スライム親善大使*5
シアン化水素というのは、まあ、毒物である。皮膚からも吸収しちゃうタイプの、やべえ奴である。詳細は伏す。
まあ、その毒性はいいや。とりあえず『常温で液体。ただしそこそこには揮発する。揮発したら空気より軽い。吸ったらそこそこ死ぬ。吸わなくても浴びただけでそこそこ死ぬ。』ぐらいの毒ですよ、ということだけ分かっていればよし。
その他、取り扱いについては科学の徒であるならば皆知っているものであるからよしとして……。
「とりあえず、吸ったり浴びたりするとまずいものなので、皆さん、ガスマスク外さないでくださいね。一応、ホース先の手前天井で返しは設置したし、そんなにガス漏れしまくる想定じゃないけど、触れたら死ぬと思って……」
「な、なんというものを使うのだ!そんなものを森に……」
「あ、大丈夫大丈夫。ちゃんと無毒化できるので」
エルフの皆さんとしては、『そんな毒物をダンジョンの中とはいえ森の中で散布したのか!?』と大変ご心配な様子だが、安心したまえ。ガスマスクを外すな。ガスマスクを外すな!外すなっつってんだろうが!死ぬぞ!
ということで、全員ガスマスクをちゃんと装備した。しゅこー。しゅこー。
「……それで、何が大丈夫だというのだ」
慣れないガスマスクになんとも不安そうな様子のエルフリーダーに、俺はしっかり頷いた。
「このガスは、ちゃんと分解する。無毒な物質に変化するから、換気だけちゃんとしてやれば森に影響は及ぼさない」
シアン化水素は、水素と窒素と二酸化炭素になってくれる。これらだったら、まあ、それら単体高濃度バージョンを吸引とかしない限りは問題ない。適当に換気すりゃ消えてくれるだろうし、そうでなくとも、まあ、森に悪影響を及ぼすようなことは無い訳だな。
「そ、そうか……そこまで考えてあるのか」
「うん。ちゃんと後世に影響を及ぼさない物質を考えて持ってきたぜ!」
エルフ達は『なんかよく分からんがそういうことらしい』と困惑顔である。まあ、君らは科学の徒じゃねえもんな……。ファンタジーの徒にはこういうのは難しいだろうし、理解もできんだろうし、それ故に不安だと思うよ。わかるわかる。俺も対ファンタジーにおいては、その理不尽さに不安が勝る。
さて。そうして、ダンジョン入り口から突っ込んだホースによって、ガンガンシアン化水素が注入されていく中、ダンジョンの奥の方からは『ぎゃおおおお』みたいなドラゴンの雄叫びが聞こえてくる。効いてるっぽい。よしよし。
この様子に、エルフ達は『これで本当にダンジョン攻略できちゃうのかもしれない……』と、ようやく理解してくれた模様。まあ、ただホースをちょっと奥の方に突っ込んで、そして入口で待機しながら何か流し込むだけでドラゴンを仕留められる、っていうのは、結構不思議なことなのかもね。
「……ダンジョンの中の魔力が、減ってるように感じられる」
「つまり、ドラゴンが死んでいる、ということか」
「多分、そう」
妨害の魔法を使える例のエルフ……つまり、スライム大好きお姉さんが、杖を構えながら何か、神妙な顔をしている。彼女、どうやらダンジョンの中の様子を多少、雰囲気だけ探知できるっぽい。マジかよすげえなファンタジー。
更に、スライム大好きお姉さんの言葉を補強するかのように、またダンジョンの奥から『ぐぎゃおおおおお』みたいな声が聞こえてくる。どすんばたんと暴れる音も聞こえてくる。迫力満点だが、遠い出来事なので俺達は余裕の表情である。
「な、成程……確かに、凄まじい毒であるようだな」
やかましい弓エルフも、この様子には流石にちょっとビビっている様子である。どうだ、ビビったか。これが科学だぜ!
