14
あの幸せな結婚式から2年後、モニカはふくふくとした可愛らしい女の子を生んだ。
元気に泣く赤ん坊をマシュハットはにこにこと見つめていた。
「可愛い、可愛いなあ。ほら、見てごらんよ。この鼻なんてモニカにそっくりじゃないか?髪も君と同じ色だし、大人になってもきっとすごく可愛い子になるだろうね」
「もう、マシュハットったら。今からそんなんじゃ先が思いやられるわね。ねー、あなたもそう思うでしょう?」
そう言うとモニカは赤子用のベッドに寝る子供からマシュハットに視線を移す。
「マシュハット、そろそろ名前は決まった?」
生まれる前から、女の子と男の子の二つの名前を考えていた。
女の子だったらマリューシカやマリファリカなどいくつか候補が上がっており、モニカは最終決定権をマシュハットに委ねていたのだが、生後1週間を過ぎてもまだ決まっていなかった。
「ああ、決めたよ。悩んだけれどやっぱりマルカにしようと思うんだ。響きもモニカに似ていて素敵だと思う」
マシュハットは赤ん坊の頬をふにふにと人差し指で触りながら「君の名前が決まったよ」と穏やかに笑った。
「マルカ、君の名前はマルカだ。父様と母様からの初めての贈り物を、マルカは喜んでくれるかい?」
「私たちがマルカを守るから、安心して大きくなってね」
二人がそう言うと、マルカはまるで返事をするかのようにマシュハットの人差し指をその小さな手でぎゅっと握り、ふにゃっと笑った。
「モニカ!マルカが笑ったぞ!なんて可愛いんだ!やっぱり君に似てとんでもない美人になるぞ!」
マルカを褒めているようでモニカも褒めていることに気付いているのかいないのか、興奮気味に語るマシュハットにモニカが困ったように笑っていると、玄関の方から「邪魔するよー」と声が聞こえた。
顔を出したのはキルシュだった。
「モニカ、調子はどうだい?」
「いらっしゃい、キルシュおば様。調子は良いわ。そうだ!この子の名前が決まったの」
「おや、何て名付けたんだい?」
「マルカです。ほうら、マルカ。キルシュおば様が会いに来てくださったわよ」
キルシュはベッドの中を覗き込む。
「マルカ、良い名前を貰ったねえ」
キルシュが頭をなでると、マルカは閉じていた眼をぱっちりと開けた。
「おや、可愛いねえ。べっぴんさんになりそうだ」
「そうでしょう?きっとモニカに似た美人になります」
キルシュの言葉にマシュハットが否定は認めないと言わんばかりの笑顔で頷いた。
それを見たキルシュは呆れたように笑う。
「マシュハット……あんた子供を持つとこんなんになっちゃうんだね。もっと落ち着いた男だと思ってたんだけどねえ。浮かれんのも良いけどちゃんとモニカを支えてやるんだよ?この時期の女ってのは色々大変なんだ。赤ん坊ってのは朝夜関係無くよく泣くからね」
「もちろんです。キルシュさん」
マシュハットはキルシュに言われるまでも無くよくモニカを支えた。
マルカが泣けば率先してあやし、モニカが寝不足にならないよう気を配った。
畑仕事など、家の外の仕事はもちろん、食事の準備なども積極的に行った。
愛するモニカとマルカの為なら何一つ苦にならなかった。
そうしてたっぷりの愛情を受けながら、マルカはすくすくと成長していった。
ある時モニカはマシュハットに抱っこされて「あー、あう!」と声を発しながらキャッキャと笑うマルカを見て涙を零した。
「どうした?どこか痛いのか?」
驚いたマシュハットにモニカは首を横に振る。
「違うの、違うのよ。マルカを見ていたら、あの時母様に言われたことを思い出してしまって」
「あの時?」
「ええ……あの、みんなの命が奪われた最後の時よ」
マシュハットは片腕にマルカを抱き直し、空いた腕でモニカの肩を抱きソファへと座らせた。
「聞いても良い?」
「ええ、聞いてほしいわ」
そう言ってモニカはマシュハットの肩に頭を預けて話し始めた。
怖くて悲鳴も上げられなかったあの時。
モニカの母はモニカを守るように腕の中に抱いたまま息絶えた。
その長くも短い時間の中で、敵の前に倒れ、命を終えようとしていた母はモニカにある願い事をした。
「願い事?」
「ええ……」
それは、逃げて、生きてくれということ。
そして誰も憎んではいけない、復讐など考えてはいけない、ということだった。
当時8歳だったモニカには、怖さと悲しさばかりが心の中を支配して、母の言葉の意味を考える余裕など無かった。
マシュハットにあの馬車の上で会えなければ、逃げることさえ出来なかった。
そしてこのカタタナ村に落ち着き、日々の生活以外のことを考える余裕が出来ると、母に言われたあの言葉の意味を考えるようになった。
自分たちの国を、家族を、みんなをあんな風にした者たちを恨んではいけないなんて、母はなんて酷な事を自分に願ったのか。
恨み、出来るはずがなくとも復讐を考えることすらしてはいけないと言ったのは何故なのか。
自分のこの胸に渦巻く黒い感情をどこに捨てれば良いのかと思い悩む度にあの日のことを夢で見た。
「自分にあんな汚い感情があることが恐ろしかった。それでも、マシュハットが傍にいてくれた。一緒にいる時間が私の中のこの黒い部分を少しずつ小さくしてくれたの」
「モニカ……」
モニカの肩を抱くマシュハットの手にぐっと力が入る。
