19 魔王覚醒
これまでオレを踏み躙り続けた男が、部屋の隅に情けなく転がっている。
オレを、ヘルガを、名もない多くの奴隷達を、ただの数合わせで翻弄し続けた男が。
オレは――私は、じわりと痛む頭を抱えながら、男の方へ一歩足を進める。
霞を踏むような頼りない足元も、男の顔を見れば、湧き上がる憎しみでぎりりと踏み締められた。
「……あぁ、あ、レイヤさま、お許し……許して」
這いつくばったまま涙声で懇願されて、胸から沸き立つ喜びに唇を歪めた。
どうしてやろうか、と少しだけ考える。
どうにも頭がうまく回らない。何故だろう、折角私が私を取り戻したと言うのに。
答えあぐねて脇を見れば、まだ頭を上げぬままのシトーがいた。
「シトー」
「はい、魔王さま――いえ、勇者さま? ああ、いいえ。私の主、とそのようにだけお呼び致しましょう」
呼びかけられたその呼称に、私は寸分たりとも違和感を覚えなかった。
そも、封印の崩壊はこの世界に戻った時から始まっていたのだ。
かつて私を追い詰めた勇者の悪意に触れる度に、少しずつ。
「お前なら、どうする? 許せと言われて、何もかも水に流して許すものか?」
問われたシトーはようやく顔を上げた。
私から意見を求められた喜びに瞳を輝かせながら、揃えた指先を胸に当て丁重に応える。
「失礼を恐れずにお答えすれば……私ならば許すなどということはありません。ですが、この場合については生かしておくことをお勧め致します」
「意外だな、お前はこの手の者に慈悲をかけぬと思っておったが」
「ええ、慈悲などかけません、けっして。ただ……今、我が主をここに繋ぎ止めているのは、この男への深い憎悪でありますので」
生きてさえいれば良いのです。生かしたまま牢に繋いで永遠に苛んでやりましょう、と笑顔のまま答えてきた。
……やっぱりこいつ、性格悪い。
さすがにそのまま実行するのはアレなので、どうするのが妥当かとしばらく考えた上で、私はふと思い出した。
そうだ、ヘルガだ。
あいつを助けてやらなきゃ。
「おい、下衆め。ヘルガはどこにいる」
「あっ、いっ……!? へ、ヘルガ? こ、答えれば助けてくれる……」
「それは取引のつもりか、下衆如きが」
「魔王さま、どうぞお下がりください。汚れ仕事は私にお任せを」
立ち上がったシトーは笑みを浮かべて男に近づき、その鼻先へ指を当てる。
「さあ、耳の次は鼻、それから目。舌は残しておいてあげますから、言いたくなったらいつでも言ってくださいね。我が主がその答えに満足するかどうかは分かりませんが」
「あああああっ、言う! 言うから! 地下――アルセイスの奥の部屋だ――!」
アルセイス、とその言葉だけが妙にはっきりと耳に残った。
はっとした表情のシトーがこちらを振り向き、即座に男の身体を蹴り飛ばす。まるでサッカーボールのように軽々と部屋の反対まで吹っ飛んだ男は、ぶつかった壁で跳ね返り床に落ちた。どこを打ったものか、そのまま静かになる。
「……今、何か……誰かの名前が、聞こえたか?」
「いいえ、我が主。参りましょう、その――ヘルガ、とやらを助けに。既にこの時代の魔族共は、私を除いて誰もあなたの復活を信じてはおりません。何たる恩知らず、唾棄すべき堕落!」
いつものようにシトーの長広舌を聞いていると、再び頭がぼんやりとしてきた。
仕方あるまい、こいつの話はいつも無駄に長い。朝礼の校長の話のように、聞いていれば眠くなる種類のアレだ。
「ですが、我が主よ。お気落としの必要はございません。あなたによく仕えたというそのヘルガという娘を、私達の最初の仲間にしてやりましょう。勇者と言えば仲間を集めるもの。ええ、お分かりでしょう? 8種族の仲間を集めねばならぬのです。勇者の――いえ、偽の勇者を打倒するためには」
「……ああ、そう――だった、な」
そうだ、8種族。
人族、マーメイド、フェアリィ、エルフ、ドワーフ、サラマンダー、エンジェル――そして、魔族。
