61話 ダンジョンサークル
次郎と美也の大学生活は、極めて順調に滑り出した。
そもそも大学は、受験の段階で講義に付いていけない生徒を足切りしている。
学部に志望する意欲と合格できる学習能力があって、真面目に講義を受けさえすれば、基本的には大学のレベルに付いていけないはずが無いのだ。
それに二人は、高校時代に費やしていたダンジョン活動が激減している。
探索活動を減らす前の学力で受かっている以上、ダンジョンに潜らなくなった時間分だけ余力がある。それを学生生活の様々な方面に振り向ける事で、二人は万事に余裕を以て取り組めた。新たに始めたサークル活動も、そんな余暇から生まれた一端である。
「ようこそ新入生諸君。俺は会長の津田洋司だ。まずは入会届とアンケート用紙に記入してくれ。その後でオリエンテーションをさせて貰う」
「了解しましたー」
次郎たちに対応した津田は、そろそろ床屋に行った方が良いんじゃ無いかと指摘したくなるような伸びた髪に、ジャージに似た服装、そして爪楊枝に似た名前の、実に個性的な三年生だった。
大学における髪型や服装の自由度は、流石に高校とは比べるべくもない。
なお氏名の方は、在り来りな苗字に在り来りな名前の組み合わせで、親の作為があったか否かは不明である。
そんな会長に入会届を渡された新入生達は、一枚目の用紙の空欄を埋めた後、二枚目のアンケートで暫く手を止めた。
アンケートには、冒頭にサークル入会のお礼と歓迎の旨が会長名で記されている。
そこまでは問題ないが、続く文言に、サークル内の影響を受ける前の段階で、幅広くダンジョンに対する認識を集めたいという主旨が説明されていた。
その内容は、ダンジョンに対する六W二Hであった。
すなわち、When、Where、Who(誰が)、Whom(誰に)、Why、What(何を)、How、 How muchを各自が想像して埋める事で、ダンジョン自体の推察に供しようというわけだ。
「これは面白そうだな」
長谷が楽しそうにアンケート欄を埋め始めたのを皮切りに、次郎たちもそれぞれ六W二Hを埋めていく。
ダンジョン研究会に入る以上、ダンジョンを研究するためのサークル活動に協力する意思はある。
但し、あくまで常識的な範囲内でだ。
当然ながら次郎は『犯人は、西日本大震災時に死んだ事になっている、焼きそば好きな当時一四歳の元和歌山県民だ』などとは書かない。
あくまで女性に会う前の段階で考えていた範囲で埋めていく。
・When
第一次現象=二〇四〇年五月四日、午後三時以降。
第二次現象=二〇四四年五月四日、午後三時以降。
・Where
第一次現象=各都道府県の僻地。推定=各三ヵ所。約一四一地点。
第二次現象=各都道府県の利用者最多駅正面。四七ヵ所。
・Who(誰が)
地球人の現代技術を遙かに上回り、日本に対して一定の知識を持つ存在。
高度な文明を持つ宇宙人、異世界人、未来人、神などの何れか。
・Whom(誰に)
日本人。(日本語でのステータス表記から、対象は明らか)
・Why
先方の目的達成のために。
・What(何を)
日本人のレベル上げ、能力並びに魔法獲得を。
・How
魔物を倒させて魔石を吸収させる形で。
・ How much
目標レベルあるいは目標人数等に達する程度。
次郎は五人中三番目にアンケートを提出した。
津田はそれを一読し、軽く頷いてから次に美也のアンケートを受け取る。
最後に随分と真面目に悩んだらしき穂刈が提出して、五枚の用紙が揃う。
「協力感謝するよ。ではオリエンテーションを始めようか」
「お願いします」
「まずダン研の活動期間は、一年から三年の後期が終わるまでだ。二月に追いコンがあって、その後はOBOGになる。今は新三年が二五人、新二年が一七人、新一年は募集中。君たちの他にも何人か入ってくれている。一応新入生の入会目標は二〇人だから、同級生を誘う機会があったらぜひ頼むよ」
