一方、その頃~パニス村の暴走~
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……ここはパニス村。
今やすっかりこの国を代表する温泉地となった、のどかかつ個性的なこの村であるが、その村の一角でため息を吐く者があった。
「アスマ様、帰ってこないなぁ……」
しょんぼりと肩を落とし、ため息を吐く金髪のエルフ……にも見えるが、実はハーフエルフであるところの彼女、ミシシアさんは、手慰みにミューミャを撫で、その柔らかな毛に指を埋めていた。
ミシシアさんのため息に、ミューミャはミューミュー鳴くばかりで返事などしてはくれない。だが、ふわふわ、ぬくぬく、とした毛玉は確かにミシシアさんを元気づけることに成功しているようであった。
「ミシシアさん。ここに居たのか」
そんな彼女の元を訪れたのは、すっかりパニス村に馴染んだリーザスさんである。こちらはこちらで少々しょげた様子ではあるが、ミシシアさんよりは『チャンとしていなければ』と動いているらしかった。
「あ、リーザスさん。……うん。ここで待ってたらアスマ様が戻ってくる、ってわけじゃないのは、分かってるんだけどね……なんとなく、落ち着かなくて」
ミシシアさんは、しょんぼりしながらダンジョン入り口……と言われている、例の洞窟入り口を寂しげに眺めている。
彼女が座っているデカいスライムも、ぷるるん、としながらどことなく寂しげである。いや、寂しげではないかもしれない。何せスライムなので何を考えているのかは分からないのである。
「……そうだな。俺も寂しい」
そしてリーザスさんもそう言って苦笑すると、よっこいしょ、と、そこらへんのスライムに腰掛けた。スライムは少しばかり迷惑そうにもよんと揺れたが、後は大人しく、クッションの役割を全うすることにしたらしい。
「アスマ様、ちゃんと元の世界に帰れたのかなあ」
「ああ。きっと帰れただろう。何せ、アスマ様だからな」
「だよねえ。あのアスマ様だもんねえ……。きっと、向こうの割れ目から『ただいま!』とか言って元気に飛び出してるよね……」
ミシシアさんは少しばかり笑ってそう言うと、ふと、また表情を曇らせた。
「……アスマ様、ちゃんと戻ってきてくれるかなあ」
そしてぽつんと零れた言葉は随分と不安そうに揺れていた。それこそ、ミシシアさん自身も戸惑うくらいに。
「向こうの方がいいや、って、なっちゃわないかなあ。もう一回くらいは、ちゃんと、お喋りできるかなあ……」
「……できるさ。アスマ様は約束を破る人じゃあない。信じて待とう。いつになるかは分からないが……向こうからきっと、研究を続けてくれる」
リーザスさんは、ぽふ、とミシシアさんの肩を叩いてそう言う。だがその言葉も、自分自身に言い聞かせるためのものなのかもしれない。
「うん……信じて、待つ、かあ……」
ミシシアさんは空を見上げて、そしてまた、ため息を吐く。
「あーあ、私、こんなに時間を長く感じるの、初めて!アスマ様が帰っちゃってから、まだ1日しか経ってないのに!」
「まあ、ずっと一緒に居たからな。その分、違和感も大きいさ。特に、アスマ様は1人で10人分くらいの印象の強さがあったからな……」
結局、2人揃って空を見上げて、一緒にため息を吐くことになる。2人の話は堂々巡りの様相を呈してきた。そして2人共に、その自覚はある。
「……難しいね。信じて待つ、って」
「信じて、待つ、か……。そうだな。何かを信じるということは、とても難しいな。特に、いつ訪れるか分からないものへの祈りというのは、神への祈りにも似ているかもしれない」
「神への祈り、かあ……」
2人はぼんやりとそんな話をして、それから……ふと、どちらからともなしに、手を合わせる。
このポーズは、アスマがよくしていたものだ。『ありがたや、ありがたや……』と言いながらこのポーズでエデレさんを拝み、『すまん……許せ……』と言いながらこのポーズで自分の脳の複製を運ぶ騎士達をそっと見送り、『ナマステ……』と言いながらこのポーズでスパイスたっぷりの煮込み料理を拝んでいた。
……結局よく分からないままだったが、恐らく、このポーズはアスマにとって、祈りのポーズだったのだ。だから2人とも、アスマがそうしていたように手を合わせる。
そして。
「アスマ様が早く帰ってきますように!」
「アスマ様が元気に研究していますように!」
2人とも、そんな祈りの言葉を発して、ダンジョン入り口に向かって祈った。
……気休めである。気休めでしかない。だが、気が休まらない2人にとっては必要な祈りなのである。
それ故に……神への祈りにも似ている、のかもしれない。
「あら、2人ともお祈りしているの?」
そこへやってきたのはエデレさんである。彼女は彼女で、やはり少しばかり憔悴した様子であった。アスマが帰ってしまった日の夜など、ミシシアさんと抱き合ってしくしく泣いていた程なのである!
