15
ゼノ様が、私の出自を知っていた。
ゼノ様だけではない。
イグラファルの王族の一員となる人間の血筋に関することなので、国王夫妻と、ゼノ様のお兄様である王太子も知っているらしい。
そのうえで、私は第二王子妃として望まれたそうだ。
一瞬、ルクシオ国王が伝えたのかとも考えたが、あの人が自国の不利になるような情報をわざわざ提供するとは思わない。
「なぜご存知なのですか?」
一人で考えてもわかる訳がないと思って聞いてみたものの、ゼノ様は少し恥ずかしそうに「内緒だよ」と言うだけだった。
知らなくても良いことだとゼノ様が判断するのであれば、私が無理に聞き出す必要はないのだろう。
「イグラファル王国の第二王子妃として相応しくないと、城を追い出されるかもしれないと思っておりました」
その可能性は低そうだと安心したところ、思わず本音が漏れてしまう。
「そんなことをしたら、この国の第二王子は失踪するだろうね。彼は婚約者を追いかけるはずだから」
冗談めかして言うものの、ゼノ様の目は本気だった。
「アイリス、デートをしよう」
ゼノ様にそう誘われたのは、それから三日後のことだった。
「イグラファルに来てから、王城に籠りきりだったからね。君にこの国を紹介したいんだ」
キラキラと目を輝かせてそう言うゼノ様は、まるで少年のようだった。
しかし、正式な婚約発表はまだ行われていない。
第二王子が見慣れぬ女性と親密に行動する(ゼノ様が私と距離を保つなんて考えられない)なんて、不要な混乱を招くのではないだろうか。
そう尋ねてみたところ、「心配ない」と即答される。
「すでに私に決まった相手がいるということは周知されているのだから、非公式のお披露目の場だと思えばいいよ」
「そう言われると緊張してしまいます」
「何も特別なことをする必要はない。王族の夫婦仲の良さは、国の安寧に繋がると考えられているからね。私とアイリスが仲睦まじい様子を見せるだけで、国民達は安心してくれるはずだよ」
そう言い切るゼノ様に、人目を気にして行動するという選択肢はなさそうだ。
城下町に行く予定だから、ということで、用意されていたのは瑠璃色のワンピースだった。
「外は冷えますので、こちらのコートもお召しください」
グレイスがそう言って、玄関でワンピースの上から黒のコートを着せてくれる。
コートは軽いのにとても暖かく、上質な生地が使われているであろうことが窺える。
「お待たせ」
そう言いながら階段を下りて来たゼノ様は、いつもとは違ってかなりラフな格好だ。
白いシャツに濃茶のパンツという服装で、シンプルだからこそゼノ様の美しさがより際立っている。
胸元に輝く紫色のペンダントは、おそらく宝石なのだろう。
こうして同じ城内で生活するようになっても、生まれた時から王族として育ってきたゼノ様のオーラには、いまだに圧倒されてしまうことがある。
ゼノ様からは、服装を簡素にしただけでは隠せない、高貴な人間としての威厳が溢れている。
婚約発表前のゼノ様に妙な噂が立ってはいけないと心配していたが、私と彼が並んで歩いていても“主と使用人”にしか見えないだろう。
正面から私を見据えるゼノ様の視線が、私の足先から頭までを何度も往復しているけれど、改めて素の私の“庶民っぽさ”に驚いているのかもしれない。
「この服装はグレイスが用意したのか?」
ゼノ様の言葉に「そうです」と答えるグレイスは、なぜか得意気な表情をしている。
「特別手当を与えたいくらいだ」
…よくわからないけれど、悪くはないということかしら?
王城から城下町までは、馬車を使うということだ。
前回乗ったものは長距離用の馬車らしく、今日はひとまわり小さなサイズの馬車が用意されていた。
座面の長さは十分にあるはずなのに、横並びで座るゼノ様は私にぴったりとくっついている。
少し恥ずかしいけれど、ゼノ様がご機嫌なのでこれでいいかなとも思う。
城下町までは二十分程で着くと言われていたのに、馬車で過ごす時間は永遠かのように長かった。
「アイリス、君を膝に抱いても良いだろうか?」
城を出発してすぐにゼノ様に言われたその言葉が予想外すぎて、私の思考は一時停止する。
自分への問いかけの内容を理解しても、それに対してなんと答えれば良いのかがわからず慌てふためく私に、「お願いだ…」とゼノ様は追い討ちをかける。
ゼノ様が婚約発表に向けて力を尽くしていることを、私は知っている。
そんな中でも時間を割いて、言葉と行動で私に愛を伝えてくれるゼノ様に、私からも何かをお返ししたい。
この願いに応えることで、ゼノ様への愛情を少しでも伝えることができるならば。
そう思って頷いた私を見て、ゼノ様はぱっと顔を輝かせた。
すぐに馬車の中で横抱きにされた私は、その時点で羞恥で倒れてしまいそうだった。
そんな私を、ゼノ様はぎゅっと強く抱きしめて、頭の頂に何度もキスを降らせてくる。
ゼノ様が「アイリス」と呼ぶ声は何かに耐えるように掠れていて、その色っぽい声色に頭がクラクラする。
馬車の中は暖かいからということで、二人揃ってコートを脱いでいるのもいけなかった。
いつもより軽装なゼノ様に抱きしめられることで、シャツの向こう側にはっきりと彼の身体つきを感じる。
細身でありながらも筋肉質なその感触に、息の仕方も忘れてしまう。
ようやくつむじへのキスが止んだと思ったら、ゼノ様がそっと私の顔に自身の顔を近づける。
鼻と鼻が軽く触れ合うような距離で、「愛しているよ」「君に出会えて本当によかった」などと何度も繰り返し言われるので、私はもう酸欠状態だ。
「ゼノ様、私、恥ずかしくって死んじゃいそう…」
熱に浮かされたように口から漏れたその言葉は、私のものなのに私のものじゃないように聞こえた。
そのことがまた恥ずかしくて、もうどうしようもない。
困り果てて、助けてほしくて、ゼノ様のシャツの胸元をぎゅっと握りしめる。
「アイリス、それは」
拷問だ。
そう言われた気がしたけれど、「到着いたしました」という御者の声に掻き消された。
その後すぐに馬車の扉が開けられ、冷たい風が頬を撫でるけれど、私の顔の熱はしばらくの間おさまることがなかった。