そう前置きした津田は、ダン研の概要を纏めた用紙を配布した。
用紙には会の所在地、連絡先、活動時間、活動場所、地図、役員名、グループと各リーダーなどが印字されており、それらについて順番に説明が行われた。
グループの項目については、ダン研を四つのグループに分けていると説明がある。
それぞれ『定義・法則性』、『魔物・被害軽減』、『レベル・人体影響』、『技術転用・政治問題』について主なテーマにしているそうだ。
そして月曜なら定義・法則性、火曜日なら魔物・被害軽減といった風に、サークル内でも活動曜日が異なる。なお金曜日は総合的な集いで、全員が集まるそうだ。そのためグループへの未所属者は、金曜日のみに来る。
会のイベントは金曜日に行われる事が多く、場合によっては土日にダンジョンの現地調査が入る事もあるらしい。
「グループは複数所属しても良いし、未所属でも良い事になっている。兼部の都合で決める会員も居るね。何回か顔を出した後に、各自が自由に決めてくれて良いよ」
そう誘った津田自身は、月曜日の定義・法則性のリーダーを兼ねていた。
彼らがやっている事は、ダンジョンの様々な法則を推測し、一定の範囲内への絞り込みを行っていく事だ。
例えば、初級ダンジョンの攻略によって中級ダンジョンに変化した数が二三、変化せず白化したダンジョンが二四であった事を元に、中級ダンジョンから上級ダンジョンに変化する数を推定する。
また、一般公開された初級ダンジョンで、内部の何処からいつ魔物が補充されるのかを、魔物との遭遇地点の統計から推定する。あるいはダンジョン外に氾濫した魔物が、各都道府県の海上や離島の何処まで活動範囲を広げられるのか等々。
そういったダンジョンの概要を、様々な根拠を積み重ねながら推測していく。それが月曜日グループの活動内容であるらしい。
新入生にアンケートを取ったのは、彼自身がリーダーを務めるグループ単独の為であるらしい。
野暮ったい身なりをしていながら、中々に強かであった。
そんな彼に勧められるがまま、次郎たちは翌日以降にも各グループに顔を出して回った。
火曜日のグループは、魔物・被害軽減をテーマにしている。
魔物の生態や群れの脅威度を調べると共に、いかにそれらの活動から人的・物的・経済的な被害を軽減するかを研究しているのだ。
例えば日本政府の基本的な対応方針は、国民全体のレベルを上げて、自衛力を高めて魔物被害を軽減するというものである。
また魔法や魔石の技術転用も推奨しており、官民の各研究所は、日々研究を続けている。
魔法分野では明らかな結果がいくつも出ている。
魔石のエネルギーの利用に関しても、それなりに使えると分かってきた。
例えば火属性が一以上であれば、赤色の魔石を用いて火魔法を使う事が出来る。魔石を使えば、魔力を使う時のように息切れならぬ魔力切れは起こさない。
属性を持たない者も、技術を組み合わせれば赤の魔石を着火剤程度には扱える。他にも緑や青の魔石は風や水流を生み出す程度、白の魔石は損傷した皮膚などの回復促進程度には利用できると判明してきた。
そして火曜日グループは、日本政府の対策や研究をより効果的にする方法、あるいは根本的に別の方法を模索するグループであるらしい。
「例えば、どんな方法があるんですか」
「そうね。例えば法整備で魔法を後押し。善きサマリア人の法って知っているかしら。緊急時に無償の善意で手を貸した人が、不作為に被害を発生させても、それを罰しないというものだけど」
「聞いた事はあります。でも日本では、法整備されていませんよね」
「そうよ。それを魔法に適応したら、豪雪時に火魔法で除雪、害虫発生時に風魔法で駆除、火災現場で水魔法の消火、河川の氾濫で土魔法の土嚢、事故現場で光魔法の応急処置、犯罪発生時に闇魔法で沈静。良いと思わない?」
次郎たちに応対した火曜リーダーは、ダン研の会計も務める三年生の女性で、いかにも性善説を信じていますというようなタイプだった。