「それで、その毒はどのようにして無毒化する?」
が、寡黙な方の弓エルフが、ふとそんなことを聞いてきた。
「放っておいたら勝手に無毒化するということはあるまい?」
「ん?いや、まあ、ある意味、ほっといたら多分無毒化するんだけど……」
そこ気になるかぁ、と思いつつ、俺は『そろそろかな』と判断。シアン化水素の注入をストップして、ホースを回収。その様子を、エルフ達は『何故回収する……?』と不思議そうに見ているが、これは大事なことだぞ。
……で。
「えーと、じゃあちょっと離れようか……。あ、できたらダンジョン入り口を崩して塞いでほしいんだけど」
「な、何故だ!?おい、説明しろ!」
「説明してる暇は無いかも……あ、離れよう離れよう。はい、タンク車優先で退避退避退避ー!」
エルフ達は困惑していたが、俺は『逃げろ逃げろ!』と彼らを追い立て、ダンジョン入り口から離れる。
……そして。
ぼん、と重い爆発音が響き、ダンジョン入り口が吹っ飛んだ。
とりあえずその場に伏せる。俺が伏せると、リーザスさんがすぐさま駆け寄ってきて、俺を守るような位置で盾を構えた。ミシシアさんも俺と一緒に、リーザスさんの後ろへ。お世話になります!
……と、やっていたところ、また爆発音。ダンジョン入り口からは瓦礫が吹っ飛んで出てきた。小さい石みたいなのが、こつん、とリーザスさんの構えた盾にぶつかって弾かれる。エルフ達はなんか各々、ファンタジーパワーでなんとかしたっぽい。便利だなー。
「なんだ!?」
「あ、多分、ダンジョン内部でシアン化水素に火が付いたんだと思う」
エルフ達が混乱しているので、俺から解説。落ち着いて聞いてください。これは仕様です。
「……は?」
「……いや、まあ、火を吹くモンスターがいっぱいの、地下ダンジョンじゃん?そしたら、まあ……」
そういうことですよ、と説明すると、エルフ達はまたぽかんとした。
「その……流し入れたのは、毒、なのだろう……?」
「火が付いた、ということなら、油か何かも一緒に入れたっていうことよね……?」
で、エルフ達の確認を聞いて、俺は『あっ成程ね!』と理解。そっか、ごめん。説明が足りなかった。
「シアン化水素は引火します」
「な、何故そんなものを……!?」
「爆発するって分かっていたんじゃない!どうしてそんな危険な……」
「えーと、燃焼すると無毒化するので丁度いい」
「なんということを……!」
……エルフ達が恐怖に震えている。そっか。君達には科学が怖いんだな。うん。気持ちはわからんでもない。
そしてそうこうしている間にまた爆発音。今度はもう、ダンジョン入り口が吹っ飛ぶことは無い。地響きがするだけだな。
「今の爆発で、またシアン化水素が触ってもいい物質に変わったはずなので……あと、相手も大方死んでくれたと思うんで……」
何せ、このダンジョンの中って、『生きてたら火を吹く奴』と『火が付いたら引火するし、爆発しなくても毒は毒な物質』が一緒に閉じ込められてる状態なので、まあ……生きてるドラゴンが居たらそいつは火を吹いて爆発してくれるし、爆発が起きなかったら毒でもう死んでるってことなので……非常に生存確認が楽ちんなのだ。
「まあ、もうちょっと様子見して、相手がどう動くか、そもそも動く余地があるかを見てからこっちの出方を決めるかんじでいいんでないかな」
「人間とは……恐ろしいことを考えるものだな……」
「そんなに?ねえ、そんなに?」
なんか、若干腑に落ちないものはあるんだが、どうもエルフにはとことん怖がられている様子である。
『そんなに怖いかね』とミシシアさんとリーザスさんを振り返ってみると、2人とも『まあ、うん……』みたいな顔で頷いていた。あ、そうですか……?
