第12話 重層竜バルガスの咆哮
戦場に、静寂が落ちる。
C級冒険者たちは、倒れ伏す。
モブオの視界が、揺れた。
音が、遠い。
戦場の轟音が、
水の底に沈んだように、くぐもっていく。
足に、力が入らない。
《守る》
《乱打》
《二重ファイヤー》
《スロウ》《スロウ》
+(プラス)を、
重ねすぎた。
体力が、空だ。
思考だけが、取り残される。
「……っ」
膝が、崩れる。
地面に、倒れ込む直前
両側から、腕を掴まれた。
「モブオさん」
モモの声。
必死に詠唱を止め、
震える手で、彼の身体を支える。
「ダメ、今寝たら……!」
反対側から、重い腕。
デブリだ。
《多重防壁》は、もう張れない。
それでも、
彼は前に立とうとして、歯を食いしばる。
「……まだ……俺が……」
「いい!!」
モモが叫ぶ。
「もう、十分だよ!!」
涙で滲んだ目が、タクミを見る。
「これ以上やったら……壊れる……!」
周囲では、撤退の角笛が鳴っていた。
「後退!!」
「生存者を優先しろ!!」
B級、A級の冒険者たちが、
必死に戦線を切り離している。
だが、
C級の足は遅い。
倒れた者も多い。
置いていかれる。
いつもなら。
だが。
「……C級、ここだ!」
「盾を回せ!」
「担げ!!」
誰かが、叫ぶ。
名も知らぬ冒険者たちが、
タクミたちを囲む。
彼らは知っていた。
さっきまで
この三人が、最前線を支えていたことを。
デブリが、肩にタクミを担ぐ。
その背中は、震えている。
怖い。
だが、逃げない。
「……重いな」
自嘲気味に言って、
一歩、踏み出す。
モモは、最後の魔力を絞る。
《スロー》
追撃してく
る魔物の足が、わずかに鈍る。
「……行ける、今のうち……!」
モブオは、半分意識を失いながら、思う。
勝てなかった。
守りきれなかった。
それでも――
「……二人とも……」
声にならない声。
「……ありがとう……」
モモが、笑う。
泣きながら。
「当たり前でしょ……」
デブリは、前を向いたまま、低く言う。
「次は……勝つ」
三人は、戦場を離れる。
背後で
重層竜バルガスが、咆哮する。
それは、声ではなかった。
空気が、裂ける。
音が届く前に、
衝撃が、背中を殴った。
ドン――――ッ!!
地面が跳ねる。
撤退中の冒険者たちが、
思わず膝をつく。
耳鳴り。
視界が、白く染まる。
ゴォォォォォォォォォォ――――――ッ!!
重なった金属板を引きずるような、
低く、深く、終わりのない轟き。
それは吠え声ではない。
「圧」だ。
咆哮が、
空間そのものを押し潰してくる。
木々が、根元からへし折れる。
岩が、粉砕される。
魔物たちですら、動きを止める。
デブリの足が、止まりかける。
肺が、圧迫される。
呼吸が、できない。
「……っ、く……!」
モモが叫ぶ。
「耳、塞いで!!」
遅い。
咆哮は、塞げない。
体内に、直接流れ込んでくる。
骨が、震える。
内臓が、揺れる。
タクミは、半覚醒の意識の中で感じる。
“殺せる音”だ。
直接攻撃ですらない。
ただ、存在を誇示しただけ。
それだけで――
弱者は、死ぬ。
魔王軍幹部
重層竜バルガスの咆哮が、もう一度、重なる。
グォォォォォォォォォォォォ――――!!
空が、たわむ。
雲が、逃げる。
魔力の波が、戦場全域を舐めるように走る。
後退中の部隊に、動揺が走る。
「竜が、追ってくるぞ!!」
「まだ、余力があるのか……!」
だが、
追撃は、来ない。
バルガスは、進まない。
ただ――
吠える。
それだけで十分だと、
理解しているかのように。
その咆哮は、告げていた。
逃げたこと
生き残ったこと
次は、逃がさないということ
モモが、歯を噛みしめる。
「……絶対……また、来る……」
デブリは、低く答える。
「……“待ってる”んだ」
重層竜バルガスの咆哮が、
最後に、戦場を覆う。
それは、勝利宣言ではない。
次の戦争の、合図だった。
そしてモブオたちは、
その音を
生きて聞いた、数少ない冒険者たちだった。
【第四部 魔王軍侵攻編 完結】