「……そして貴方と結婚して、マルカを授かって、ようやく分かったの」
なぜ母があんなことを自分に望んだのか。
ずっと分からずにいたことが、マルカを生んでようやく理解できたのだ。
「私だって恨みや憎しみという感情にマルカが振り回されるのなんて見たくないわ。自分が死んでしまった時のことよりも、どれだけ私たちがマルカを愛していたかを思い出してほしい。復讐なんて考えず、自分の幸せを考えてほしい。だってマルカの幸せが私の喜びでもあるんだもの」
モニカは慈愛に満ちた表情で、マシュハットの腕に抱かれいつの間にか眠ってしまったマルカに目をやった。
自分が親になるだなんてあの時は想像もしなかった。
「ありがとう、マシュハット。あの時も、今も、ずっと傍に居てくれて本当にありがとう。大好きよ」
モニカは笑顔でそう言った。
「僕の方こそモニカの笑顔にずっと救われていたよ。ありがとう、モニカ。あの時生きていてくれて、僕に付いて来てくれて、僕と家族になってくれて、マルカという宝物を授けてくれて、ありがとう。今までも、これからも、ずっと君のことを愛しているよ」
そう言うと、マシュハットは自分の肩に乗せられたモニカの頭に口づけを落としたのだった。
それからしばらくは穏やかな日々が過ぎた。
マルカもどんどん表情が豊かになり、久しぶりの赤子誕生に沸いた村人たちからも孫のように可愛がられ、あっという間に1年を迎えようとしていた。
そんな時、突然キルシュが倒れた。
少し行った隣の村で、風邪が流行っているらしいとの噂が聞こえてきた頃、キルシュを含めた村の数人が体調を崩した。
キルシュ以外の者は数日で改善し、いつも通りの生活に戻れたが、キルシュの体調はなかなか戻らなかった。
キルシュからは「小さい子がいるんだからこっちに来るんじゃないよ。うつったら大変だからね」と言われ、見舞いに行くことすら出来なかった。
さすがに体調を崩してから1か月も経つと、流行病などではないだろうと見舞いを許されたが、久々に見たキルシュはモニカたちの知るキルシュよりもずいぶんと痩せて小さくなってしまい、ベッドから下りられなくなってしまっていた。
「キルシュおば様!」
「……おや、モニカとマシュハットかい?それにマルカまで。ちょっと会わないうちにまたずいぶんとしっかりしたねぇ」
「キルシュさん、体調はどうですか?」
マシュハットはそう聞いたが、キルシュの体調が良くないことは明らかだった。
マシュハットの問いに、キルシュは苦笑を浮かべながら答えた。
「そんな顔するんじゃないよ。あんたたちには言ってなかったんだけどね……ちょっと前から胸が苦しい時があってさ。……風邪は、たぶん切っ掛けにすぎなかったんだよ」
「キルシュおば様……。元気に、元気になるのよね?」
「……モニカ」
ベッドに横になるキルシュの手を握りしめ、モニカが願うように言う。
マシュハットはそんなモニカの肩に手をやり、やりきれない表情を浮かべた。
「……お医者様にちゃんと見てもらったわけじゃないけどね、あたしは、もうそんなに長くないと思う。自分の身体さ、自分が一番よく分かるんだよ」
「そんな……嫌よ、嫌よキルシュおば様!」
キルシュの言葉にモニカは目からぽろぽろと涙を流した。
「しっかりおし。あんたもう人の親になったんだよ?現実ってのは自分の望み通りにいくばっかりじゃないんだ……それはあんたたちが一番よく分かってるはずだ」
「キルシュおば様……」
「それにね、あたしは死ぬのは別に怖くないんだ。死んだら先に逝っちまったあの人に会えるんだからねえ……。ただ、あんたたちともうちょっとだけマルカの成長を見守りたかったけどね」
「キルシュさん、何か僕たちに出来ることはありませんか?」
マシュハットは込み上げてくる涙を堪えながらキルシュに言った。
キルシュはそんなマシュハットを見て笑った。
自分だって泣きそうな顔をしているのに、ぐっと堪えることの出来る強い子だと思った。
マシュハットがいればモニカもマルカも大丈夫だと、そう思えて心の底から安心できた。
「……モニカとマルカを頼んだよ。ちゃんと支えておやり」
「はい」
「あとは……そうだねえ、時々花を持ってきてくれるかい?なかなか外にも行けないからさ」
「毎日持ってきます」
「ふふ、ありがたいね」
「キル、キルシュおば様、わた、私も毎日来るわ」
「……そん時は笑って来ておくれよ?泣きっ面なんかあたしは見たくないよ。あたしはあんたの笑顔が好きなんだよ」
キルシュはモニカの頭をくしゃくしゃと撫でて言った。
モニカは未だ零れる涙を手でこすって拭い取ると、ぐしゃぐしゃになった顔で無理矢理笑顔を作って「もう、泣かないわ。次に来る時は、絶対笑顔で来ます」と答えた。
「……ああ、久しぶりにたくさん喋ったら、疲れたねぇ……少し眠らせてもらうよ」
そう言ってキルシュはゆっくりと目を閉じた。
キルシュと話している間、マルカは何かを察しているのかずっとマシュハットの腕の中で、泣くこともせず静かにしていた。
そしてそれからしばらくして、キルシュは眠るように息を引き取ったのだった。
ついにマルカ誕生。
キ、キルシュさーん(ノД`)・゜・。!!
ブクマ&評価&感想、誤字報告などありがとうございます。




