第六部 2
ドキドキの入場行進が終わり、結婚式は滞りなく進んでいく。
祭壇前に二人が揃ったところで、早速、牧師さんが聖書の朗読を始めた。読まれるのは、聖書に書いてある夫婦のための勧め。
……お互いに理解し合うこと、労わりを忘れないこと、ありのままを受け入れあうこと、そして真実な変わらない愛、夫婦は二人ではなく一体であること……
そんな話を聞くうちに、この一年間、事有るごとに考えてきたことが、重なって思い出されて来た。
鈴子と過ごした毎日は、涙を流して泣いたり、大声を上げて笑ったり、火を吐くほど怒ったり、おおはしゃぎして喜んだり、死ぬほど心配したり、脱力するほどホッとしたり。今までだったら有り得ない感情の「振幅幅」である。
でもそんな僕らしくない生き様が最近ではすっかり普通で、いつも何がしかの熱いものを胸に感じながら過ごしている。
鈴子と付き合ってこそ、知り得たことだと思うけれど、僕は家族はまだしも、他人とは必ず一定の距離を置いて生きていたように思うのだ。だからこそ、いつも平静でいられたと。
ウマが合わなければ直ぐに距離を置くし、ちょっと楽しければしばらく付き合ってみる。
訳が分かんない人間だと思ったら、勝手に縁を切って、それを保つ努力などしようとは思わなかった。
そう、いつの間にかつるんで遊ぶようになり、そして、いつの間にか疎遠になって、思い出の中に沈んでいく。深入りしない、本気にならない。いつも逃げ道を作っておいて、ややこしい関係になって深手を受ける前に、さっさと関係を清算する。
そんな冷めた付き合い方が僕の人との付き合い方だった。それが無難で、楽で、一番賢いと確信していたからだ。
でも彼女といると、そうは行かない。ハッと我に返ると、自分が我武者羅で徹底的で、時としては命に替えても……と、思いつめていたりするのだ。
<……なぜだろう?>
結局はどうしても一緒に居たかったてことが全ての初め。彼女無しなんて、絶対有り得ないと思ったからこそのもの。
だから、どうしても最後まで逃げようとは思えなかった。どんなに苦しくっても、やり直すしかなかったのだ。
それにだ、鈴子も自身にも原因がある。僕がどこかに行こうとしたら、いち早く感ずいて、彼女は形振り構わず追っかけて来るのだから。
<あのサーフィン大会のときの、無茶苦茶振りったら、なかったよな>
思わず苦笑する。
でも、なんか良い! こういう生き方!
っつーか、こんな生き方、自分に出来るなんて思ってなかったよ……。
何だか無性に嬉しくなって、思わずニマッと顔が綻ぶ。と同時に、牧師さんが聖書の向こうから投げかける視線に気づいて思わず固まった。背中に汗がツーっと流れる。
横目で鈴子を見ると、今の暗黙のやり取り気づいたのか、会衆には背中を向けているので、目は動かしても気づかれないと思ったのだろう、あからさまにこっちを睨んだ。
<功太郎さん! 真面目にしてください!>
目は口ほどにものを言う。テロップのように、バッチシ叱責の言葉が脳裏に並んだ。
スミマセン……
口の中で謝罪し、一つ小さく深呼吸して、結婚式に「復帰」する。
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式は佳境に入っていく。いよいよ、僕ら自身の出番のときがやってきた。まず、牧師さんから質問がある。
「それでは新郎にお聞きします」
「はい」
「あなたはこの人と結婚し、この人と生涯を共にすることを願いますか?」
「願います。」
言い終わって、カーッと顔が熱くなるのを感じた。
<こ、これって、考えてみたら、公開プロポーズじゃんか!>
式の中のセリフとしか考えていなかった昨日のリハーサルでは、そんなには思わなかったが、本番だと思って心を込めて口にすると、その意味が浮き彫りになってくる。
「では新婦にお聞きします」
「あなたはこの人と結婚し、この人と生涯を共にすることを願いますか?」
「願います。」
鈴子の声が、少し湿っているのを感じた。すっと横目で見ると、一つすすり上げ、零れる涙を抑えようとしてか、パチパチと瞬いた。
彼女のその言葉は、僕が胸いっぱいに広がっていく。
彼女がまさにこの思いを、必死に伝えようとしてくれた日々。そして、こんな僕をそんなにまで愛してくれた彼女を、今、堪らなく、本当に堪らなく愛おしく思う。
「それでは、誓約をします。」
さらに式は進む。会場に衣擦れの音がし、結婚式のクライマックスとも言うべき、誓約の時を迎えるべく、皆、一様に居住まいを正す。
僕らは促されて向かい合った。
僕の前にはヴェールを被った、少しうつむき加減の鈴子が、僕の手の甲に真っ白なグローブに包まれた手のひらを、そっと重ねる。その上に牧師さん地震が右手のひらを置き、左手に本を持っている。
「私の後に続いて言ってください。」
権威を帯びた声で指示を出す牧師さん。頷く僕らを確認し、まず新郎からと、一言一言、誓約の文言を述べ始める。
「わたしはあなたと結婚し」
僕はリハーサルのときの打ち合わせ通りに、牧師さんの言った言葉を、少し上ずった声でなぞっていく。
「わたしはあなたと結婚し」
……今より後、幸いな時も試みの時も、豊かな時も貧しい時も、健やかな時も病む時も、あなたを愛し、あなたを守り、生きる限り……
それは僕らの人生をかけた約束。約束を守りたいと思う思いと、この人は絶対に守ってくれるという確信、その二つを何度も何度も確かめながら誓いをし、また、誓う彼女の声に耳を傾ける。
