3 澱んだ黒
シトーが水の壁を回り込み、ジーズに向けて刃を放つ。
「離反は許しましょう。ですが、我が主への失礼は許しませんよ、ジーズ、ベヒィマ! ――【氷柱の剣舞】」
向かってくる刃を後ろに避けながら、ジーズは軽く笑って答えた。
「おれ達はあんたとは違うって言ってるだろ、シトー。そんなに主が好きなら、そいつぁあんたにやるからさ、黙って後ろに引っ込んでろよ。目の前に出てこなきゃおれ達だって、見逃してやるんだから」
「見逃す? 我が主が目的じゃないなら、何のために来たんですか――【氷柱の剣舞】」
続けて放たれた氷の刃もジーズには掠りもしなかった。
「――【地殻盾】!」
ベヒィマの甲高い声が響き、ジーズの前に盛り上がった土が壁として立ち上がる。氷の刃が深々と突き刺さり、動きを止めた。
舌打ちと共に、シトーが目標を変えベヒィマへと迫る。
ベヒィマは纏った黒いドレスの胸元をぎゅっと握りしめ、そして私へと視線を向けた。
「――あなたが魔王ヅラしてそこに立っているの、本当に腹が立つわ! ――セット、全詠唱破棄――【華焔の旋風】!」
「魔王面、と言われてもな――セット、全詠唱破棄――」
「魔王さまに傷を付けようなど、言語道断ですよ! ――【極限防壁】!」
炎が届く直前、シトーが唱えた【極限防壁】が私の目の前に広がる。炎が吹き散らされた後で、時間差で生み出した私の魔術が展開した。
「――【嵐点】!」
「きゃあっ!?」
「くっ……」
爆風に煽られ、舞い上がる木の葉で視界を遮られたジーズとベヒィマが一歩下がる。そこへ、先行していたシトーが突っ込んでいく。
いつの間にか手にしていたレスティの剣を引き絞り、ベヒィマの腹を突いた。
「きゃああっ!?」
「――ベヒィマ!」
駆け寄ったジーズに向け、端で震えていたヘルガが聖弓フロイグリントを向ける。
「――【聖雷針矢雨】!」
「っだぁ!? 危ねぇ! セット、全詠唱破……痛ぇ!」
真上から雨あられと降る矢に当たったジーズが、呪文を中断し悲鳴を上げて転がった。
だが、ただ単に間の抜けた動きをしている訳でないのは、私にも見えている。片腕で掴んだベヒィマの身体を庇いながら、【聖雷針矢雨】の弾幕を壁として使いうまくシトーから距離を取った。
油断はできない。だが、こちらが押しているのは事実だ。【聖雷針矢雨】があるのは大きいだろう。これなら勝てる。
シトーがあからさまな殺意を視線に込めて、銀色の雨の向こうで悶えるジーズを睨み付けている。
「おいたが過ぎるんですよ、あなた方。昔の仲間のよしみで甘くしてやっていたら、付け上がっちゃってまぁ」
「くくっ……付け上がってるのはどっちだ、シトー。いつまでも魔王の側近のつもりでいると、足元掬われるぞ」
「は? 実際に魔王さまの側近は私ですけど? 千年前から今に至るまで一度たりともその座を譲ったことなんてありませんけど?」
堂々と言い張るシトーを横目に、私はため息をつく。
私の横でレスティが、奪われた剣を恨めし気に眺めていた。
「ああ……あんたがそう信じるならそうなんだろうさ、あんたの中ではな」
「……そんなに死に急ぐタイプでしたっけ、あなた」
「いやいや、そんな怖い顔すんなよ、シトー。何はともあれさ、今回のおれ達の目的はあんたの大事な大事なそちらの魔王さまじゃねぇからさ」
「……では、一体何をしに?」
【聖雷針矢雨】の雨が止んだ。
露わになったのは、しゃがみ込んだままのジーズと、その腕の中にいる――いや、いない!? ジーズの手に庇われていたはずのベヒィマの姿が消えていた。
どこへ――とぐるりと首を回した瞬間に、背後にちりりとした気配を感じ、慌てて振り返る。
この至近距離を【転移】で移動してきたのだ、と気付いた時には遅かった。
破れた黒いドレスの布を引きずって、血まみれの少女が私に向かって小さな手を掲げる。
「あんたなんか――【華焔の旋風】」
「なっ!? ――セット、」
燃え盛る炎が迫りくる。
詠唱破棄した呪文でさえ間に合わない。
慌てて身を捻ったが、避けきれはしない。灼熱が私の左腕を舐めていく。
「ぐっ――全詠唱破棄!」
悲鳴を抑えて、呪文を続けた。
高熱に焼かれたはずの左手は感覚が失われている。直視しないように視線を逸らし、ベヒィマだけを睨み付けた。どうなっているのかなど、考えてはいけない。今ならまだ、痛みを無視して魔術を放てるのだから。
長い金髪を振り乱し駆け寄ってきたレスティが、悲痛な声で私の名前を呼ぼうとする。
「レ――」
だが、その名を聞くつもりはなかった。
求められているのが私でなかろうが今、この身体を譲る訳にはいかないのだから。
「――【転移】!」
とぷり、と闇の濡れる音がした。
足元に広がった漆黒の水たまりのようなゲートが、沈む私の身体を受け入れる。
「まさか……逃げるつもり!?」
ベヒィマの声が響いたが、その瞬間に私の視界は一時闇に包まれた。
私が【世界の裏側】と呼んだ次元の断層は、だが、私にとっては嗅ぎ慣れた虚無の匂いのする世界だ。魔族としての耐性の問題なのだろうか。幻一つ浮かばぬうちに、即座に浮上した。
「――良いわ、逃げると言うなら、最初の目的を果たすまでだもの」
ベヒィマの視線は、木の後ろで震えるヘルガへと向いていた。
気付いたレスティが呪文を唱えながら、2人の間へ自らが壁になるように走り込む。
「【我、永華に穿つ墓標】――」
ちょうどベヒィマを睨み付けたレスティの青い瞳が、私の姿を見付けて微かに歪んだ。
その表情でベヒィマがこちらを振り返る――時には、既に私の呪文は完成していた。
「――【転移】」
再び沈む視界。だが今度は、私一人ではない。
「何ですって――!?」
怪我のない右手で少女の細い首元を掴み、共に闇の中へと引き摺り込む。
両手を泳がせるか細い抵抗で黒い次元面が揺れたが、彼女に出来たのはそれだけだった。暗闇の中へ共に沈んでいく。
最後に見えたのは、膝を突き顔を歪めた鳥魔ジーズの表情だった。
次元の狭間、昏い夜の底。
私は確固たる私としてそこにあり――地魔ベヒィマは無力な少女のように泣き崩れている。
音を生まぬ唇が、「何故」と問うた。
甘いと言うならそうかも知れぬ。
だが、私もまた、音を立てぬままに答える。
お前が私を忘れたとしても、私はお前を忘れてはいないのだ、と。




