流星雨3
どれくらいの時間が過ぎたのか。
否、そもそも時間という概念など、この世界には関係ないのだろう。
とにかく長い間、僕は膝を抱えうずくまっていたような気がする。やがてそうすることにも飽き、考えることにも疲れ果てた僕は、闇の中に身を任せるようにした。
目を閉じ、そこに身を浮かべる。闇の海の中を僕はただ、浮遊した。
僕というものは、いったいなんなのだろう。
この闇の中で、なぜ漂うのだろう。
駄目だ。考えても仕方ない。
無になろう。
この闇の中で、なにを考えることがあるだろう。
無だ。
闇になるのだ。僕は――。
僕はしばらくそうして浮遊し続けた。
不思議な感覚だった。闇に溶け込んでしまったみたいだった。そうしていると、怖くてたまらなかった闇が、心地の良いもののように思えてきた。温かなものに包まれていくように、僕は闇を受け入れていった。
目も耳も、体中のすべての感覚がなくなり、僕はただの一粒のなにものかになっていた。
小さな小さな一粒の僕は、流れるように漂っていたかと思うと、すっと誰かの手によって掬い取られたような気がした。
誰だろう。
僕はその誰かを見ようと、意識を戻した。そして、僕はそこに宇宙を見た。
「気がつかれましたか」
僕が宇宙だと思って見ていたのは、その人の瞳だった。美しく深淵な、不思議な色をしていた。
その人の手のひらにいたはずの僕は、いつの間にか、その人の隣に立っていた。
「あ、あなたは……?」
僕は、そこで言葉をまだ話すことができたことに気づいた。男はそれには答えず、ただにこりと笑った。
意識がはっきりとしてくると、その男の姿が認識できるようになった。
レトロな山高帽を被り、黒の紳士服に身を包んでいる。手にはステッキを持っていた。闇の中であるはずなのに、なぜかその男の姿ははっきりと見えた。
驚きの連続が続いたため、その男の存在に、驚くことはなかった。それどころか、そこにいるのが、さも当たり前のような気さえする。不思議な男だった。
「あなたは運悪く、事故に遭い、闇に閉じこめられてしまいました」
男は静かな口調でそう言った。その言葉の意味を、頭の中で反芻する。
「……それはやはり、僕は死んでしまったということでしょうか」
なんとなくそうではないかと思っていた。あの事故で、生きてはきっといられなかっただろう。
「死んではいません」
男の言葉は予想と違っていた。僕はその言葉に、耳を疑った。
「死んでない? じゃあ、僕は生きているんですか? でも、だったらなんだってこんなところにいるんです?」
疑問が噴出し、僕はその男にそう捲し立てた。男はそれに慌てるでもなく、優しげな笑顔をたたえたままで言った。
「あなたは生きています。ですが、意識のない状態。深い昏睡状態に陥っています」
昏睡状態? でも生きてはいるのだ。そのことに少しほっとした。
「つまり、僕は寝ているわけですね。ここは死後の世界なんかじゃなく、僕の夢。それなら起きればいいだけの話だ」
すると、男は少し哀しげに瞳を揺らした。
「そう。起きればいいのですが、ここからは、簡単というわけにはいきません。強い意志の力が必要になってきます」
「意志の力?」
なぜここにこの男がいるのかわからないが、なにかを知っているふうの男の言葉に、僕は集中した。
「このままの状態が続けば、あなたが意識を取り戻すことはないでしょう」
それは恐ろしい宣告だった。つまりは植物状態になってしまうということか? 意識がなく、ただ肉体を生き長らえさせるだけの存在。そんなのは嫌だ。それは死んだと同じことだ。
「どうしたらいいんですか? どうしたら僕は意識を取り戻すことができるのでしょうか」
男は先程、意志の力と言った。それはなんなのだろう。どうすることで、僕は意識を取り戻せるのだろうか。
「あなたは、あそこに行かなければなりません」
男はそう言うと、右手をすっと上げて、人差し指を一つの方向に向かって指し示した。僕は人差し指の向けられた方向を見たが、闇しか見えなかった。もう一度目をこらしてよく見ると、なにか光のようなものが見えてきた。
それに気がついたとき、得も言われぬ気持ちになった。暗闇に射した一点の光明。そのなんと美しいことか。なんという希望であることか。
「あれは……なんですか。あの光にはなにが……」
「あれは、あなたと現実を繋ぐたった一つの光。あそこに辿り着くことができれば、あなたは現実の世界へと戻ることが叶うでしょう。しかし、その道のりは遠く険しい。強い意志の力がなければ到達することはできないでしょう」
男は再び、意志の力と口にする。
ふと下を見ると、僕の足元には一本の道が見えていた。それはあの光に向かって果てしなくずっと続いている。
「この道を進むのです。道を外れたり後ろを振り向くことなく、ただまっすぐに」
男の言葉を疑うことはできなかった。信じるより他に道はなかった。
「……なるほど。そういうことなら、行くしかないですね。教えていただきありがとうございます。どんなに遠く険しくても、僕はあの光に向かって進みますよ」
僕の言葉に、男はにこりと笑う。
「それでは行くことにします」
僕は光の見えたほうを見たあと、もう一度男のいたほうを振り向くと、男の姿はいつの間にかなくなっていた。ふと心細くなったが、すぐに勇気を奮いたたせ、僕は光のほうへと歩き始めた。




