3 混み合う街
「さー、いらっしゃいいらっしゃい! ユーミルのドワーフ達による金細工、一級品だ!」
「ティルナノーグ産の綿織物、これ以上に安い店はないよ!」
両側のテントからかけられる声と、間にひしめき合う人混み。
宙を舞う黒煙を誰も気にしていない。圧倒されそうな活気の良さ。
こんなにも生き物が密集しているのを見るのは、沼で産卵する蛙型魔物が繁殖の時にどこからか集まってきた時くらいだ。戦場ですらこんな密度にはならない。
何を言えば良いのか、どこを見れば良いのか、どこにいれば良いのかも分からなくなった。
せっかく城門があり見張りが立っていると言うのに、潜る時にさして調べもされなかったが、それも当然のことだ。こんなにもたくさんの人族が集まっていたなら、いちいち調べていられない。
アルフヘイムにも見張りはいるが、この人数が森に押し寄せたならキャパオーバーは必然だ。
とは言え、王都の中央付近にそびえ立つ王族の住まう城の方は、さすがに警戒が厳重なようだ。
城の周囲もまた城壁に囲まれているから、王城に入ろうとすれば、その時こそは綿密な取り調べを受けることになるのだろう。今のところ、近付くつもりは皆無だが。
この人混みの中から、どうやってレイヤを見付ければ良いんだろう……。
呆気にとられ立ち竦んでいる俺の肩を、結局、ここまでずっと同道していた商人が横から叩いた。
「おいおい、こんなとこで立ち止まっちゃ迷惑だぞ、お嬢さん」
「お嬢さんと呼ぶのはやめろ」
「じゃあ、何と呼べば良いかね? 名前も知らないよその娘さんを」
「俺の名前はアル――」
「アル?」
「アル……シア、と言う」
通りすがりの人族がアルフヘイムの王子の名を知っている訳もない。
名前を隠す意味があるとは思えないが、この田舎娘の姿で「アルセイス」ではさすがにおかしいだろう。
人族の娘らしい名前を名乗って見せると、商人はにこりと笑った。
「アルシアちゃんね。オーケイ、おれはトーマス。流れ売りのトーマスだ」
「……トーマス」
繰り返して呼べば、ますます相好を崩す。
笑う顔を見ていると、意外な程に幼く見えた。口元に立派な髭を蓄えていたので壮年と思っていたのだが、もっとずっと若そうだ。人の良さそうな黒い瞳が帽子の下で輝いている。
人族は苦手だが、その笑顔はどこか……レイヤに似ているような気がした。
「どうだい、アルシアちゃん。王都は初めてのようだし、もし良ければこのトーマスさんが昼飯くらいは奢ってやろうか」
「昼飯か、悪くないな」
ここまでの道のりで食料に困ることはなかったが、人族の食事とは如何なるものか一度くらいは経験してみるのも良いだろう。火の通った温かい食べ物が恋しくなってきたというのもあるが。
「ラインライアの王都にも名物はあるのだろうか……っと、すまない」
「嬢ちゃん、気を付けろ!」
トーマスの招く手を追おうとして、通りを過ぎる壮年の男にぶつかった。一言怒鳴って駆け抜けようとした男の背中に、手を伸ばしてしっかり掴む。
勢いあまって転けそうになった男が、憤りの表情で振り向いた。
「何すんだ!?」
「ぶつかったのは悪かったが、それを持って行かれては困るな」
男の胸元を指す。
上衣の内側が奇妙に膨らんでいた。
男がそこに何を入れたか、もちろん俺には見えていたのだが。
「財布。返してくれ」
ぎょっとした表情で、しかし上衣を脱ぐ男の決断は早かった。
が、さすがに目の前で逃げようとする者を見逃すほど、俺もお人好しではない。足元を掬ってその場に蹴倒し、首元を踏んで押さえた。
突然の状況についてこれない男の胸元から、手早く自分の財布を取り戻す。黙って隣で眺めていた商人が笑い声を上げた。
片手で店の方を指しつつ進む彼の後ろを、ついて歩く。
「いやあ、お嬢さん、なかなかやるねぇ」
「あれだけわかりやすくやってくればな。さすがに見落とす程にはぼんやりじゃない」
「人は見た目によらねぇってこった」
