朧月夜も霞まぬ月は
2年生になっても、俺のバイト先が変わることはなかった。とはいえ、そのバイト先自体の環境が固定という訳でもない。
「よろしくお願いします、先輩!」
高校でも先輩になったが、コンビニバイトでも後輩のバイトが入ってきて先輩になった。茶髪で素直そうな性格、失礼ながらどうにも童顔といった感じの顔つき。歳も性別も同じということだが、背も低いし声も高めなせいでとても同い年には見えなかった。これで歳が上とかだったら相当言葉遣いに戸惑っただろう。
「ああ、よろしく。確か店長から一通りは習った後だっけ?」
「はい! まだ実際にできていない部分もありますけど……」
「まあ面倒なやつは俺が手伝ってあげるから。分からないところは早めに聞いてね」
俺自身もバイトを始めて1年近く、先輩面をしても多少様になる程度にはなってきた。並んでレジに入り、レジ金の確認をしながら顔を向けずに後輩に話しかけ続ける。
「ところで、どうしてここでバイトしようと思ったんだ? ここ駅からそこそこ距離あるし、この辺りが家とか学校が近いとか、そういう訳じゃなさそうだし」
「ここが1番シフトの融通が効いたんです。自分部活掛け持ちで、放課後に使える時間が少ないんですよ、給料も良かったですし。後は……」
俺の質問に淀みなく答えていた後輩が突然口ごもる。言葉の端の消え方からして、そもそも言うか迷っていたというより、直前で口に急ブレーキをかけた感じだった。こういう時は言うつもりがないのに思わず口をついて出ようとしたか、あるいは聞かれるのを待っているかの2択だ。という訳で試しに1度突っついてみる。
「後は何だ? バイト選びなんて基準はその辺りだろ?」
「いやまぁ……ちょっと理由としては恥ずかしいんで、余り人には言いたくないんですが……」
そうはにかむ後輩だったが、周囲を見渡すフリをして俺に伝えてくる様は、決して本気で嫌がっているようには感じない。恥ずかしいのは本当なのだろうが、隠すようなことでもないのだろう。
「実は自分、男子校に通っていまして……」
「あぁ、うん、分かった分かった。つまりそこの女子校だろう?」
なんだ、そんなことかと俺は拍子抜けもいいところだった。ただ同時に、出会いを求めてバイトを始める程度に積極的な後輩の素顔の1つに純粋な驚きも感じたし、そこの女子校が目当てになるほどの知名度を誇っているのかとも疑問に思った。前者は直接言うと流石に不躾すぎるから、後者に関して何気なしに聞いてみる。
「ご存知ないんですか? あそこの高校は偏差値こそそうでもありませんけど、元はお嬢様学校として有名だったんですよ。だから意外と良家のお嬢様が親の意向で入れられたりすることもあって、逆玉や美人を狙うにはもってこいって話なんです」
それはまた、と俺は後輩の嫌に無骨で赤裸々な情報に空返事をしながら、ふとその美人の範疇にはしっかり絵梨奈も入っているのだろうかと思った。
だとすると俺は後輩君のささやかな野望を既に達成していることになる。当然学校で選んだ訳ではないが、意識せずともその境遇に落ち着いていることに、俺は優越感というより妙に感心してしまった。こういうものは意識した方が達成は難しいのかもしれないと思った。
「一応釘を刺しておくけど、下心丸出しで接客するんじゃないぞ。そういうのは相手もそばで見てる俺にもよく分かるからな」
「とんでもない! そんな度胸はありませんよ、しっかり仕事は真面目にやりますから!」
動機が不真面目なのに勤務態度は真面目とか、それでいいんだか悪いんだか俺には分からなかった。でもちゃんと取り繕うことができれば、寧ろ目的達成には近いのかもしれないとこれ以上は何も言わないことにした。
話しているうちにお客さんが来たので、来店の声かけをして会話を打ち切る。そのまましばらく2人でレジを回していたが、後輩は絵梨奈と同じ制服を着た相手でも、しっかりとした接客態度を維持できていた。手際も良いし意外と即戦力扱いで店長が雇ったのかもしれない。
そのうちに俺のシフト終わりも近づいて来たので、適当に引き継ぎの準備を始めながら後輩に声をかける。