彼女の一言一言、確かめるように綴られていく。
僕の心は全く新しい世界の扉を開いていく。
「……妻としての勤めを忠実に果たすことを、神のみ前に誓います。」
彼女もまた、誓約の言葉を、凛とした声で言い終えた。
厳粛な余韻、礼拝堂がえも言えぬ安堵の空気に満たされた。
「指輪の交換」
続いて祭壇に飾られていた僕らの結婚指輪が目の前に携えてこられた。彼女はウェディング・グローブを少しはにかみながら外し、介添えに立ってくれた武村のおかみさんに渡した。そして、それぞれに相手につける指輪を受け取る。
僕がじっと彼女を見詰めると、彼女はすっと自分の手を差し出し、僕の掌に委ねる。
僕は手渡された指輪を、急いで持ち直して彼女の指にはめるに準備する。しかしだ、こういうこと、全くといって縁がなかった上、こんなに緊張を強いる状況下、指輪をうまくはめられるのかか、微妙に不安なのだ。
<ん……?>
僕の手に納まる、ほんの少しだけ震える、真っ白な手。……震えてる。
僕は思わず、ベールの向こうの彼女の表情を伺った。雑誌の紙面や街を飾るモデルのように、整った顔立ち。そしてそれに負けない堂々とした立ち居振る舞い。
でも、僕のいる距離からだけ分かる、細い指先の小刻みな震え。彼女も抑えようのない昂ぶりを、やっとのことで耐えているようだった。
僕は「王女様」のそんな普通な一面に、自分と同じだとちょっとホッとする。それでグッと落ち着いた僕は、どうにか彼女の細い指に、小さなリングをはめることが出来た。
そんなことをしながらも、その指輪を買いに行った頃のことを思い出していた。結婚指輪は婚約てすぐの頃、おかみさんの勧めで買いにいった。
おかみさんからしたら、いつまでもグズグズして一向に関係が深まらない僕らでも、実際に結婚指輪を買えば、少しは意識が変わるだろうと思ったらしい。
でも、そんなに簡単に関係が深まれば世話はない。僕はほとんど彼女にお任せ、サイズを測るのに指を貸したぐらいで、デザインも何もかも、彼女が独りで決めたのだった。
<ホント、あの頃は全く他人事だった>
今から考えたら、なんとも不届きな自分だろうかと、呆れてしまう。
今度は彼女が指輪を取り上げ、僕の左の手のひらを包むように持って、少し震えながらだったけれど、この上もなく優しく、僕の薬指に指輪をはめた。
なんか、ここまで来てスーッと緊張が抜けるのを感じた。僕がひとつ大きく息をしたら、それを見ていた目の前の鈴子が小さくクスッと笑った。
そして、牧師さんは僕の掌と、グローブをし直した彼女の手のひらを改めて重ねると、その上に自分の手のひらを重ねこう言った。
「下村功太郎と天原鈴子は、神と証人の前で、夫婦の誓いをいたしました。ゆえにわたしはこの二人が夫婦であることを宣言します。神が合わされたものを、人は離してはならない。アーメン」
僕は目の前にすっと膝をかがめた彼女のベールを上げた。彼女はただじっと、僕がベールを整えるのを待っている。女の子の服装を整えてやるなんて、当然、生まれてはじめてである。これだけのことが、無性に色っぽく感じてしまうのは、僕だけだろうか。
ベールを整え終わると、彼女はまたまっすぐに立ってこっちを見た。
こんどはベール無し、直接彼女の顔と向き合う。思った以上に薄化粧、いつもの鈴子の顔がそこにある。
彼女は内側からあふれる喜びを、上品な笑顔の中にじっと仕舞い込み、それでも滲む喜びを湛えた眼差しは、こちらにじっと向けられていた。思わず時と場所を忘れて見詰め合ってしまう。
まるで時間が止まったみたい。
僕ら以外、誰もいないかのように……
彼女は時を忘れて、僕を見つめ続ける。僕もまた、その眼差しの受け取りながら、更に深い喜びをこめた眼差しを、彼女に送った。
こうして、僕らは夫婦となった。
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華やかなマーチで退場してきた僕ら。彼女が僕の腕に少し恥ずかしそうに手をかける感触と、僕らのための拍手、退場の道すがらに投げかけられる祝福の言葉、それらみんなが本当に嬉しくは有ったが、照れくさくって仕様がなかった。
<あのパーティー以来だったな、こんなに目立ったの>
大学の恩師、土枝山先生に引っ張り出された、あのパーティのときのことを思い出して、苦笑する。
行進の「ゴール」までどうにか行き着いた僕らは、今度は僕らは夫婦として、来会者(と言っても、ほとんど良く知っている親戚なのだが、)に挨拶をすることになっていた。
僕のそばにぴったりと寄り添う鈴子の顔は、とても晴れやかで、そして幸せそうに輝いている。そして抑えきれない喜びは、彼女の全身から醸し出され、その輝きは彼女に美しさに拍車を書け、マジで眩いほどだった。
親父の挨拶の間、二人でたって待っていると、彼女はそっと僕に自分の肩をくっつけてくる。初めはたまたま触ったのかとおもったら、僕がちょっと動いてもすっと付いてくるところを見たら、完全に故意である。
ちょっとでもくっついていたら、安心する……みたいなに思っているんだろうということは、何も言わなくても分かった。気恥ずかしくも有るが仕様がないと、ドキドキしながら彼女の方を受け止める。彼女はそれが分かったのか、ふと顔を上げると、ゆっくりとこっちを向いて、恥ずかしそうに微笑んだ。




