50.不思議なわたしの友だち
少しずつ前のような穏やかさを取り戻した文ちゃんは、男共が何故か未だに戻ってこないことに気づいて不思議そうな顔を扉に向けると、ふと表情に影を落とした。
しかしすぐに顔を上げると、私を見る。
「―――あのね、私……今回のことで、その…あのひとたちとは争わないことにしたの…」
「……それは、文ちゃんの意思で?」
「うん…私の―――ううん。……あのね、昨日からずっと、家にあの人たちからの電話がひっきりなしにかかってくるの…それが…追い立てられているようで――電話の音を聞くだけで、怖くて。お祖父さまは折れては駄目だと言うけれど、私はもうだめ。耐えられない……」
疲れた顔でそう言った文ちゃんは、弱々しく微笑んだ。
「私の選択は、他人から見たら間違いなのかもしれないけれど、でもこれが最善なのだと思ってる。…私はね、この家では穏やかな気持ちでいたい。私が絶対に安心できる場所を、これ以上脅かされたくない。……それに、私のせいで、これ以上迷惑はかけられないから」
「文ちゃん―――」
「まだ、男の子は怖いけど――でも、ちゃんと学校に行く。彩羽さんたちが待っていてくれるから、頑張ろうと思う……もしかしたら、すぐ早退するかもしれないけど…」
「……それでもいいんだよ。ちょっとの間でも、文ちゃんと一緒に学生生活を過ごせたら嬉しいな…あ、でも無理しちゃダメだよ」
「うん」
決意を告げた文ちゃんに微笑みを向けると、私は思わず「文ちゃんはすごいなあ」と呟く。
それに文ちゃんが不思議そうな顔をしたので、私は苦笑しながら続けた。
「―――私は、文ちゃんみたいに学校に行こうだなんて思えなかったもの。羽継に引っ張られて無理矢理にでも連れてかれないとダメだった」
「……彩羽さん、不登校の経験があるの…?」
「うん。……まあ、その話をここでするのはよそう。別の機会でお話するよ」
ここで私の黒歴史まで話したら、せっかく少し元気が出た文ちゃんの心を重くしてしまう。
……そう言い訳をしながら、本当は私は、言いたくないのかもしれない……思わず文ちゃんから顔をそらすと、文ちゃんはいつもの穏やかな声で「そうだね」とだけ言ってくれた。
「……じゃあ、そろそろ話を変えようか―――文ちゃん、私に他にも聞きたいことがあるんじゃないかな?」
微笑むと、文ちゃんは一瞬きょとんとした後、「あ」と声を漏らした。
先程からチラチラとそれらしいワードを出してみたものの、文ちゃんってば尽くスルーするんだもの。
じっと見つめると、文ちゃんは恐る恐る、躊躇いながらも私に問いかけた。
「彩羽さんは―――魔法使い?」
「いいや、魔術師見習いだよ」
証明するように指先を振ると、金粉のような魔力が幾つか固まって大小様々な星になり、文ちゃんの頭上に降り注いだ。
―――その"ありえない"現象に文ちゃんは大きく目を開き、「ふあっ」と声を上げわたわたと手を出して星を受け止め――感動の眼差しで私を見た。
「すごい、彩羽さん、すごい…!」
「ふふん…!もっと褒め称えたまえ」
得意気な私をキラキラした目で見つめる文ちゃんにもう一度星のシャワーを浴びさせると、文ちゃんは頬を染めて星に手を伸ばした。……可愛い。
「―――さて、これで信じてくれた?」
「うん!…でも、こんな凄いことができるのに見習いさんなの?」
「まあ、これって実はそんなに凄くないからね…魔術師の家の子が五歳の頃にはすでに出来ていないといけないレベルのものだし…」
「へえ……―――私も、これ、できる?」
「たぶんできないかな」
そう告げると、文ちゃんはしょんぼりとした表情になる。
なんだかその反応まで羽継そっくりで、私は思わず笑ってしまった。
「文ちゃんは魔術師としての体の造りじゃないからね。だから私が文ちゃんにやり方を教えてもできない。……私と君たちの違いはそれなの」
「……?」
「そうだなあ……うん、端折らずに話すか。
―――あのね、文ちゃん。この世界には私……魔術師以外に、色んな術者がいるの。日本で代表的なのは…あーっと、そうそう、陰陽師かな」
「陰陽師、」
「そう。昔々から日本には陰陽師だとか山伏だとか、巫女さんとか色々な能力者がいて、彼らは政の影から、もしくは民の傍らでこの国を管理してきた。
そんな中で、あるとき日本に渡ってきたのが西洋魔術師――我が安居院を筆頭とした術者たち。
