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いつも助かっています。
ついに最終話です。
あの後マルカは涙に濡れた顔を小さな手でごしごしとこすり、無理矢理笑顔を作ると「これで良い?これで父様に会いに行ける?母様も悲しくない?」と言った。
ぐしゃぐしゃになった顔は決して綺麗ではなかったけれど、マルカの精一杯の優しさと強さを感じてモニカは涙を流した。
「ありがとう、マルカ。とっても、とっても可愛いわ。あなたは私たちの自慢の子よ」
そうして二人で泣きながら笑った。
それからの時間をモニカとマルカはより大事に過ごした。
あの時からマルカは涙を見せなくなった。
もちろんこの先のことを考えれば悲しくて、辛くて、苦しくなる。
けれど、残されたこの時間をモニカの望むように笑顔で一緒にいることが自分に出来る母への最期の贈り物だとマルカは思った。
そんなマルカの気持ちを分かっていたから、どんなに体調が悪くてもモニカも笑顔を絶やさなかった。
モニカは残していく娘に出来る限りの教養と愛を、マルカは先に逝ってしまう母に精一杯の笑顔を送った。
笑顔でいられるこの時間が永遠に続けば良いと思っていた。
けれど現実は残酷だった。
「マルカ……」
「はい、母様」
「私が死んだら……引き出しの、中の……」
「わかってる。デニス伯爵夫人宛てのお手紙はちゃんと出すわ」
「ふふ……いい子ね、ごめんね、マルカ」
「何も謝ることなんてない。大丈夫よ、母様。私は大丈夫……だから、安心して父様に、会いに行っても大丈夫よ」
母はもうすぐ逝く。
幼いマルカにもそう理解できる程にモニカの体力は衰えていた。
最近ではベッドから起き上ることもままならない。
マルカはもう嫌だと泣くようなことはしなかった。
ただただ心安らかに母がいられるように、安心して父の元へと旅立てるようにとそう願っていた。
5歳にして己を律し、しっかりとした子に育ったマルカは出来る限りモニカの世話を自分ですることを望んだ。
自分に出来ないことは母の病気を治すことくらいだ、他のことは一人でも何でも出来る。
だから大丈夫なのだと安心してもらいたかった。
そんなマルカを院長や周囲の大人たちも陰ながら支えた。
しかしそんな日々ももう終わってしまうのだろう。
「マルカ、こっちに来て……抱きしめさせて」
マルカがベッドに寄り添いモニカを抱きしめると、モニカも震える手を必死に伸ばしてマルカを抱きしめた。
「ありがとう……大好きよ、マルカ……」
「うん。私も、大好き」
マルカの声を聞いたモニカはふっと笑うとそのまま目を閉じた。
一瞬慌てたマルカだったが、口元から聞こえてくる小さな寝息にほっと胸を撫で下ろした。
けれど、胸がざわついて仕方がなかった。
マルカは自分のベッドから毛布を引っ張ってくると、それに包まりモニカのベッドの横にちょこんと座った。
真夜中、カタという音に目を覚ますと、モニカの息が荒くなっていた。
「母様、母様!」
マルカはモニカの手をぎゅっと握り、必死に声を掛けるが反応は無い。
それでもマルカが声を掛け続けると、ゆっくりとモニカの目が開いた。
「母様……」
その時のモニカがマルカを認識出来ていたかは分からない。
分からないが、マルカには母が自分を見て笑ったように思えた。
だからマルカも辛い気持ちを堪えて精一杯の笑顔を作った。
モニカはゆっくりと目を閉じて、その目尻から涙が零れた。
荒かった呼吸がゆっくり、ゆっくりと落ち着いていく。
そしてしばらくした後、モニカの呼吸は止まった。
それをマルカは目を逸らすことなく、手を離すことなく見守った。
「母様……かあ、さま、おやすみなさい」
マルカはモニカの手を握ったままずるずると床に座り込んだ。
そしてそのまま声を出して泣いた。
母の為にもう泣かないと決めたマルカが、あの時以来初めて本気で泣いたのだった。
大好きだった、自分の全てだった母が亡くなってしまった。
もう我慢しなくても良いだろう。
本当はいつだってこうして泣きたかったのだ。
それでも、泣き顔を見せて母を悲しませたくなかった。
母が好きだと言ってくれた笑顔でいたかった。
だけど、それももうお終いだ。
明日からはまたきっと笑顔になるから、だから、だから今だけは。
母を想って、自分の為に泣いたって許されるだろう。
そうして声が枯れるまで泣き続けたマルカはいつの間にか疲れて眠ってしまったのだった。
目が覚めた時、モニカの身体はすっかり冷たくなっていた。
恐る恐る覗き込んだマルカが見たのは、やつれてはいたが美しく、眠っているようにも見える母の姿だった。
「母様、ちょっと待っててね。私、ちゃんとやるよ」
マルカは水を一杯だけ口にすると、引き出しから手紙を手に取り家を出た。
配達所にその手紙を預けると、その足で孤児院に向かう。
「院長先生、おはようございます」
マルカは院長に朝の挨拶をした。
