王女「鼻に入れた真珠が取れません!」
出オチっぽいけど、ちょっと凝った話を書きたくて……
「ミネルヴァ家も、おしまいですね」
告げると、皆が何かを耐えるように俯いた。
王家の長女として産まれたサテラ・ミネルヴァ(齢二〇歳)。
その高貴なる女性の世話をする者達は、選び抜かれた使用人達だ。
サテラが生まれた頃から全幅の信頼を置いている、親の顔より見た顔ぶれ。
そんな者達に終わりを告げる日が来ようとは──
今日まで夢にも思わなかった。
「サテラ様、お待ちください。その判断は……クッ……早急にございませんか?」
「そう……ですよ。まだ……ハッ……手はあるはずです」
皆が口々にサテラに慰めの言葉をかける。
されど、誰とも目が合わない。
サテラの座る自室のソファに、近づこうとする者もいない。
それもそうだ。今のサテラの姿を直視できる者はこの場にいるはずもない。
長年サテラの身を案じ、心を配る優しき者達だ。積み重ねた親しみの数だけ、伏せる目が増えるだろう。
ミネルバ王国は重大な場面に立たされていた。二つの隣国が諍いを起こし、戦争に発展している。
いずれ戦火の裾野がミネルヴァ王国にも拡がり、中立を決め込んでいた立場をどちらかに傾けなければならない。
どちらに加担しても未来は暗く、多くの民を失うだろう。
最悪な場合、王国の物資が枯れ果てるまで殺し合いは続き、ミネルヴァが保有する田畑も焼かれ、水源への道も封鎖される。再興の道も絶望的だ。
「今の内に、故郷に帰る準備をしなさい」
せめて、世話になった愛すべき者たちを遠くへ。
そんな思いからか、サテラが告げると、メイド長が眉根を揉みながら呆れるように言った。
「鼻に入れてしまった真珠が取れなくなったくらいで、何を大袈裟な」
メイド長が冷淡に告げると、使用人達が腹を抱えてその場で膝を折った。
老年を迎えた執事は顔を手で覆い、若いメイド達は壁に手をついてなんとか立っている状態だ。
唯一正気のまま、鼻にキラリと光る真珠を詰めたサテラと相対するのは、
メイド長──ハリナ•ヴィンセント(四二歳)
笑わない女だと思っていたが、ここまで自身の感情の手綱を握れる人物だったとは、サテラは心の底で感服した。
「いえ、おしまいです。このような生き恥を背負って生きていけるはずがありません」
言うと、さらに部屋中に笑いが満ちた。
そうだ。認めるしかない。国の未来を想うことで現実から逃避し、なんとか正気を保っていられたが──
今のサテラにとって戦争などどうでもいい。
ひたすらに鼻が痛い。口で呼吸する他ないため、とても息苦しい。
この地獄から解放されたい。その一心であった。
「なぜそのようなことをしてしまったのですか? 自分で入れたのですよね?」
問われて、サテラの頬に涙が伝う。
それがわかれば苦労しない。衝動的に奇行に走ってしまったのだ。
「ううぇえ……自分でもわからなぁい!」
わんわん泣いていると、またメイド達が苦しそうに腹を抱えて膝を折った。
それもそうだ。鼻の穴に大きな真珠を詰め込んだ女が泣いているのだ。これを笑わずして何を笑えと言うのか。
「……ここ数日、皆が暗い顔をしていました」
一通り泣き終えた後、サテラは毅然とした声を上げる。
「当然です。戦争に巻き込まれれば、ミネルヴァのような弱小国は簡単に潰えてしまう」
「はぁ……?」
「なので、せめて、私が体を張って皆を笑顔にしようと──」
「美談にしようとしても無駄です……あなたの奇行は今に始まったことではありません」
サテラは盛大に舌を打つ。ハリナの前では成す術が無い。
母の胎からオンギャーと生まれたそのときから、サテラの面倒を見てきた女だ。小手先ではこの恥を洗い流すことは叶わない。
「……もう生きていけない……こんな姿ではもう……」
サテラは観念して、チワワのように震えながらハリナに縋り付く。
そのあまりの有様に、ハリナは呆れまじりに首を振る。
「手では取れないのですよね? 下手に弄って怪我をしてもしょうもないですし、優秀な魔術師を派遣しましょう」
「いやッ、この姿を他人に見られるくらいなら、死んだ方がマシよ!!」
「もう手遅れです。既にここにいる使用人四名と、庭師、料理長に目撃されているでしょう?」
「全員身内よッ、口止めすれば、まだギリギリ体裁を保てる!」
「往生際が悪いですね。鼻から呼吸できない癖によく叫ぶこと」
メイド長がそんなことを言うと、殊更メイド達が床を叩いて笑い出す。
その様子にサテラは忌々しげに下唇を噛んで、ハリナを睨み付けた。