当然君たち…私たちは"先住組"って呼んでるんだけど、彼らは大反対でね。追い返そうと争いもしたのだけど、時代の流れもあって、私たち"移住組"はこの国に居座ることができた」
こくん、と文ちゃんは授業を受けている時の顔で私を見つめた。
「そうして小競り合いもしつつ、代を重ねていくにつれて両者は少しずつ歩み寄りを始めたんだ。
互いの間で代表者を選び、話し合いをしてできた規則を守ること――そしてお互いの領地に干渉しないこと」
「……領地?」
「術者の家が管理している土地だよ。
その土地で――例えば文ちゃんの家の隣が私の家だったとして、ある日私が急に文ちゃんの家に不法侵入してきたり石を投げたりしたら、すごく問題になる。それと同じで、余所の領土のことに干渉しない、攻撃しないという約束をしたんだよ。
だから例え文ちゃんの家で流鏑馬という問題児が冷蔵庫の中身全てを食い漁って困ってても、文ちゃんの家がヘルプを出さない限りは私は手出しできない。そしてもし流鏑馬が私の家に逃げ込んで隠れても、文ちゃんは勝手に私の家を粗探しすることはできない。ちゃんと許可を取らなきゃいけない―――そういう、よくある当然の規則だよ」
「ふうん…」
「他にも細々とした規則があるんだけど…まあ、それは後ほど話そう。
―――とにかくこの規則で領土を得た"移住組"だけれど、与えられた土地は面倒なのが多くてね。この国の本当に重要なところは"先住組"が確保してるし、良い土地も取られてるし……私たち"移住組"は、悪条件の土地管理を任されたんだ」
しかし悪条件といえども、管理者の力量によっては好物件にもなりうる土地である。
当時、黒魔術師も多かった"移住組"は、荒馬を乗りこなしたがるような気概でもあったのか、意外とこの条件をすんなり飲んだのであった。
「ちなみにこの土地は"S級"危険指定地区。歪みのひどい土地でね、ぼこぼこと怪異は生まれるし怪異の力が強まるしその影響がもろに住民に出るっていう所なの。その歪みのせいで術師とは違う――異能力者、って呼ばれる人間が生まれるんだ」
「異能力、者……?それは、彩羽さんたちとどう違うの?」
「私たちは"魔導書"っていう、怪異に触れてヒトとは違う力を得た人間。
代を重ねるごとに幅広い【怪異】をこの世に成すことができるようになった――【怪異】に最も近い存在。
私の家のように歴史もある由緒正しい家だと、保管している"魔導書"は多い。所持している書を解読して魔術として扱えるようにした――私たちにとって教科書みたいなものを"魔術書"っていうの。私はまだ見習いだけれど、この"魔術書"を何冊も理解して体得している。でも……」
長々と話して、疲れて一息を吐く。
その間も文ちゃんは真剣な顔で私を見つめており、静かに話し始めるのを待っていた。
「―――私は、安居院家が解かねばならない【魔導書】の全てを、理解しきれてはいない」
「………?」
「長い間、安居院家が解読しようとして、終には手の届かない【怪異】……"時間"を操る術をね」
「時間を、操る?」
安居院家は、今までどんな魔導書であろうとも理解してきた。
危険な書を幾冊も我がものとすることが出来るほど優秀な術師の家系なのだが、この「時間」を司る【魔導書】だけは全てを理解することはできない。―――いや。
たった一人、この全てを理解した魔術師がいた。
恐るべき、安居院の誇りでもある大魔術師――否、魔法使い。
三百年は生きたというその化け物は、魔法使いらしくこの世界を飛び出して好き放題に振舞うかと思ったら、どういうことか舞い戻ってきた挙句に東の果ての女性に恋をしたのだ。
大陸中を歩き回っても退屈し、その果てに日の昇る国に渡った魔法使いは、あるお姫様に恋をして、なんと結婚して、子を孫を抱いて――普通のヒトらしく、老いて死んだ。
子孫に自分の知識……安居院の長年の謎にして誰もが欲した神秘を、彼は墓に持って行ってしまったのだ。
それ以来、彼のように【時間】の"魔導書"を全て理解した者はいない。
安居院の神童と称えられてきたお父さんも、半分とちょっとくらいしか理解出来ていない。
「……さて、それでは肝心の君たちの話に戻そうか。
実は異能力者とは二種類ある。【怪異】の関わる血筋であるか、それとはまったく無縁の、突然変異種か。