提案のメリットは次郎も認めるが、デメリットも色々と思い浮かんだ。
火魔法は火災の危険があるし、風魔法は害虫以外にも被害が出る怖れがある。
水魔法の消火は費用対効果が大きいだろうが、土魔法は河川氾濫を止めた時に他が氾濫するかもしれない。
光魔法は研究途上で、最終的に人体へどのような効果を及ぼすか、未だ明らかでは無い。
闇魔法は、犯罪が明らかなケースであれば構わないだろうが、判断者の誤解による沈静化で被害を出すケースは防げそうに無い。
だが今のところ単なる見学者の次郎は、敢えて議論は行わず、感心を見せながら頷いた。
持論を展開したいのであれば、まずは火曜日グループに入ってから行うべきである。
続いて顔を出した水曜日グループは、レベル・人体影響を主なテーマにしている。
こちらは二年生の双子の姉弟でリーダーを務めていて、二人でダン研の副会長を一枠持っている。
水曜日チームは、レベルを得た後の人体の影響に関する事なら何でも調べているそうだ。
数多くの一〇代少年少女が、意気揚々とダンジョンに潜り始めてから八ヵ月。レベルと身体の成長速度の減衰との相関関係は、既に世間でも騒がれ始めている。
但し、ダンジョンに入り始めてから身長が一〇cm近く伸びた者もおり、レベルを得る対価としての成長速度減衰に、人々は優先順位付けの討論を繰り返しつつも、未だ答えを見出せていない。
そんな人々の討論の前提となる根拠を研究するのが、水曜日グループだ。
「すると成長期の影響とかを調べるんですか」
成長の方向性が変わるために、成長期や第二次性徴の伸びが半減するのだと、次郎は既に答えを聞いている。
心からの感嘆では無いと察したのか、それともアピールする内容を広げたいのか、大須田弟は説明内容を加えた。
「もっと広いテーマだよ」
「他は、どんな事をやるんですか」
「そうだね。人は火属性を取ると、耐火能力が上がる。水属性なら、水中適応能力が上がる。魔力と属性が人体にエネルギーを供給していると仮定して、そのエネルギーは人体にどう作用しているのか。そんな事もやっているよ」
「成程。難しそうですね」
それは次郎も対して考えた事が無かったテーマだ。
何しろ、考えたところでどうしようも無い。
自称・元和歌山県民から教えて貰った単語で推察するに、身体が魔素体に変わっている事との相関関係が大きそうだが、魔素を観測できない人類がそれに辿り着くのは容易ではなさそうだ。
双子の弟に続いて姉の留美衣も、研究の意義を説明する。
「レベルを得た人の子供にも、影響が出るかもしれないわ。レベルを持つ両親の遺伝的な影響。母胎での成長時の影響。でも原理が分かれば、コントロールできるでしょう。悪い影響なら抑制すれば良いし、良い影響なら伸長するのも有りよね」
「へぇ」
次郎は、二重の意味で感嘆の溜息を漏らした。
知ったところで無意味と思っていた内容でも、実際には役に立つどころか、場合によっては必須になる可能性も有り得るのだ。
そして受験勉強から解放された大学生は、かくも自由に関心の赴く事を調べられるのだと。
そして最後は、木曜日グループの技術転用・政治問題チームだった。
応対してくれたのはダン研副会長も兼ねる二年生のリーダーである。
「うちは他とは毛色が違うんだ」
「どう違うんですか」
「海外の動きをネットで追いかけて、仲間内で討論する事が多いね。諸外国は、日本によるダンジョン独占を危惧している。短期的には軍事力の急拡大、中期的には他国で再現不能な魔法技術による経済力向上、長期的にはダンジョン発現者側と日本との関わり方」
「その長期的な怖れって、具体的にはどんな内容なんですか」
短期的と中期的な問題は、次郎にも大雑把には想像出来る。
例えばダンジョンを日本が殆ど独占することで、日本国民全体のレベルが上がり、レベルを持たない外国人との間に大きな格差が生まれる。
