7 信じられない
「な、絶対最後には助けるから。それよりさ、そろそろお前の競りが始まるから、大人しくこっちへ……」
握った腕を引かれて、痛みや恐怖よりも苛立ちが勝った。
引けばすぐに切れると言われていた縄は当然、切れる素振りもない。
不自由な両手をまとめて引き、トーマスの力に抗う。眉を顰めた行商人が、力任せに俺の手を引っ張ろうとした瞬間――体重をかけて身体ごと逆に突っ込み、体勢を崩させた。
「――ぅぅおいっ!?」
「信用出来るか!」
踏み込んで脇腹の下を回り込み、二の腕を掴んでいた手を外させる。身体を沈めてそのまま腕の下を潜り抜け――ようとした途端に、伸ばしていた髪を掴まれて引かれ後ろへたたらを踏んだ。
「だから! 大人しくしてろって言ってんだろが、アルセイス!」
引きずり倒され、地面に転がる。真上から落ちた声の低さにぞくりとした。
いや、声に含まれた敵意に怯えたのではない。投げつけられた言葉――何故、俺の名を知っている!?
「黙って待ってりゃすぐに帰してやる。あんたが望んだ土産つきでな。おれは、ただしばらくあんたに大人しくしてて欲しいだけなんだよ」
忌々し気に囁かれたが――その言葉を信じる理由はなくなった。
まだ隠している、何かを。
なぜ俺をここに置いておきたがる?
トーマスの黒い瞳がぎらりと光った。今までに感じたことのない恐怖が心奥から湧いてくるが、その程度で――今度こそ、止まるつもりはなかった。
髪を掴んだままのトーマスの手を両手で掴み返し、背中をバネに下半身を跳ね上げると、上腕に両足を絡めてそのまま引き倒した。エルフは人族に比べて腕力が劣るとはよく言われるが、それでも力の込めやすい体勢というものもある。
背筋を使って肘の関節を逆方向に曲げてやると、甲高い悲鳴が響いた。力の抜けた手が髪から離れる。
横に転がると同時に両足を離して立ち上がり、そのままさっき目で確認した武器商の方へ駆け寄った。
「あっお、おい……! ちょ、誰か、あいつを止めろ! 止めてくれ!」
爆音に注意が逸れていた人族達が、騒ぐトーマスの声を聞いて俺の方へ視線を戻す。
一番近くにいた商人風の人族が、迷いながら腰の剣を抜いて掲げる。どうも頼りない構えだが、他に妥当な選択肢もない。そちらへ向けて両手から突っ込んだ。
「おおっ!? こ、こっち来――うわっ……!?」
狙い通り、驚いて跳ね上げた剣の刃に手首の縄を当てる。
相手の力が足りず腰が引けているのを、勢いを付けて押し込んで捩じ切った。そのまま尻餅をついた人族を飛び越え、武器商の前に並んだ商品の一つに手を伸ばす。
選んでいる暇などない。一番手近にある、俺の片腕くらいの長さの銃を掴むと、そのまま天幕に駆け寄って跳ね上げた。
夜空の向こうから差し込んでくる月光が目に入る。
閉じ込められていた風が吹き抜ける感触に、心のどこかで固く凍っていたものが弛む気がする。
だが、追われている状況に変わりはない。足は止めないまま駆け抜けた。
「おい、アルセイス! 契約違反だぞ!?」
「どっちが!」
不満げに声をかけてくるトーマスに怒鳴り返す。
裏切りというなら、信じることを放棄せざるを得ないトーマスの行為をこそ裏切りと呼ぶべきだろう。
トーマスと袂を分かつことにさして抵抗はないが、問題は宿に置いてきた荷物と剣。チュニックの下に多少の金貨は隠してきたので、最悪はそのまま諦めようと思ってもいたが、今ならばまだ取りに行けそうにも思う。