「私に恥をかかせるのがそんなに楽しい?ねえ?なんで酷いこと言うの?」
「あなたのその奇行が原因で、先日、婚約も破談になったのではありませんか。手厳しく言葉を尽くさなければ、あなたは反省をしないでしょう?」
諭すように言われ、サテラは顔を伏せる。
幼い頃から婚約を結んでいた隣国の王太子ロンタール。
彼と破談したのは、サテラの突飛な行動のせいであった。
それは二ヶ月前──
美しい早馬を手に入れたと自慢げに話すロンタールに誘われ、二人でピクニックに出かけた日のこと。
美しい流線を描く背に相乗りし、一時間が経った頃合いだ。
サテラは急激に帰路につきたくなった。
なぜ、そんな気持ちになったのか、今でも判然としない。
ロンタールが悪いわけではない。嫌っているわけでもない。
むしろ、サテラは彼に恋をしていた。
出会った頃は、王の娘として政略の駒になるのも致し方なしと無理矢理に自分を納得させていた。
しかし、二人で多くの時間を重ね、労りを交換することで互いに愛情を募らせていったのだ。
そんな大切な彼と川の辺りで昼食を取りながら、二人の明るい未来について語り合う予定であった。
にもかからず、その途上で心変わりをしてしまった。
「サテラ、見えるかい? クアンフォードの丘が見えてきた」
「ええ。そうですね」
ロンタールの胸に背を預けながら、サテラが覇気のない返答をする。
それを即座に察して、彼は手綱を握る手の片方を解放し、サテラの肩に優しく触れた。
「身体が冷えたか?妙に元気がない」
「いえ、そんなことはありません」
「酔ったか?視界が揺れるからな。ここらで休憩をするか?」
「帰りましょう」
「え?今なんと?」
「休憩するくらいなら帰りましょう」
言うと、王太子はひどく慌てた顔をしていた。
当然だ。二人で甘く和やかなひとときは目と鼻の先であるというのに、帰りたいとなどと訳のわからないことを口に出したのだから。
しかし、サテラにも事情があった。
彼がサテラに対して多くの配慮をしてくれていると承知している。
深く心を配ってくれる度に「なんて素敵な殿方なのだろう」と、恋心が激しく燃え上がっていたのだ。
それがいけなかった。
突然、裏切りたくなってしまったのだ。
このどうしようもない自分の性分を、サテラ自身も理解できていない。
愛しているのに──
ガッカリさせたいような、
絶望させたいような、
笑ってほしいような、
褒められたいような、
貶めたいような、
訳のわからない無数の感情がサテラの脳内に渦巻く。
手を繋ぎたい。抱きしめて欲しい。
それと同時に、王太子の顔に思いっきり平手を浴びせ、倒れたところにハイヒールで顔面を踏んづけてやりたい。そんなドメスティックな欲望さえ湧いてくる。
だから、帰ろう、そう提案した。
しかし、王太子は数々の言葉でサテラを落ち着かせようとしてくる。
「気に触るようなことをしてしまったか? それなら、聞かせて欲しい。私の何が足らなかったのか」
寛容にして配慮のある言葉。その優しさも、いけなかった。
「シャア──ッ!」
気がつけば、サテラは怒れる猫のように咆哮して、ロンタールの顔面に肘打ちをお見舞いしていた。
その威力は凄まじく、彼の脳は激しく揺さぶられ、馬上で白目を剥いて落馬してしまったのだ。
『あなたは、ヤバイ女です』
事の経緯を知った当時のメイド長ハリナに言われた言葉だ。
サテラにも自覚はあった。自分は危険人物だ。あまりにも。
幼い頃から似たような衝動に悩まされる瞬間はいくつもあった。
しかし、寸手のところで我慢してきたのだ。
拾ってきたどんぐりをメイド達の靴の中に仕込みたい。
国王である父親の長い立派な顎ヒゲを思いっきり引き千切りたい。
酒が飲める歳になったのだから、人の耳の中に高級ワインを注いでみたい。
母親の長いドレスを引き裂いて、枕カバーにしたい。
とにかく、数々の捻じ曲がった欲望を我慢してきた。
そんな辛抱も齢二〇を迎えて限界を迎えつつある。
「とにかく、魔術師の先生を呼びましょう。鼻の穴に入り込んだ真珠をどうにかしなくては」
ハリナの言葉に、サテラは重々しく頷く。
魔術師の先生とやらが、自分の曲がった欲望も真珠と共に取ってくれやしないかと、祈るばかりであった。
◇
「かなり……まずい状態です……」
嗄れた声が自室に響き、サテラの顔は真っ青になった。
老齢の魔術師ラウルが到着してから、くまなく身体検査を受けさせられてしばらく──ラウルが、白い髭を撫で付けて言うのだ。
