25.露見(1)
今話と次話、アラン視点です。
「あらあら、答えられないのねえ、答えられないような人なんでしょう? キリンジ様にはどうやって言い寄ったの? 言い寄ったのでしょう? だってあなたは、考えるだけでおぞましい相手にも体を許すような身持ちの緩い女ですものね、実の」
騎士団の廊下で、シンシアに絡んでいる令嬢のその言葉を聞いて、アランは背筋が凍った。
その下衆い最低な噂は、絶対にシンシアの耳に入れたくないものだった。
ごくごく一部でされている品位のない最悪な戯れ言だ。
彼女が聞くものではない。
聞いてしまったら、驚いて、苦しい思いをするに違いない。
そして、もっと恐ろしいのは―
それが、真実だった場合だ。
もし、最悪の噂が真実だったら?
だとすれば、それをこんな場所で告げられて彼女はどれだけ傷つくのだろう。
想像すれば、どんなにシンシアが傷つくかは分かるだろうに、最悪の噂を告げようとしている赤いドレスの女。
同じ女性なのに、なぜそんな真似が出来るのか。
配慮の欠片すらないその令嬢に殺意すら抱いて、アランはシンシアの横に立った。
赤いドレスの令嬢は知っている顔だった、少し前にアランにしつこく言い寄ってきていた女だ。
女がシンシアに絡んだのは、訳の分からない嫉妬や逆恨みの類いなのだろうと察しがつき、アランは殺すつもりで令嬢を睨んだ。令嬢は簡単に泣いた。
泣きたいのはこちらだ、お前が何を泣いているんだ、と苛立っていると、騎士達が気を遣って、アランとシンシアから令嬢を遠ざけてくれた。
騎士達の態度から、赤いドレスの女に呆れて、シンシアを労っているのが分かる。
自身の受けた仕打ちを声高に主張せずに罪に向き合い、粛々と役目を全うしようとするシンシアに、騎士の多くは好意的だ。
当初はシンシアに好奇の目を向けていた彼らだが、今では憧憬の目を向けている者もいる。
普段はそういったシンシアへの好意は鬱陶しいだけだったが、今回ばかりはありがたかった。
アランは騎士達に礼をすると、一刻も早くシンシアを令嬢から離したくて、さっさとその場を後にした。
帰りの馬車で、令嬢がシンシアに絡んだ理由を説明して謝罪する。
アランの側の事情で変な事に巻き込んでしまったのが、悔しくてやるせない。何度も謝るとシンシアは「気にしてません」と困った笑顔で言った。
アランが近くに行くまでに、あの女がどんな事をシンシアに言ったのかきちんと知りたかったが、シンシアには返答を濁されてしまった。
濁すほどの言いにくい事を言われたのではないか、と考えるとアランの気持ちは沈んだ。
とにかく早くシンシアに休んでほしくて、屋敷に着いてすぐに部屋まで送ると「ハリーとお茶の約束をしてるんです。あなたとも」と遠慮がちに言われた。
シンシアを案じるあまりに、お茶に誘われていた事を失念していた自分が情けない。
「無理をしていませんか?」と聞くと、「していません。楽しみにしていたんです」と返ってきたので、アランはシンシアをダイニングに座らせてハリーを迎えに行った。
楽しみにしていた、というシンシアの顔に無理はなさそうだった。昼間の行きの馬車で嬉しそうにアランをお茶に誘ってくれたシンシアが浮かぶ。
気持ちを切り替えて、シンシアとハリーと午後をゆっくり過ごそう、とアランは思った。
せっかく楽しみにしていてくれたのだから、自分がいつまでもあんな女の事を引きずっていても仕方ない。
アランはそう決めてハリーの部屋の扉をノックした。
返事はなかった。
名乗ろうかとも思ったが、以前にハリーの昼寝中に邪魔をしそうになった事を思い出す。アランは名乗らずにそっと扉を開けた。
カチャリ、と控えめな音をたてて扉を開けて中へと入る。
「あーねうえ!」
耳に入ってきたのは、楽しそうなハリーの声だった。
「ハリーはどーこだ!」
部屋にハリーの姿はない。くすくす笑いと共にその声だけが部屋に響く。
あ ね う え
その4文字がゆっくりとアランの頭に染み込んだ。
あねうえ?
「姉上ー?ハリーを探してくださいよー」
焦れったそうにハリーが催促する。
再びアランの頭に染み込む4文字の“あねうえ”。
アランは自分の頭がバラバラになったような感覚に陥った。
頭の前の方では、どうやらこれはかくれんぼだと察している。部屋の壁から不自然に離された低い本棚を認識し、その後ろから聞こえてくるハリーの声にも気づいた。
あの本棚、一人で動かせたのか、凄いじゃないかと感心し、ベッドの上、おそらく枕を使ってわざと布団を膨らませているのを見て、小技を利かせているな、と笑みも漏れる。
そして頭の後ろの奥の方には、“あねうえ”の4文字が張り付く。
(あねうえ? あねうえ、とは、姉上か? …………え?姉?)
「姉上?ここだよー?」
ハリーの声が少し心細そうになる。
何か返事をしなくては、とは思うのだがアランは頭がバラバラで上手く対応が出来なかった。
「…………」
「…………」
部屋の中を沈黙が支配する。
「…………あねうえ?」
そうっと本棚の裏から金髪の天使が覗く。
ひょこっと顔を出したハリーは立ち尽くすアランを見て、「あっ」と小さく悲鳴をあげた。
お読みいただきありがとうございます!
余韻を壊さないようにと、かなり後方よりあとがきを書いております。
やれやれ、やっとバラせた。約九万字かかった……。皆様、お疲れ様です。
ブクマに評価、いいね、感想いつもありがとうございます。そして誤字報告。誤字報告、いつも本当にありがとう!
感想、どれもドキドキと読んでおります。
「ふふ、違うよ」とか「なるほど……すみません」とか「ああ、作者の描写が足りてない」とか「その通りです」とか「この人、エスパーでは……」とか「あ、嬉しいなぁ」と、本当に楽しんで、時には反省して読んでいます。いつもありがとうございます。
お気づきかと思いますが、バンツ嬢はアランがシンシアを気遣って、ハリーを一人で呼びに行くきっかけ作りの為だけのかませ犬です。作者都合で、THEなろう的な汚れ役になってもらいました。申し訳ない。
汚れ役、書くの苦手なのですが、感想を読むにしっかり嫌われていてほっとしています。
この後は、出来れば反省して改心して、宥めてくれた年上やさぐれ騎士の一人とでもツンツンしながらくっつけばいいな。
「あんたなあ、あの絡み方は悪手だよ」
「な、なによ!あなたなんかに何が分かるっていうのよ!」
からの、みたいな。