前者のこれは魔術師に少し似ているね―――そう、例えば女の鬼と結婚した男がいるとしよう。その二人の間の子は鬼の力を継いだ、けれど人間である者になる。どんどん代を重ねても、力は血に受け継がれ、ヒトならざる力を得たために周囲に歪みを起こす。……私としては、文ちゃんはこれに近いんじゃないかなって思う。神職の家のお嬢さんだし。今ではこのケースの人間は少なくなってるんだけどね…」
「…でも、お母さまもお祖母さまも、私のように忌まわしい力はないよ…」
「ああ、これは代を重ねすぎると力を継がない人間も出るんだ。子は力を継がなかったのに孫には受け継がれているとか。もしくは何らかの条件が重なるとか―――それか……」
「…?」
「いや。なんでもない…――そうだ、一応後者の話もするね。
突然変異の異能力者というのは実は前者ほど珍しくない。ここの土地みたいに歪みのひどい場所で育てばポンポン生まれちゃうんだ。……もしくは、私のように能力者のそばにい続けたせいで影響を受けてしまって、変異したりね……」
「どうして歪みのせいで、不思議な力を持ってしまうの…?」
「自己防衛のため、っていう説と、魂に損傷が出た結果、一般人にはない能力を得た説とか色々ある。ぶっちゃけると理由は不明」
「……嘉神くんも、そうなの?」
文ちゃんの問いに、私は思わず目を見開いた。
すると文ちゃんは慌てて「えと、あの、嘉神くん、よく彩羽さんといるから…」と、そう思っただけだと説明した。
「……ふむ。正解だよ。羽継もそう――異能力者。私のパートナーだよ。あの子と私で、学生の異能力者を管理しているんだ」
「え―――」
「文ちゃん以外にも、それこそ中学校の時点で十人くらいの異能力者がいる。私の仕事は異能力者を発見次第、彼らを登録し、彼らが力を悪用して事件を起こさないように監視すること。そして学内の怪異事件の解決と未然に防ぐための結界管理とか……まあ、そんなとこ」
「…じゃあ彩羽さんって、魔術師でヒーローなの?」
「そ。私と羽継は二人で羽キュア!…を裏でこそこそしてる、"管理官"です」
ニコっと微笑むと、文ちゃんは何故かピシッと背筋を伸ばした。
そんな風にされるほど実はあんまり仕事が出来ていない身としては、文ちゃんの尊敬を表す仕草は苦しい。思わず苦笑すると、ツンツンと文ちゃんの頬を突いた。
「―――さて、そんな魔術師でヒーローな私は、これからは文ちゃんをしっかり守っていくと決めました。…ので、どんなヤバイ相談でも、どんどん受けちゃいます」
「……もしかしたら、大したことのない悩みでも?」
「もちろん。そういう悩みは、友達と一緒に悩んで解決してくものでしょ?」
「!……い、彩羽さん…っ…」
「文ちゃんのどんな悩みでも怪異でも、全部受け止めるよ。――そう、どんとこい超常現象だよ、文ちゃんっ」
「………う、うん……」
あれ、なんでそんな残念なものを見るような目で見るの?
*
―――さて、そんな話を終えてもやって来ない男二人に、私たち二人はしょうがなく様子を見に行った。
すると羽継と流鏑馬の二人が台所の隅っこで体育座りで頭を抱えており、その周辺にはいろんな物が落下していた。
彼ら曰く、ラップ音がするわ流鏑馬がビビって羽継に抱きついてお湯をぶちまけて火傷するわ、ガタガタ物が揺れだすわでだいぶヤバかったらしい。
羽継はたぶん能力を出しただろうが効かなかったようで、流鏑馬の噛み噛みの「南無阿弥陀仏」を延々と聞きながら私たちの救助を待っていたらしい。
先程の「不思議な話」を内緒にするよう約束した文ちゃんは羽継を興味深そうにじっと見るだけで特に怒りもせず、むしろ微笑んで一緒に片付けてくれた。その流れで夕飯を一緒に食べることにもなった。
その際に文ちゃんの祖父母にも会い、私は「御巫家の謎」を問いかけたくてうずうずしたが、肝心の二人は孫のお友達――それも同性の友達と一緒に楽しそうに夕食を食べている孫の姿に嬉し泣きしており、流石に「後でお時間を」なんて言えそうになかった。
しょうがないので文ちゃんのご飯をおかわりしていた――その頃。
文ちゃんの部屋で、私の鞄の中で眠りっぱなしの手鞠を、ジッと覗き込む不思議な影があった。
『ど……ど、ど、…んと、こい。超常現象……超常現象……』
まさか、あの時のアホな発言が、あんな事件を引き起こすだなんて。誰が予想できただろうか。
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