「サテラ様の肉体……いや、魂に危険が迫っています」
「危険……って……?」
息を呑んで聞き返すと、ラウルが皺の濃い眉間をさらに寄せて、
「異世界転生という言葉を、ご存知ですか?」
そんなことを言う。サテラにはどこか禍々しい響きに聞こえた。
「な、なんですかそれは?」
「この世界とは違う世界──つまりは、異世界で命を落とした人間が、あなた様の肉体を乗っ取り、新しいサテラ・ミネルヴァとして成り代わろうとしている」
「「はい?」」
あまりにも突拍子もない話に、付き添いのハリナでさえ首を傾げる。
「よく理解できません……別の世界で命を落とした人間が、私の肉体を乗っ取る? 悪魔に憑かれていると言われた方が、まだ納得できます」
「我々にとっては、悪魔のようなものかもしれません。肉体はサテラ様でありながら、サテラ様とは違う心が入り込み、乗っ取ってしまうのですから」
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ、鼻の穴に真珠を詰めたくらいで、大袈裟では!? っていうか……真珠取ってよ!」
サテラの必死の懇願に、ラウルはこの世の終わりとばかりに首を振った。
「その真珠は、サテラ様の魂の最後の抵抗です。肉体を乗っ取られまいと、あなたは無意識に奇行に走って抵抗しているのです」
「全然……納得できません……何をおっしゃってるの?」
思わず、サテラは背後に控えたハリナに戸惑いをぶつける。
「この人、本当に高名な魔術師? その辺にいる乞食のジジイを捕まえてきて適当に喋らせてません?」
「乞食のジジイなんて……サテラ様からそんな言葉が……」
「魂の上書きが始まっておりますな。いつもと違う口調は、最もわかりやすい兆しですぞ」
サテラを置き去りに、ハリナとラウルが眉根を寄せて事態の深刻さを物語る。
「何か、サテラ様をお救いする手立てはないのですか?」
「あります。ありますが……まずは、こちらをご覧下さい」
神妙な面持ちで、ラウルが杖を振るうと、突如として虚空から紙束が出現する。
「実は、我々魔術協会でも研究を進めている症例でして──」
言いさして、ラウルは書類を一枚、ひらりと机の上に置いた。
「世界各地でサテラ様と似た症例がいくつも報告に上がっています。彼女たちに共通するのは、生まれが裕福なこと……つまりは御令嬢という立場の者です」
びっしりと書かれた文字の羅列に、サテラは視線を走らせる。
そこには、世界中の貴族や王族の名前が軒を連ねていた。
「彼女たちはしばらく、他者を貶めるような行為を繰り返し、周囲の反感を買います」
ラウルの言葉通り、書類には卑劣にして陰湿な悪行の数々が綴られていた。
ある令嬢は、同級生に執拗な嫌がらせ。
ある王妃は、社交場で気に食わない者に恥をかかせようと画策。
ある継母は、日常的に子供に暴行を加えていたらしい。
「書類に並ぶ事案がすべて事実であれば、サテラ様はまだマシな方でしょうね。他者を貶めるような行いを、サテラ様はまだ行っていません」
ハリナがほっと安堵を口にするも、サテラは思い詰めた顔をする。
「いえ、私も……誕生パーティーや社交会で、嫌味を言ってきたご婦人を、馬車に括り付けて引き摺り回したいと、何度も考えたことがあります」
「あなたの場合、何かこう……陰湿というより、豪快なものが多いですな」
ラウルは狼狽えつつも言葉を選び、書類の束からもう一枚引き抜く。
「しかし、彼女たちは繰り返していた悪行を突然に終わらせ、急に優しい振る舞いをするようになるのです」
「それは……改心された、ということではないんですか?」
サテラが聞くと、ラウルは厳かに首を振る。
「病や事故をキッカケに、人が変わったように振る舞われる。私どもも調査を進めまして、そんな御令嬢の数名に、催眠魔術をかけてカウンセリングをしたことがあるのですが──」
言いながら、ラウルが再び杖を振るうと、今度は机の上に水晶玉が出現した。魔術を扱う者が常備している、記録装置なる魔道具らしい。
「こちら、マリア・レイフィールドの記録をご覧ください」
ラウルが水晶に手をかざすと、突如、煙が立ち昇る。
モヤモヤと漂うその中に、豪奢な一室が鮮明に浮かび上がった。
一人の高貴な空気を纏う女性がソファに腰掛け、ラウルがその隣に座っている。
『気分が如何ですかな?』
『悪くないよ。ぼんやりしてて良い気持ち』
ラウルの問いに、どこか幼さが滲むような口調で答えるマリア。