「……そんなにぼんやりしているように見えるか?」
少しばかりショックを受けて、自分の身体を見下ろした。
田舎者だと甘く見られているのだろうか。
「まあ、さっきも言ったがおのぼりさんには見えるな」
「……気をつけよう」
「後は、そう……こういう場所では女性ってのは狙われやすいもんだからな。見なよ、辺りにもあんまいねぇだろ?」
「そう言われてみれば」
人族の男の姿がほとんどだ。
時々、ドワーフ族らしき姿も見えるか。
その他には、女性の剣士や魔術師――つまり、自分で自分の身を守れるだけの力がある女だけが、王都の人混みを気にせずに歩いていられるらしい。
「ま、さっきみたいなこともあるし、もっと乱暴なこともあるしな。嫁は外に出さないのが安全さ」
「王都に女性は住んでいないのか? 日常の買い物はどうするんだ」
「住民向けの市はもっと奥の方にあるんだ。ここは外向けの市だからな……さ、着いた。ここさ」
トーマスの示す店は裏通りの奥、一見ただの小屋のように見えた。古びた扉は錆付き、壁はやや崩れかけている。だが、辺りに漂う香りは美味そうだ。俺の鼻は誤魔化せない。
扉を開けて中へ入ろうとしたところで、背後から苦笑が聞こえた。
「アルシアちゃんさ、こんな怪しげなところへ連れてきて、おれに何されるか分かんないとか警戒しないワケ?」
さっきまでのおれの話どう聞いてたのさ、などと何やら面倒くさいことを言い出した。
俺は無視してさっさと店に入り、空いたテーブルに座る。見下ろしてくるトーマスに向けて、肩を竦めて見せた。
「俺が見た目通りの純朴な田舎娘じゃないことは、もう知ってるんじゃないのか?」
それが分かっててそれでも狙ってくるとしたら、そんな相手の狙いは俺じゃなく、国だろう。そして、アルフヘイムにとって今の俺は何の価値もない。
開き直りに近いかも知れないが、まあ……こんな自由は今までになかったのだ。大目に見て欲しい。
「そんなことより、この店のオススメを教えてくれ」
「……やー、ほんと見た目以上に肝の座ってらっしゃることで――おーい、おばさん! いつもの2つ!」
「はいよぉ」
頭を掻いたトーマスが店の奥に向かって声をかけると、年配の女性の声で返事が聞こえてきた。その返事を聞きながら背負っていた荷物を下ろして、机を挟んだ対面に座る。
「ま、おれが言いたかったのはさ、あんた目立ってるし、ちょっと気を付けた方が良いってことだよ」
「目立ってるのか……それは困るな」
「ぜーんぜん困ってるように見えないんだけど」
「よく言われる。個人的には反論もあるが……それより、気になることがある」
「何だい?」
「何故俺をかまう? お前にとっちゃ、見知らぬ娘が王都の人混みに紛れてどうなろうと、大した問題でもないだろう」
しばらく沈黙したトーマスは、言葉を探しているようだった。
沈黙の落ちたテーブルに、人族の女性が、黙ってパンとスープを運んでくる。
トーマスの答えを待たずに手を伸ばすと、呆れた顔で笑われた。
「あんたって人は……」
「? 食べながらでも話は出来るだろ」
「いや、そのマイペースさがさぁ……何か他人事とは思えなくて」
自分もパンを手に取りながらボヤく。
「あの、マジでこの辺りは治安悪いのよ。おれも何度痛い目見たことか。食べ物屋なんかもさ、変なとこ入るとぼったくられたりするし。王都住みじゃない流しの商人は皆こうして安心出来るうまい店探すのに苦心するんだから」
「ふーん」
「あ、何だよ。おれの苦労話なんて大して興味ないって?」
「いや、そういうつもりはないが」
嘘はついていないのだろう。
だが、本当のことを全て言っている訳でもない。そういう顔をしている。
いつだったか、レイヤがよくこういう顔をしていたな、とそんなことを思いながら、ひたすら続くトーマスの話を右から左に聞き流した。
仕方ない。本当のことを言うつもりがないのなら、しばらく様子を見るまでだ。




