32.這いよれ!小鳥遊くん
昨日の事故の件は、朝の時点ですでに知らない生徒は誰もいないくらいになっていた。
私も野次馬しに行ったけど…羽継に目を塞がれて裏門から帰らされたから、よく分からなかった―――だけど羽継の呟きから、同学年の男子が事故に巻き込まれたことは分かった。
それも、プールで文ちゃんにセクハラしてきた男子生徒で――いやまあ、元々「よく分からない何か」に祟られていたから、なんとなく予想してたけど…ひどい被害だ。
「……あれ、文ちゃんいないね?」
「そうだな…」
いつもなら、ここら辺で流鏑馬とイッチャイチャしてるのになあ。
珍しく遅刻なのか休みなのか…後者なら寂しいなあ。
「ん…彩羽、俺、日直だから」
「あ――はいはい。またね」
玄関に着いて靴を履き替えて廊下に出ると、羽継は「じゃあな」と言って教務室に向かう。
私は一人で階段を上る――と、不意に背後から「あの、安居院さん」と呼び止められた。
「……?」
「あの…安居院さん…―――ひ、一人なら、一緒に行かないか?」
「え?うん…?」
誰だこいつ。
……えっと…えっと……見覚えはある…から、きっと同じクラスだよね。
「あ、俺は小鳥遊だよ。一年の頃、一緒に学級委員したんだけど」
「……ああ!かたなし…いや、かな――し、君ね!」
「小鳥遊だからね安居院さん。小鳥遊だから」
「はいはい。か…小鳥遊くん、ね」
かた…たか…ええい、タカ君でいいや――は私の隣にやってくると、今更ながら「おはよう」と笑った。
普段ならそこには羽継がいるはずの場所に収まったタカ君は、羽継みたいなキリッとしたイケメンではないし、流鏑馬みたいなやんちゃなワンコのようなイケメンと違って地味だけど――落ち着いてて、優しそうな雰囲気の男の子だ。
そのことにちょっと安心して「おはよう」と私も返せば、タカ君は嬉しそうな恥ずかしそうな顔をする。
今にも周囲に花が咲き乱れそうなその表情を見ると、なんだか私も恥ずかしくなってきた。
「えっと……珍しいね、いつも嘉神と登校してるのに…」
「ああ、羽継は日誌取りに行ってるのよ」
「そう。……あ――、えっと。……そうだ、安居院さんは昨日の事故のこと知ってる?」
「んー、直接見てはいないけどね」
「見ない方がいいくらいだったってさ。一命は取り留めたらしいけど、あれじゃあ部活を続けるのは難しいだろうね―――」
……むむ、タカ君は歩くのが遅いな。
いつものペースで進むと置いていってしまうし…流石に置き去りは酷いから、私も渋々歩調を合わせた。
「―――あ、そうそう…最近、女子の間で七不思議ブームがきてるみたいだけど、安居院さんもしてるの?」
「…してないよ?」
「そっかぁ…よかった」
「へ?」
「いやさ、俺の前の席の女子がよく『七不思議を試して本当に呪われるか試してみよう』って、……実験台に御巫さんに呪いをかけてやろうとか何とか言って笑ってるのが、下手な怪談よりも怖くてね…」
「え――ちょ、待って!文ちゃんに呪いをかけようとしてる女子って誰!?」
「んーっと…えっと、…あ、そうそう芳堂さんだよ。あとその友達…」
「芳堂……」
ええっと…何か聞き覚えが……確かそんな苗字の女に話しかけられたことがあったような。
まあそこは後で穂乃花に確認して、マークしておくか……まったく、私の文ちゃんを呪おうなんぞ一万年と二千年早いわ!
どうせ大した呪いは成せないだろうけど、中学二年生とは無駄に行動できる歳。
下手に盛り上がって万が一にも何かしでかしたら大変だ――うん、これからは文ちゃんのこともよく気にかけておかないと。一人にしてたら変なのに連れてかれて苛められるかもしれない……。
「…ありがとう、タカ…タカ……ナシ君。教えてくれて助かった」
「そ…そ、そそ――それはよかった!」
知らなければ大変なことになってたかもしれない情報をくれたタカ君にお礼を言って微笑むと、彼は何度も吃りながら私から視線を逸らしたり戻したりを繰り返した。
「…――ね、教室行こう。遅れちゃうよ」
「あ、ああ…うん。そうだね。行こうか」
そう急かすと、嬉しそうな顔をしてたタカ君はちょっぴり名残惜しそうな表情になった。
けれど私はその変化を気にせず再び階段を上り始めると、一つ遅れてタカ君も階段を上り、掠れた声でこう言った。
「安居院さん。その髪――型も、とても綺麗だね」
思わず振り向くと、タカ君は俯いて私に顔を見せない。
でも、その手は震えていた。
「……―――ありがとう。嬉しいな」
微笑む。
すると、のろのろと顔を上げたタカ君は、私の営業スマイルではない笑みをみてぎゅーっと手を強く握り、ぷるぷる体を震わせていた。
そんな―――今まで見たことのないタイプの男子なせいか、些細な行動も新鮮に感じる。
………小鳥遊くん、かあ………。
*
文ちゃんはいつもより遅れて――HRがあと少しで始まる、という頃にやって来た。
