ガラン=アドゥナ 三
「ニムは変わったのね──」
ミル皇女は一息ついてティーカップをテーブルに置き、言葉を続ける。
「──話は変わるけれど、このガラン=アドゥナとセア辺境伯領の領民と、魔族領の獣人などの亜人種が混在しているのよね?」
「そうですが、こちらはセア領民の中でも、各村落でもスラムで生活していた貧困層が、北ファルタを追われてこちらに移り住んでるの」
ミル皇女の問いにメル皇女が答えた。
「その北ファルタは──」
ミル皇女は北ファルタについてメル皇女から聞き出すことに。
北ファルタは帝国軍の侵略で住まいを失ったセア辺境伯領の貴族や領民たちが移り住んでいる。
当初は俺が一週間以上かけてファルタ──今は南ファルタと呼んでいる──のスラムの住人や避難してきた平民をカイルとキウロの協力で漁船で川を渡し、帝国軍から逃れた。
貴族たちはファルタの宿で寝泊まりして帝国軍の急襲を喰らい、ゴンド様を始め多くの貴族たちが命を奪われる。その生き残りがミローデ様とニコア、それと、数名の貴族たち。
当初は皆まとまって生活をして開拓をして、畑を耕し、家を建てた。だけど、町が発展し食糧などが行き渡るようになり、生活にゆとりができると、貴族たちの権力が強まり、まずは南ファルタの旧住民を郊外に追いやった。
貴族を蔑ろにしてファルタ川を渡ったから──という理由で。
メル皇女はニム皇女とふたりで、ラプス・イル・ジノ伯爵から事の詳細を伺っている。
ラプスの言葉には俺の名前も含まれていて、彼は俺を排除するべき人間としてメル皇女に熱く語った。
──クウガを引き渡してほしい。
メル皇女は反対し、交渉は決裂。その場で帰ろうとしたときに母さんやレイナと合流したそうだ。
北ファルタは今や、帝国貴族と平民の間で軋轢が生じている。
平民が帝国軍から逃れて生き延びるためにファルタの大河を渡ったように、反対勢力に近い帝国の貴族たちもラプスたちを頼って北ファルタに逃げ延びた。そうして貴族たちは権力を強化。
裕福な平民を取り込んで、そうでない平民を市街地の外へ外へと追いやった。
そこ──北ファルタ──から弾き出された貧民がここ、ガラン=アドゥナに移住している。
「そう……ラプス・イル・ジノ伯爵は魔族領に亡命したというのに帝国貴族として振る舞っているのね」
ミル皇女は言葉を区切ってティーカップに口をつけ、ゆっくりとした動作でティーカップをテーブルに置く。
メル皇女も話し続けて喉が乾いたのか、コクコクと小さく喉を鳴らしてお茶を飲んだ。
「だから、私、今は帝国を追われた身ですからと断ったの」
ラプスが俺を処刑するつもりだとメル皇女とニム皇女に言ったことをメル皇女は断ったと言葉にする。
それから、ミル皇女は後ろに立っていたニコアに隣に座るように合図して──
「ニコアからも言うことがあるんじゃないかしら?」
と、隣に座ったニコアに言う。
ニコアは「はい」と頷いて、北ファルタに渡ったときのことを言葉に綴る。
クウガが主導していたことは今、初めて知った。
けど、クウガを責めるつもりは私にはない。
父──ゴンド──が帝国軍が建造した軍港と造船途中の船で貴族だけを乗せて対岸に渡ろうとしたこと。
家の名前だけ残しても、貴族を支える民が居なければ貴族として生きていけないというのに。
祖父──ガレス──が生きていたら、そんな考えには至らなかっただろう。
家族を殺した異世界人を私は許すことはできないけど、対岸に先に渡った平民は何も悪くない。
クウガだって家族と再会するために友達を頼ってファルタ川の対岸に渡れるように動いてた。父と違ってクウガは自分のことを後回しにして周りの人々を先に避難させたというだけ。
そんなようなことをニコアは言葉にして、
「お祖母様はとても怒ったけど……」
と、言葉尻が消え入るように言い終えると、レイナはおなかをさすりながら、
「お父様なら間違いなく民を先に避難させてから逃げたわね。お兄様はそういうところは似なかったのよね」
と、ニコアに続いた。
最近のレイナはよくおなかをさする。
ニコアは領民学校時代からそういうところがあった。目上の人に逆らえない性格で自分の考えを主張しない。だから、ミローデ様がニコアを俺から遠ざけても俺はニコアのことを責めたりしたことはなかった。
それにそもそも俺とニコアでは生きる世界が違う。
「この十年、二十年。帝国貴族の腐敗が進んだことが問題だわ。そんなときにラナ様が名を挙げて私たちに大きな影響を与えてくれたことはまさに僥倖。私たちの……王侯貴族としての背負うべき責任を再認識させられたもの」
レイナが言い終えるとミル皇女が発言。
母さんのことは領民学校の推薦図書になっているけど、これはどうやら帝都の学校でもそうらしくて帝都の貴族の子女の間では未だに根強い人気を誇っているそう。
「私はそんな大したことしてないよ」
と、母さんは言う。
──ただ、ちょっと竜が居たからとかシーサーペントが出たとかで退治しに行っただけだし