そうこうしている間に、ラペレシアナ様達が戻ってきた。
「ひとまず目についたドラゴンは殺してきたぞ」
「流石ラペレシアナ様!」
「ふふ、やはり、自由自在に動く鉄の馬、というのはよいものだな。加速減速も思いのまま。揺れも少ない。実に戦いやすかった。先の戦でもこれがあればな……」
なんつうか、忘れちゃいそうになるけどラペレシアナ様も十分すぎるほどにファンタジーの人なんだよな……。なんだよバイク馬上槍でドラゴン仕留められるっておかしいだろ……。
まあ、ラペレシアナ様達、王立第三騎士団の面々がおかしいのはさておいて……。
「して、こちらはどうだ」
「ああ、多分大丈夫です。もう少し待って動きが無いようなら、スライムを送り込みます」
俺はというと、連れてきたクソデカスライムをもっちりもっちりと誘導してきた。
「スライムを使うの……?」
そんな様子を見て、スライム大好きお姉さんが心配そうな顔をしている。この人マジでスライム好きだな!
「スライムなら、爆発で崩落したダンジョンの中でも動けますし、もしダンジョン内に毒ガスが残っていたとしても痛手を負わないので」
が、ここはやっぱりスライムだ。スライムなのである。
崩れた洞窟の中を進むなら、もっちりうにょん、と狭い隙間も通り抜けられるスライムが非常に適している。それに加えて、スライムは何故か、シアン化水素の影響を受けないので、やっぱり適している。
……ついでに言うと、シアン化水素が燃焼した後に残る二酸化炭素と窒素についても、スライムは影響を受けないので安心だ。もしそこに人間が突っ込んでいったら普通に死ぬ可能性が高いんでね……。酸素が無くても生きられる生きものって強いね。
「そういう訳で、うちのクソデカスライムがダンジョンに入りますがいいですか?」
「ま、まあ、構わないが……」
「中の様子を確認したら戻ってくるように言ってありますので。……ってことで、ちょっと奥まで見てきてから戻ってきてくれる?うんうん、ありがとうね」
……ということで、俺はクソデカスライムにGOサインを出して、ダンジョン入り口が崩落したところの隙間から、うにょん、とクソデカスライムを送り込んだ。
後はこいつが上手くやってくれることだろう。多分ね。
……そのまま待つこと、一時間。
俺達は仕留めたドラゴン(ドラゴンっていうか、正確にはこいつら、レッサードラゴンっていう品種らしいが……)の皮を剥いだり肉を分けたりしながら過ごしていた。ここらへんは良い素材になるらしいので、人間とエルフとで山分けである。
……エルフは『エルフの森にあったものだからエルフのものだ!』と主張していたのだが、ラペレシアナ様が『いい加減にしろ』と一喝なさったため大人しくなった。よし。
で、ドラゴンの素材をしっかり回収していたところ……。
「おっ!帰ってきた帰ってきた!」
むにょっ、と、スライムが瓦礫の間からはみ出してきた。おかえり。
俺はクソデカスライムを迎え入れ、もちっ、と抱きしめる。……抱きしめてから、『そういえばこいつの表面にシアン化水素ついてたらやべえな』と思い出したのだが、そこは大丈夫だったっぽい。いや、危なかったな……。ヒヤリハット、ヒヤリハット。
「さて、成果はどんなもんだったのかな、と……」
早速、クソデカスライムの中を覗き込む。
クソデカスライムには、『ダンジョンの中で人間とかエルフとか、とにかく魔物じゃない何かが死んでたら、そいつの遺品を何か持ってきてくれ』と伝えてあった。
そして、クソデカスライムが持ち帰ってきたものは……。
「……あっ!?これ持ってきたの!?」
……クソデカスライムのボディの中にもっちりと収められていたそれは、大聖堂の紋章が入った首飾り。
そして、『ダンジョンの主の腕輪』であった!