貴族の令嬢にしては、言葉遣いが荒いように聞こえる。催眠魔法の効能だろうか。
『お名前と年齢を教えていただけますかな?』
『進藤綾乃、一六歳。高校生』
『む? あなたはマリア・レイフィールド、今年で一九才になると……こちらでは把握しておりますが』
『私は日本人だよ。死んじゃったから、この異世界に来たの』
『死んだニホンジン……? どういうことですかな?』
『そのまんまだよ。車に轢かれて死んじゃって、天国で神様に言われたの。次はどんな人生がいいかな?って。そしたら、このマリアちゃんの身体が良いよって、言われたんだ』
『神……? 神に会ったと? それは、我らが信仰する太陽神ヒルナスと同じ存在ですかな?』
『さあ? 知らない。覚えてないよ。天国での記憶は少ししか持ち越せないんだって』
マリア(進藤綾乃)の視線は、手元を呆然と見つめているのだが、動くその唇は、どこか嘲笑が混じっているようにサテラには見えた。
『では……改めてお聞きしますが、あなたはマリア・レイフィールドではない?』
『今はマリアだよ。前世は進藤綾乃』
『前世……ですか……』
『それしか言いようがなくない?』
『では……アヤノさんは、どうやってマリア様の肉体に? 神様に言われたと、おっしゃっていましたが──何か条件があるのでしょうか?』
『うん。神様がね、〝愛されてない身体〟なら乗り移れるよって言われたから、マリアちゃんの心を少しだけ操作して、他人に向けていっぱいイジワルさせるの』
『愛されていない肉体なら? それが肉体を乗っ取る条件だと?』
『そう。周りからの愛情が薄い肉体なら乗り移れるって言われたから、悪役になってもらったの、マリアちゃんに』
『では、以前、マリア様が使用人に嫌がらせを繰り返していたというのは?』
『ぜーんぶ私。私がマリアちゃんの魂をつついて、イジワルさせてたんだ』
絶句するラウルを置き去りに、アヤノ/マリアはソファに背を預け、妙に晴れやかな顔をするのだ。
『おじいさん、手っ取り早く愛される方法ってなんだかわかる?』
『……手っ取り早いかはわかりかねますが、周囲に親切と深い配慮を行うことであると、思います』
『ブブーッ、ハズレぇ』
何が面白いのか、アヤノは嬉々とした声を上げて手を叩く。
『正解は、ギャップでーっす! イジワルな子が、急にみんなに優しくなったら、みーんな魅力的に感じるみたーい! 異世界人マジでチョロおい!』
そのあまりの豹変ぶりに、されど老年の魔術師ラウルは、毅然とした態度を崩さなかった。
『あなたの言ったことが事実だとしたら、あなた……アヤノさんは……他者の人生を、周囲の優しい人々を……もてあそんでいることになるのですよ?』
『なに深刻な顔してるの? 所詮、ここはゲームの世界っしょ? じゃあ、遊んでも良くなぁい?』
映像の中でアヤノが言った言葉に、サテラは首を捻る。
ゲームの世界? 現実世界をチェスや何かに例えているのか。死後の人間独自の人生の捉え方みたいなものだろうか。
しばらく、ラウルに睨まれていたアヤノはひとしきり笑った後──。
力が抜けたように溜息を一つこぼした。
『帰りたい……お母さんのご飯……食べたい……』
空気が一気に変わった。
悪魔のような嘲笑から一変、迷子のような心細さが滲む声音だ。
『この世界やだ……ネットもなければスマフォもないし暇すぎ……トイレもウォシュレットじゃなければ水洗でもない……町中にウンチが落ちてて町も臭い』
よくわからない単語を羅列しながら、アヤノは頭をソファの肘掛けに預けた。催眠魔術とやらが効きすぎているのか、苦しそうに瞼を閉じるのだ。
『常識もおかしい……仲良くすれば良いのに、平気で戦争するし……十代で結婚しなきゃ行き遅れ? 考え方がキモ過ぎ……ロリコンじゃん……嫌い……こんな世界……』
アヤノの瞳から、一筋の落涙が伝う。元いた『ニホン』という世界は、さぞ平和で、美しい世界だったのだろう。語る声に、深い落胆が滲んでいる。
『お風呂入って、ジャージ着て、ユーチューブ見ながらぐっすり寝たい……娯楽少なすぎこの世界……ほんと……退屈……』
その言葉を最後に、アヤノ/マリアは深い眠りについた。
同時に、サテラの眼前に浮かんだ煙の塊が霧散してゆく。
「以上が、マリア・レイフィールドに宿った魂との対話記録です」
ラウルがそう締めくくると──
メイド長ハリナが突如として、サテラを激しく抱き寄せた。
「ラウル様っ、サテラ様をお救いください! イヤです!サテラ様が別人になってしまわれるなんて!」