いずれ日本人の半数近くが、世界選手権に出場できるレベルの基礎身体能力を持ち、BPの割り振り次第では陸上生物最速のチーターよりも速く走り、銃器を持たずとも魔法による遠距離攻撃を行えるようになる。
さらなる上位者は、戦車が高速で突撃するように地上の障害物を弾き飛ばしながら駆け回り、攻撃ヘリが飛び交うように都市のビル間を跳び回る。
そんな各国の特殊部隊も裸足で逃げ出すような国民を、数千万人も抱える日本に対して、日本と争う国家の首脳部は、その力が自分たちに向けられないかと恐怖する。
中期的には、魔法・魔石・魔物の素材によって、新技術が生み出される。
魔法による製造時のエネルギー削減、従来では充分な設備投資を要した過熱・切断・形成などを無償で行う事が出来る。
それは原材料を輸入して、加工して輸出する日本の得意分野であるため、国際競争力は否が応にも高まっていく。魔法の技術が向上すればするだけ、持つ者と持たざる者の格差が広がるのだ。
だが長期的な問題については、次郎も大まかすぎて想像できなかった。
すると木曜リーダーは、問題点を簡潔に纏めた。
「ダンジョン制作者が、地球人では対抗不可能な技術力を持っているのは明らかだ。そんな超常的な存在が日本だけを優遇したら、あるいは日本側から優遇を依頼したらどうなるのか。そういう怖れだよ。そんな事があったら、どうなると思うかな」
次郎は日本だけが優遇される未来を創造してみた。
先方は、千万人以上のステータスを完璧に管理出来ている。そして特典付与も、思いのままだ。
ではその超越的な技術で全地球人にステータス管理を適応して、日本人の氏名以外を持つ者に、マイナス効果のある特典を無理矢理与えたら一体どうなるのか。
例えばマイナス特典が、一日に一回、起点から半径一〇〇万キロ以上の距離へランダムで強制転移するというようなものであった場合、先方は日本人以外を一夜にして絶滅させる事も出来る。
その後に地球に残った資源は、全て日本人の物である。
諸外国は到底受け入れられず、全力を以て阻止する以外に生存の道が無くなる。
「外国の政府は、全力で阻止しようとしますよね」
「その通り」
木曜リーダーは、正解を出した生徒を褒める教師のような表情で、和やかに頷いた。
「この場合、二通りの阻止方法が考えられる。ダンジョン製作者に翻意を促す方法と、日本を介して阻止する方法。日本に対しては様々な外交圧力を掛けるか、友好関係を形成して被害を受ける対象から外れるだろうね。元々の日本との国家間関係や経済関係、国力、協力体制を敷ける国次第で、諸外国はどちらに比重を置くかを選ぶ事になる」
「成程」
次郎は日本が旅人で、諸外国を北風と太陽に見立てた。
「我々は諸外国の行動に対する、日本のリアクションを想定するのさ。各国の歴史や政治体制、日本との関係なんかを調べながらね。グループでは、各国に対して最低二班がそれぞれ独立した別々の視点で分析しているよ」
「色々やっているんですね」
「だけど分析対象に対して人数が足りないという欠点があるね。政府が外務省を用いるのと異なって、情報の質も量も足りない。ダンジョン情勢も刻々と変わる。だから幅広さと深さのどちらかは犠牲にしないといけない」
「そうなんですか」
「ああ。いずれ意味を持たせるために、レポートの形で公開したいとは思っている。もし入ってくれるなら、よろしく頼むよ」
「了解しました。検討します」
勧誘を終えた木曜リーダーは肩の力を抜くと、次郎たちを相手に雑談を始めた。
「それにしてもダンジョン政策で主体的な判断が出来る今の日本は、中々に恵まれているよね。少なくとも政府は選択の自由を持っている」
「そうですね。日本だけにダンジョンが出ていますしね」
「その通り。これが二国以上に出現していたら、また話は変わったんだろうけどね。これは一体どうしてだろうね」
木曜リーダーは心底楽しそうに、我々は考える葦だねと呟いた。


























