27.告白後(1)
「あなたをお慕いしています。私の一生をかけて守ると誓う。結婚してください」
それは、突然すぎる告白だった。
アランからの告白を受けて、シンシアは混乱した。
告白をした側のアランとしても予想外だったこの告白は、された側のシンシアとしても、もちろん予想外だった。
告白と求婚のタイミングは非常に悪かった。
ハリーが弟だとバレて、シンシアの中はその事で既にいっぱいいっぱいだった。
ハリーはどうなってしまうだろう、という心配と、でもアランならきっと悪いようにはしないだろう、という思いに加えて、自分はそんなアランに対してずっと嘘をついていたのだという罪悪感。
傍らには自分のスカートを握りしめるハリーもいて、とにかく、アランに嘘をついていた事を謝らなければと考えていた時の、告白とプロポーズだった。
(結婚……って、言った……)
シンシアは唖然として、跪く男を見る。
シンシアは、アランの自分への優しさと好意に気づいていなかった訳ではない。
しかし優しさはどこまでも施しに似たものであると思っていたし、“好意”も“厚意”なのだと思っていた。
いや、思おうとしていた。
怖かったからだ。
少しずつアランを頼って、惹かれている自分に気づき、期待してしまうと後が辛いと分かっていたので怖かった。
シンシアはアランに惹かれていた。
胸だって何度か高鳴ってしまっている。しっかりと惹かれていたのだ。
アランは自分とハリーを侯爵邸で保護して、食事と服を用意してくれ、ハリーには教育まで施してくれている。
財力と権力を持ち、頼れる美形の若い男。
誰でも惹かれるだろう、リディアだってそうだった。
もちろん、それもアランの魅力の一部だ。シンシアがアランのそういった部分に惹かれていたのであれば、きっと怖さはなかった。それは上辺だけのもので、憧れに近い想いのままでいられるものだからだ。
でも、シンシアの想いはアランの上辺に寄せられたものではなかった。
シンシアのアランへの最初の印象は、冷たく、とっつきにくい得体の知れない人、だった。アランは子爵邸に間諜としてやって来ていたのだからこれは当然だ。
ただ、常識的で丁寧な態度のアランに嫌悪はなく、自分とハリーを侯爵邸で保護してくれたアランを、高位貴族の責任感に溢れる人なのだと尊敬はしていた。
印象が変わったのは、アランがハリーに向ける柔らかい笑顔や、虫に“さん”付けしながら丁寧に生態を説明する所を見てからだった。
小さなハリーに、いちいち真面目に付き合うアランにシンシアは人としての好意を抱くようになる。
アランの自分への優しさや気遣いに触れ、素直に嬉しかったし、見かけによらず心配性な面もあって、微笑ましいと感じたりもした。思えば、この頃から惹かれてはいたのだ。
意識したきっかけは、騎士団へ呼び出された初日のエスコートだったと思う。
傍らにアランが居るのが、本当にありがたくて安心出来た。この人を信頼してもいいなとシンシアは思う。
シンシアはこのエスコート以来、アランが側にいると気持ちが温かくなるようになった。
男性にエスコートされた事がないからそうなるのかと思っていたが、王太子フィリップにエスコートされた時は同じ様には感じず、アランでない事に寂しさすら感じた。
フィリップのエスコートでは何も感じなかった辺りから、シンシアはアランに異性として惹かれているのでは、と考えるようになる。
一度、そのように考えると怖くなった。
自分はどうやら、アランに必要以上に惹かれているようだ。
この気持ちを育ててはいけないと思った。
この気持ちが大きくなれば、辛い思いをするのが分かりきっていた。
シンシアがアランに惹かれる理由はたくさんあるし、惹かれない方がおかしいくらいだが、アランが自分に惹かれる理由は全く無いからだ。
シンシアだってアランに惹かれているのを自覚してからは、侯爵邸に来た当初にステラに言われたアランの“下心”が本当にあればいいな、と思ったし、まさに今日、イザークに匂わされたアランの自分への気持ちも、期待しない訳ではなかった。
浅ましいとは思うが、期待はしてしまった。
だが、絶望的なまでにアランが自分に好意を寄せる理由がない。
どう言い訳しても自分は罪人で、しかも、もうすぐ平民だ。ハリーを守る為とはいえ子持ちという事にもなっている。
絶世の美女でもなく、性格は融通がきかない。
好意を寄せられる理由は皆無だ。
周囲がいろいろ勘ぐって言うのは簡単で、だけど違った場合、傷つくのはシンシアなのだ。
おまけにアランに惹かれているシンシアは、イザークの言う通りに、アランの自分への眼差しが特別なようにも感じてしまう。