「いや、俺もここで働いてまだ1年にならないから、そう偉そうなことは言えないけど、もうかなり手慣れた感じだな」
「ありがとうございます! まだ定型文一瞬ど忘れしたり、聞き忘れたりすることもありましたけれども……」
「それはもう回数こなして慣れるのが1番いいから」
するとまた鳴り響く入店音。反射的に振り向きながら挨拶をする。
「いらっしゃいませ〜……おっ」
口の中で声が消える。店に入って来たのは学校帰りの絵梨奈だった。俺の姿を確認するとこちらに笑いかけ、するすると店の奥に消えていき見えなくなる。そういえば前にバイトのシフト日を教えたような気がするし、それを狙って来てくれたのだろうか。そう考えると会えた喜びもひとしおである。
やがて絵梨奈は俺の方のレジへやって来て品物を手渡す。俺が勤務中だからか、それとも横に後輩がいるからか、俺に対してあからさまに好意的な反応は見せていない。それはそれでちょっと勿体無いと思う自分がいることに驚いたが、でもそれが絵梨奈の良さなのだからと瞬時に思考を切り替え、俺もいつも通り接客する。
「お会計276円です……306円お預かりいたします……」
会計を済ませてお釣りと商品を手渡すと、絵梨奈は俺の目を少し見つめて微笑み、それからお礼を言って店を出て行った。絵梨奈が店のドアを出るか出ないかで、後輩が話しかけてくる。
「あの子、今日来た生徒さんの中で1番綺麗でしたね! いいなぁ、先輩彼女の接客できて」
後輩の言葉に、よく分かってるじゃないかと言いかけて流石に色々いけないと踏みとどまる。とはいえ自分の彼女が褒められることは満更でもないが、後輩の目的が分かっていると非常に複雑だ。
だがよく考えると、下手にアプローチかけられ始めてから俺の彼女に何をすると言うより、最初から言っておいた方が面倒がないのではと思い始めた。別に後輩は俺と同じ高校でもないし、俺とも絵梨華とも絵梨奈とも直接的な関わりはない。
「残念なお知らせだが、あの子は俺の彼女だ」
「へ? うえぇぇぇ!? 先輩の彼女さんなんですか!?」
「バカ、まだ勤務中だぞ」
「す、すみません……で、でも本当なんですか? 失礼ですけど、そういう感じには見えなかったんですけれど……」
単純に信じられないのか、それとも自分の好みの子が俺の彼女だと信じたくないのか、どうにも訝しげな顔をしている後輩。まあこれだけじゃ虚言と思われても仕方がないので、俺は努めてなんでもないように装いつつ後輩に告げる。
「信じられないなら、そっちもシフト上がりだろ? 俺についてくれば分かるよ」
「はぁ……そうですか?」
俺のシフト終わりギリギリを狙って来たのだ、絵梨奈が態々待っていてくれる可能性は高いと思った。でも別に約束したわけではないから、これは単純に俺が絵梨奈がそうすると信じているだけ。
ひょっとすると今日は忙しくて俺の顔を見ただけで帰っている可能性もあるし、正直恋人になったからといって態々待ってくれていると思い込むのは、恋人ならこれくらい当たり前という思考の強かった絵梨華と同じようで、本当は嫌な考え方だった。
でも何となく、ここでしっかり証明しておかないといけないような気がした。だが本当は俺の家族以外に誰にも絵梨奈が恋人と明かしていなくて、周囲の反応が見たいという浅ましい考えと、直截的な独占欲の発露なのかもしれない。自分の真意に悩みつつも、俺は半信半疑な後輩を連れて、着替えて裏口から表に回った。
「あ、欽二さん! お疲れ様です!」
俺に手を振ってくる素敵な笑顔に、横の後輩がビシリと固まるのが見なくてもよく分かった。俺は早足になるのを抑えつつ、絵梨奈の元に近づいていった。
「ありがとう、やっぱり待ってくれてたんだ。待たせたね」
「いえ、全然待ちませんでしたよ。それに、私が好きで待っていたのですから」
「それでもありがとう、じゃあ行こうか」
凍りついて呆然と立ちすくむ後輩に、じゃあお疲れと声をかける。絵梨奈もお疲れ様ですと一礼し、それでようやく後輩は解凍してぎこちなく返礼を返した。その顔はガチガチで、少し申し訳なく思った。
