第167話 初めての皇都6
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マルディンが皇軍と稽古を行っている同時刻、宮殿のキッチンにはフェルリートの姿があった。
「あ、あの……フェルリートと申します」
「ファステルです。そう緊張しないで。ふふ」
「は、はい」
フェルリートはマルディンに教わった礼式を、ぎこちないながらも披露する。
平民のフェルリートにとって、皇帝も皇后も空想上の存在だと思っていたほどだ。
緊張しないわけがない。
ファステルは、そんなフェルリートを気遣って配下の者たちを下げた。
二人でキッチンに立つ。
「フェルリート。あなたの香辛料は美味しかったわよ」
「こ、光栄に存じます」
「もっとたくさんの料理を教えてほしいのよ」
「か、かしこまりました」
昨日の晩餐会は、マルディンの存在があったから安心できた。
だが今はマルディンがいない。
しかも目の前にいる女性は、世界三大美女の一人だ。
信じられないほどの美貌に、フェルリートは圧倒されていた。
どうにかフェルリートの緊張をほぐしたいファステル。
フェルリートの肩にそっと手を置いた。
「ねえ、フェルリート。私の得意料理は黄玉芋のスープなのよ」
「え? 黄玉芋のスープですか?」
黄玉芋は野菜の中でも安価で知られる。
そのため、黄玉芋のスープは『貧乏人のスープ』と呼ばれることもある料理だ。
「そうよ。私は平民出で驚くほど貧乏だったのよ。だから黄玉芋のスープだってご馳走だったのよ。ふふ」
「そ、そうだったんですね」
「あなたのことも少し聞いたわ。私もね、小さい頃に両親を亡くして、弟と二人で生きてきたの。だから、あなたが他人には思えなくてね……」
フェルリートは、自分よりも少し身長が高いファステルの瞳を見つめた。
きらびやかな容姿と、皇后という立場からは信じられない話だが、その曇りない瞳に嘘ではないことを理解した。
「フェルリート、黄玉芋料理ならたくさん教えてあげるわよ。黄玉芋のステーキなんてどう? 絶品よ?」
「ふふ」
フェルリートは思わず笑みをこぼす。
「やっと笑ってくれたわね。さあ、今日は一緒にお料理を楽しみましょう」
「はい!」
キッチンには様々な食材が並べられていた。
ティルコアから直送された魚もある。
フェルリートはそれらの食材を使い、香辛料を使った料理をいくつも作っていく。
ファステルはメモを取りながら、フェルリートの話に耳を傾けていた。
料理が完成すると、二人はキッチンのテーブルに並べていく。
「どれも美味しそう。あなた、本当に凄いわね」
「皇后陛下もお料理お上手です!」
「名前で呼んで?」
「は、はい。ファステル様」
「ふふ。私のことはお姉ちゃんだと思ってね」
「そ、そんな……」
「こんなかわいい妹が欲しかったのよ。ふふ」
完成した料理を二人で食べる。
まさかフェルリートも、自国の皇后と料理を作り、そのままキッチンで食べるとは思わなかっただろう。
「フェルリートのおかげで、レパートリーが増えたわ。ありがとう」
「とんでもないことでございます」
「キルスってああ見えて料理にうるさいのよ。あまり人の料理を褒めないのだけど、ティルコアで食べたあなたの料理が美味しかったって自慢するから、私も食べてみたかったの。本当に美味しいわ」
「え? あ、ありがとうございます」
フェルリートは頬を赤らめた。
自分のレシピに金貨を出してくれたキルスが、本当に味を評価してくれたのだと知る。
料理を堪能した後は、フェルリートが食後の珈琲を淹れた。
「ところでフェルリート。あなたはマルディンのパートナーなの?」
「パートナーというのは……?」
「結婚はしてないでしょ。お付き合いしてるの?」
「そ! そんな! ち、違います……」
フェルリートは椅子に座りながらうつむき、膝の上で両手を握りしめた。
「私は小さい頃に両親を亡くして、一人で生きてきました。もちろん町のみんなが助けてくれたおかげです」
「ええ」
