1 【過日】の暗闇
暗闇の中、対峙する2人を眺めていた。
ぐらりと揺れた右側の影。
暗色の衣を纏い、血の気を失った白い顔。
漆黒の髪に縁取られ、浮かび上がる驚愕に見開かれた瞳。
「……まさか、お前が……」
心臓に刺さった剣に一度だけ目を向け、そして瞼を閉じる。
再び瞼を開いたとき、その眼差しには力が戻っていた。
左側、その視線を受け止めている方の影が怯え、後退しかけた踵を無理に止める。
「彼女は……レスティは無事なのか?」
問いかける言葉は、裏切りを問題にすらしていなかった。
その冷たさに、切り捨てられた、と感じたのだろう。
左側の男の表情に、動揺が走った。
愚かな。今更、寝返ったことを後悔しても遅いと言うのに。
静かに睨み合う淫魔シトーと魔王の姿から、【私】は黙って目を逸した。
己がなすべきことをなすために。
遠見の術により、映し出された水晶の中から、抑えた魔王の声が響く。
「なるほど、お前たち2人が共謀した、ということか。レスティまで巻き込んで」
レスティ、の言葉を聞いて、【私】の横で、かつてその名を持っていた傀儡の身体がぴくりと動いた。
表情を変えぬまま、森の蒼玉と歌われた眩い青の瞳から、ほろりと涙が流れ落ちる。
これもまた、愚かなこと。
今や彼女はその全てが【私】のものだと言うのに。
どこか馴染まぬ手を引き、手繰り寄せ、腕の中へ抱え込む。
手に手を重ね、目の前に浮かび上がる遠見の水晶の向こう――ひとひら舞う黄金に輝く羽根に手を伸ばす。
羽根を包むレスティの手を通じて、どくり、と脈動する魔力を感じた。
手のひら越しにさえ、羽根が熱を持ち、触れられるのを拒んでいると分かるくらいだ。直接に触れているレスティの痛みは如何ほどか。
「すまないね、レスティ。だが、これは君にしか出来ないことだ」
「いいえ、■■■さま。世界を救うためならば」
――応えるレスティが、オレに呼びかけた名前だけが、ノイズになって耳を痛めた。
【私】は軽く首を振って、傀儡に笑いかける。
「さあ、共に手折ろう。これが魔王の魔力の源だ」
水晶の中で、シトーの叫ぶ声が聞こえる。
ただ1人、【私】の力を受け入れず、ただ己の意思で魔王を裏切った男の。
「魔王さま。あなたは、この世界にいてはいけないのです……!」
愚か過ぎる程に愚かで、哀れな男だ。
【私】もすぐにそちらへ向かおう。この羽根を折り捨て、傀儡達を連れて。
応える魔王の言葉を聞かぬまま、【私】は手に力を込める。
ぱきり、と――想像していたよりもずっと軽い音が、辺りに響くまで。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「――っぶねっ!?」
【転移】で暗闇に潜った瞬間から、意識がどっか飛んでってたような気がする。
うたた寝の夢に起こされたような感覚で、オレは慌てて首を振った。
今のは夢――じゃ、なさそうだけど、そんなこと考えてる場合でもない。
ぐらぐらする頭を片手で押さえて、周囲を見渡した。
風が走り、ざわざわと木々が鳴る。
湿った土と草の鮮烈な空気が鼻腔をくすぐる。
森だ。ってことは、さっきの爆発の方向に来てる――ん、だよな? 多分?
「おーい、斎藤さん……!」
呼んでみる。
返事はない。どうやら、近くにはいないらしい。
気は焦るけれど、ぐるり見渡しても木ばっかり。右も左もわかりゃしない。
【転移】で突然出てきたせいで、どっちから来たのかすら定かじゃない。
いや、そもそもここは本当に目指してたティルナノーグの傍の森なのか――!?
