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第九話 恋の新世界

 バスでキスをした日から、宗一の世界は変わった。


 なんとなく通り過ぎていた歩道の街路樹の緑が特別に見えたりする。今までベッドに入ればすぐ眠れていたのに、悟のことを考えて悶々とする。寝付けない、という感覚を初めて知った。


 悟に会うとキスをしたい、と思う。けれど教室、部室、帰り道。するタイミングがない。いきなりしたら悟は嫌がるだろう。


 抱きしめて、もっとキスしたい。


 宗一は深いため息を吐いて、ベッドから起き上がる。隣の良一の部屋のドアをノックする。夜ふかしの味を覚えた良一は最近、遅くまでゲームをしている。


「何?」


 ドアをほんの少しだけ開けて、不機嫌な顔の弟が言う。


「保健体育の教科書貸してほしいだ……復習、したくて」


「は? キモいっ! 無理っ!」


 良一はドアをバンっと閉めてしまった。


 日曜日、悟がバイトのため会えないので、宗一は図書館に行った。ググるよりちゃんと学びたい。


 古くて小さな図書館を歩き回り、性教育についての本を手にとった。保健体育はテストが難しかった記憶がある。


 同級生がエロいと言っている話の内容もわからなかった。アダルトコンテンツは興味がなくても目につくが、同級生のようにそれらを漁ったりはしなかった。自分の性対象すらわからなかった。


 読んでいて「わからない」と思った本はすぐ閉じて、易しい内容の本を探していたら児童書コーナーにいた。


 やたらデカい宗一を見て、幼児がくしゃっと顔を歪めたので、そそくさと図書館から退散する。


 俺は何をしているのだろう、と平和革命のヘルメットをつけて行くあてもなく自転車を漕いだ。こういう時はマブダチに相談だ。宗一は母に「今晩はカレーを作る、矢倉が家にくる」とLINEした。スーパーに行って玉ねぎとカレールーを二種類、クミンを買った。平和革命のヘルメットをつけたデカい男は客から不審な目で見られた。


 宗一はカレーを作るのが得意だ。

 玉ねぎをみじん切りにしてよく炒め、冷蔵庫の残り物を煮込み、二種類のカレールーを混ぜて、さらにクミンやターメリックで味付けをする。いつも適当で目分量だが、いい感じに仕上がる。


「久しぶりに宗一のカレーが食えると聞いて駆けつけたぜ。お邪魔しまーすっ。おっ、良一、また背ぇ伸びたな」


 矢倉がやってきた。近所に住んでいる小学校からのマブダチは、我が家のように森田家のリビングに入ってくる。


「良一、じいちゃん呼んで」


 宗一はさらに米を盛って言う。良一はゲームの片手間にスマホで操作する。じいちゃんも来て、森田一家と矢倉は食卓についた。


「うまっ。ソーセージ入ってる」


 矢倉が声を上げた。良一は渋い顔だが、スプーンは進んでいる。良一は宗一のカレーを認めている。


「さて。家族とマブダチがそろったこの場で、俺から重大ニュースです。パンパカパン」


 宗一が言うと、良一は「またくだらないことだろう」という顔をしている。


「俺に彼氏ができました。バスケ部のマネージャー、青谷悟君と俺はお付き合いをさせていただいております」


「彼氏なのっ!」


 良一が驚く。


「あらまぁ、息子、ちゃんと青春してるのね」と笑う母。

「おっ、いいねぇ。マネージャーとの恋、ベタにいい」と父。

「はっははは、なるほど。それでおまえ、やたらソワソワしとったのか」とじいちゃん。


「俺、気づいてたよ。青谷にも言ったけど、俺はアウティングしないからな」


 矢倉がサムズアップして言う。


「アウティング? 新しいバスケのルール?」


 宗一はポカンとする。


「今さら新しいルールできるわけねーじゃん。マイノリティセクシャル、ジェンダーの人が“話していいよ”って言ってないのに勝手にバラすこと。兄貴の場合、矢倉兄ちゃんが勝手にクラスメイトに二人が付き合ってることを言うこと。で、矢倉兄ちゃん、青谷さんってどんな人?」


 良一の言葉を聞いて、なるほど、と思う。なんかそんなマイノリティジェンダーの本も読んだ気がするが、中身が頭に入っていない。


「青谷は仕事できる優等生。顔は小動物系。めっちゃいい子だよ、青谷は」


 矢倉の言葉に、うんうんと宗一は頷く。


「それは会うのが楽しみだわぁ、まさか優等生と付き合うなんてやるじゃない、宗一。今度、たこ焼きパーティーしましょ」


 母が浮かれて言った。テンションが上がると母はたこ焼きをコロコロしたがる。


「宗一が優等生くんとお付き合いとは意外だなぁ」


 父がビールを飲んで言う。


「わしゃ感じとったぞ。宗一の奴、ようやく知恵がついたとな」


 はっはっは、とじいちゃん笑った。


 宗一は家族に自分がゲイだとカミングアウトすることに恐れはなかった。カミングアウトは勇気がいると本に書いてあったが、どんな自分でも家族は受け容れると信じていた。


 矢倉を連れて自室に行く。矢倉はビーズクッションに座り、宗一はベッドに座る。


「矢倉、おまえさすがマブダチだな。悟と俺が付き合ってるの、気づいたか」


「ああ、わかりやすかったからな。二人で弁当食ってるの、完全にラブラブだし」


「あー、ラブラブが溢れちゃってるかぁ」宗一は両手で顔を隠す。「どうしよう矢倉、俺やっと性の目覚めきちゃったよ。悟ってよくパンイチで部室ウロウロするじゃん、あれやめて。ほんとやめて。俺の心臓がやばい」


「うん、あれな。あいつ生真面目なくせにパンイチで予定表とか書いてるもんな。肩にタオルかけて、風呂上がりかよっていう」


「はっ、悟用パーテーションを作ろう」


「いや、普通に服を着させろよ。副キャプテンになったから思うけどさ、青谷ってほんとあいつ仕事できるよ。副キャプテンになるって決まった時、すぐに部員情報のPDF送ってきてくれてさ。ほんと気が効くよなぁ、俺めっちゃ頑張ろうって思ったもん」


 マブダチが彼氏を褒めてくれて、宗一は嬉しくてニヤニヤしてしまう。


「だろう。悟はすごい」


「おまえはあんないい彼氏持ったんだから、ヘラヘラしてねーで頑張れよ。俺らもう高二、進路とか考える時期だぞ。志望大学とか考えねーと。青谷は偏差値高い大学行くだろうし、おまえはスポーツ推薦狙うにしても、もっと勉強しろよ」


 真剣な顔で矢倉が言う。宗一は眉間に力を入れて、奥歯を噛み締めて本気の顔をする。


「…………そうだな、俺、しっかりしないと。まずはノートと教科書を忘れない、提出物をちゃんと出す」


「うん、基本が小学生からだな」


「じいちゃんが言った通り、俺はようやく知恵がついた。任せろ」


 悟に追いつくために、全速力で走ろう。


 その夜、宗一は悟に自分のTシャツを着せて、手を繋いでバスケットゴールを目指して歩く夢を見た。バスケットゴールまで辿りつき、ダンクを決めて着地すると悟が笑顔で抱きついてきた。


 目覚めた宗一は、起き上がって、


「ふわっぷ! 幸せな夢見た!」と叫び、「朝からうるせー!」と良一に怒られた。

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