interlude 触れたい(おかしい)
旅程通りに荷を詰めている間も、苛立って仕方ない。
気が付けば同じ名ばかりが頭に浮かびかかるから、慌てて別のことを考えようと意識を切り替えた。
例えば、これからの旅路のことだ。
まずはアルファディラへ向かう。人族よりはまだ交流があると言え、サラマンダーとはフェアリーほど頻繁に行き来がある訳ではない。俺の――アルフヘイムの元王子の名程度で、サラマンダー達に受け入れられるだろうか。
不安があるのは事実だが、行ってみなければ始まらないのもまた事実だ。
……それにその間、レイヤはきっとヘルガと2人で――
――ガン、と取り落とした剣が足元で鳴った。
まずい、折れたりしていないか。慌てて拾って確かめたが、外観は問題なさそうで息を吐いた。
「……おかしい」
勝手に浮かんでくる人物の影を、頭を振って追い出した。
追い出したつもりで、気づけばまた同じことを考えている。
いや、既に脳内を経由せずに、彼のことを思い出している。閉じた瞼の裏に、触れた指先の奥に、勝手に浮かび上がってくる。
押し止めようとして、それでもなお溢れてくる。
おかしい。
何がおかしいって、自分がおかしい。
風が吹いたとか、空が青いとか、そんな普通のことに気付いただけで、ふと。
つまらないことで心が揺れる。
こんなものはすべて――今までの自分の中にはなかったはずのものなのに。
レイヤのことは、好きだ――いや、好きだと思っていた。
傍にいると心地良い。姿が見えないと寂しくて、特にラインライアに着くまでは、あんなか弱い人族が1人で大丈夫なのかと心配でもあった。
近くにいて欲しくて、いればいつも目が離せない。
触れられると嬉しくて、そして――
同じような思いは今までに経験したことがある……と、思っていた。
ルシアに対してであったり、他のエルフ達にだったり――人肌は温かい。心地よい。安心する。だから触れていたい――つまりそれが、愛、と呼ばれる感情なのだと思う。
そうじゃないと気付いたのは、ティルナノーグに到着してからだ。
これは、何だ。
この、胸を痛ませる程の狂おしさは。
前からどうも自分はおかしいと思っていた。
ただ……気付かない振りをしていただけだ。
レイヤに触れられることが、嬉しい。
あの黒い目が、俺を見ていると思うと血が沸き立つような喜びを感じる。
こちらから触れればそれだけで胃の奥が熱を帯び、込み上げてくるあまりにも動物的な感情に喉が渇く。
アレが誰かに触れているのを見ていると、その顔を力づくで視線を自分の方へ向けたくなった。
そうしなかったのは、まだ俺に理性があったからだ。
おかしい。
どう考えてもおかしい。
こんなものは、今までこの世界には存在しなかったはずのものだ。
肌を触れ合わせる。
互いに「スキ」と呪文を唱え唇を重ねれば、その腹に子を宿すことが出来る。
照れくさい儀式だが、愛を伝える大事な行為だ。
ただ、腹に子がいる間はやはり動きづらくなるから、出来れば俺の腹には作りたくない、と思っている。
思っている――はずだった。
なのに、現状はどうだ。
レイヤに触れたいと、折に触れてはそればかり考えている。
アレの触れようとするすべてのものに嫉妬している。
アレに口づけられるなら……そう考えかけては、自分の頬を叩いて目を覚まそうとする。
おかしい。これは何だ。
こんなものは知らない。
こんな――肌よりももっと奥で、交わりたいと願う気持ちは。
レイヤが誰に触れるのも許せずに、すべて奪いたくなる思いは。
最初のうちは、隣で眠るのはむしろ安心だった。そうしていれば、知らないうちにレイヤが危険に陥ったりしないから。
傍で眠れなくなったのはいつからだろう。
気の抜けきった顔で眠る顔を見下ろす度に、胸の奥で何かが騒ぐようになったのは。
押さえ付けて、その服を引っ剥がして――それから。それから?