それでこそ、世界を救う勇者だ。
だって――旧版のゲームだってそうだったんだから。
「どうやらお分かり頂けたご様子。目覚めたばかりの我が主の魂は不安定、色々とお忘れになられているかと思います。ですが、私どもの悲願はただ一つ。千年の昔、魔王として封じられた我が主を――あなたさまを、あなたさまこそ本当の勇者であると世界に示すことです。世界の全てがあなたさまの偉業を忘れ去ろうと、他の魔族達が皆あなたさまを見切ろうと、私だけは我が主を二度と裏切ったりはいたしません。千年の間、この日を夢見ておりました。今度こそ、ずっとあなたのお傍に」
「……ああ、そう、だな。頼りにしてるよ、斎藤さん」
ぽつり、と勝手に口から答えがこぼれた。
呼びかけたその名に違和感を覚えたけれど、シトーの目が私を見上げたその視線の強さで、何もかもが黒く塗りつぶされたような気がした。
私の視線がまた空中を彷徨い始めたのを見て、微笑んだシトーは口早に言葉を続けた。
「ヘルガとかいう娘の囚えられている場所、私には予想がつきました。ええ、私がいた場所の1つ隣ですね、うっかりしてました。ついでに助けてからこちらに来た方が早かったなぁって今ちょっと思いましたけども、まあ急いでいたので仕方ありませんね。大丈夫、場所は分かります、ええ多分問題ないです。きっとあっちだったはずです。どうぞお任せあれ」
「……どうも頼りないな」
「あはは、そんなそんな。私ね、意外に記憶力は良い方ですよ。千年前から何度転生しても大体全部覚えてますから」
ええ、こちらです、きっと、と頼りなく先導するシトーの後に続いて部屋を出る。
鉄臭い血の匂いは扉で遮られ、沈黙の落ちる部屋の中に残された。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「れい、や……?」
「ヘルガ……無事だったか!」
駆け寄りしゃがみこんで、ヘルガの身体を縛り付けている縄に手を当てる。
部屋にいたダニエルの配下をすべて片付け終えたシトーが、私の背後から覗き込んできた。
「ああ、その胸元――奴隷制御装置でしたっけ、私も付けられそうになりまして、それでまあもうしばらく情報収集でもしようと思っていたものが、さすがに面倒になって暴れ回ることになってしまったので、ついでに我が主の元へ馳せ参じた訳ですが」
「ついでだったのか。衝撃の事実」
「いえ、今のは言葉のあやです」
うーん、付けられちゃってるのか面倒だなぁ、とぼやくシトーの声を背中に、呪文を囁く。
「――セット、全詠唱破棄――【氷矢の一撃】」
結び目を切り取られた縄が床に落ち、放心した様子でヘルガが私を見上げてきた。
「あなた、レイヤ、だよね? 今の、は……?」
その名前が耳に響く度に、頭の隅でおかしな頭痛が沸き起こる。
顔をしかめて頭痛をこらえる私の肩越しに、シトーが大げさに両手を振って見せた。
「いやあお嬢さん、あなたは幸運ですよ、大チャンス! 今こそ我らが主の二番目の下僕として働くことの出来る素晴らしい機会到来! 今即答いただければ何と更に更に大チャンス! その胸の機械を私が取って差し上げましょう! このチャンスを活かしたければ、我が主のことを呼ぶときは『マスター』『あるじ』『旦那様』などの名前と関係のない呼称を使うことをオススメいたします。さもなくば――」
「黙ってろ」
「はい」
視線を戻すと、あっけにとられたヘルガがぽかんと口を開けていた。
私は何を言うべきか迷って、頭を掻く。それを見たヘルガが、一拍置いて傷だらけの頬を歪め笑った。
「うん、レイヤ、だよね。助けてくれたんだ、ありがとう……」
「痛――いや、こうなってしまったのは私のせいだ。盗み聞きされていることにも気付かず、君をこんな目に合わせてしまった」
申し訳ないことをした、とヘルガの身体を抱き起こしながら謝る。
