんかイラッとするのはしょうがないことだろうか。


「…ありがと」

「ん、」


少し口に含む――すると林檎の甘さが舌に馴染むのに気が緩みかけて、慌てて飲み込んだ。

そのせいでちょっとむせている間もニュースは変わらず淡々と流れていて、私は頭に浮かびかけていた姿をもう一度思い描く。



……今はまだ二人しか被害が出ていないが、先日の通り魔も今回の襲撃も、被害者は文ちゃんに危害を加えた男子生徒となると、やはり彼女の周りが怪しくなる。


ただ、目撃情報からして文ちゃんの祖父が――というのはありえないし、流鏑馬も前回は家族と外食、今回は私も居た保健室で休んでいたというアリバイがある。

流石にあの時こっそり出て行けば私たちが気づくし、なにより学校から被害者の家まで遠すぎる。

ならば他の文ちゃんの関係者か――?……いや。

よほど親しい人物でなければ、こんな傷害事件なんて起こせないだろう。下手すると殺人事件にもなりかねない事件だし。


残るは文ちゃん――彼女の能力…がどんなものか、まだはっきりとしないけど…「祟る」という噂通りの能力?この一連の襲撃事件が「祟り」なのか?



「…そーいえば、流鏑馬に通り魔事件のこと聞いたんだって?」

「ん?ああ…須藤が流鏑馬に事件の話を振ってな。冗談めかしてお前じゃないだろうなって言ったんだ」

「ほうほう」

「それで、流鏑馬はその時間、久しぶりに家族で外食してて、食べ過ぎて今も気持ち悪いって笑っててな。特に事件について興味もないみたいで―――…あっ、」

「ん?」


羽継は思い出そうとテレビから目を背けた。


「なんかあいつ……眠そうだったんだ」

「…それが?」

「いや…なんか気になってな。あいつ、俺らの前だと腑抜けてるが、案外他の奴らの前だと寝惚けた顔とかボケーっとした所なんて滅多に見せないんだよ。だからか少し気になったんだ」

「眠そうか……そういえば、保健室のときも、眠そうだったね」


思い返す流鏑馬の姿は、眠たげで――どこか疲れたようでもあった。

ただの夜更かしからくるものなら別にどうでもいいけど、もしこれが体調不良か……今回の件に関することが原因だとしたら?


私と羽継がそうであるように、流鏑馬も文ちゃんの力に影響されて【異能力者】であったとしたら―――。



「……でも、流鏑馬からは何の気配もしなかったのよね…」


殆どの場合、異能力者として目覚めたりすると能力が制御できずに力が暴れるため、その余波などで管理者がすぐに気づくことが多い。

もしくは、何らかの力を使ったが分かりやすく見えていて、出会ってすぐに気づいたりもする。

ただ、紗季ちゃんのように害のない能力や自分の力を制御し慣れている人間だと分かりづらい。……流鏑馬もそのどれかに当てはまり、私が察知できないだけだろうか?


けれど、流鏑馬が犯人だとすると、保健室で力を使ったことになるわけで…流石に近くでそんなことをされたら気づく。―――やはり流鏑馬は一般人か?


