第143話 東方から来た男1
◇◇◇
「ここがティルコアの冒険者ギルドか」
降りしきる雨の中、巨兵蛙製のレインコートを羽織った一人の男。
ティルコア支部の扉を開け、ロビーを通り、食堂へ向かった。
「あ、あの……」
フェルリートが対応する。
「失礼ですが、冒険者の方ですか?」
「ん? ここは冒険者じゃないと利用できないのか?」
「はい。冒険者ギルドに所属の方のみ利用できます。料金は関係者用に設定されているので……」
「そうか」
レインコートを脱いだ男。
褐色の肌で、頭部にターバンを巻いており、口元には手入れの行き届いた黒髭が蓄えられている。
年齢は三十代後半といったところだ。
男は腰のポーチから、一枚のカードを取り出した。
「所属は違うが冒険者だ」
男が見せた冒険者カードには、Cランクと記載されている。
「し、失礼しました」
フェルリートが頭を下げる。
「突然訪れてすまんな」
男は右手を挙げた。
気にしていないという素振りだ。
「食堂含めて施設の利用は可能です」
「助かるよ」
男は笑顔を見せながらカウンターに座り、いくつかの料理を注文した。
フェルリートが手際良く調理を始める。
「お待たせしました!」
「良い匂いだな」
男が注文した料理は、水角牛のとろけるカレー、茶毛猪の香辛料の漬け焼き、黒鱗鮭のバター焼きだ。
「ふむ。これは旨いな」
「ありがとうございます」
「香辛料の配合が絶妙だ。購入したものか?」
「これは私が独自に配合したものです」
「なるほど。レシピは公開してないのか?」
「レ、レシピ?」
「そうだ。これほど旨ければ、レシピの販売だってできるだろう」
「そ、そんな、販売だなんて。私はただ、この食堂で美味しい食事を作って、皆の帰りを無事に待ちたいだけなので……」
「そうか……。もったいないな」
「でも、褒めてくださってありがとうございます! 嬉しいです!」
フェルリートが満面の笑みを浮かべた。
このギルドの看板娘だ。
フェルリートは全く意識していないのだが、大抵の男はこの笑顔に撃ち抜かれる。
「ふむ。買い取ってもいいな……」
男は特に気にせず、一人で呟いていた。
「もしよければ、教えてもらえないか?」
「香辛料の配合ですか?」
「そうだ」
「は、はい。私ので良ければ」
「ありがとう。では代金を支払うよ」
「え? そ、そんな! いりませんよ!」
「そうはいかないだろう?」
「いえ、美味しいと褒めてくださっただけで嬉しいですから」
自分で考案したレシピを買い取るとまで言われたフェルリートは、喜んで香辛料の配合を紙に書いて渡した。
「すまぬな」
全ての料理を残さず平らげた男。
「旨かったぞ」
「ありがとうございます。食後の珈琲をどうぞ」
フェルリートが珈琲を淹れた。
使用した珈琲豆は、以前ギルドマスターのオルフェリアが差し入れたラルシュ産だ。
「ほう、ラルシュ産か」
「よく分かりましたね」
男は香りだけで産地を当てた。
「ああ、飲んだことがあってね」
「この珈琲、美味しいですよね」
珈琲を口にする男に、フェルリートは思い切って質問することにした。
「あの、どういった御用で、こちらに寄られたのですか?」
「マルソル内海を旅しているんだ。別の街で、ティルコアの魚が旨いと聞いてね」
「そうだったんですね」
「クエストを受注しながら、食事を楽しもうと思ったんだよ」
冒険者ギルドは所属支部にかかわらず、全ての支部でクエスト受注が可能だ。
だが、土地によってモンスターの生態が異なる上に、気候や文化の違い、地理的なことも含めて、所属支部から離れれば離れるほどクエストが難しくなると言われている。
「クエストボードを見せてもらうよ」
「はい。受注する際は、受付の者にお伝え下さい」
「ありがとう。料理旨かったよ。わははは」
男は食堂を出て、クエストボードへ向かった。
◇◇◇
「はあ。なんでこんなことに……」
俺はギルドの扉に手をかける。