縋るように叫んで、潤んだ瞳でそう訴える。
その様子に、当のサテラはひどく驚いてしまう。ハリナがここまで取り乱すところを、見たことがなかったから。
「落ち着いて。私は大丈夫よ」
「大丈夫なものですかっ、あなたがあんな風に変わってしまったら、私は……私は……」
「驚いた……あなたがそこまで狼狽するなんて」
「当たり前です! あなたが産まれたその瞬間から、あなたの世話を焼いてきたのですよ!」
記録映像を見て、激しい不安に襲われたのだろう。
ハリナには小言を言われて育てられてきたから、煩わしい女であると何度も思ってきた。しかし、ここまでちゃんと愛情を示されると、サテラの心がほぐれてゆく。
「ふふふ、そうね。私にとって、あなたはお母様より、母親に近い存在ですものね」
「なぜっ、あなたはそんな平気そうなのですか!?」
問われて、サテラは頬に手を当て考える。
死期を悟った病人と、同じ気持ちなのだろう。サテラの胸中は、今は周りへの感謝に満たされているのだ。
「あなたが、先に泣いてくれたから。愛してくれているから」
涙に濡れるメイド長を抱きしめて、サテラは安堵の息を吐く。
そして、静かに見守ってくれているラウルに、ゆっくりと首を向ける。
「ラウル様、愛されている者であれば、肉体を乗っ取られずに済むのですか?」
「はい、恐らく。それが唯一、乗っ取りを防ぐ方法であると」
厳かに頷いて、ラウルは顎ヒゲを撫で付けた。
「サテラ様はメイド長だけでなく、城にいる多くの者に愛されております。だがしかし、それは進行を遅らせることはできると思いますが、完全に防ぐとなると──」
恋人の力が必要です。と、嗄れた声が漏らす。
「あなたが恋焦がれている方に〝まぎれもなく愛されている〟と、実感することで、今サテラ様を脅かしている死者の魂が祓われるかと」
言われて、サテラの頭に一人の男性の顔が浮かぶ。
「ロンタール様……」
顔面に肘を入れて落馬させてしまった愛しい王太子。
会ってくれるだろうか。なんて事してくれたのかと、罵倒されるのではないか。
されど、いずれ魂が入れ替わるのであれば──。
悔いを残してこの世を去りたくはない。
罵倒され、責められるなら、それが自分の結末だ。
この魂が追い出される前に、すべて、受け止めるべきだ。
「ロンタール様に会いにゆきます。馬車の手配を」
◇
馬車が緩やかに車輪を回し、ロンタールの住む屋敷へと駆ける。
前から後ろへ流れる景色を、サテラは座席から呆然と眺めていた。
──時間がない。
魂が抜け出そうになっているのか、身体全体に浮遊感を感じる。
この世に留まれる刻限は近い。もう明日にはサテラは、サテラではなくなっているのだろう。実感として、なぜだかはっきりとそれがわかる。
「ロンタール様に、どんなお言葉を?」
付き添ってくれているハリナが、隣で鼻を啜りながら聞いてきた。
「そうですね。どうせ終わるのなら、思いの丈をすべて」
緩やかにそう口にしたサテラの相貌を見て、メイド長は息を呑む。
「おかしな子です……真珠を鼻に入れているのに、どうしてそんなに美しいのでしょうね」
すっかり忘れていた……。
今、鼻に真珠を入れていることなんて、頭の片隅にもなかった。
「ヴェールをお持ちしてますから」
サテラの顔半分に、ハリナはレースで出来たヴェールを纏わせる。
「これで真珠が収まった鼻を隠せますから」
「ありがとう」
ホっとサテラが安堵すると、馬車の歩みが穏やかに減速してゆく。
どうやらロンタール邸の門前に辿り着いたようだ。
「ロンタール様はご在宅ですか?」
尋ねると、門前の衛兵は馬車に刻まれたミネルヴァ王家の家紋を確認して、厳かに一礼した。
「おられます」
言うと、門が重々しく開き、石畳の奥に白亜の邸が姿を現した。
ロンタール邸──何度も訪れたはずなのに、今日は足がすくむ。
「ここからは……ひとりで行きます」
ハリナの手をそっと離すと、サテラは深く息を吸い、ヴェールの位置を直した。
心臓の鼓動が早まる。いつも彼に会う時は胸が高鳴ったものだが、今日の高鳴りはやはり違う。これが最後かもしれないと思うと、涙腺が決壊しそうだ。
「ようこそ、サテラ様」
玄関扉の前で執事が一礼する。
「殿下にお伝えします。……お入りくださいませ」
重厚な扉が開き、柔らかな絨毯を踏みしめて進む。
二階に上がってしばらく進んだ後、彼の自室の奥、背の高い男が振り返った。
「サテラ……?」
王太子ロンタール•ラムドール。