それからどうしたいのかなんて、自分でも分からない。
もしもこれが魔王の持つ力なのだとしたら、彼の存在は危険だと言えるだろう。こんなところに置いていけば、ティルナノーグを危険に晒すことになる。
だが、ヘルガに尋ねてみても、そんな思いはしていないと言う。
だとすれば、逆だ。
危険なのは――おかしいのは、俺だ。
一刻も早く、離れなければならない。
レイヤに対する感情だけがおかしいんだ。彼から離れれば、もしかして治るのかも知れない。
その間レイヤがどこで何をしているのか、考えれば考えるほど狂おしくなるとしても。
「――ああ、全く!」
ガン、と音を立てて扉を蹴り開けた。
旅の準備をしようと思っていたが、1人で部屋にいると気が滅入る。
外の空気を吸ってこようと思い立った。
「……あら、アルセイス。お散歩?」
道の途中で俺の姿を見つけたヘルガが、微かに翅を震わせながら追ってくる。
何か答えようとして、だが――レイヤに、好きかと尋ねていた姿を思い出して、何も言いたくなくなった。
ほとんど無視するような状態で先を急ぐ俺を見て、ヘルガは不思議そうに首を傾げながらついてくる。
「どうしたの、アルセイス。こないだからおかしい」
こないだ、なんてもんじゃない。
もっと前からおかしいんだ。
よくよく思い返せば、レイヤに出会った時から、きっと少しずつ。
「ね、もしかして、アルセイスもレイヤと子どもが作りたかったの? 相談しなくて悪かったと思うけど……でも、私、順番横取りするつもりなんかないんだから、心配しなくて良いよ」
そうだけど、そうじゃない。
そうじゃないのに、何故か真ん中を貫かれたような気になった。
「……ヘルガは、アレの子を産むつもりか?」
「多分出来ないんだけどね。でも……出来たら良いなって思った。あ、もしも万が一そうすることが出来たとしても私のお腹に作るつもりだから。それに、私に子が出来れば、レイヤに無理でも国を挙げて養うことになるだろうし……だからアルセイスは遠慮なんてしなくて良いんだよ?」
瞬きする桃色の瞳には、悪意なんて欠片もない。
子どもを作る相手は、固定する必要がないからだ。
愛する相手は多ければ多いほど、心が広い証拠になる。
同時に何人もの相手と子を作れる相手は、そうして動きづらくなった相手を全て養うだけの甲斐性があると讃えられるし、そうでない場合でも作る順番さえ互いに決めていれば、問題になることはない。
ヘルガはおかしくない。
おかしいのは俺だ。
深くため息をついてから、いつの間にか到着していた流水布の端を飛び降りた。
「森の方まで行くつもり?」
「俺はな。お前は帰れ」
「そんな顔してるのに、放っておけないでしょ。私……あなたがエルフでさえなければ、それに私が正常でさえあれば、あなたとも子どもを作っても良いと思ってるんだから」
人族を除く他の種族との混血は生まれ得ない。何度も儀式を行ってみて、出された結論だ。
だから、俺とヘルガの間には子は作れない。
そうと知っていてもそれは、深い愛の言葉のはずだった。
なのに今の俺には、受け入れられない。
無言で森に向かう俺の背中を、それでもヘルガは追ってくる。
友人だと思っていたはずなのに、今でも友人のはずなのに――レイヤのことを思うと、振り向いて手を差し伸べることさえ出来なかった。
「ね、アルセイス……! ちょっと待って、私達はそんなに歩くのは早くないの」
「ついて来なくて良い」
「そんなこと言ったって……」
ぶちぶち文句を言いながらも、俺から離れない。
俺の頭がおかしいせいで、ヘルガにまで心配をかけているらしい。
申し訳なさと共に、理不尽なレイヤに対する怒りが湧いてきた。
あいつさえしゃきっとして、誰彼構わず子どもを作ろうなんてしなければ、俺はこんな気持ちにならずに済むのに。そう思ってから、レイヤがそんなこと知る訳ないと思い至って、やっぱり自分はおかしいとますます落ち込む。
黙って歩いていてさえ、この繰り返しだ。
自分が嫌になってきて、むしゃくしゃを吹き飛ばそうと魔力を編み上げた。
誰かさんが無差別に配りまくってるぱんつのおかげで、魔力だけはいつになく最高に調子が良い。
「【我、虚無を抉る透徹の剣 拓かれし朝を射抜け ――氷矢の一撃】!」
煌めく氷が、空気を鋭い刃で切り裂きながら飛んでいく。
貫く目標のない刃はそのまま木々の間を抜け、飛びゆく魔力が薄れたところでかき消える――はずだった。
ところが、刃は俺達の向かう先――空中で、突然その動きを止めた。
「――ぎゃっ!? ヤバっ――痛ぇ!」
悲鳴と共に、直前までそこにいなかった影が姿を表す。黒い髪と目をした凡庸な男が、避けようと前方に掲げた腕を貫かれて立っていた。
その顔に見覚えがあった分、即座に怒りが湧き上がる。
「お前――トーマス!」
「もう知ってるんだから、魔族の名前で呼んでくれよ」
苦笑しながら腕を振ると、その後ろから小柄な影が顔を覗かせる。
背中までの長い金髪と尖った耳、幼いながらも整った容貌は、一見すればエルフの少女のようにも見える。
だが――その両の瞳は燃え盛る炎のような赤色をしていた。
人族の好むドレスのようなフリルの多いスカートを翻し、少女は不思議そうに首を傾げて見せる。
「……透明の魔術を纏ってたはずなのに、何でバレたのかな?」
「いやあ、エルフの王子ってのも伊達じゃないってことかね。こっそり火を点けるだけにしようって言ってたのになぁ」
言い合う鳥魔ジーズと少女に向かって、俺の背中からヘルガが声を上げた。
「あいつ――アル、あれ、あの女の子……!」
「鳥魔ジーズと一緒にいるということは――」
「地魔ベヒィマ……ティルナノーグの天敵よ!」
フェアリー達が炎を嫌い、川の上に流水布で街を作ったその理由となる魔族は、その場でくるりと回って見せた。
「はじめまして、エルフの王子様。そして、永遠にさようなら」
その小さな両手に立ち昇る焔を見て、俺は慌ててヘルガの身体を抱き、木の影へと飛ぶ。
一拍おいて轟音とともに放たれた赤い炎が、視界を灼いた。




