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悲しみを乗り越えて ~マルカの親の物語~  作者: 眼鏡ぐま


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 伯爵家が用意してくれた小さな家での生活はモニカたちにとってとても穏やかなものであった。

 日中は孤児院に行き子供たちにマナーや礼儀作法を教える。

 もちろんマルカも一緒に行き、孤児院の子供たちと同じ授業を受けた。

 マルカにとっては既に身に着いたものであっても、母と一緒にいられる時間が嬉しく、とても楽しかった。

 授業が終われば同年代の子供たちと一緒になって広場を走り回り、声を出して笑った。

 そんなマルカを見つめるモニカも喜びをかみしめていた。


(ここに来させてもらって正解だったわ。マルカが心から笑っている)


 孤児院にいる子供たちは親を失った子ばかりだ。

 マルカもそれが分かっているから孤児院では必要以上に母であるモニカに近づくことはしなかった。

 その分、手を繋いで帰る帰り道では、今日はあんなことがあった、こんなことがあったと一生懸命話すマルカをモニカは愛おしく思った。


 マルカを寝かしつけ、モニカは一人懐中時計を握りしめていた。

 この懐中時計は亡くなったマシュハットの持ち物だ。

 マシュハットの生家、ダルトイ侯爵家の当主となる者が受け継ぐ物だとかつてマシュハットは言っていた。

 マシュハットが亡くなった今でも規則正しくカチカチと時を刻む懐中時計を眺めながら、モニカは時折マシュハットのことを思い出す。


(あなたが亡くなっても、この時計はあの頃と同じように時を刻むのね。マシュハット、私は上手くやれているかしら。しっかり笑えているかしら)


 寂しさから、ついそんなことを考える。

 けれどその度に『大丈夫だよ――君はちゃんと前に進めている』、止まることのない時計の針がそう言ってくれているようだった。

 マシュハットと同じマルカの瞳を見ると、切なさと愛おしさが溢れ出す。

 いつだってマシュハットはモニカの心の中にいた。


『心はいつも君たちの傍に――』


 忘れる事など出来るはずがない。

 苦楽を共にし、自分の全てを捧げた愛する人、一番の理解者であり、マシュハットにとってもそれは同じだったはずだ。

 マルカが生まれるまでは二人にとってはそれが全てだった。

 マシュハットの分もマルカを愛し、立派に育ててみせる。

 そう思いながらモニカはいつも眠りにつくのだ。





 孤児院に来てから早2年が経った。

 本当にあっという間の2年間だった。

 マルカもすくすくと成長し、よりモニカに似てきた。


(本当に私の小さな頃にそっくりね。マシュハットが生きていたら「僕の言った通りだ」って笑うのかしら)