整った眉の下、驚きで見開かれた双眸が、まっすぐこちらを射抜く。
「ロンタール様……」
名前を呼んだだけで、胸が熱くなった。
同時に、込み上げるのはやはり罪悪感。
「先日の件をお詫びしに参りました」
深々と頭を下げると、ロンタールの足音が颯爽と近づいてくる。
何を言われるか、平手を浴びるかもしれない。されど、サテラは顔を上げて言葉を続けた。
「私の愚かな行いで、あなたをひどく傷つけてしまった。本当に申し訳ありません。許さなくても良いのです。嫌いになってもかまいません」
嘘だ。自分で言いながら、胸を掻きむしりたくなるほどに心の中で狼狽した。
許してほしい。嫌いにならないでほしい。
本当は、どうしようもなく愛されたい。
「私は間違った衝動を抱えた女です。だから、あなたと関わると、また傷つけてしまう」
何を言っているのだ、と、サテラは自分に驚愕する。
愛を伝えに来たのではないのか。婚約破棄を挽回しに来たのではないのか。
「もう、私はあなたから離れます。どうかあなたも私を綺麗さっぱり忘れてください。嫌な思い出としても残さず、綺麗さっぱり、いなかったものとして」
つらつらと滑らかに舌が転がして、サテラは戦慄で硬直してしまう。
ここまで突き放すようなことを言うつもりはなかった。
──喋らされている!?
ニホンから来た死者の魂が、サテラの口を借りて喋っている。
愛されない女という条件を満たすため、この重要な局面でトドメを刺しにきたのだ。
「サテラ……君は……」
呆れに、失望。そんな色がロンタールの相貌に滲んでいる。
婚約破棄を伝えたのに、そんな下らないことを言いに来たのかと、思っているのだろうか。
だから、裏切りたくなった。
その落胆した顔を驚かせたくなったのだ。
肉体を乗っ取られつつあるが、この衝動だけは負けるはずがない。
──このサテラ•ミネルヴァを侮るな。
死者の魂に打ち込むように、サテラは静かに決心した。
「愛しております」
その言葉は、胸の奥から静かに零れる。
自分でも驚くほど柔らかな声色だったのに、心臓は痛いほどに脈打っている。
目の前の彼を前にして、魂が燃えるように熱くなった。
「こんなことを言えば、あなたを困らせてしまう。でも、私はどうしようもなく愛しているのです」
声に混じる熱を抑えきれず、視界が滲む。
馬上で背中越しに聞いた彼の笑い声も、あの日の陽の匂いも、全部が愛おしい。
この想いだけは、たとえ何者に奪われようと残していきたかった。
「私のことを嫌いでもいい。ただ、私はあなたを愛しています」
唇が震えた。言葉の先を紡ぐには、わずかな勇気と、すべてを手放す覚悟が必要だった。
ロンタールの瞳が、何も言わずこちらを見つめている。
その沈黙ごと抱きしめるように、最後の一言を押し出す。
「大好きです。心の底から」
頬を伝う涙の温もりが、まだサテラである証のように思えた。
たとえ明日、別の魂に塗り潰されようとも──この瞬間だけは、私のものだ。
「驚いた。君はやはり──」
狂っている、そう言われるのだろうか。
サテラが身を硬くして次の言葉を待っていると、
「面白いね」
そんな温もりのある言葉が、サテラの鼓膜を打つ。
「君はいつだって、周りを驚かせる」
ロンタールの指が、花に触れるようにサテラの涙を拭う。
「婚約破棄の文は、母上が独断で送りつけたものだ」
「え、そうだったのですか……」
サテラが驚愕して目を見開くと、ロンタールは申し訳なさそうに苦悶を浮かべる。
「誤解なんだと、もっと早く君に伝えたかった。しかし、ラムドール家の裏回しによって、君とコンタクトを取れなかった」
「お許しになるのですか? 顔を肘で殴打した私を?」
聞くと、ロンタールは静かに微笑みだけで返して、サテラの顔のヴェールに触れる。
「これはどうした? 化粧では隠しきれないニキビでも? もしかして、また激辛クッキーを食べて唇を腫らしたのか?」
激辛クッキーとは、何のことだろう。サテラが首を捻ると、ロンタールは驚く。
「忘れたのかい? 君が一生懸命に作ってくれたクッキー。その中に、君は一つ激辛のものを一つ混ぜておいた」
ああ、と、サテラの頭の箪笥が開放された。
思い出すのも恥ずかしい。幼少の頃、ロンタールを驚かせたいがあまり、遊び心の一つとして香辛料をたっぷり仕込んだクッキーを作ってロシアンルーレットを楽しもうとしたのだ。
しかし、結局それは──。
「結局、それを食べたのは君だった。僕が食べそうになるのを見て、それをむしり取って君がボリボリ食べていたな」
