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私とゼノ様の婚約発表は、予定通りに行われることとなった。

避難前にゼノ様が言っていた「今後のこと」とは、婚約発表の日程についてのことだったらしい。

婚約破棄についての話し合いがなされると思っていた私が、「一時でもゼノ様の婚約者候補になることができて幸せでした」と告げたところ、「何を言っているんだ!?」と鬼のような形相のゼノ様に腕を掴まれた。


「君が城を去るときは私も跡を追うと、そう言っただろう。イグラファル王国から第二王子を奪うようなことはしないでくれ」

その言葉に嗚咽をこらえることができなくなった私を、ゼノ様は優しく抱きしめ続けた。


婚約発表については、私の母国(ルクシオ王国)がいまだに混乱中であろうということから、延期を勧める声も上がった。

しかしゼノ様は、元の日程での開催を半ば強行した。

「もうこれ以上は待てないんだよ」

困ったように眉を下げてそう言うゼノ様に、胸がときめいたのは内緒だ。


実際のところ、譲位に向けては内々に準備が進んでいたらしく、ルクシオ王国内でも目立った混乱はないとのことだ。

ルクシオ国民の生活にも、さほど影響は出ていないようで安心する。

ルクシオ王城のみんなも変わりなく過ごしていると、ゼノ様を通じて教えてもらった。


「君を一刻も早く婚約者として紹介するために、どれだけ必死に政務をこなしてきたか。大きな混乱も見られないこの状況で延期になどなったら、ユリウスだって気に病むだろう」