「…うー…」


頭が痛い。

思わず隣の羽継に寄りかかると、羽継は何も言わずに肩を軽く叩いてくれた。

そうして僅かに残る体温が名残惜しくて、自然と羽継の腕に頬を擦り寄せてしまう。


「…羽継、」

「ん?」

「今日…ごめんね」


羽継の顔を見ながら謝ることなんてできなくて、私はリモコンで遊び始める手鞠を見つめる。

見上げようとしない私の頭に羽継の視線を感じて、もごもごと謝罪の意味を告げた。


「その…あの…タカ君の件」

「………別に、彩羽は悪くないだろ」

「でも、私がちゃんときっぱり断れてたら、羽継はあんな風に喧嘩売られることもなかったでしょ?」

「お前が断れても、きっとああだっただろうよ」


だからいいんだ、と羽継は笑った。

笑って―――そして急に笑みを消して、何かを躊躇うような表情に変わって、終いにはじっと私を見つめた。

私はよく分からないまま羽継の瞳を見つめ、「どうしたの?」と首を傾げる。


「……彩羽は、もしこの先――俺よりも、お前の…役に立つ男が出てきたらどうする?」

「役に立つ?」

「お前に何不自由させない男が、お前の……パートナーになりたいと言ってきたら、お前はどうする。お前は―――」


苦いものを噛み締めるような顔で、羽継は少し俯いた。


「―――俺を、どうする?」


言い終えて、羽継は息を止めた。

苦しげに息を吐き、静かに吸って心を落ち着けると、私を見下ろす。お互い座っていても、どこか瞳の距離は遠かった。


「どうする…か、」


彼の瞳がこうも不安げに揺れるのを、久しく見ていなかった気がする。


「どうもこうも……変わらないと思うけど…」

「―――変わらない?」


うん、と頷くと、羽継は少しだけ顔を近づけた。


「だって、私は羽継と組むのが好きだから。今更誰かと組めないよ…調子悪くなっちゃう」

「いや、でも…俺より使い勝手のいい男だぞ?俺よりもお前をしっかり守ってやれて、世話を焼ける、そういう男だ。これならすぐに調子良くなるだろう?」

「だから、ならないってば。いくらできるひとでも、好きじゃないもん。調子悪いままだよ」

「…じゃあ、お前がそいつを好きになったとして、」

「ならないよ。たぶん、あれこれダメなとこばっかり見ると思う。それこそ姑のごとく」

「……なら、俺も加えた三人で組んで、俺とそいつが喧嘩したら…どっちを取る?」

「喧嘩の内容によるけど。でもそのひとが羽継を悪く言ってたら、私がそのひとと喧嘩しちゃうね」


言い終えて、私は羽継をここまで不安にさせたことが申し訳なくなった。

確かに、今日は羽継を庇ってあげたり立ててあげたりすることができず、ただ目の前のタカ君に翻弄されてばかりで……うう、なんてダメなパートナーなんだ。


ここは不甲斐なさを許してもらうためにも、自信を取り戻して貰うためにも、はっきりと告げておこう。


「―――あのね、前も言ったでしょう『私は羽継の隣にいたい』って。

それは別に羽継がすごい力を持ってなくても、ダメな私に代わって家事をしてくれなくても……その、励ましてくれたり慰めてくれたり、そばで一緒に頑張ろうとしてくれる羽継がいてくれたら、それだけでいいというか……なんというか―――ただ、羽継がいてくれたらそれでいいんだ。

私に仕えてくれるひとじゃなくて、私の背中を叩いてくれて、ダメなところを教えてくれて、色んなものを見て気持ちを分かり合えるひとがいいの」


一息吐いて、私は羽継の腕に触れた。



「そして……私が分かり合いたいと思うひとは、羽継だけなんだよ」



微笑んで、告げる。

羽継は私の想いに目を見開き、何かを言おうとして声にならず―――急に、私を抱きしめた。


「へあ!?」


まるで、声にならない感情を伝えるような抱擁は強く、腕は熱さを伝えてくる。

そのままぎゅうっと情熱的に抱きしめる羽継の腕が苦しいのに、私は待てとも離せとも言えず、混乱したまま固まっていた。


すると少し落ち着きを取り戻した羽継が少し体を離してくれる。

ホッと息を吐くと同時に今度は押し倒されて、一瞬心臓が止まった。


「は、ね……」

「―――…」


熱さが滲む声で、彼が呼んだのは、私の名前だった。

私の、本当の―――秘されるべき、「真名」だった。


本来、血縁関係のない者に呼ばれることは不快以上に危機を感じるものなのだが、幼い頃、私自身が羽継に教えたからか、呼ばれてその手の感情を抱いたことはない。むしろ、その逆だった。

まるで優しく起こされたような、愛しげに我が子を撫でる母の手に触れたような、そんな柔らかな感情を感じるのだ。


だからか、私はこの子が私の真名を口にするとき、その時感じていた不安や興奮、攻撃的なものさえも一瞬のうちに和いでしまい、ただ名を呼んだ彼を見つめることしかできなくなる。


今回も例に漏れず、私はきっと急なことに赤らんだ頬のまま、大人しく羽継を見つめていた。


「……ずっと、お前に言いたいことがあるんだ」


真剣な、熱に突き動かされるような瞳に射抜かれて、私は声を発することができずにただ頷く。

すると彼は私の頬に触れて、私の反応を確かめてから、口を開いた。



「俺は、ずっと、お前が――――」




その時だった。


ばたん、ぐしゃ。がたがたがたんっ、……という大きな音が扉の方から聞こえて、羽継が私を庇うように抱きしめて音の方へ振り向いた。


そして何故か固まり、「あ…」とか「う…」とか声にならない状態になっており、私は気になって羽継の体の影から顔を出した。



「――――お、お父さん」


いつもよりも、早めに帰ってきたらしいお父さん。

どうやらケーキを買ってきてくれたらしいが、美味しいと評判のそれは床に転がっており、カバンがその上に乗っかっている。なんか普段大事そうに使っている黒鞄も落っこちて中身を出している。


私は無残なケーキからそろりとお父さんの顔をもう一度見、その顔がどんどん殺意に染まっていくのを見て―――思わず羽継から離れ、ソファの影に隠れた。

「ちょ、おまっ!?」と焦った羽継の声が聞こえたが、無視だ。だって怖いんだもん……!無理ですもん……!!


孤立無援となった羽継は、「嘉神…羽継ぅぅ……貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」と叫んだお父さんの使い魔(パイプを咥えた渋い猫)に襲われ、身を守ろうとするも間に合わずソファから吹っ飛んでいった。


そして、お母さんが帰ってくるまで延々と床に正座して説教を受けることになったのだった……。






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