小さな声で独り言ちて誰の耳にも届かないけど、普通の女の子はそんなことできないから。
「魔都に逃げたセア辺境伯領民の間でも、爆炎の魔法少女が神話級の魔法で帝国軍の追っ手を阻んだと話が広まってるわね。ラナ様の活躍が再び広まると思うと心が踊る思いです」
母さんはセルム市から逃げるときにとても大きな魔法を使ったらしい。
地面をとても大きく深く抉る大爆発と高温の炎で帝国軍を蹴散らしたという。
それでセルムから北に逃げた人たちは追っ手が来ることなく魔族領入りしたのだとか。
母さんが凄い魔法を使ったというのはレイナやリルムから聞いていたけど、ミル皇女の口ぶりからして実際はもっと凄いことになってそうだった。
ミル皇女に称えられる母さんだけど、本人はそうではなく、眉間にシワを寄せて顔を顰める。
「今思えばあんな魔法を使わなくても逃げることができたし、気を失って旦那に悪い虫をつけたのは本当に後悔してるわ」
母さんは舌打ちしそうな表情でそっぽを向くと、結凪が申し訳無さそうに母さんの肩に手を置いた。
「ごめんなさい。あの時、私がもう少ししっかりしてたら……」
「いや、良いんだよ。私も大人気ないって思ってるところだから」
母さんが大人気ないと言うのは父さんに対する独占欲で異性が近付くことに不快感を隠さないこと。
異世界人の価値観から言えば独占欲はあって当然だし、妻がいるのに他の女に手を出すのは浮気者として非難の対象になるけど、この世界ではそうではない。
コレオ帝国の平民だけかもしれないけど、結婚なんて制度はないから、家庭や家族は血の繋がりと良心で成立する。
だから、自分のパートナーに対して子どもが欲しいと言い寄る女性を断るというのは平民の間では非難の対象になり得た。
子どもに手がかからなくなり、子どもを作る気がない女性がパートナーを引き止めて、他の女性の希望を聞く耳を持たないというのは、コレオ帝国の平民から見るとみっともないとされる。
母さんが自身を大人気ないというのはそういうところ。
俺たち平民と異世界人では物事の価値観がそもそも異なる──はずだけど、不思議なことに父さんを巡る女性たちは諍いを起こすことなく父さんと過ごしている。クレイというガス抜きはあるものの。
そして、それは結婚制度がある貴族の間にもあるようで──というのをレイナから一度だけ聞いたことがあった。
平民でも帝都や領都など人口が多いところに住んでいるとほぼ一夫一妻だし、ファルタのような田舎町なら乱婚状態で、ファルタで育った父さんとセア領の領都であるセルムで育った母さんとの考え方の違いもあっただろうけど、父さんは異世界人の女性たちとそういった感じで過ごすことは望んでいなかったようで、長い旅の間で異世界人の女性たちの熱意に母さんが根負けして何も言わなくなったそうだ。
異世界人というだけで皇族と同等の身分であり、それぞれが高位の宮廷貴族として扱われ、それが女性だったとしても女当主として振る舞うことを帝国では許された。
彼女たちはその地位を利用して、父さんを母さんから借りる体裁にしたのだとか。
領民学校でも父さんは様々な女性に言い寄られてたけど、その殆どが結婚している女性や婚約者がいる女性。母さんが父さんに近付く女性を遠ざける理由が作りやすかったように思う。
異世界人は独身で子どもを産めるギリギリの年齢。子どもが欲しいけど相手がいないというのもあり、反対したり拒否するのは難しかった。
「ユイナとハルカは子どもが欲しいって思わないのかしら?」
言葉が途切れたタイミングでミル皇女が結凪と柊に聞く。
「私は今は良いかな……ようやっと落ちつてきたし、もう少ししたら踏ん切りがつけられそうだから、それから考えるよ」
と、結凪が答えたら柊は胸を張って大きな胸を揺らしてとんでもないことを言う。
「わたしはクウガくんに作ってもらうよ! クウガくんが成人したら好きにして良いってラナちゃんの言質とってあるし!」
母さん……いったい柊にどんなことを言ったのか。
今までだったら「クウガはあげない」って守ってくれたのに。
「びっくりしてるみたいだけど、クウガは今度の誕生日で成人だよ? 私の息子なのは変わらないけど、甘やかせていられるのは成人までだからね。十五歳になるころに独り立ちしてもおかしくないんだから」
母さんが不服そうにしてた俺に言った。
考えてみたらカイルとキウロは十二歳十三歳にはもう働いてたらしいし、俺も働いていておかしくない。
コレオ帝国では十五歳で成人となり、貴族の子女はその頃には将来がほぼ決まってるという。
平民なら十五歳くらいでパートナーを作って子を育むといったこともある。
なので、母さんのいうことはごもっともなこと。
「それはそうかもしれないけど……」
俺の視線に気が付いた柊は自慢げに胸を手で揺すって俺を揶揄う。
「わたしはいつでも良いんだよ?」
柊ってこういう人だったのか……。もしかして、前世の世界でもビッチだった?