後ろのシトーが何故かまた口を開こうとしたので、片足でケリを入れて黙らせた。
「……あ、待って」
「どうした」
身体を起こすとどこか痛むらしい。顔をしかめたヘルガの様子で見当を付けて太腿に触ると、ヘルガの身体が強く跳ねた。
「悪い、折られたのだな」
「いっ……あ、それ、は、良いんだ、けど」
全く良くなさそうな顔をしている。苦痛に歪んだ表情を見下ろして、背後のシトーに目線で命じた。
万事理解した顔のシトーが両手をヘルガの足にかざし、初級魔術の治療をかける。
「どうだ、多少はマシか?」
「うん、だいぶ……そんなことより」
今度こそ、桃色の瞳が私を正面から見据えた。
「何だかあなた、雰囲気変わってない?」
「雰囲気?」
何を馬鹿な、と笑う。
私は最初からこうだ。そう――千年前から。
答えながら、ガラガラと頭の中で鐘の鳴り響くような痛みを堪える。
「……千年前?」
「古の……勇者、の、伝説を知っているだろう?」
勇者、と言おうとした時、何故か一際頭痛が激しくなった。
首を傾げて両手を見下ろしたが、特におかしなところはない。
さして大きくもない手のひらがあるだけ。
私は私で――私は勇者だ。私こそが、本当の。
「ねえ、レイヤ――」
「――お嬢さん、その呼称はおやめなさいと言ってるでしょう。私はね、さして気が短い方ではないのですが、何度言っても聞き入れて頂けない時にはさすがに怒って見せることもありますよ。特に――千年かけて仕込んできたものを思いつき一つでぐちゃぐちゃにされそうな時なんかには」
「あなた、誰なの……? あなたがレイヤをこんな……混乱した状態にしているの?」
「ええ、まあ。私は淫魔シトー。我が主の一の下僕です」
「……主の下僕って、何か説明してるようでしてないよな」
言葉のあちこちが聞こえなくなる程の強い痛みが走る。頭を押さえつつも、シトーの言葉にツッコミを入れられたのは、さすがオレだと思う。
シトーは笑って見せたけれど、説明をし直そうとはしなかった。
全く。これだからこの人は。
「うん、とにかくこれは私の下僕だ。心配しなくて良いよ、ヘルガ」
「心配? いえ、それよりあなた、助けなきゃいけない人がいたんじゃないの?」
「助ける?」
誰のことだ、それは。
問い返すより先に、シトーが背後から勢い込んで私の肩を掴んだ。
「ああ、それ私です。私! 私がこう……ちょちょっと化けました!」
「化けた? 何に?」
「あ、この言い方じゃヤブヘビか。あの、ヘルガ嬢。とにかくまずはここを出ましょう。さあ、こちらへ――」
「痛……っ」
「おい、シトー。足を怪我しているんだぞ、無理はやめろ」
ヘルガの腕を引き起こそうとするシトーの手を叩き落とす。
折れていた箇所に出来るだけ障らぬよう、ゆっくりとヘルガの身体を両腕で持ち上げた。顎の下から、桃色の瞳が不安げに揺れる。
「……ねえ、本当に良いの?」
「だから何がだ」
「あなた――アルセイスってエルフを、心配していたんじゃなかったの……?」
ぐらり、と世界が傾いだ気がした。
力の抜けた腕から落ちかけたヘルガを、横から駆け寄ったシトーが支える。
一瞬、頭の中が空白になった気がしたが、すぐに自分を取り戻した。怪我人を落とすなどという無体を働きそうになった自分に驚く。
「主よ、しっかりしてください。それは私が化けていた仮の姿の話ですよ。大丈夫、この館にそんな名前のエルフはいません」
「ああ、そう、だった……かな」
「ええ全く。私がついていないとダメなんですから、我が主は。さあ、参りましょう。今度こそ――千年前の勇者譚をやり直すのです。あなたと私の正義のままに」
何か大事な名前を聞いたような気がしたが――シトーの言葉にまぎれて消えた。
胸元にしがみついているヘルガを今度こそ落とさぬように、力を入れて抱き寄せ、地下牢を出る。
地上へ上がる階段の先は、霞んで真っ暗な夜闇に浸されていた。




