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38.音楽室の怪




走る、


走る、


走る。



私と「ぷにとぅるん」の命を背負って、羽継はただただ走り続けた。

担がれている私はというと必死で「人避け」の魔術を何度も行使している―――だってこんな状況に誰かが遭遇してしまったら、その子まで被害に遭う可能性が高いのだ。


【怪異】の中には人間から姿を隠すものもいるのだけど、私たちを追ってくる「テケテケさん」は高確率でそんな配慮をしてくれないだろう。


「…くっ…―――っ」


もし捕まったら死ぬ――そんな鬼ごっこの中、羽継は2階から1階へと続く階段を駆け下りる。

…しかしまあその際の衝撃が私には苦しくて、なんとか軽減出来ないかと足掻いたらポケットから二つの大切なものが落ちてしまった。


1つは文ちゃんがくれたお守り。そしてもう一つは―――



「羽継!羽継が!!」

「はァ!?」


羽継ベアがころんと床に転がる。


私はこの状況を忘れて身を乗り出すも、羽継は私を離そうとしない。

早くしなくては羽継ベアもお守りも「テケテケさん」に汚される――例え無様に落ちても拾おうとしたら、



「あ゛!!」


べたん! と「ぷにとぅるん」が羽継から離れて、私の大切な落し物を耳で拾い上げてその頭に乗せる。

けれどその頃にはもう「テケテケさん」が「ぷにとぅるん」に迫っていて、私は皮も爪も剥げた手のひらが「ぷにとぅるん」を握り潰そうとするのを見た。



「あ……」


もう、ダメだ。


血の気が下がった瞬間、――――"それ"は輝きを放つ。



「うぅっ!?」

「うぉ!?」

「あ゛――!!」



―――二人と一匹の悲鳴が途切れる頃、そこにはもう「テケテケさん」はいなかった。


あまりの急展開に少しの間、私たちは動くことが出来ず――とりあえず輝きを放っていた「それ」を回収しようとしたら、羽継に止められた。

動くなよ、と目で指示してから羽継が「それ」こと「お守り」を拾い上げると、難しい顔で呟いた。


「……これ、御巫の…」


それには、「厄除御守」と文字が縫われている。

今確かに、その効果を発した、力が――――。




「―――ねー、アッチですごい光見えなかったァ?」

「!」


遠くからの女子生徒の声に、私と羽継…と「ぷにとぅるん」は急いで階段を下りて、逃げるようにその場を去る。

私は途中から片手に「ぷにとぅるん」、片手に羽継の手を握って――とりあえず現在地とは反対にある校舎の二階を目指した。


「ちょうどいいからこのまま音楽室の怪談も調べよっ」

「かまわないが…休まなくて大丈夫か?」

「へーき!」

「あ゛――!」


耳をピピピンッと小刻みに震わせた「ぷにとぅるん」は、私の腕の中でごそごそと身体の位置を変え、居心地が良くなると動かなくなった。


(……なんか…懐かれてる気がする)


放っておけば勝手に消えただろうに、思わず引っつかんで逃げ出してしまったけど――どこにこの子を置いていけばいいのだろう?

私は背後の羽継に相談しようと考えて、振り向こうとした。



―――ぎゅっ。




………。

……………。

………けれど。振り向くのを制すように、私よりも大きな手が、私の手を握り直した。

ただ、それだけなのに。まるでお湯に手を突っ込んだように熱くなって――ぎぎぎ、と振り向きかけた頭を戻す。


(な、なん……落ち着けっ)


いつもならすぐに手を解くかされるがままのどちらか。……なのに何故か今回は握り返してくる……のはきっと、気まぐれだ。ここで変な反応をして羽継に冷たい目で見られたくない。

冷静に…冷静に……冷静冷静冷静冷静冷静冷せ



「……彩羽、音楽室過ぎてるぞ」

「へ!?」


ぐいっと手を引っ張られた私は、「ごめん!」と謝って音楽室の扉に近づく。


(よ、よぉーし、落ち着こう私)


あー、ごほん…―――そうそう、この学校の【監視官】である私は教室の鍵のスペアを貰っているから、手間もかからず扉を開けることができる。

ちなみに普段ならこの時間は楽器の音で賑やかだが、本日は吹奏楽部がお休みの日なのでとても静かだ。



「さて、気を取り直してぇー、頑張りま………」







ピアノから伸びる、薄らぼんやりと透ける三つ編み。


それを掴む―――テケテケさん。



『たったたたたたたたた助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』



思わず固まる私たちに気づいたのか、「音楽室の怪談」である幽霊が泣き叫ぶ。

そのせいで「テケテケさん」は私たちに振り向いて、首の切断面が口のようにパカッと花開いた。



「あ゛―――!!」


思考停止した私たちへの一喝か、それともただの雄叫びか…急に勇ましい声を上げた「ぷにとぅるん」は「テケテケさん」に体当たりをかます。

それがヒットする様を見て冷静になった私は、先ほどと同じく雷撃の魔術と教室の備品を傷つけないよう守る結界を同時に編んで―――放つ!



