声がデカけりゃいいわけじゃない
教室の扉をいつものように開ける。ガラガラと響く音……はしない。うちの学校の教室の扉は縦の取っ手がついたスライド式なので、出入りの度にうるさい音がする訳ではない。
だがそれでも当然教室に人が入ってくれば、無言でもそこそこの人間が気づく訳で、そしてそれが何やら話題の人物となればどうなるか。嫌な視線が集中するのは必然である。
努めて周囲の視線を無視し、自分の席へ向かう。ダッフルをしっかり着込んでいるはずなのに、視線は寒さを弾いていたはずのダッフルを貫通して俺自身に突き刺さる。
俺の席は教室の左から2列目、1番前。1番前である……俺1番前とか嫌だったんだけど、特例除き全部籤引きとかいう地獄みたいな決定が去年の席替えでなされた結果、よりによって1番前である。しかしこういう状況に陥った時、後ろの方の席だとチラチラ俺の方を振り返って見てくる顔が、さぞかしウザかったに違いない。そもそもこんな状況になりたくはなかったのだが。
「あけましておめでとう、欽二」
「おお、あけおめ智。どうだったよ年越しは」
「やっぱり富士山から見る初日の出は最高だったよ! 君も山に登ればいいのに」
「別に山は好きだけど、そこまでガチにはなれないなぁ」
人の良さそうな顔をしているコイツは林智。会話から分かるように登山が趣味という奴である。実は中学からの同級生で、ここまで4年間ズッと同じクラスという奇跡的な確率を叩き出している。その為自然と付き合いの長さからよく話すようになっていた。
「君は……なんというか、お疲れ様だね」
「絵梨華はもう来てるか?」
「ああ、さっき隣のクラスが少し騒ついたから多分来てると思うよ」
「ふむ、俺への待ち伏せは無しか……」
校門や教室前で待ち伏せて、俺を散々貶しまくって自己正当性を強化する方向にはいかなかったか。しかし逆に、「どうしてもというなら縁を戻してあげても……」という感じでもなさそうと。まあ後者の場合は俺の方から来るのが筋とか思っていて、昼休みにキレて殴り込んで来るとかも想定しておくか……
「おい時任!」
と、微妙な教室の空気をぶち壊す大声。チラと右を向くと、俺を睨みつけて来る彫りが深めの顔をしたクラスメイト。そいつが俺の机の方にズンズンと寄ってくる。スッと体をズラしてそいつと俺との間に距離を作る智に思わず拍手したくなるが、それよりこいつへの対応が先だ。
「ほい、あけおめ。それで何の用だい竹中」
「お前、金子さんにあんな酷いことをするとはどういうことだ!」
俺のあけおめをガン無視で怒鳴ってくるコイツは竹中静夫。1年ながらその180後半という結構な高身長もあり、バスケ部でホープとして有名になった奴だ。確か夏の大会で結構な得点を量産し、県大会までたどり着いたってことで俺もスゲェなと思って見ていたのだが……
「酷いことって何だ?」
「お前がクリスマス・イブの金子さんとのデートで1時間半遅刻した上、他の女に鼻の下を伸ばし、寒空の下金子さんを散々連れ回した挙句、プレゼントの1つも無かったという話だ!」
おい、寒稽古の時に聞いた内容より悪化してんぞ。誰だ尾鰭じゃ飽き足らず胸鰭と背鰭までつけて自力で噂が泳げるようにした奴。自然界に放したら在来種を食い尽くしちゃうでしょうが!
「ふむ、お前に言われているようなことに関しては、全く身に覚えがないな」
「惚けるなよ、金子と仲が良い幸子……安藤から聞いたんだぞ!」
「そう言われても、俺が絵梨華の気分を害する行動を取ったのは事実かもしれないが、俺はお前が言うような、客観的に見て酷いことをした覚えはないんだが……」
「何だと!? お前はこれだけのことをしておきながら、まだそんな口を叩くのか!」
「いや、だから俺はそんなことやってないんだってばよ……」
向こうが「俺がそういう酷いことをやった」という前提から離れてくれないので、どう反駁しても話が噛み合わない。不毛な会話が続いて竹中のイライラが募っていくのがよく分かったが、俺だってイライラしている。
「竹中、少し声を落としてくれないか。普通にうるさいよ」
「何だと!? お前には関係ないだろう!」
「今まさに君の大声で迷惑を被っているものとして関係がある。仮に欽二が何かやらかしたと仮定しても、それで君が周囲の人間に口害を与えてまで欽二を糾弾する権利を持つことにはならないはずだ。それこそこれは金子と欽二の間のことで、君には関係ないだろう?」
埒が明かないと判断したのか、智が論点ずらしで竹中を黙らせにかかる。バッサリ切られた竹中はモゴモゴ言った後、多少冷静になったのか声のトーンを落とす。
「……すまん、うるさかったのなら謝る。だが俺は男の風上にも置けないコイツに、今憤りを覚えていることは理解してほしい」
そう言うと俺をギロリと睨みつけて、竹中はそのまま自分の席へ戻っていった。周囲の人間も何事かと見ていたが、次第に視線が外れていく。ここまでどデカく竹中がかましてくれたことが、果たしてどう転ぶか。
「助かった智、ありがとう」
「何、流石に目に余ったからね。いや、うるさかったのだから耳に余ったのかな?」
「しかし竹中がグダグダ言ってくるとは思わなかったな……」
「あれ、知らなかったの? 彼入学直後に金子に一目惚れして、君が彼氏として既にいることを知らずに吶喊しようとしてたんだよ。寸前で金子のことを知ってた女子に止められたって聞いたけど」
「……それマジ?」