トーマスは背後を追ってきているのだから、このまま足を止めなければあるいは――。
意を決して、勢いを殺さずに駆け抜け、前方の人混みに向かって突っ込んだ。
王都に着いて最初に見た市だ。夜だと言うのに、人々の賑わいは変わらない。
……いや、酒が入って酩酊している者が多いからか、猥雑で狂気じみた騒がしささえあるような気がする。
「お、おい!? 危ねぇ!」
「うわっ! 何だ……!?」
どうにも避けようがなく、行く先に立つ人族にぶつかりながら走る。思ったよりも人の密度が高い。戦場ならばもっと人の息を感じられるのに、ここでは何もかもが狭苦しく、なぎ払うための剣もない。
駆け抜けながら詠唱する。
「【汝の勇を掲げよ 彼方此方へ淀みなく及ぼせ ――力場の鎖】!」
「うわっ……何だこれ!?」
前方で驚愕の声があがった。広域に向かって放った魔術は、人族達を地面に縛り付け、押さえ付けるものだ。空いた空間を跳び越えつつ、更に走る。
本当は【華焔の旋風】なんかの殺傷能力の高い魔術で吹っ飛ばす方が楽なのだろうが、さすがにそこまで非道にはなれない。自分で落ちた奸計から逃げるために人を殺す気には。
目の前に転がる身体の上をまたいで先に進もうとした途端、下から足首を掴まれた。たたらを踏んだところで、横から出て来た男に腕を掴まれる。
「……くっ!?」
「おい、てめぇ奴隷のくせに魔術を使えるのか!? どっから逃げてきた!」
ミスった。奴隷は魔術を抑えられているのだったか。どうやら、今ので周囲の人族に危険因子と判断されたらしい。
幼なじみのルシア辺りに言わせると、この辺りの取りあえずぶん殴れ的な発想が俺の欠点らしい。当たって砕けろ精神とでも言おうか。森を出る前にもう少し彼女の話を聞いておけば良かったと、今更反省した。
だが、魔術を使わなかったとしても、単身走る奴隷など見逃されはしなかっただろうから、時間の問題ではあったろう。どちらにせよ、大人しく掴まる訳にはいかない。
睨み返すと、握ったままの腕を捻られそうになった。早めに無力化しようとしているのだろう。捻られた方向に自分から跳ぶ。意外な動きに目を見張る男の背中に足をかけ、そのまま飛び越えて更に先へと走った。
「アルセイス! 待てって、あんたぁ――」
「おい、てめぇさっきのエルフの関係者か!?」
「――え?」
「あの奴隷のせいで屋台が台無しだ! 弁償もんだぞ」
「――えっ……えぇ!?」
うまい具合に背後で揉め事が起こりそうな気配を感じつつ、それでも走るスピードは緩められない。
人混みの注目が俺からトーマスに移っていることに安堵しかけた。このまま振り切れるかと思ったが、情けないトーマスの声が戦況を変える。
「いや、待て! あの奴隷が俺の全財産なんだ。あいつを掴まえないと補償もしてやれんぞ。ついてこい、掴まえるの手伝ってくれ! 礼ならするから!」
「おっ……本当だな?」
期待する間もなく、話が纏まってしまったらしい。
舌打ちして、そのまま宿を目指す。後ろからはトーマス以外にもたくさんの足音が追ってくる気配。どうやら直接俺が魔術をぶつけた相手以外も、このレースに参戦しているようだ。
トーマス達のやり取りを見ていて、他にも礼をふんだくろうという奴らが出て来たようだ。走り抜ける前方からも、はっきりと意志を持って俺をねじ伏せようと手を伸ばしてくる者がいる。
「【汝の勇を掲げよ 彼方此方へ】――っ!?」
もう一度魔術を放とうと開いた口を、伸びた手のひらに覆われて呪文が途切れた。
まずい、このままじゃ……!