「私は生きることに一生懸命だったから、世界のことも、国のことも、町の外さえ知らないんです。そんな私に、マルディンはたくさんのことを教えてくれます。今回だって、私に初めての旅行を体験させてくれました。飛空船に乗ったのも、皇都へ来たことも、氷を見たのも初めてです」
「そうなのね」
「宮殿も、晩餐会も、ダンスも初めての体験でした。マルディンがいなかったら、私は何も知らないままティルコアで生活していたはずです」
フェルリートの話を聞きながら、過去の自分を重ねたファステル。
ハンカチで目頭を軽く拭った。
「マルディンと出会えて良かった?」
「はい!」
「マルディンのことは……好きなの?」
「私はギルドで仕事をしてお給料をもらうようになるまで、本当に生きることに精一杯でした。ですので、正直恋愛とかよく分からなくて……」
ファステルは、うつむくフェルリートを優しく見つめ、途切れた言葉を待つ。
「……だけどマルディンとは、この先もずっと一緒にいたいと思ってます」
「そっか、実現するといいわね」
「はい。ただ、マルディンは私のことを子供だと思ってるんです」
「マルディンと年齢はいくつ離れているの?」
「私が二十三歳なので、十歳も離れてます」
「あら、私もキルスと十歳離れてるわよ」
「え? そうなんですか?」
「そうよ。だから年齢の差なんて大丈夫よ。関係ないわ」
ようやく顔を上げたフェルリートは、その大きな瞳でファステルの美しい顔を見上げた。
「フェルリート。何か困ったことがあったら、いつでも言いなさいね。お友達になりましょう」
「と、友達だなんて! 恐れ多いです!」
「そう言ってみんな友達になってくれないんだもの。いいじゃない。私だってまだ二十八歳よ。友達と遊びたいのよ。ふふ」
ファステルが笑顔を浮かべた。
フェルリートは、その美しくきらびやかな笑顔に見惚れ、頬が赤らむ。
「それにしても、マルディンってモテるんじゃない?」
「……はい、そう思います」
「あの人、あれほどの実力を持っているのに自己顕示欲がないし、常に相手を思いやってるもの。あれはモテるわね」
「マルディンのことが分かるんですか?」
「皇后なんてやってると、たくさんの人間を見るのよ。それこそ、皇室に取り入れられたいという欲まみれの人間ばかりよ。そういった人間とマルディンは大違いね」
マルディンを褒められて、フェルリートは嬉しさが込み上げる。
それと同時に、不安な気持ちも湧き上がっていた。
「でも、町にはとても綺麗な人が多いんです。みんなマルディンのことが好きみたいで……。レイリアさんなんて、ファステル様と同じくらい綺麗でお医者さんだし、アリーシャは優しくて綺麗で料理が上手だし、ラーニャさんとティアーヌさんは綺麗で仕事もできるし……」
「あらあら、あなたは自信ないの?」
「……はい」
自信なさげにうつむくフェルリート。
その様子を見たファステルは、笑顔を浮かべながら少しだけ溜め息をつく。
「ねえ、フェルリート、あなたはとても魅力的よ? 自信を持ちなさい。自信のなさは表情に現れるのよ」
「で、でも……」
「いいわ、私の化粧品をプレゼントする。あなたはもう十分綺麗だけど、もっと綺麗になって自信を持つのよ」
「そ、そんな! 悪いです!」
「誰に悪いのよ? 私が自分で稼いで買った化粧品よ? 皇后だって、ちゃんと働いてるんだから。何も悪くないでしょう? ふふ」
「で、でも……」
「あなたは昨日の晩餐会で、貴族たちから最も視線を奪っていたのよ? 会場には私だっていたのにね。ふふ。だから自信を持ちなさい」
「は、はい」
「じゃあ、お化粧の方法を教えるわね。私の部屋に行きましょう」
ファステルが陶器のような美しい手を差し出す。
フェルリートはそっとその手を取った。
「さあ、フェルリート姫。行きましょう」
「ファ、ファステル様! ご冗談を!」
「ふふ。あなたはマルディンのお姫様になるのよ」
二人はキッチンを出て、ファステルの自室へ向かった。
まるで姉妹のように手を繋いで。
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