絵梨奈と前のように並んで駅までの道を歩く。絵梨奈も学校が始まったばかりで、新しいクラスや先生のことを話題にしていた。だがどこか上の空な俺に気づいたのか、絵梨奈が不思議そうな顔で話しかけてくる。
「どうかなさいましたか? 何か気がかりなことでも?」
「いやね、さっき俺と一緒にレジに立ってたのがバイトの後輩なんだけど……」
そう言って俺は、後輩が絵梨奈のことを今日の中で1番可愛いと言ったこと、それでどうにも心が落ち着かず、つい後輩に見せつけるようにしてしまったこと、それがどうにも絵梨奈のことを考えていないようで、自分の行動に疑問を感じてしまったことを絵梨奈に包み隠さず話した。
すると絵梨奈はどうにもこそばゆいというような表情をして、俺の方にスッと向き直って歩みを止めた。俺はそれに相対して絵梨奈の判決を待った。
「その……ごめんなさい、気を悪くしないでいただきたいのですけど、意外でした。欽二さんも、そういうことを思われるのですね。ありがとうございます、私のことをそこまで考えてくださって」
でも、そう面と向かって仰られると、少し恥ずかしいです。そう言って機嫌を損ねた顔のように顔を赤くして前に向き直る絵梨奈。そこで今俺は自分から惚気に走ったのだということに気づいて、俺も顔が赤くなるのを感じる。
しかし同時に、こんな感情は初めて味わうかもしれないと思った。絵梨華との付き合いは俺が絵梨華の機嫌を取り続ける—勿論途中までは好きな相手の幸せにするという点で、俺にとっても幸せな時間だったのだが—一方で、「誰かに取られるかもしれない」というより「絵梨華に嫌われるかもしれない」という方が先行していたような気がする。結局絵梨華の我儘がエスカレートし、その重圧に俺が耐えきれなくなって破局してしまった訳だが。
「いやゴメン、俺も変なこと言って……絵梨奈が好きな気持ちに変わりはないけど、余りそういうのを前面に出すのは絵梨奈にとっても俺にとってもよくない気がして……」
「いいえ、その……寧ろ嬉しかったです。それだけ、私のことを思ってくださっているということですから」
どうにも双方妙な空気になっていると、俺の目に駅の近くにある公園が映った。もう辺りは暗く、公園で遊ぶ小さな子どもの姿も見えない。
「ねぇ、ちょっと立ちっぱなしで疲れたから、申し訳ないけどちょっと座ってもいい?」
「ええ、勿論です」
適当な理由をつけて公園のベンチに腰掛け、右隣に絵梨奈が座る。殆ど人がいない夜の公園には、もう桜も散らし終わった夜風だけが囁いていた。
そのまま会話も止まり、黙って座っている。気まずくはないが、どうにも落ち着かない空気。ふと夜空を見上げると、若葉の目立つ桜の木の枝の向こうに、大きな満月が昇っているのが霞んで見えた。
俺は月を見ながら、少し絵梨奈の方へ体をズラす。絵梨奈も当然それに気づいたようで少し身じろぎするのが横から感じられる。すると、絵梨奈の方も俺に少し近寄ってくる。俺の右肩と絵梨奈の左肩が少し触れる。
チラと絵梨奈の方を向くと、絵梨奈も俺と同じ方向を見つめていた。街灯の僅かな灯で表情はハッキリ分からないが、顔が赤らんでいるのは灯がなくとも察しがついた。そして俺も鏡合わせのように同じ色をしていることも。
そのまま俺たちは暫く肩を寄せ合い、ベンチに2人で座っていた。月は遠くに霞んで見えていたが、肩にかかる重さは、決してその愛が遠くに浮かんで届かないものではないと教えてくれていた。夜風が絵梨奈の髪の毛を揺すり、それが俺の体にかかってこそばゆかった。
そのままズッとこの時間が続くような気がしていたが、やがて月が流れてきた雲に隠れて見えなくなると、どちらからともなく立ち上がる。
「付き合ってくれてありがとう、そろそろ行こうか」
「ええ、分かりました」
また並んで歩き出そうとする時、ふと俺は絵梨奈の左手をそっと握った。絵梨奈の手は一瞬強張るも、すぐに俺の手をおずおずと、しかししっかり握り直してくれる。そのまま俺と絵梨奈は駅へ向かってゆっくりと歩を進めた。月の光は駅の灯に負けるほど弱々しくはなかった。
花は風に散れども、叢雲の後ろに月はある
追記:またやらかしたぁ! 予約投稿日時間違えたぁ……orz。書き溜めがぁ……