「昨日の夜、母様が亡くなりました」
普通に挨拶を交わした後のこの言葉に院長は驚き、耳を疑った。
けれど、モニカの体調は院長も把握していたし、何よりもそれを告げたマルカの震える手と泣き腫らした目が真実なのだと言っていた。
院長はマルカに近づくと、その小さな体をそっと抱きしめた。
「……頑張りましたね」
院長のその言葉にマルカは無言で頷くと、院長にしがみつくように抱きしめ返した。
この小さな体でいろいろな物を乗り越えようとしているマルカにそれ以上の言葉はいらないのだと院長は思った。
それから大人たちの手を借りて、モニカの弔いは無事に終わった。
その間、マルカは笑うことは無かったが泣くこともなかった。
ぎゅっと口を引き結び、小さな手を握りしめ、必死に耐えるその姿は痛々しくあったけれど、同時に気高くもあった。
その後マルカは生前モニカが望んでいた通り孤児院の世話になることになった。
しばらくは塞ぎ込んでいて笑顔を見せることは無かった。
心配した院長が声を掛けると「大丈夫です。今戦っている途中なの。だから大丈夫。もうすぐ勝つから」と言った。
そしてその言葉通り、しばらくするとマルカはまた笑顔を見せるようになった。
あの時、何と戦っているか院長は聞かなかった。
けれど今のマルカを見るに、おそらくモニカを失った悲しみや、苦しみといった感情と向き合っていたのだろうと思えた。
(モニカ、マルカは、あなたの娘はとっても強い子ですよ。あの子ならきっと大丈夫)
それからのマルカは基本的にいつも笑顔だった。
目が笑っていない時もあるが、それを敢えて指摘するようなことはしない。
それがマルカにとっての鎧なのだと院長は考えていた。
孤児院では率先して手伝いをし、下の子の面倒をよく見た。
見た目に反して行動力と身体能力も高く、弱い者いじめをするような子は相手が非を認め謝るまで木の上だろうが何だろうが追いかけた。
護身術もその細腕でどうやってと誰もが不思議に思うくらい強かった。
勉強も誰に言われなくても自ら行った。
モニカに教わった礼儀作法も何度も何度も復習した。
そうして10年の月日が経つ頃には立派な人間に成長した。
「早いものですね。あの小さかったマルカがこんなに大きくなるなんて」
しみじみ言う院長にマルカは笑う。
「もう10年ですからね。最近鏡で自分の姿を見ると母様を思い出します」
成長したマルカは紅茶にミルクを垂らしたような淡い茶色のふわふわとした髪も、儚げなその容姿も本当に母のモニカによく似ていた。
「辛くは、ありませんか?」
院長の問いにマルカは首を横に振った。
「大丈夫です。母様が私にくれた色々なものがあるとそう思えます。……たしかに辛い時期もありましたけど、それでも母様や院長先生たちには感謝しかありません」
あの頃、笑顔でいるマルカを見ているのが辛い時期もあったのだと院長が言えば、マルカは困ったように笑う。
「……母様が、私が笑顔でいることを喜んでくれたから。私が笑っているだけで幸せだと言ってくれたから。気持ちって人に伝染すると思いませんか?笑顔の人の周りにはいつも笑顔や優しい気持ちが溢れているんです。優しい気持ちをもらったら、それをお返ししようって気持ちになるんです。だから私は笑顔でいます」
本当に、強く立派な子に育った。
そう院長がじんわり胸を温めていると、「それに」とマルカがにっこり笑う。
「とりあえず笑っておくと揉め事も少ないですし、自分の感情も悟られにくいし、制御しやすいんですよね。あ、これは内緒ですよ?」
それを聞いて院長は目を丸くした。
この子は笑顔の裏でこんな事を考えていたのか。
どうやらこの子はただの良い子ではなさそうだと考えを改める。
「……マルカ、それを他で言ってはいけませんよ」
とりあえず、これだけは言っておいた方が良さそうだと院長は判断した。
それにマルカは笑って頷いた。
もうじき魔力測定を行う予定になっている。
その結果によっては今後の人生の道筋が決まってくるかもしれないが、マルカならばどう転んでも大丈夫そうな気がしてきた。
自分の人生を自分で切り開いていけるだけの力や、強い心をマルカは持っている。
きっと輝かしい未来になるに違いない。
まだ見ぬ未来を想像して、院長は妙に確信めいたものを感じるのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
作者自身がハッピーエンドが大好物と言っておきながら、今作品では両親の死は避けられず、いかにラストに少しでも明るい成分をプラス出来るかを悩んだ作品でもあります。
『私の名はマルカ』に繋がるマルカの強さの根幹を書けていたら良いなと思います。
もし宜しければ感想などいただけたら嬉しいです。
感想を読んでいるだけで幸せな気分になれます(*´▽`*)
厳しい感想は……今後に活かしたいと思います!
よろしくお願いします!!