それでもしばらくは振り切ろうと藻掻いていたが――服の裾を掴まれ、その手を払い除けるために振り向いたところで、背後から肩を押し下げられた。
そのまま引き倒され、地面に思い切り後頭部をぶつけられる。今日はずいぶん地面と縁のある日だ。痛みを感じるより前に酷い衝撃で、視界が真っ暗になった。
一瞬、意識を失ったらしい。
状況に気付いたときには、地面に倒れていた。慌てて上半身を起こし、無意識のうちに腕の中に抱えていた銃を掲げる。機構がよく分からないまま人混みに銃口を向けた。
「【汝の勇を】――っクソ、寄るんむ……撃……っんぐ!」
呪文どころか、口を押さえてくる手が邪魔で、脅しすら言葉にならない。
本当は、手にした銃も、どこをどうすれば撃てるのかよく分からない。以前に見た人族は、確かこの辺に指をあてて引いていたはずだが。
見よう見まねで銃を構える俺に向け、追い付いてきたトーマスが声を上げた。
「――ブラフだ! そいつにゃ弾もガスも入ってないぞ!」
トーマスの言葉が本当かどうかは分からないが、集まってきた人族達には、それで十分だったようだ。やすやすと銃口を押し下げられた。
最後の砦も取り払われたことで、安全を確信した多くの手が伸びてくる。俺を掴み、引きずり回し、気付いたときには両手足を地面に押さえ付けられていた。指先は動くが、手を動かそうとするとすかさず力を込めた拳が飛ぶ。二、三度頬を殴り付けられて視界をぐらぐらさせながら、それでも何とか逃れられないかと、必死に周囲を見回した。
「全く。油断も隙もないな、アルセイス」
ざり、と近付いてきた靴底が鳴る。
トーマスの声だ。上から俺を見下ろしている。
「あんま良いこっちゃないんだが……仕方ない。おれの計画通りには動きたくないってんなら、しばらくここで大人しくしててくれ」
「おい、このエルフはあんたのだったな。さっきあんた、礼をするって言っただろ……?」
頭上で先程の男がトーマスに問いかけている。その視線が下がり、俺の身体を舐め回すように眺めた。
無意識の内に身体を縮こめようとするが、手足は動かない。口元を押さえてくる手のひらが汗ばんでいて不快極まりない。見下ろしてくる男達の視線が、粘ついたように肌に絡み付く。
何をどうされるのかも分からないのに――何故か本能的な恐怖を覚えた。
「あー……うん、殺しちゃダメとは聞いてるが――まあ多少の怪我は許される、んじゃ、ねえかな。多分」
目を泳がせるトーマスの姿は遠い。
何とかこの状況を逃れたいと目で訴えるが、視線は合わなかった。
ああ、くそ。
肌に纏わり付く息が生温かくて、気持ち悪い。
だから人族なんて嫌いなんだ。どうせお前らなんてどいつもこいつも、どうせみんな同じようなことばかり考えてるんだ。
エルフなんて下に見て、勇者の威光を笠に着ている。
だから……だから。
そうじゃない人族だったから。
人族にもまともなヤツがいるのかも知れないと――レイヤ、お前に会ってそう思ったのに。
捲り上げられた裾の中、レイヤの作ってくれた下着に誰かが触れた。
払い除けたいのに、動けない。
じわりと滲んでくる悔しさを、いつまで目元に留めていられるだろうか。鼻の奥が熱くなってきて、声も出せないのに叫び出したくなる。
数を数えたり、余所事を考えたり、頭の中で平静にやり過ごそうとする努力が悉く無駄に終わりつつある恐怖に、心がぞくりと震えた途端、その声が響いた。
「――私の恋人に薄汚い手で触れるとは、貴様ら、命が惜しくないようだな」
上にいた男達が軽く身を起こし、声の方へと視線を向けている。
あまりにも聞き覚えのある声に、一瞬、自分の耳を疑った。
だって、こんなしゃべり方は似合わない。
持って回った格好付けのような。
信じられない、こんな都合良く。
信じられない、俺を助けに来るなんて。
だけど、確かにこの声を聞きたかったのだと、俺のどこかが告げていた。
お前を探してここまで来たのだと、心のどこかが。
「――レイヤぁっ!」
男達の手が弛んだ隙をうかがって、声の限りに叫ぶ。
人混みの向こう、佇む影が、その懐かしい色をした黒い瞳をこちらに向けた。
次回から本編(レイヤ編)です。幕間にお付き合い頂きありがとうございました。