兄のことはよく知らないけれど、ゼノ様がそう言うのならばきっとそうなのだろう。


ルクシオ王国の国王交代を知らされたすぐ後に、ゼノ様から今回の一連の騒動が想定内のものであったと聞かされた。

「ユリウスのことを許してやれとは言わない。しかし、彼が君の幸せを願っているということだけは知っておいてほしい」

ゼノ様のその言葉を疑うつもりはないが、正直なところいまいちピンとこない。

ルクシオ王城で過ごした五年間、私と兄はあまりにも“他人”すぎたのだ。


「兄のことを憎んではおりません。これまでずっと、自分とは無関係な人間だと思っていただけです」

ルクシオ王城では、言葉を交わすどころか、顔を合わすこともほとんどなかった兄。

“許さない”という感情が湧くほどの関係ですらないのだ。

「でも、今回の件で兄の生命が失われていた可能性があると考えると、無事でよかったなとは思います」

その言葉を聞いて、ゼノ様が一瞬安堵の表情を浮かべたのを、私は見逃さなかった。


「今はこのような希薄な関係ですが、今後少しずつ歩み寄れるでしょうか?」

もしも兄がゼノ様の言うような人ならば、両国のためにも私自身のためにも、より良い関係を築いていきたい。

「大丈夫だよ。アイリスもユリウスも、二人が共に素晴らしい人間であることは私が保証する」

柔らかく微笑みながらそう告げるゼノ様に、急に愛おしさが湧き上がる。


「ゼノ様、少し目を閉じていただけませんか?」

私の頼みに「ああ」と返事をしたゼノ様の目が閉じられるのを確認して、彼の肩に手をのせる。

「私を、ルクシオ王国を、守ってくださりありがとうございました」

私はそう言って、ゼノ様の瞼に軽くキスをした。




そして今日、私は正式に“ゼノ様の婚約者”となった。

ゼノ様の瞳と同じダークブルーのドレスには、光沢のある黒色の糸で繊細な刺繍が施されている。

仕立て屋のマダムが「最高傑作です」と豪語するだけのことはあって、惚れ惚れするほど美しい。


婚約発表会後のパレードでは、最前列にルクシオ王城で働く人々の姿を見つけた。

エイミーはまだ姿が見える前から号泣していたようで、目が真っ赤に腫れており、私まで貰い泣きしてしまう。

「私は幸せよ」

私のその言葉は雑踏に搔き消されてしまったけれど、大きく頷いた彼女にはきっと届いたはずだ。


全てが終わったのは、すっかり夜が更けてからだった。

グレイスに念入りに磨き上げられた私の身体はいつにも増してピカピカだけど、朝から続いた緊張がようやく緩んで今にも眠ってしまいそうだ。

ソファーでうとうとしていると、部屋の扉を叩く音がした。

「アイリス、入るよ」


「少しだけ私の部屋で話をしないか?」

ゼノ様は少し緊張した面持ちでそう言うと、部屋に控えるカーラに視線を送る。

「カーラ、そろそろを()()使っても構わないだろう」

そう言って、登城初日に「開けてはならない」と言われた扉を指し示す。

「結婚の誓いが交わされるまでは、くれぐれも節度のある行いをなさってくださいね」

「…わかってるよ」

そう答えたゼノ様の頬は、心なしか色づいているように見えた。


二つの部屋を結ぶ扉をくぐってゼノ様の私室に辿り着くと、途端にゼノ様が私を後ろから強く抱きしめる。

「愛してるよ」

今日だけでもう何十回も告げられたその言葉に、何度だって胸が熱くなる。

「私も、お慕いしております」

他の何かとは比較もできないくらいに、ゼノ様が好き。

その思いが伝わるようにと、自身の身体の向きを変えて私からもゼノ様の背中に腕を回す。


「幸せすぎて死んでしまいそうだ」

耳元でそんな言葉を囁かれるものだから、身体がピクリとはねてしまう。

芸術品かのように整った彼の顔は私の首元に埋められてしまって見えないけれども、艶やかな黒髪の隙間から見える耳には朱が滲んでおり、なぜだか涙が出そうになる。


「アイリス」

掠れた声でそう呟くゼノ様が、躊躇いがちに顔を近づけてくるので、私はそっと目を閉じる。

「私を好きになってくれて、ありがとう」

ゼノ様はそう言って、私の唇に自身の唇を優しく押し付けた。


唇はすぐに離されたかと思ったが、息をつく間もなく再び口づけられる。

頭の後ろに回されたゼノ様の手でがっちりと固定されて、私は身じろぐこともできない。


どうしたらいいのか。

とりあえず、息ができなくて苦しい。

息が続かなくなってしまった私は、酸素を取り込もうと口を開ける。

するとその隙間から、ゼノ様の舌がぬるりと口内に侵入するのを感じた。


絵本に出てくるキスとは違う!

徐々に深まる口づけに混乱した私は、思わずゼノ様の胸を叩いてしまう。

「きもちいけど、も…無理です」

息も絶え絶えにそう伝える私を見て、ゼノ様は右手で自身の顔を覆って横を向く。

「くそっ、これ以上は手を出せないというのも辛いものだな。一刻も早く結婚しなくては」

そう呟くゼノ様の横顔からは、並々ならぬ決意が感じられた。


「ねえ、ゼノ様」

ソファーに横並びで腰掛けて、私の髪を手で弄ぶゼノ様に、これだけはきちんと伝えておきたい。

「五年前のあの日、ゼノ様は『困ったときにはいつでも助けになる』と言ってくださいましたよね。ゼノ様はどんなときでも助けてくださるので、私は困る暇もありませんね」

そう、彼はどんな時だって私を助けてくれる。

私が知らないところでも、私のために動いてくれていた。


「でもね、私は助けられるだけの存在ではいたくないのです。私もゼノ様の力になりたいと、そう思っていることを覚えておいてください」

いつの間にかゼノ様は手を止めて、目を見開いていた。

「一緒に幸せになりましょうね」

私はそう言うと、大きく見開かれたゼノ様の瞳を正面から覗き込んだ。

彼の瞳の中には、幸せそうに微笑む自分の姿が映っていた。

これにて本編完結です。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

明日以降は別視点の話を3話と、本編の後日談を1話投稿していこうと思います。

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