第3話 勝たない勝利という概念
人間側・臨時司令部。
地図の前で、指揮官たちは沈黙していた。
赤い駒も、青い駒も、
どちらも――動かせない。
「……で?」
年配の指揮官が、報告書を机に置く。
「この拠点は、奪還したのか? してないのか?」
副官が困った顔で答える。
「“占領”はしていません。ただ……」
言葉が、続かない。
「魔王軍は引きました」
「ですが、撃破数はごく僅かです」
「こちらの損害も、ほぼゼロで……」
別の指揮官が苛立ったように言う。
「つまり、戦果がない」
「はい……ですが」
補給担当の将校が、恐る恐る口を開く。
「……補給線が、通っています」
沈黙。
誰かが、乾いた笑いを漏らした。
「戦果がないのに、補給線が回復?」
「そんな報告書、書けるわけがないだろ」
英雄譚にならない。
誰も倒していない。
誰も名を上げていない。
勇者も、S級も出ていない。
なのに――
物資が届く。
人が帰ってくる。
拠点が“使える”。
戦争の常識から、完全に外れていた。
一方、その拠点。
焚き火を囲みながら、
モブオは淡々と地図を見ていた。
「ここは、奪わない」
「ここも、押さえない」
デブリが眉をひそめる。
「……全部、中途半端じゃないか?」
モブオは首を振る。
「違う」
そして、はっきりと言った。
「勝つと、大量魔物が押し寄せて終わる」
全員が、息を呑む。
それは経験則だった。
これまでの戦争が、そうだった。
「でも――」
モブオは指で、拠点跡をなぞる。
「取り返せば、続けられる」
「壊さない」
「居座らない」
「英雄を作らない」
ただ使える状態に戻す。
それだけ。
モモが小さく呟く。
「……勝たなくても、いいんだ」
ノエルが、静かに続ける。
「生きて、続けるなら」
デブリは拳を握りしめた。
「……守る意味が、変わってきたな」
司令部では、未だに報告書が書けずにいた。
「撃破数、ゼロに近い」
「領地、正式奪還せず」
「被害、ほぼなし」
どこにも、“勝利”の文字はない。
だが、補給担当は確信していた。
「……戦争が、止まってない」
「むしろ、前より回ってる」
誰かが、ぽつりと言う。
「これ……」
「勝ってないのに、負けてない戦いじゃないか」
その瞬間。
戦争観そのものに、
小さなヒビが入った。
英雄が勝つ戦争。
一撃で終わらせる戦争。
その裏で、
名もなき者たちは、いつも死んできた。
だが今。
C級しか使えない男が、
勝たないことで、戦線を繋いでいる。
モブオは、まだ気づいていない。
自分が戦争のルールを、静かに書き換え始めていることに。
それは派手な革命ではない。
ただ、
「反攻を続けられる」という選択。
だがその積み重ねは、
やがて世界にとって、最も厄介な“勝利”になる。