今日に限って、扉の軋む音が耳障りだ。
「おい、マルディン!」
ロビーに入ると、パルマが奥の事務所から駆け寄ってくる。
「お前、昨日休んだだろ?」
「ああ、昨日はちょっと用事があってな。どうしたんだ? 血相変えて?」
「それがな、別支部から来た冒険者が、ダブルクエストをやったんだ」
「へえ、雨だったのに凄いじゃん」
クエストは通常一回の受注で一クエストだが、同時に二つ受注することもある。
これをダブルクエストと呼ぶ。
狩猟地などが同じ場合は、ダブルクエストで効率よく稼ぐことが可能だ。
ただし、難度は一気に上がる。
土地勘のない他支部の冒険者が、ダブルクエストを達成したとなれば快挙だ。
「さらにな、今日もクエストへ行ってるんだよ」
「ってことは、二日で三クエストか? そりゃヤベーな」
「違うんだよ。今日もダブルクエストだ」
「二日連続でダブル?」
「そうだ。Cランクとはいえ、これは前代未聞だ」
「世の中には化け物がいるってことさ」
「お前はAランクなんだぞ? 今やこの支部のエースだ。悔しくないのかよ」
「まあいいじゃないか。ギルドにとって、優秀な人材が増えてるってことだろ。あっはっは」
「お、噂をすれば、だ。帰ってきたぞ」
一人の男がロビーに姿を現す。
ひと目で分かる鍛え抜かれた身体。
鋭い眼光を放つその男の腰には、特徴的な長剣が吊るされていた。
「お! あんたがマルディンかい?」
「そうだが……」
「失礼。私はリース。Cランク冒険者だ」
「マルディンだ。一応Aランクをやらせてもらってる」
リースが握手を求めてきた。
「よろしく。マルディン」
リースの手のひらは固かった。
これは幾度となく剣を振った手のひらだ。
リースは笑顔で俺を見つめていた。
「あんたの噂は聞いてるよ」
「噂?」
「討伐試験でネームド殺しを達成したってな」
「偶然さ」
「偶然でネームドは殺せんよ。一杯奢らせてくれ。あんたの話を聞きたかったんだ」
「いやいや、それには及ばんよ」
「まあいいじゃないか。昨日からクエストで儲かっちまったんだよ」
男がバッグから革袋を取り出した。
「そりゃ、景気が良いね」
食堂へ移動すると、フェルリートが麦酒を二杯注いでくれた。
リースと乾杯して、麦酒を口にする。
だが、俺は飲む素振りだ。
実際には飲んでいない。
「マルディンは、ジェネス王国の騎士隊長だったそうだな」
「ああ、そうだ……」
「追放されて、どうしてこの国へ?」
「北国の者は、皆南国に憧れるのさ」
「そういうもんなのか」
麦酒のジョッキを持つリース。
俺はリースが飲む麦酒の量に、注意を払っていた。
「リースはどこから来たんだ?」
「東の内陸部だ。海がないからマルソル内海を見たくなってね」
「所属はどこなんだ?」
「えーと。一応、皇都の冒険者本部だ」
「本部にゃ優秀な冒険者が多いんだろうな」
「そうだな。マルディンほどじゃないけどな。わははは」
冒険者ギルドの規模は四つに別れている。
地方の小さな出張所、それを取りまとめる支部、各国の首都にある本部、そしてラルシュ王国王都の総本部だ。
本部は国ごとに一つしかないし、総本部は当然ながら全世界で一つだ。
冒険者ギルドは、支部と出張所が最も多い。
リースが麦酒を二口飲んだ。
「もういいか……」
俺は小さく呟き、リースの腕を掴んだ。
「おい、そこまでだ」
「な、なんだ突然?」
「表に出ろ」
「ど、とうしたんだよ」
狼狽えているリース。
だが、これは演技だ。
その証拠に、瞳は鋭い光を放っていた。
「マ、マルディン? ど、どうしたの?」
フェルリートが両手を口に当て、目を見開いている。
「フェルリート。驚かせてすまない。気にせず仕事を続けてくれ」
「え? で、でも……」
「俺はちょっと出る。俺とリースが二人で出たことは他言無用だ。いいな」
「うん。わ、分かった」
「ありがとう。頼むよ」
俺はリースを連れて、ギルドを出た。