「あ、エデレさん。エデレさんもお祈りする?」
「ふふ……そうしましょうか。そうしたら私達の祈りが届いて、私達のちび神様が戻ってきてくれるかもしれないし……」
エデレさんはそう言って笑うと、『こう?』と首を傾げながら、ミシシアさんやリーザスさんがしているように手を合わせ、祈る。
「アスマ様が、また笑顔を見せてくれますように!」
気休めでしかない祈りだが、それでも、多少は心を落ち着かせるのに役立つ。エデレさんも祈りを終えると幾分、晴れやかな面持ちになっていた。
……そして。
「おう、皆揃ってお祈りかい!?」
そこへやってきたのは、風呂上りであるらしい冒険者達である。彼らもすっかりパニス村に馴染んでしまったが故に、このような光景を見てすぐ『ああ、アスマ様が時々やってた謎の祈り!』と理解したらしい。
「祈るぜ祈るぜ!俺も祈るぜ!」
「そうだねえ。私達も一つ、我らがちび神様にお祈りしていこうか!」
「ヒャッハー!お祈りの時間だぜェエ!」
……そうして、『アスマ様さっさと戻ってこいやァ!』『戻ってこねえと高い高いの刑だぞゴラァア!』と、脅しにしかなっていない非常にガラの悪い祈りが捧げられた。
更に、この治安の悪い祈りを聞いた他の冒険者達も『なんだなんだ』『祭りか?』『いや、祈りだな』『ようこそ!ここはお祈り会場だよ!』と集まってくる。
そして、じきに彼らも祈り始めて、『アスマ様戻っておいで!でないと目玉をほじくるよ!』だの、『アスマ様出てこい!出てこいよオラァ!』だの、『アスマ様出てきてね!すぐでいいよ!』だの、すぐに祈り始めた。
……祈りだけ聞いていると非常に治安が悪いようだが、これでいて非常に治安がよろしいのがパニス村の持ち味である。
「ふふふ……こうしていると、本当に祈りが届くかもしれないわねえ」
祈りというよりは怒声が飛び交うようになってしまったダンジョン前受付近辺であるが、エデレさんは穏やかに微笑みながらその光景を見つめていた。
すっかり賑やかになったパニス村の光景は、アスマが居た時のことを思い出させるのだろう。そして何より、活気が生まれたパニス村の様子は、祈りおよび怒声を発するそれぞれをも元気づけるものなのである。
「そうだな。むしろ、既に祈りの効果はあったのかもしれない。少しばかり、元気が出てくるような気がする」
リーザスさんも笑いつつ、この元気なお祈り会場を見守る。彼もまた、元気が出てきたらしく表情は先程までよりずっと明るい。
そして。
「……届くかも」
ミシシアさんは……気づいていた。
「……祈りは、世界樹に、届いて……『曖昧に』してくれる、のかも……」
『祈り』の意味に。
「皆!もっと祈ろう!祈って、アスマ様に帰って来てもらおう!」
ミシシアさんは、皆の祈りの声を掻き消さんばかりの大声で、そう言った。
その若葉色の瞳には、今や、強い意思が宿っている。希望を思い出した彼女は、もう誰にも止められない。
「祈ったら、それが本当になるかもしれないの!せか……ええと、このダンジョンには、その力が眠ってるの!」
世界樹のことを言う訳にはいかない、と踏みとどまりつつ、ミシシアさんは必死に訴えかける。
……祈りおよび怒声を上げていた面々は、ぽかん、としてミシシアさんを見つめ返す。
それもそのはず、『祈り』が何かを変えるかもしれない、など、この世界においても十分すぎるほどのファンタジーである。そして元々、このパニス村は、『祈りを捨てた者』達の集まりなのだ。
かつて存在していた教会に嫌気が差し、ここで暮らすことを選んだ者は多い。『祈り』への嫌悪がある者も多いだろう。
そして何より……『祈れば救われるかもしれない』などと本気で思って祈る者は、ここには居ないはずなのだ。
だが。
「じゃあ準備だな!建てるか!」
「私も手伝うよ!」
「祭りか!祭りだな!?ならば祭らねば!」
「歌うぜ歌うぜ!俺は歌うぜ!」
集まっていた面々は、皆それぞれに『わーっ!』と喜び勇んで駆けていった。
残った者は、『儂、建築はちょっと厳しい……』『儂も……。じゃあ祈っておきましょうかの……』と祈りを捧げる老人達くらいなものであった。
「えっ……?」
今や、提案したミシシアさん本人が、一番の置いてけぼりであった。
だが、遠くの方では既に、『祭りだー!』『アスマ様帰ってこい祭を開くぞー!』と騒ぎが聞こえており、そしてその騒ぎはより遠くまで伝播してくようであった。
「……えっ?」
ミシシアさんが戸惑っている間にも、『アスマ様を崇め讃えるのだ!』『確かに褒められたらあの人戻ってきそうだわ!』『折角だしスライムのダンスを披露させよう!』と物事が進んでいく。
「……まあ、この村に集まった連中は皆、楽しいことが好きだな。俺もすっかりそういう性質だが」
ミシシアさんがぽかんとしている横にリーザスさんがやってきて、苦笑しつつも楽しげに言った。
「そうね。何せ、アスマ様が楽しいこと好きの子なんだもの。皆、それにつられてこういうのが大好きになっちゃったわ」
エデレさんもすっかりにこにこと嬉しそうに笑うようになっており、更に、『さあて、お祭りとなったら私も頑張らなきゃね』と張り切り始めてしまう。
そしていつのまにやら、『リーザスさん!アスマ様聖堂作るけど、ちょっと力貸して!』と、リーザスさんが連れて行かれ、エデレさんは『エデレさん!アスマ様のタペストリーを刺繍するんだけど、一緒にやる!?』と連れて行かれてしまい……。
「ミシシアさん!アスマ様像作るんだけど、完成予想図描いてくれない!?」
そう、ミシシアさんも、声を掛けられてしまい……。
「……やるーっ!」
ミシシアさんも、笑顔で走り出すのであった!こうなっては最早誰にも止められない!
……こうして、パニス村は暴走していくのであった。この様子を見ているダンジョンこと俺、『飛鳥馬卓弥の別の意識』も、なんか……なんか、もう、どうにでもなーれ!っていう気分であった。
戻ってきたら大変だぞ、もう1人の俺……。頑張ろうな、もう1人の俺……。
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