18 歪んだ望み
「いや、音瀬さんが捕まってるだけだったら特に問題はなかったんですよ。どうやら腰を落ち着けて下着作りに専念出来てるようですし、放っておこうかと思ったんですよね、最初は」
アルセイスの顔をした偽エルフが、ぬちゃり、と濡れた足音を立てて近付いてくる。
革のブーツは血だの変な体液だのに塗れていて、それが床を踏む度にブーツの中から染み出しているのだった。
「でも一応身辺調査だけはしておこうかな、と。いやほら、折角苦労して勇者をこっちに呼び出したのに殺されちゃったりしたらたまんないんですよ、私だって。勇者がまた転生するのを待つのも時間かかりますし、またそれを一から育てるとか……考えただけでも憂鬱です。千年も待って、まだ待つなんて」
ダニエルが、無駄に右手の拳銃を空打ちする音が続いている。
その怯えた目を見据えて、偽エルフ――いや、アルセイスの姿を模した男は、掲げていた右手を静かに振った。
その手の前に小さな弾が6つ浮かんでいた。
ダニエルの撃った銃声と同じ数――止められていた銃弾が、乾いた音を立てて部屋に散らばる。
「まあ、落ち着いて。これはお返ししましょう。私は別に、あなたの命を取りに来た訳ではないのですから、ね?」
にこりと笑う顔はアルセイスにそっくりで――でも、全然アルには似ていなかった。
アルは――アルなら、こんな笑い方はしない。
くたびれた様子で肩を回すエルフ――偽エルフに向けて、オレは声の持ち主の名前を呼ぶ。
「……斎藤、さん?」
「はい、音瀬さん。本物のレスティ――アルセイスでなくて申し訳ありませんねぇ」
胡散臭く微笑む表情は、紛れもなく斎藤さんの笑い方だった。
顔だけが微妙に男っぽくなったアルの皮一枚被ってるみたいで、物凄くキモチワルイ。すごく。
「あの、あんた何でそんな格好……」
「何を今更。淫魔ですよ、私は。誰かの欲望を煽るためなら、どんな姿にだってなりますとも。音瀬さんのご活躍のお陰か、特にこの辺りは淫欲が濃くて助かりますぅ」
「ますぅ、じゃねぇよ!」
「あれ、お気に召しません? あなたのレスティの真似ですけど」
「レスティはそんなこと言わない!」
斎藤さん(エルフ)と言い合ってる内に、ダニエルが自分を取り戻したらしい。
弾切れの拳銃から弾倉を抜き、ポケットから取り出した弾倉と入れ替えている。呑気にそれを眺めていた斎藤さんは、銃口がオレの方に向けられそうになった時点で盛大にため息をついた。
「あのー……何の取り柄もない人族如きがちょっと武装した程度で、魔王の右腕である淫魔シトーに歯向かえると本気でお思いですか? ――セット、全詠唱破棄【極限防壁】」
不可視の盾がオレの前方に展開される。
突き付けようとした銃口が盾に当たって軽く弾かれ、ダニエルは大きく顔をしかめた。
「貴様、本当に何者なんだよ! 国王に必要とされ、勇者に求められ……最後は伝説の淫魔だと!?」
「いやー、ははは。伝説の、とまで言って頂けると私としてもやり甲斐あります。ほんと、あなた身の丈に合わない人に手を出しましたよね。何者かって? ええ、ご本人はどうもぼんやりしてますから、私が代わりにお答えしましょう――音瀬さんは何と!」
だらららららら、だんっ! ……とか、口で言いやがった。
絶対にアルセイスが言いそうにないアレソレで、オレの頭は爆発しそう。怒りって言うか何かもう……ものすごい違和感。
いつも割とテンション高めの斎藤さんは、どうもダニエルと微妙に話が食い違ってることには気付いてないらしい。
「じゃじゃーん、何と伝説の勇者様の生まれ変わりなんですよ! やー、すごいなー。よっ勇者様!」
「……勇者……?」
訝しげなダニエルの声は、無意味な斎藤さんの拍手の音でかき消えた。
……そう、斎藤さんはまだオレのこと勇者だと思ってるのだ。
本物の勇者――莉亜の存在を知っているダニエルは眉根を寄せているが、その表情を何と取ったか、斎藤さんは少しばかり不満げだ。
