2 別の人
びっくりした。
まさかあの空中落下の姿勢から、着地時までにお姫様抱っこに流れるように移行するとは。
さすが生粋の(元)王子さま。
だけど、欲を言うなら、オレがあんたの役をやりたかった。
「……怪我はないか?」
そんな真上からキラキラした瞳で覗き込まれても、何かこう……いや、やっぱきゅんとしたかも。
「へ、平気だけど」
「よし、移動するぞ。俺は向こうへ戻るから、お前はティルナノーグに戻ってフェアリー達に知らせて来い。地魔ベヒィマが来たと」
斎藤さんの言ってた通り、魔族三将軍の一人が近くにいるらしい。さっきの炎の攻撃はそいつだろうか。
いや、待て。問題はそこじゃない。
「あんたを行かせる訳にはいかないだろ! 斎藤さんも近くに来てるはずだし、あんたがティルナノーグに人を呼びに行けよ」
「淫魔シトーならもう加わってる」
言われてよくよく耳を澄ますと、爆音の向こうから斎藤さんが笑う声が聞こえるような気がする。
「……ははっ! 何ですか、魔族三将軍の名は飾りですか、ベヒィマ!」
「あんたにだけは言われたくないわよ、この万年使いっぱ!」
聞いたことのない女の子がそれに答えてるけれど、この様子だとあれが地魔ベヒィマなんだろうか。
「聞こえただろ。お前は帰れ。お前がここにいると気が散る」
「気が散るって何だよ、オレのことは良いよ。オレだって魔法は使えるんだから、戦おう」
「お前がここを去れば、すぐにでもそうするさ」
「何でオレを弾こうとするんだよ!」
アルはオレのことを心配してるんだ、分かってる。
だけど、長い間無視――と言うか出くわさないようにこそこそ逃げ続けられたこともあって、大人しくここで引っ込む気にはなれなかった。
肩を掴んで引き寄せると、何とも言えない顔で眉をしかめている。
「……触るな」
「おま――触るなって、言うに事欠いてそれか!? いくら怒ってるって言っても、オレの話くらい聞いてくれたって良いだろう」
「触るなよ!」
ばし、と勢いよく手を振り払われたけれど、はたかれた格好になったオレよりも、アルセイスの方がよっぽど悲しそうな顔をした。
だけど、崖の向こうから声が聞こえ、アルセイスは慌てた様子でそちらへ目を向ける。
「【水面触れさざ波起こす愚者】――いやぁっ!? やだっ……もう!」
ヘルガの声だ。
呪文の切れ端からして、聖弓フロイグリントの必殺技【聖雷針矢雨】を使おうとして妨害されたらしい。
アルは軽く舌打ちしてから、ちらりとオレに目を戻した。こんなところで言い合っている場合じゃないとでも思ったのだろうか、唇を引き締めて踵を返す。
「良いか、今すぐティルナノーグへ戻れ!」
言い残して、崖を回り込む方向へと駆けて行った。さっきと同じように崖を越えて行こうとすれば、魔術の的にしかならないと考えたからだろう。
とは言え、置いてかれたオレは、素直にアルの言葉に従うつもりはない。
――オレが役に立たないなら、役に立つヤツが行けば良いんだ。
呪文だけは知ってても、自分に何が出来るのかちゃんと分かってない。
さっきの【転移】だって、失敗とまでは言わなくても、十分に成功してるともまさか言えない。
やっぱりどうやら、オレじゃダメみたいだ。
ぱんつ作るばっかじゃなくって魔術の練習もしとけば良かった、なんて今から泣き言言ったって間に合やしない。
なら――こうするしかないよな?
崖の向こうからは魔法の炸裂する音とヘルガの悲鳴、そして斎藤さんのくだらない愚痴ばっかりが聞こえてくる。
それでも、目を閉じ静かに深呼吸を繰り返せば、戦いの喧騒は遠く感じられた。
「……あんただって、レスティが無事でいられるように自分で守りたいだろう?」
抑えた声で、内側に語りかける。
答えはなくとも、ざわめく何かがあることだけは分かるから。
「あんたの出番だ。出て来いよ、魔王バアル――」
ぞわり、と湧き上がった何かがオレの全身を包み込み――そして、世界が反転した。
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黒衣の少女――地魔ベヒィマが小さな手を掲げる。
「――【華焔の旋風】!」
その前方に現れた炎が、蛇のように身をくねらせながら木々を焼き、進んでいく。
向かう先に立つのは、シトーとクリュティエ――いや、ヘルガの姿だ。
「――ちっ、邪魔ですよ」
ヘルガの背を押してから、一拍置いてシトーもまたその場を離れた。ぎりぎりを掠めた炎はそのままのたうって木々を焼く。広がっていく炎の端を、茶色い革製のブーツが踏み付けた。
「【地から湧き出で天へ登れ――水竜の法衣】」
足元から吹き出した水の壁が、炎の進撃を止める。
水の幕で一瞬、自分の影が隠れたタイミングを狙って、レスティは跳び出した。
後ろに流した長い金髪が飛び散る水滴に濡れ、重く垂れ落ちる。鞘から引き抜いた剣を振るう腕の動きで、束になった髪が真横に宙を切った。
「――はぁっ!」