「お恥ずかしい……『やはりまずいか』と心変わりしまして……」
「その後、君は唇を二倍に腫らして戻ってきたあの光景。今でもたまに思い出しては笑わせてもらってる。落ち込んだときに思い出すようにしてるんだ」
「ぐっ……お役に立てて光栄です」
苦虫を噛み潰したような顔をしたサテラに、ロンタールはたまらず腹を抱える。
その顔を見ていると、サテラも幸せな気分になってくる。
「そのときかな、俺が君に恋をしたのは」
ひとしきり笑い終えたロンタールが、ふと、不意打ちの一言。
「もう、君以外で満足できない。どうしてくれる?」
熱のこもった声音を落として、ロンタールの手がサテラのヴェールに触れる。
見られたくない──そう、サテラは身構えたが、されるがまま受け入れた。
「見せてほしい」
「ど、どうぞ……」
サテラが短く首肯すると、耳にかかるレース生地をゆっくりと外され、サテラの相貌が明らかになった。
「……嘘だろ……」
第一声、その驚愕のひと声を発したのち、ロンタールは生まれたての子鹿のように震えて笑いを堪える。
「なんで……ぷはっ……そんなことに……」
「衝動的にやってしまいました……」
ロンタールはまた我慢できないとばかりに吹き出す。
「ははははっ、君はどうしてそんなに身体を張るんだ!」
「なんかひと笑いほしくて……」
サテラが気まずそうに言うと、もはや立っていられず、ロンタールは笑って膝を崩す。
色々と諸事情はあるものの、サテラはあえてすべてを伏せた。死者の魂うんぬんなどと説明すれば、せっかく生み出した笑いが台無しになる。
「君は、ほんとうにおかしな女性だ。王族の立場の者が、ここまでできるなんて」
息を整えて、ロンタールは立ち上がる。
「君は、ずっと自分を犠牲にしてた。自分で作った毒を自分で受け続けてる。その真珠も、きっとそうなんだろう? 周りの様子がおかしいとき、君は何か必ず仕掛けてくる──」
笑わせてくれるような何かを。そう言って、ロンタールはサテラを見ないように窓に視線をやった。直視すると会話ができなくなるのだろう。
「戦火が裾野を拡げている。その不安が周囲を蝕んでいる。だから、君のことだ。そんな状況の中で、周りを明るくしようとして鼻に真珠を詰めたのだろう」
ロンタールの考察に、サテラは胸をときめかせる。
なんて理知的に、良い方向に解釈してくれるのだろう。
だからロンタールは素敵なのだ。ネガティブな物事に深く洞察を入れてくれる。
「俺の顔面に肘を入れたのも、君のその炭鉱のカナリアのような性質によるものだろう。何か異変を察知して暴れてしまった。きっとそうだ」
語るロンタールの瞳を、サテラは少々の罪悪感を抱えながら見つめる。
無意識に感じていた死者の魂の乗っ取り。その抵抗にロンタールを巻き込んでしまったのは、とても申し訳ないことだ。
「改めて、ロンタール様。申し訳ございませんでした」
深々と頭を垂れると、ロンタールが首を横に振った。
「いいんだ。君のそんな衝動に薄々気がついていながらも、強引に外に連れ出してしまった私にも非があるんだ」
言いながら、ロンタールはしっかりとサテラを見つめた。
彼の視界に、鼻の穴で光る二つの真珠が写る。
その輝きを見てもなお、彼は笑うことなくサテラの肩に手を伸ばした。
「サテラ、愛してるよ。君以外、考えられない」
彼の温かな抱擁が、サテラをそっと包んだ。
「結婚しよう。ずっと、一緒にいてくれないか」
「はい、喜んで」
咲き誇るような笑顔で応えると──。
真珠がふたつ、ころんと淡い音を立てて絨毯を転がった。
◇
三ヶ月後──ロンタール邸の中庭。
初夏の午後は、庭のオレンジの花がよく香る。
その爽やかな香りに包まれながら、サテラは陽光に薬指をかざした。
「素敵……」
サテラが感嘆の息を吐くと、ロンタールも笑って応える。
「そうだね」
二つの真珠が、愛を誓い合った二人の薬指にキラリと光っている。
サテラの鼻に収まっていた真珠は、今や婚約指輪へと進化を遂げた。
「もう鼻に入れないでくれよ?」
ロンタールが椅子に腰掛けながら揶揄うように言うと、サテラはイタズラっぽく舌を出した。
「さあ? アナタが浮気でもしたら、鼻の中に戻してしまうかも」
言うと、ロンタールは腹を抱えて膝を打つ。
「はははっ、それは大変だ。気を引き締めてカナリアの君を見ていないとね」
歓談していると、背後でため息が一つ溢れる。
「まったく……」
メイド長ハリナが二人のカップにコーヒーを注いで、呆れ顔を浮かべていた。