「あれ、そこはもっと驚きません? 千年前の勇者と言えば我らにとっては憎むべき天敵、人族にとっては希望の光、神の使い。そこは私という強敵を前にして馬鹿にしていた音瀬さんにひれ伏し、どうか今までの恨みを忘れて淫魔シトーの魔の手を退けてください勇者さま……とか言うべきところじゃありません?」
愚痴っぽく呟きながら破れた上衣に手を添え、引き上げる。
露わになっていた胸元が隠れ、まるで縫い合わせたようにはだけていた衣服が戻っていった。
腫れた頬も、右手を当てただけで傷跡1つ残らず綺麗な肌になる。
「ほらほら、音瀬さんに謝るなら今ですよ、ダニエル商会のダニエル会長。土下座して謝ればきっと心優しい音瀬さんは、何もかも忘れてあなたを助けてくれますよ」
「何であんたが、そんなにオレを持ち上げたがるんだ」
「だって、つまらない人を助けに来たと思われたくないじゃないですか。淫魔シトーともあろうものが」
「そんなの良いから、早くその格好やめろよ。アルセイスが訳わかんないこと言ってるみたいでキモチワルイ」
「おかしいなぁ……この姿なら音瀬さんは、助けて貰った恩と久々に会えた喜びで、一もニもなく抱きついてくると思ったんですけど」
「しねーよ!」
たとえ目の前にいるのが本物のアルだったとしてもそんなことしない――あっ、うーん……いや、多分しない。しない、と思う。しない……ようにしたいなぁ……。
迷ってるオレを放ってくるりと回った偽アルセイスは、オレが瞬きして目を離した一瞬で、見慣れたスーツに眼鏡の斎藤さんの姿に戻っていた。
「……本当に、本物の淫魔シトーなのか……?」
意味がないと分かりつつも、最後の砦の銃を下ろすことも出来ない。
動きの固まったダニエルの銃口は、オレと斎藤さんのどちらに向けられるべきかしばし考えるように迷っていた。が、結局は答えが出ずにぼんやりと中間辺りを指したままだ。
「本当に本物の淫魔シトーです。千年前に魔王さまと共に異世界に封じられ、そして戻ってきた正真正銘のナマ淫魔!」
「……ゆ、勇者に連絡を――」
オレを盾にするように、ダニエルが一歩足を引く。
斎藤さんは力も入らぬ足取りでそれを追い――寸の間にオレの横を通り過ぎてダニエルの首根っこを掴み、壁に押さえ付けていた。
「――っぎゃあ!」
「だーかーら、勇者様はこちらの音瀬さんだって、私、言ってますよね? お聞きになってます? それともあなたのこのお耳はお飾りですか?」
右手で壁に磔にしたダニエルの耳を、空いた左手でついと引き――布を裂くような音と共に引き千切った。
「あがあああああっ!?」
「さ、斎藤さんっ! あんた、何を――」
「ほーら、音瀬さんがあなたを助けようと駆け寄ってきてくれてますよ。今、あなたがひれ伏すべきは誰か、分かるでしょう? 強く優しく賢い皆の勇者。さあ、言ってみてください。それは誰ですか?」
右耳を押さえたダニエルの指の間から、真っ赤な血が滴っている。
ほら言って、と促す声の甘さが部屋の密度を上げているように感じた。
呼吸さえ止める空気の重みに耐えかねて、ダニエルの涙混じりの声が床に落ちる。
「あっ、ゆ、勇者、さまは……」
「ええ」
「そこ、の……レイヤ」
「呼び捨てですか?」
「あああああっち、違います――!」
血塗れの斎藤さんの手が反対側の耳に届く前に、大きく首を振ったダニエルが叫ぶ。
「レイヤさまっ、れ、レイヤ様だ! レイヤ様お願いです、助けて……!」
どさり、とダニエルの身体が床に放り捨てられた。
振り返った斎藤さんは、満足げに笑っている。
「如何でしょうか、音瀬さん。あなたこそが勇者、救いの主。この世でただ1人、私を地に這わせ屈服させるお方――」
あなたを助けに来たのです、と囁きながら、床に片膝を突き頭を下げる。
訳が分からない。分かるものか。
まるでオレを崇めるような斎藤さんの――シトーの姿も、部屋の隅で苦痛に呻く醜い男の声も。
こうして跪かれて、何故オレの――私の唇が、愉悦に歪んでいるのかも。