気合一閃、斬り掛かる刃を、地魔ベヒィマの前に出た鳥魔ジーズがナイフで受け止める。
「トーマス! お前は――」
「小さな女の子に刃を向けるなんて、ちょっとマナーがなってないんじゃない、アルシアちゃん?」
「誰がアルシアちゃんだ!」
ぎちぎちと噛み合う刃を鳴らしながらも、ジーズに隙を与えず踏み込み続けている。
鍔迫り合いに持ち込みかけたレスティの背後を、シトーの伸ばした手が真っ直ぐに狙い撃った。
「【セット、全詠唱破棄――氷柱の剣舞】」
「――【力場の固定】!」
レスティの背ごとジーズを狙った氷の刃は、私の用意していた魔術に干渉され、狙いより遥かに手前で地面に突き刺さった。
私の呪文を聞いたシトーが即座に振り返り、黒い瞳を見開く。
「――我が主よ!」
「シトー、貴様、レスティを狙うなどと、何を考えている!?」
「いえいえいえ、今度こそ私は裏切りなんて考えておりませんよ!」
「……今度こそ?」
その言葉で、先ほど【転移】の時に見た誰かの記憶が、脳裏をちらりと過った。
眉を寄せて見詰める私に反応して、シトーが僅かに小首を傾げて見せる。
「いえ、先に魔王さまの意識を浮かび上がらせるために、ジーズと手を組んでおりましたので。覚えていないのですか、我が主よ?」
「……いや、そのことは確かに覚えている。そうだったな……」
言われてみれば確かにラインライアの王都で、レスティと私を引き離しておくため彼女に化けてまで私を騙そうとしていた。
思い出すに、夢に近い薄ぼんやりとした記憶よりも余程、そちらの方が明確な裏切りのような気がしてくる。
「そんな顔しないでくださいよ! 今はもう徹頭徹尾、我が主の意図する通りに動いておりますとも。ですがあの程度の攻撃、エルフなら絶対に避けられると思いまして。信頼ですよ、信頼」
「……お前、当たったら当たったでまあ良いかみたいなこと考えてないか?」
「あはは、嫌だなぁ。そんな訳ないじゃないですかー」
「どうだかな!」
純粋に正面からぶつかったことでジーズに力負けしそうになったレスティが、声を上げながら後ろに退いた。ちらりと私の方を見た瞳には、怒りが宿っている。
「お前な……逃げろって言っただろ!」
「レスティよ、そなたがそれを告げたのは、私に対してではあるまい」
「知らん、俺にとってお前の顔したヤツはお前だけだ!」
私の中で、何かがぐらりと揺れた。だが、ここで元の通りに入れ替わる訳にはいかない。
怒りに任せて私の――もう1人の私の名を呼ぼうとした彼女の肩に後ろから手を伸ばし、その唇を片手で塞ぐ。
「そもそもお前、レ――」
「――その名は呼ぶな、レスティ。今は目の前の障害を排除せねばならぬ故に」
引き寄せて耳元で囁くと、レスティは勢いよく私から顔を背けた。首筋を赤らめて震えているのは怒りのためか。
少し寂しく感じたが、さすがに私にももう分かっていた。このレスティはレスティであってレスティではないということを。
だが……それでも私にとってはレスティだ。彼女にとって私が、別の私であるのと同じように。
塞いだ手を外されぬよう引き寄せた手に力を込めた。唇が微かに動くのを感じたが、そのままにしておいて、じろり、と前方を睨み付ける。
人族の使う護身用のナイフを手にしているジーズが、私の視線を浴びてくくっと喉で笑った。
「そこのお嬢さんの言う通り、あんたには退いて貰った方がありがたいんだけどな。うちの主人はまだ、あんたと正面からやり合うつもりはないと言っているし」
「だが、攻めて来たのは貴様らだ、ジーズよ。私とて、攻撃されれば対峙せねばならぬ。そうだろう、ベヒィマ?」
ジーズの背中から顔を出している黒衣の少女は、名前を呼ばれて目を見開いた。
幼い顔立ちだが、その姿のままで幾千もの年を重ねていることを、私は知っている。魔族三将軍の一、地魔ベヒィマ。彼女の細い指が、ジーズのシャツを掴んで震えている。
「そう……あれが、あなたの言ってたアレなのね」
「そうそう、あれがアレな」
「あなたがた――かつての主に向かって、アレ呼ばわりはさすがに止めて貰えませんかね!」
「おい、シトー!」
私の制止を聞かず、苛立った様子のシトーが、乱暴に腕を振るって前に出た。
その姿を鼻で笑い、ベヒィマの手は再び炎を紡ぐ。
「【セット、全詠唱破棄――華焔の旋風】!」
「――【水竜の法衣】!」
私の指の下で密かに唱えていたレスティの呪文が、即座に炎の道行きを断った。
ジーズの舌打ちを聞きながら、私はレスティの身体から手を離した。
ナイフを構えるジーズの方へと駆け寄りながら、唇を歪める。私の背後を、寸の間もなくレスティが追ってくる気配を感じながら。
打ち合わせもないと言うのに、良い連携じゃないか。
互いに思うことが読めているかのように。
伝わっているなら、もうこれで良いのかも知れない。
千年も経っているのだ、多くは望むまい。
彼女がここにいてくれて良かった。
たとえレスティ本人でなかったとしても。