『ひぃぃっ!!』


幽霊少女はその凄まじさに、ピアノの中へと体を潜らせて逃げ込んだ。

対して「テケテケさん」は体を何度も跳ねさせ、指先を芋虫のように激しく震わせながらもこちらへと近づいてくる。


「―――彩羽」


その様子に私を背中に隠した羽継は、ダーツのように異能の針を構えて――短い吐息と共に射抜く。

今度こそ炭と消えた「テケテケさん」は、その最後に私に手を伸ばした……気がする。



「あ゛―――!」

「おわっ!」


私たちの勝利に喜ぶ「ぷにとぅるん」は、元気よくビダンビダンと跳ねながら長い耳もばたつかせる。……可愛い。思わず抱きしめた。

―――が、すぐさま羽継のチョップが入って、ズドンと「ぷにとぅるん」は床に落ちたのだった。


「気を許すな」

「………」

「不貞腐れるな」

「…」


…羽継さん……厳しい……。

あんな切込隊長までやってくれた「ぷにとぅるん」に、もう少し優しさを見せてもいいと思うの。


―――だけどまあ確かにのんびりしている場合でもないし、私は炭化した「テケテケさん」を世界に還すために窓を開く。

羽継もすぐに箒と塵取りでさっさと炭化したそれを集めると、窓からバサァっと捨てた。


羽継の異能チカラが残ってるだろうから可能性は低いけど、あの手の【怪異】の遺骸を室内や風通しの悪い場所に長時間放置すると、低級の【怪異】が新たな力を求めて遺骸を貪りに集まってきたり、逆に集まってきた低級たちによって復活するタフなのもいるため、こういう事態にはとりあえず外にぶん投げるのである。


いや、燃やし尽くすという手もあるんだけどもね。でも、こうして風に攫われて少しずつ世界に溶けていく方がいいのだ。燃やし尽くすと「世界」に還すことができない。



『―――ちょ、ちょっと!終わったのよね?あの化け物もう出てこないのよね!?』


青空に溶ける灰を何となく見つめていると、背後――ピアノの影から幽霊が顔を出す。

この子こそが「音楽室の怪談」であり、生前はピアノの天才として色んな賞を授与されていた少女。

しかし病弱でもあったため、コンクールの練習中に急死した悲劇の中学生――そのせいか、自分ではもう掴めない未来を生きる学生たちを見ると嫉妬に狂い、教師以外がこのピアノに触れると怪奇現象を起こしたり果ては監禁までする問題児だ。


ちなみにそんな彼女だが、「イケメンは良し!むしろ来い!!」という考えのもと、以前羽継が調査のためにピアノに触れたときは「はあああああァァァんん私の王子様ぁぁ!」とピアノの下から羽継の足に頬をすり寄せて鼻息荒くしがみついていたのだが、あまりのホラーさに羽継はオフにしていた異能を開放して――まあすっごく痛い目を見させた結果、羽継が接近するとヒステリックに泣き叫んだりする。



「…たぶんね」

『た、たたたたぶんって何よ!アンタがあーいうのから守ってくれるっていうから私だってあんたたちに協力してるっていうのに!』


キーっと騒ぎ立てる幽霊少女に「はいはいごめんねー、次頑張るからねー」と宥めながらお菓子を1つピアノの上に乗せる。

そしてお供え物の前で十字を切ると『私は仏教徒よ!』と怒られた。…。


…け、けどまあ幽霊とはいえ女の子。

プリプリ怒りつつもお菓子をつまみ上げて食べる――といっても半透明な体を落下していくだけなのだけど……それでも幽霊少女にはお菓子の味が分かるのか、口元に手を当てて少し微笑む。

ぽて、と落ちたお菓子を少しだけ悲しそうに見下ろしていたけども――まあそのことについては深く考えないようにしているのか、幽霊少女は視線をそらしてピアノの椅子に座った。


『…まあ、その……今回はちゃんと助けてくれたから…いいわ』

「それはよかった。じゃあ聞きたいことがあるんだけど、かまわない?」

『どうぞ』


箒を片付けてきた羽継と一緒にピアノの近くの机に座ると、幽霊少女は乱れた髪を直す。

―――この「学校の七不思議」の中でも"話の通じる【怪異】"である幽霊少女とは協力関係にある。

彼女はこのピアノに憑いている存在でもあるので、まずこのピアノの保護、そして他の【怪異】からの(今回みたいな)襲撃や干渉から守る――その代わりに、こちらは彼女をパシリにしているのである。