もっかい【転移】で戻ろうにも、今度はどこを目指すべきか。
自分の意思が明確な時に長距離を使ってみて初めてわかった。【転移】を魔族しか使えないのは、多分、さっき潜った闇の深さに他の種族が耐えられないからだ。
あれは本来、移動するための魔術じゃない。
【世界の裏側】に一度潜り、そしてもう一度こちらに戻ってくる――その時に戻ってくる場所を調整出来るのを利用してうまいこと移動距離を縮める、そういう術なんだ。
潜った先の闇を何と表現すれば良いのかは、よく分からない。
【世界の裏側】とさっきは言ったけど、もしかすると【自分の裏側】なのかも知れない。
説明が難しいけど、オレの中にあると同時にオレの外側にある場所。世界中のどこかにあってどこにもない場所。空間の狭間、幽世、四次元世界、神域……どう言ってもどこかしっくりこないけど、どれも多分少しずつ合ってる。
オレが長居できる世界じゃない。
さっきの夢みたいに、知らない内に色んなものが自分に混ざってくる。
長くいれば精神をやられそうな気がする。
魔族は耐性があるのかな。そうじゃなきゃ、あんなにばんばん使えはしないはずだ。長生きしてる分、自我がしっかりしてるってことなのかも知れない。
【世界の裏側】の様子を思い出そうとしてる内に、段々吐き気がこみあげてきた。
ぐっと飲み込んで空を見上げた瞬間、燃え上がる炎の柱が目に入った。赤い火柱はすぐに消えてしまったけど、今の一瞬で方向は大体わかった。
「あっちか!」
さっきの火柱の方へ真っすぐ走っていくと、すぐに戦いの音が聞こえてきた。
何かが爆発する音、風を切って幹に刺さる音。
音の発生源まではもう少し――あの盛り上がった土の上に登ればきっと。
前方が、オレの身長よりちょい高いくらいの崖みたいになっている。
助走の先で踏み切って、勢いで駆け上った。両手で身体を支え持ち上げる。
視界が開けた――途端に。
「――【華焔の旋風】!」
目の前に、炎の塊が押し寄せて来た。
ヤバい、何か一番危ない場所に出たらしい!? こういう時は逆属性の魔法を――とか考えている間に、背後から肩を掴んで引かれた。
後ろに倒れながら、真上を通って突き出されたしなやかな腕が、前方に水の壁を形作るのが目に入る。
「レイヤ!? この――【水竜の法衣】!」
飛んできた炎が壁に遮られ、水飛沫を飛ばす。
上を向いたままの顔がびしょびしょになるのを、ぎゅっと後ろからオレを抱いた手が防いでくれた。
後頭部に柔らかいクッションが当たってる――いや、体勢的にこれは多分クッションじゃなくて……
「――アル! 良かった、無事だったのか」
恐る恐るどけられた腕の向こうから、見慣れた青い瞳がオレの顔を覗き込んでいた。
近くにいたんだろう。後ろに引っ張って倒れかけたとこをうまく真後ろで支えてくれたらしい。ちょうど、アルの顎の下辺りにオレの額があるので、この後頭部に当たってるのは多分おっぱ――
「――いやいやいや、ちょ、離して! 自分で立てるからっ」
「馬鹿、お前何しに来たんだ! 大人しく下着作ってろって言っただろうが!」
怒りながらオレの首に回した腕をぎゅうぎゅう引き寄せるもんだから、息は苦しいわ頭はやらかいわでちょっと反論がすぐに出てこない。
そうこうしてる内に、炎を防いでくれてた【水竜の法衣】が揺らぎ始めた。
「あ、アル……っ! これ、ちょっと……」
「まずいな……レイヤ、行くぞ!」
「えっちょ――うわあっ!?」
今上ったばかりの崖を、ヘッドロックを決められたまま背中から落ちる。
ふわりと浮き上がる浮遊感の中、オレの頭にあったのは、これ着地した時に首の骨折れるんじゃなかろうかって不安と、それはそれとして後頭部に押し付けられたままのやらかい感触のことだった。




