生命の木3
いつの間にか、私は大きな木の下で座り込んでいた。どうやってここまで歩いてきたのか、覚えていなかった。
とにかく、私は限界だった。もう一歩も歩けない。足は自分のものでないように重かった。
上を見上げると、大木から生えた枝がいくつも大きく手を広げ、数え切れないくらいの葉を茂らせていた。その葉の一枚一枚が、命を持っているようにさわさわと風に揺れているのを、私はしばらくの間眺めていた。
この木の下で死ぬのもいいかもしれない。
私はそんなふうに思った。願わくは花のもとにて春死なんと歌った、西行のように。桜ではないが、この木の下で死ぬというのは、なかなかいい。
ぼうっとその木を見上げていると、あの白い小鳥がどこからか飛んできて、木の周りを一周したかと思うと、その木の枝の間に入っていった。そして、小鳥はしっかりと伸びたひとつの枝に止まった。その様子をなんとはなしに見ていると、ふいにそこに誰かがいることに気がついた。
「え……?」
その人は私のほうに目をやり、にこりとしたかと思うと、ふわりと私の目の前に降り立った。それはまるで体重を感じさせない、木の葉が落ちでもしたかのような動作だった。
その人はレトロな山高帽を被り、黒い紳士服を身にまとっていた。手にはステッキを持っていて、昔のイギリス映画にでも出てきそうな格好をしていた。
言葉を失い、ただその人の姿を座り込んだまま私は見ていた。
ああ、私は誰も足を踏み入れたことのないところまで来たと思っていたけれど、ここもすでに先客がいたのだ。もしかすると、そんな場所などどこにもないのかもしれない。私の行く場所など、この世界にはないのかもしれない。
それならば、どこに行けばいいのだろうか。やはり死ぬしかないのではないか。死んで、もっとずっと遠いところへ行くしかないのではないか。
私は朦朧とした頭でそう考えた。目の前の光景も幻覚なのだろう。この男の存在にさほど違和感を感じないのは、私が勝手に思い描いている幻覚だからなのだ。
幻覚ならば、なにも怖いことなどない。私がどんなに惨めな姿を晒していようと、なにも気にすることはない。どうせ私は死ぬのだ。なにもかもどうだっていい。
「……ねえ。あなたに会ったのもなにかの縁かもしれない。私もここで最期だろうから、少しお話しましょう」
私はなかばなげやりに、そう言ってみた。厭世的な気分を、少し話をすることで紛らわしてしまいたかったからかもしれない。
男は私の言葉に柔らかく微笑んで見せた。それは慈愛に満ちていて、一瞬この男は私を迎えに来た天使なのではないかと思った。
「いいですね。お話を聞かせてもらえますか」
そう言うと、男は私の隣に座った。私はそのとき、天からの木漏れ日がそこに柔らかく落ちてきたような気がした。不思議な安心感を私は感じ、先程までの疲労感がすっと体から抜けていくような気がした。
「私がどうしてこんなところに来てしまったのか、わかる?」
「さて、どうしてなのでしょう」
「まあ、実は自分でもよくわかっていないところもあるんだけど」
「そうなのですか」
「ただ、逃げ出したかった。どうしようもなく、逃げてしまいたかった。いろいろなことから、私は逃げてきたんだと思う」
言いながら、私は苦しい塊が胸の奥に膨らんでいくのがわかった。途端に呼吸が浅くなっていく。
懺悔をしているようだ。
大罪を犯した私は、この男にそれを聞いてもらうことで許されようとしている。許されることではないのに、なぜかこの人に聞いてもらいたいと欲している。
「私は」
そこで言葉を切り、頭を垂れる。
「許されないことをしてしまいました……」