 モニカは子供がいるとは思えないほど美しさを保っていた。

 そんなモニカに想いを寄せる者もいたが、誰にも靡くことは無かった。

 モニカの心には今もマシュハット以外の男性が入る隙間は無い。

 それどころか、時が経てば経つほどマシュハットへの想いは募るばかりだった。


「母様、また父様のことを思い出しているの?」

「あら、よく分かったわね」

「だって母様いつものお顔しているもの」


 マルカが言うにはマシュハットのことを思い出しているモニカはいつも同じ顔をしているのだそうだ。

 どんな顔なのかと聞いてもマルカは教えてくれないが。


「そうねえ、母様はやっぱり父様のことが大好きだなって思ったの。可愛いマルカ、貴女は将来どんな女性になってどんな素敵な男性と恋に落ちるのかしらね」

「恋?どこに落ちるの?」

「ふふっ。マルカがどんな男の子を好きになるのかしらってことよ。貴女が心を寄せるんだもの。きっとマシュハットのように素敵な男性に違いないわね」


 そんな和やかな日々を過ごしていたある日、モニカは自分の身体の小さな異変に気が付いた。

 ちょっとしたことで息が上がり、胸が苦しくなることが増えた。

 はじめは気のせいかと思われたその症状も、それが続けばそうでないことが分かる。

 これは普通ではない。

 自分の身体に良くない何かが起きている、そう直感した。

 そこからのモニカの行動は早かった。

 マルカに気付かれないように伯爵夫人に手紙を書き、無理を承知で腕の良い医者にかかれないかと頼んだ。

 マルカに残された家族は自分一人、まだ幼い我が子を残していくわけにはいかない。

 しかし、そんなモニカに医者は非常な言葉を告げた。


「残念ですが、あなたは心臓を患っているようです。私たちの手ではどうすることも出来ません」

「そんな……」


 モニカは頭が真っ白になった。

 一瞬息をするのも忘れたほどだ。

 なぜ。

 なぜ。

 そんな言葉ばかりが頭を巡った。

 ここまでも、散々過酷な運命に耐えてきた。

 幸せを掴んだと思う度にまたどん底へと突き落とされる。

 なぜ自分たちばかりが、そう思わずにはいられなかった。

 しばらく俯いたままモニカは黙り込んだ。

 今何かを言おうとすれば涙を堪えることなど出来ないと思った。


「……お医者様、私に残された時間は後どれほどでしょうか」

「半年とも、1年とも……断言することは出来ませんが、長くはないでしょう」


 医者の言葉から自分の命は残り少ないことを悟った。

 この診断を受けて、モニカは再び伯爵夫人に向けて手紙を書いた。

 自分に残された時が少ないこと、身勝手すぎる願いだが、自分の命尽きた後はマルカを孤児院に入れてほしいこと。

 モニカの願いはそれだけだった。

 モニカは孤児院の院長にも事情を話し、マルカのことをお願いしますと言った。

 話を聞いた院長は、言葉を失くした後モニカの肩をしっかりと掴み「任せなさい。立派な淑女になるまで見守ります。安心して」と言った。

 その瞳には涙が滲んでいた。


 それからというもの、モニカは今まで以上にマルカとの時間を大事にした。

 自分が生きている間に教えられることは全て教えたい。

 どれだけマルカを愛しているのかを伝えたい。

 希望を失わず、自分を見失わず、強く、前を向いて生きてほしい。

 ただそれだけを思った。


 医者の宣告から半年と少しが過ぎた頃、まだモニカは元気だった。

 相変わらず時折胸の苦しさはあるものの、マルカに気取られない程度には普通に生活が出来ていた。

 もしかしたらこの状態のまま2年、5年と生きられるかもしれない、そんな風に考えることもあった。

 けれど、そうはいかなかった。

 季節の変わり目にモニカは風邪を引いた。

 ただの単純な風邪だったはずのそれは、一気にモニカの体力を奪った。

 熱も下がり、風邪が治った後もモニカの食欲は戻らなかった。

 少しずつ痩せていくモニカの姿に、さすがのマルカも何かがおかしいと気付き、そしてそんなマルカの様子にモニカも気づいた。

 もう隠しておくことは出来ない、そう思った。


(突然いなくなる悲しさは私が一番知っている)


 モニカはマルカを自分の元に呼んだ。


「……母様?」

「マルカ、よく聞いて」

「いや、いや!聞きたくない!」


 聡いマルカはモニカが今から自分に何を言うのかが分かったのか、いやいやと首を横に振って泣き出した。

 こんなマルカは今まで一度も見たことが無かった。

 本当は抱きしめて何でもないと言ってあげたい、けれど、今必要なのはそんな偽りの優しさなどではないのだ。

 モニカは唇にぐっと力を入れ一度息を吐くと、敢えて厳しい声を出した。


「聞きなさい、マルカ!」


 普段聞かない母の声にマルカはビクッと肩を跳ねさせた。


「かあ、さま……だって、良くない事なんでしょう?そんな、そんなの、聞きたくない」


 しゃくりあげるマルカの肩を掴み、顔を上げるように言う。

 しっかりと目線が合ったのを確認してモニカは再び口を開いた。


「それでもお願い。聞いて、マルカ。時間が無いの」


 時間が無いと言った母の言葉にモニカは目を見開き、再び涙を溢れさせた。

 モニカは努めて冷静な声でマルカに自分の命はもう長くないのだと告げ、自分が亡くなった後のことは伯爵夫人と院長先生に頼んでいるから良く言うことを聞くようにと言った。

 居なくなった時のことなど考えたくないと泣くマルカをモニカは強く抱きしめた。


「母様もマルカを置いてなんか行きたくないの。けれど、どうしようもないことだって分かってちょうだい……可愛いマルカ、貴女を一人残していくことだけが心残りよ」

「だったら!だったら私も連れて行ってよ……」

「いくらマルカの頼みでもそれは出来ないわ。お願い、マルカ。母様と父様の分も生きて。生きて色々な事を経験して、色々な物を見て、素敵な女性になって、母様と父様みたいに誰かを好きになって、幸せになって。それが、それだけが母様の願いよ」

「母様がいなきゃ幸せになんかなれない!」

「そんなことないわ……マルカは母様と二人になって、父様がいなくて幸せじゃなかった?そんなことないでしょう?母様も父様がいなくなってとっても悲しかった。でもね、マルカ。そこで止まってしまったらずっと悲しいままなの」


 それならばずっと悲しいままで良いとマルカは泣く。


「そんなこと言わないで。母様はマルカが母様のせいで幸せじゃないなんて嫌だわ。母様と父様が愛したあなたには幸せになってほしいの。そのために前を向いてほしいのよ」


 始めはきっと辛いだろう。苦しいだろう。悲しいだろう。

 けれど、まだ幼いマルカには未来がある。

 それを光り輝くものにするかどうかはマルカ自身だ。

 マシュハットが最後に笑ってくれと言った時、何て酷い人なのだろうと思った。

 けれど、今のモニカはマルカに対して同じことを思う。

 可愛い子、愛しているからこそ笑ってほしい。

 笑顔の周りには笑顔が、優しさの周りには優しさが集まるのだ。

 それをマルカにも分かってほしい。


「笑って、マルカ。母様はあなたの笑顔がとっても好き。何度救われたか分からない。残された時間を笑顔のマルカと一緒にいたい。マルカは母様が泣いていたら悲しいでしょう?母様も同じよ。辛いけれど、大好きだからマルカには笑っていてほしいの。母様が父様に会いに行く時に楽しい記憶を持って行ってあげたいの」


(きっとこの子なら分かってくれる。今はまだ分からなくても、マルカなら絶対に理解してくれる。だってマルカは私とマシュハットの子供なのだから。私たちの想いを受け継ぐ子供なのだから――)


 そう強く願い、モニカはマルカを抱く腕に力を込めた。



いつも読んでいただきありがとうございます!

残すところあと1話(予定)となりました。

良い話が書けるように頑張りたいと思います。


ブクマ&評価&感想、誤字報告などありがとうございます。

本当に励みになります。

あともう少しお付き合いくださいませー。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、わかっていても辛い。タオルをバスタオルに変えないといけないくらい朝から号泣です。 マルカ強い子になってね。
[一言] ああ…モニカにもその時が… 何とも言えないですね…
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