自分への眼差しは、リディアに向けていた底冷えのする視線とは明らかに違うとは思う。
でもアランはハリーにも慈愛に満ちた目を向けているし、ステラやケイティへの目付きも穏やかだ。
リディアの場合は特殊な事情があったし、一般的な淑女へのアランの態度はもっと柔らかいのではないのだろうか。
だから、特別に感じるのは自分の期待によるものなのだと言い聞かせて、イザークの言葉にはとぼけて答えた。
とぼけて答えて、さっさと仕事に戻るようにと窘めた。
今日、シンシアは騎士団で帳簿に向き合いながら、アランにとって自分が特別な訳はない、思い上がってはいけない、と自分を戒め、これ以上アランを好きにはならない、と誓った。
そしてバンツ嬢と遭遇し、彼女には容赦なく冷たいアランを見て、あの令嬢は思い上がった自分の末路だと思った。
シンシアは、アランの優しさはどこまでも義務感からくるものだと、自分の中の恋の萌芽のようなこの気持ちは勘違いなのだと、思い込む事にしたのだった。
そのアランが今、自分に跪き、結婚を申し込んでいる。
シンシアは混乱した。
いや、正確にいうと、大混乱した。
(慕っている? うそ……え? )
喜ぶような余裕はなかったし、この時点では、今聞いた告白が本当だとは信じられなかった。
更に、ハリーが弟だとバレた事で、大きく乱れていたシンシアの頭は、いきなり言われた“結婚”の二文字に収拾がつかなくなる。
互いの気持ちについては、考えられなかった。
シンシアはいきなり目の前に現れた“結婚”という事象についてだけ考える。
そもそも、貴族の結婚ともなると、気持ちだけの問題ではない。自分は平民になるのだ。
侯爵令息と平民の組み合わせは、無理がある。
そして、侯爵夫人はおそらくシンシアを快く思ってはいない。ステラは夫人が歓迎していると言っていたが、一度も挨拶していないシンシアを良く思っている訳がない。
おまけに、シンシアは罪を犯した身で、ハリーの事で嘘もついていた。
アランと自分との結婚には、無理と困難しかない。
(とりあえず、結婚は、無理だわ)
シンシアは感情を排除して、ひたすらに客観的に現実的に考えて、結婚は出来ないという結論に至る。
シンシアとしては、アランのプロポーズに対して冷静に考えて出した答えのつもりだったのだが、後から考えると、この時の自分は全く冷静ではなかったし、この時の自分の返事もひどかったと思う。
後年、ステラと、ステラから話を聞いた侯爵夫人にこの場面を何度も揶揄われる事になるのだが、でも、この時のシンシアはこう返事することしか出来なかった。
シンシアはきっぱりと答えた。
「無理です。ごめんなさい」
一刀両断で端的にシンシアはプロポーズを断った。
「「「「…………」」」」
ダイニングが恐ろしいほど静かになる。
ハリーと侍女達は、ただ驚いてどうしたらいいか分からなかった。
ステラはとにかく黙っていようと思った。
シンシアは混乱のあまり、自分が何を言ったのかも、あんまり分かっていなかった。
なので、静まり返ったダイニングで最初に動いたのは、自身でも思いもよらないプロポーズをしてしまって、今まさに振られた所のアランだった。
「……困らせてしまいすみません。伝えるつもりのない気持ちでした。忘れてくださいとは言えませんが、気にしないでください」
強靭な精神力で優しい笑顔を作ってアランが言う。
「お茶にしましょうか。ハリーの事についてもきちんと聞きたいです」
涼やかとも言える様子で立ち上がると、何もなかったかのようにステラの為に椅子を引く。
「えーと、大丈夫? 私がいない方がいいなら、退散するわよ」
戸惑うステラ。
「いえ、おそらく、ステラ女史がいた方がシンシアは気楽かと…………もしシンシアが気まずいなら、私が退散しますが?」
後半はシンシアに向けて聞かれた。
シンシアは弾かれたようにはっとする。
「いいえ! 居てください、ハリーの事を説明させてください」
ハリーが弟である事、そして嘘をついていた理由は、誰よりもアランに説明するべき事だ。
ここからアランを追い出すなど、出来る訳がない。むしろ絶対に居てもらわないと困る。
シンシアは、混乱を続ける頭をなんとか整理して、アランの告白とプロポーズは置いておき、ハリーの事をきちんと話す事に集中した。
シンシアはアランにも座ってもらい、ハリーを自分のすぐ側に座らせると、ハリーが亡くなった子爵とシンシアの母の間の子供で正真正銘の弟である事、ハリーの出生届が出されていない事とハリーの年齢、子爵邸に騎士団が踏み込んだ朝にとっさに嘘をついた事について話した。