なんて思っていたら、母さんに頭を引っ叩かれた。
「女性に失礼だよ!」
スパンという良い音とともに。
それを見てケラケラと笑う柊と、頬を膨らませて俺を見る結凪とミル皇女。
ニマニマしながらメル皇女はまんざらでもなさそうな顔をして、
「失礼ということはないわ。男性なら女性をそのような目で見るのは然るべきことですから」
と、胸を張って嬉しそうにしている。
メル皇女の言葉に、ミル皇女と母さんは「ぐぬぬぬぬ……」と言葉を返せず。だけど結凪は俺に
「クウガくんもやっぱりそうなの?」
と、聞いてきた。
俺と目が合うと腕を組んで脚を組み替える。ちらりと覗く太ももが艶めかしい。
なんだかわからないけれど、負けたような気がしてならない。
結凪はこういうことをする子だったのかと違和感があったけど。
「嗚呼、こういうことでも目を引くことができるのね」
声の出処に目を向けたらそこはミル皇女。
結凪の真似をして背もたれに背を預けると、スカートを膝まで捲ってから俺の目の前で脚を組み替えた。
見えてはいけない淑女の下着が見えるような気がして思わず目を背けてしまい……
「こうしたら、気を引くことができるのね」
と、楽しそうにミル皇女はクスクスと小さく笑う。
大人の女性に揶揄われる幼気な少年──今の俺はそんな立場で針の筵。
そんな俺を他所に、レイナはおなかをさすりながら高みの見物を決め込んで、ラエルはリウと話しながらナイアと静観しているようだった。
それから彼女たちは歓談を交わし、和気藹々とした時間を小一時間ほど。
お茶を淹れ直して、カップの底が見えると、ミル皇女はスカートをつまんでソファーから立ち上がった。
「クウガ。少し外を歩きたいわ。付き合ってくれるかしら」
周りには他にもたくさんの女性がいるのに。
母さんは「行っておいで」と口にしていて断るに断れない。
「……わかりました」
少し間を置いてしまったけど、応じるしかなかった。
「では、着替えてくるから待っていて。さすがにメルの服は私には大きかったわ」
独り言のように言葉を置いて「ニコア、ついてきて」と言って二階のメル皇女とニム皇女の部屋に向かった。
ミル皇女がニコアと一緒に居間からいなくなると、メル皇女が俺に言う。
「お姉さまのことよろしくお願いするわね。きっと、これからしばらくの間、心を休ませられる時間と場所はないでしょうから」
メル皇女は立ち上がって俺に向かって歩いて近付き、俺の胸に手のひらをそっと置く。
少しだけ俺のほうが背が高いけど、だいたい同じくらいの背丈だから、こうして向かい合っていると自然と目が合う。
「わかりました。善処します」
「善処だなんて堅苦しくしなくても良いわ。お姉さまのこと、楽しませてあげて」
そう言われても、見て楽しめるようなものは何もないのに。
だと言うのに、メル皇女は可愛らしく微笑んで俺の胸に置く手を撫で下ろす。
目線が近い所為で俺の心臓が早鐘を打つ。メル皇女に伝わっていそうだし、気付いてそう。
居間から出るメル皇女の後ろ姿を見送ってしばらくすると、ミル皇女が一人で居間に戻った。
「待たせたわ。では、クウガ。お願いするわね」
ミル皇女はそう言って俺に手を差し伸べる。