まさかの俺下げでフリーになった絵梨華を狙ってるのか? でも逆に言えば4月に告白未遂で終わってまだ想い続けているんだから、そういう意味では純粋なのかねぇ……
「しかし、これからしばらく竹中に絡まれるのか……?」
「かもねぇ……彼、結構威圧感あるし、普通に怖いよねぇ……僕160しかないから余計だよ」
「その頭1つ分身長差がある相手をさっき黙らせたのはそっちでは?」
なお智は絵梨華と成績で部分的に張り合える程度にはできる。但し太刀打ちできるのは得意教科の数学や物理、化学くらいで、苦手教科の現代文や世界史はどん底に等しいというアップダウンの激しさから、トータルで見ると中の上くらいに収まっている。
俺? 俺も理系。文系はからきし人間。根深度寝ざる? 何それ根が深そうな眠り。ヒジュラが起こった年? そもそもヒジュラって何だっけ……
「ほら席つけぇ、出席とるぞ……」
「セェェェェェフ!」
「うるさいぞ吉宮ぁ! 出欠前だからセーフではあるが、今すぐその口閉じないとお前遅刻にするぞ!」
「サァセンシタァァアア!」
「お前人の話聞いてないダロォォォォ!?」
担任が前の扉から教室に入ってきた直後、後ろ扉から大声を張り上げ飛び込んでくる悠人。新年早々耳をつんざく大声に、額の後退著しい担任も負けじと大声を張り上げる。こんな調子なので、うちのクラスはとかくやかましい。
竹中の声がまだ耳に残る中、悠人と担任の大声に鼓膜が破れるかと思った。だけど去年と変わらないこのやり取りに、教室の雰囲気も柔らかくなり、竹中の大声もかき消された。その点は感謝しないといけないなと、俺は小指で耳の穴を弄るのであった。
「ちょっといい?」
「はい? 何ざんしょ」
結局絵梨華とはその日一度も出くわさなかった。移動教室もなかったし、絵梨華の方からこっちに顔を出すこともなかったのだ。こっちにも縁を戻す気がまるでない訳ではなかったが、それでもアレだけ向こうから色々言われてこちらから出向く気にもなれず。
しかしこれって結局は双方我慢比べしてるだけなんじゃないかと想いつつも、一応は向こうからの一方的な通告による破局済み。多分俺に関するガセネタを流しているのも、俺に酷いことをされた自分という構図を作って自分の立場を正当化する為だろう。
この状況で俺の方から出向いたら、事実上ガセネタが事実だと認めることになりかねない。幾ら何でもそこまでして縁を戻したくはなかった。
……多分高校の初め頃だったら、まだ俺の方から謝って向こうが仕方ないなと受け入れて、みたいな形式を取ることができたかもしれない。でも去年下半期ズッとデートの度にグチグチ言われ続けたことと、余りに酷いこじつけの数々、そして絵梨奈を通じて知った絵梨華の裏の姿が、俺の絵梨華に対する信頼を大きく損なっていると、俺自身も自覚していた。
そんなこんなで絵梨華は顔を見せず、竹中からはたまに視線を向けられ、朝の騒動を見ていなかった悠人に話をせがまれ、世界史の授業で眠気と戦い、そして学校での1日が終わった。念の為に智に絵梨華がいる隣のクラスを見にいってもらい、絵梨華の帰宅を確認してから俺も教室を出る。
智は家が高校から徒歩圏内、悠人は剣道部と掛け持ちしてる吹奏楽部の練習……担当楽器はチューバ。果たして楽器をしているから肺活量が鍛えられて大声が出るのか、大声を剣道部で出しているから肺活量を吹奏楽でも生かしているのかは不明である。
そういう訳で1人駅に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。甲高くスタッカートな声。思わず変な返事をして振り返ると、そこに立っていたのはうちの高校の女子生徒。
一応髪染めが禁止ではないので、然程珍しくはない金髪をサイドに垂らしている。勝気な雰囲気を感じるが、生憎知った顔ではなかった。そんな彼女だったが、俺の返事に妙な顔をする。
「何? からかってるの?」
「いや、うっかり口から出ただけだ。不快に思ったなら謝ろう」
「別にからかってる訳じゃないならいいのよ。それより時任欽二でいいのよね」
「間違いなく時任欽二ですけど、そちらさんは?」
「アタシ安藤幸子。絵梨華とはクラス一緒で、結構仲良いのよ」
あれ? つまり竹中が言ってた安藤ってこいつか? そう思っていると、安藤は女子制服の胸元についている赤色のリボンを弄りながら、俺にウンザリした声で話しかけてくる。
「ホント、アンタ余計なことしてくれたよね。絵梨華に黙ってくっついてればよかったのに」
「俺は噂で流れているようなことは誓って何もしていないが? 余計なことも何も諸々のことは俺がやったことじゃない」
「そうじゃなくて、アンタは素直に絵梨華の言うことホイホイ聞いてればよかったのよ。そうすれば全部丸く収まったのに」
「これまた理不尽なことを言うな」
そう言うと、安藤はため息をつきながら俺の方をジッと見てくる。そして呆れたように俺に話しかけながら、校則ギリギリまで短くした青色のスカートを翻して振り向く。
「ま、せいぜいウジウジしてなさいな。アンタにはその方がお似合いよ」
そして俺が何かを言う前に、スタスタと歩いていってしまった。
「何だったんだ……?」
あんな酷いことをと俺を糾弾する訳でも、縁を戻す為に努力しろという訳でもなく、純粋な俺への恨み言ばかりぶつけていった安藤を、俺は理解できなかった。
理解できないものは仕方ないので、俺もそのまま駅へ向かって歩いていく。冬の夕日に照らされて長く伸びる自分の影は、いくら歩いて追いかけても追いつくことはなかった。