あまり音楽室からは離れられないけれど、それでも一定の距離までは四六時中監視できる便利な子なのだ。



「ここ最近――さっきの件以外で、【怪異】に干渉されたり襲われたりした?気配を探知したりとか」

『ないわよ』

「"投書箱"に何らかの【怪異】の接触はあった?」

『なかった。…ああ、そういえば昨日、男子が触ろうとしたけど…結局未遂』

「そう…ここら辺で異常は?」

『ない』


ふむ…魔導書もそうだけど、私たちが逃がしちゃった【怪異】も見つからない…どうしよう。

溜息を吐いていると、足元でバリバリと変な音がした。


「あ゛!あ゛っ」

「…そのまま食べればいいのに」

「羽継ってば鬼畜眼鏡っ」

「鬼ち…おい!」


幽霊少女のお供え物をパクってきた「ぷにとぅるん」はハムハムしながらお菓子を食べようとする。

幽霊少女と違うタイプの【怪異】だからか、そのままパクッと食べてもお菓子は床に転がる仕様ではないようだ。どうやら人間様と同じくちゃんと食べたいらしい。

私は何だかんだでお世話になっている「ぷにとぅるん」のためにお菓子の包装を破いてやると、「あーん」と口を開けるように促す。

素直に「あ゛っ」と大きく口を開けた「ぷにとぅるん」は、落下してきたお菓子をもごもごと頬張るとすぐにおかわりの催促をしてきた。

なんだか野良猫に餌付けしている気分になって、私はお菓子の箱を取り出してもう一個摘む。


「……どうした、その菓子」

「へっ!?…も、貰ったの」


二個目を頬張る「ぷにとぅるん」に3個目もあげようとした――手を、掴まれた。


……むぅ、何なんだろう…何で急にこんな接触してくるんだろう…今日の占いで「異性と手を握ると運勢アップ!」とか言われたのかな。


「誰に?」

「…タカ君…」

「たかくん……お前があだ名で…―――仲、良いのか?」

「いや、覚えられなくて」

「えっ」


素直に話すと、羽継はだんだんと可哀想な子を見るような目で私を見た。

私はその視線から逃げるように顔を背けると、ピアノの影からじっとこちらを睨む幽霊少女と目が合った。……ああ、うん、ごめん。


さっさと出ようと羽継の方へ振り返る――と、トンと何かの振動を感じた。ああ膝から物が落ち―――え、膝から物が?


「あっ、お菓子!」

「あ゛―――!」


雨のように降るお菓子に、「ぷにとぅるん」は大歓喜。さっきまで「包装用紙取ってくれなきゃ食べれない!」なんて態度を取っていたくせに、こいつそのままカービィの如く食ってやがる!


「ああっ、あー……」


新発売のお菓子…楽しみだったのに…。

しょんぼりしていると、羽継は宙に浮いていた手を私の肩に乗せて―――


「―――じゃあ、さっき俺の名前連呼してた原因って…これ?」

「あっ」


私の代わりに回収してくれていた――羽継ベアが、羽継のもう片方の手にあった。

急いで奪うように取り返し、恐る恐る見上げると、あの子はジーッと私を見つめている。


「……あの…」

「…」

「その…」

「…」


お、怒ってるのか、どうなのか…元々の顔が怖いイケメンだからわかんねーよ!


「―――うぅぅっ、だ、だって羽継に似てたんだもん!」

「…俺に?」

「そ!あのケーキ屋で、記念にテディベアのストラップをくれるって…色んなクマさんたち見せられて…それで、隅っこで残ってたのが羽継っぽくて!」

「お前の中で俺はぼっちなのか。未だに」

「そうじゃなくて…な、なんかこのキツそうな顔が羽継ぽかったの!そしたらその…情が湧いちゃって…」

「……ふぅん」


ぎゅう、と羽継ベアを握る。

じ、実は羽継ベアとは学校生活どころか一緒のベッドで寝てる仲なんですとか言えない……。



「………」

「うー…」

「……。…なあ、彩―――」

『あああああああもうッ、イチャつくんなら出て行けええええ!!』

「ひっ!?」


―――急に叩きつけるような演奏が始まるピアノに、私は「ご、ごめんねー!」と謝って急いで「ぷにとぅるん」を回収した。

この子ときたらお菓子の箱まで……まあ、捨てる手間がかからなくていいけども。私は羽継の腕を引くと、駆け足で音楽室を出る。


ちゃんと鍵を閉める頃になっても収まらぬ怒りの演奏に引きつつ、私たちは人目を忍ぶように音楽室を離れた。


そのまま廊下を進んでいくと、不意に羽継が立ち止まる。



「あれ、御巫?」

「えっ?」


羽継に近寄った私は彼の視線の先を見る――と、確かに文ちゃんが。

なんで校舎裏に居るんだろう…不思議に思っていると、不意に木の陰から男子生徒が出てきた。

あの背格好と髪色的に、流鏑馬でもタカ君の友人でもなさそうだ――ジリジリと追い詰めるように文ちゃんに近づくその姿に不安になった私は、窓を開けて大きく息を吸った。



「…文ちゃ――ん!!やっほー!」

「!――彩羽さんっ、嘉神君も!」



私の大声に文ちゃんが顔を上げる。

安心したような文ちゃんの声と、急に逃げるように立ち去る男子の姿が、私の勘が当たっていたのだと教えてくれる。…よかった、羽継が気づいてくれなかったら不味かったかも。


「二人共、そんなところで何してるのー?」

「…散歩さっ」


見上げる文ちゃんの問いかけにそう答えると、文ちゃんは少し震えた声を出す。



「…もしよかったら、どこかでお茶しない?」

「いいねー!」


元気よく応えると、文ちゃんは心底安心した顔で微笑んだ。






.



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