その頃にはみんな教室に居たものだから、昨日の事故に巻き込まれた男子生徒に絡まれていた文ちゃんの登場に皆がジロジロと見たり、ヒソヒソと「昨日のやつ、あの子が呪ったんじゃないの?」「あのプールの時だって…」とか何とか話していた。
そのせいで教室に入り辛そうな文ちゃんだったけど、私が穂乃花たちの席から手を振って「文ちゃんおはよー!」と声をかけると、ホッとした顔で近づいてきた。
「おはよう文ちゃん。遅かったね」
「うん、彩羽さん、穂乃花さん。…おはよう」
「叶乃さんもいるよー!」
「はい、叶乃さんもおはよう」
「沙世さまもいるよ!」
「ぷーっ!"さま"って顔かよぅ!」
「朝から生意気じゃないの彩羽ァー!」
―――騒々しい私たち一人一人にちゃんと挨拶をして顔を上げた文ちゃんは、一瞬私たちを眩しそうに見た。
そしてほんのり口元を緩めると、「良いお天気だね」と言う。
「そうだねぇ…でも、昨日より暑くて嫌だねぇ」
「しかも一時間目は音楽だからね。きっと冷えてないよ教室」
「―――あ、そういえば歌の小テストあるよね」
「あー…」
「ねえねえ文ちゃん!この美声の持ち主である彩羽ちゃんと一緒に小テスト受けよ!」
「わ…私と?」
「やめた方がいいよー文ちゃん。彩羽は歌うときかなり気まぐれだから」
「あと歌詞覚えないからね。即興の歌詞作ったりするよ」
「ちゃんと歌えばマシなのに、変なとこで照れて音外したり騒がしいしねー」
「んだよー!音痴の叶乃ちゃんよりはマシっしょ!」
「音痴じゃない!私の歌声は独特なの!」
「ていうか……この人数だと一人ハブられることに気づいてる?」
「「えっ」」
―――そ、そういえば……今までは基本的に私と穂乃花と沙世ちゃんと加乃ちゃんの計四名で組んでいた。しかし現在は……五人。
私たちは沈黙の後、困っている文ちゃんを巻き込んでじゃんけんをした。
勝ち負けを決めるためではなく、グー・チョキ・パーで2・2・1に分けるためだ。
「―――っしゃあ!私は文ちゃんと!」
「えーっ、ちょ、私ハブ!?」
「澪ちゃんとこと組んできたらー?」
―――あと少しで先生が来る。
だけど私たちはギリギリまでお喋りしていた。
文ちゃんは鞄をぎゅっと抱いて、私の隣にいた。
「―――はい、今回は男女四人で歌ってもらいますからねー」
授業が始まると早々に、数枚の紙を手にした音楽の先生が別室に移動する。
一人ハブになった沙世ちゃんが澪ちゃんとこで余った女の子こと、ボーイッシュな紫穂さんと組んだのを見届けると、私と文ちゃんは次の作業に移った。
―――一すなわち、一緒に組んでくれる男子探しだ。
(うーん、去年は羽継と組んだからなあ……)
ちょうど羽継のところのメンバーと私たちの人数がぴったり一致したから、何の問題もなくスムーズに済んだのだけど。
「一緒に歌おう」って誘うのは難しいしちょっぴり恥ずかしいなあ…。
「文ちゃん、一緒に歌いたい人っている?」
「ううん…」
「あ、じゃあ歌いたくない人は?えーっと…『ハゲっぽいのとは歌いたくない!』とか」
文ちゃんは苦笑いで「…じゃあ、落ち着いた人と歌いたいな」と言う。
………うーん、落ち着いた人か……じゃあ、あそこでチャルメラ吹いてる多賀くんはダメだね。
「うぅーん…ちょっと待ってね文ちゃん……」
基本的にうちの学校は、自分たちでグループとか組を作らせて行動させる。
だから体育のチーム分けも、今回の音楽のテストでも、名簿順とか座席順とか関係なく生徒のお好みのまま。
社交性を育てるためらしいけど、文ちゃんみたいに物静かな子とか友達のいない子とかにはかなりキツイ方針だ。
「―――あ、あの。…安居院さん」
「ん?」
誰かちょうどいいのがいないかと辺りを見回していたら、またも背後からタカ…タカ君がやって来た。
彼の隣には将棋部の子が居て、私の隣の美少女しか見ていなかった。
…おい、片方だけ熱心に見つめるな。君が夢中になってる美少女の隣にだって麗しい女子生徒がいらっしゃるのよ。スタイル抜群の美少女がいらっしゃるのよ!
「その…もしよかったら、一緒にテスト受けない?」
「あ?…あ――文ちゃん、どう思う?」
私としては君の隣の男が気に食わないんだけど……文ちゃん!"こんな視野の狭いダサメガネ男と付き合うのはイヤ!"って言ってやるんだ!
「え?いいんじゃないかな」
「えっ」
「えっ?」
私の反応に文ちゃんは不思議そうな顔をする。……くっ、美少女のこの顔は破壊力が…。
「―――よかった!…えっと御巫さん、俺は小鳥遊って言うんだ。それで、こっちは佐嶋。よろしくね」
「よ、よろっ、しく!」
「はい、よろしくお願いします…」
軽く文ちゃんが頭を下げると、つられるように二人も頭を下げた。
そして顔を上げると、文ちゃんをガン見していた佐嶋だか小島だかはこちらに背を向けると相棒の肩叩き、小さく「やったぁ…!」と喜んでいた。
「……あとで流鏑馬にチクってやろ」
「それはやめて!!」
ぼそっと呟いた私の言葉に、佐嶋は怯えた声で叫んだ。
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