「楽しそうで何よりでございます」
「ハリナ、もう……まだ不貞腐れてるの?」
「ちゃんとした挙式も行わず、ひっそりと身内だけで済ませてしまった。ウェディングドレスだって、母上のお下がりで済ましてしまったでしょう?」
あれから、二人が結婚してから三日ほど経過している。ハリナはずっとこの調子だ。
というのも、サテラの強い意向で、贅を凝らした結婚式は控えることとなった。
隣国が戦火が拡げていたこともあり、いつでも国民に施せるようにと、貴重な財源を確保した次第だ。
されど、ハリナは残念なのだろう。サテラが母親のお下がりではなく、ピカピカの純白のドレスに身を包む姿をどうしても見たかったらしい。
「戦争が終息したら、改めて式を挙げようか」
ハリナに気を遣ったのか、ロンタールがそんなことを言う。
「それは……いつになることやら……」
「そうしょげないでくれ。それについて、実は良い噂があるんだ」
ロンタールが妙に嬉しそうに指を掲げる。
「どうやら首脳陣が和平に向けて、動いているらしい」
「まあ、それは確かなのですか?」
「ああ、戦争を主導していた王妃が、ある日突然、人が変わったような振る舞いをするようになったとか。どうやら『戦争など愚か』と民衆の前で言い放ったそうだよ。なぜだか口調も変わり果てたのだとか」
ロンタールの語る報せに、サテラもメリナも目を合わせて口を半開きにした。
もしかすると、サテラが弾き出した死者の魂が、和平に導いてくれようとしているのか。
それとも別の魂か、違う事象か──。
「それと、これはほんのり聞いた噂なんだが……サテラ、君に会いたがってるようだよ」
「なるほど……式に招待するお客様が決まりましたね」
やはり、と、サテラの胸中はほのかな安堵に包まれる。
「いつか、お会いできる日が楽しみですね」
少しの間だけこの肉体と共にあったからだろうか。
良き友人となれるような、そんな予感があるのだ。
「ふふふっ」
「やけに楽しそうだね」
「そうですね。とりあえず良いアイディアを思いつきました」
彼女が笑ってくれそうなアイディアをと、サテラは薬指を見つめて肩を揺らした。
驚いてくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。
サテラは考えるだけで、胸が高鳴った。
◇
──おまけ──
魔術協会観測班 記録No.1457/記録者:ラウル・ノルティス
◇サテラ・ミネルヴァ(ミネルヴァ王家、第一王女)
人間と社会の異変を嗅ぎ取って、奇行に走る傾向。
よく人を笑わせようとする性格のため、国民からも親しまれている。
聞くところによると、戦争によって年の離れた兄を亡くしてから、そんな振る舞いをするようになったのだとか。
死者の魂の乗っ取りを察知し、奇行に拍車をかけた模様。
ただ、他者に陰湿な嫌がらせを行わなかったのは、彼女の強い意志によるものだろう。
非常に稀な症例により、引き続き観察経過をここに記す。
追記──チェンジリングの疑いあり。
前述した『異変を嗅ぎ取る能力』というのは、魔術でも再現不可能だった。
ミネルヴァの王は、彼女の奇行を見て、国に迫る危機を回避していたのかもしれない。
ゆえに、妖精である疑いは持っておくべきだろう。
◇ロンタール・ラムドール(ラムドール王家、第一王子)
他者の細かな感情の揺れに敏感な性質。
サテラ・ミネルヴァに乗り移っていた死者の魂の存在に、気がついていた可能性がある。
ラムドール王妃に雇われた魔術協会の裏工作に勘付いているため、要注意人物に認定。
彼の周辺を嗅ぎ回るのは避けるべきであると、同胞に伝える必要がある。
◇ハリナ・ヴィンセント(ミネルヴァ王家、筆頭使用人)
今回、死者の魂の乗っ取りに関して、彼女に疑われている。
後日、経過を聞きに訪問した際、サテラ・ミネルヴァとの面会を謝絶された。
これでは、王宮に入り込んで研究対象を持ち帰れない。
策を講じたいところだが、ロンタール・ラムドールの使者が私を探しているらしい。
また姿を変えて潜り込むか? いや……やめておこう。敵に回すには恐ろしい相手だ。
ゆえに、ひどく後ろ髪を引かれる思いであるが、この地を離れることにする。
……惜しいことだ。あの娘の笑顔は、どんな魔術よりも、人の心を揺らす。
ただし、もしまた〝奇跡〟が起きるのなら──再び、筆を取るつもりである。
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