15 再来の勇者
「さ、行こう。レイヤ」
ヘルガにとっては多分いつもと同じ仕事だと言うのに、今日は何となく普段よりウキウキしてる。
心なしか笑顔も多い。いや、心なしじゃない。普段全然笑ったりしないくせに、今日は何だか大したことでもないのに笑ってる。例えば、オレの針運びが普段よりちょっと早いとか。ちょっとぱんつの出来上がりが早いとかだけで、めっちゃ褒めてくれる。
多分、オレの気のせいじゃないはず。
胸元のあの変な機械が外れて、いつでもどこにでも行けるというのが嬉しいんだと思う。
とはいえ、あんま変な態度で仕事に赴いて、ダニエルに勘付かれても困る。
「……頼むから、普段通りにしといてくれよ」
「分かってる。普通にしてるよ」
「顔、笑ってるぞ……」
指摘した瞬間に、ヘルガは口元をきゅっと引き締めた。頼むよ、ほんと。
ダニエルの言ってた「王女より大事な客」って一体どんなヤツなんだ。
せめてその人を確認して、顔だけでも覚えてから逃げようと思って、昨日ヘルガに少しだけ我慢してもらえるようにお願いした。
拗ねられるかと思ったけど、めちゃくちゃ上機嫌でオッケーくれたので、それはそれでちょっと不安だ。
ほら、ご機嫌過ぎて何か凡ミスしそうな気がして。
日課の練習をしながら、大事なお客の来る昼間までこうして部屋で待ってたけど……ようやくさっきお呼びがかかった。どうやらその「大事な客」が来たらしい。
部屋を出たところで、なぜかそこにダニエルが待っていた。
昨日、シャーロット王女がきたときは、ダニエルはオレ達の出迎えになんか来なかったってのに。
「やあ、準備はどうだい? 足りないものはないかな?」
にこにこしながら手を上げて挨拶してくるので、先導するヘルガが立ち止まった。
「万端整っています」
「さすがヘルガだね。分かっていると思うけど、今日のお客様には絶対に失礼があってはならないからね、くれぐれも気をつけて」
「承知しました」
頭を下げて再び廊下を進むヘルガと、会話は終わったはずなのにまだついてくるダニエル。
「今日はあんたも来るのかよ」
斜め前を歩くダニエルに声をかける。
軽く首を捻ってこちらを見る目は、相変わらず冷たい。
「部屋の前まではね。本当に大事なお客様なんだ。君らが時間に遅れたり、お客様を放っておいて逃げたりなんてしないように、せめて部屋まで」
「……ふーん」
恐怖で立ち止まりそうになる足を、無理矢理動かして歩き続けた。
前を行くヘルガの肩にも力が入っているように見えるけど、彼女はダニエルの前ではいつも緊張してるから不自然じゃない……ない、はずだ。
「そう言えば、昨日はシャーロット殿下と随分仲良くなったようだね」
「ヘルガがサイズ測るのを見てただけだよ」
「王女殿下は育ち盛りだからね、新しいものを仕立てる時には必ずサイズをきっちり測らなきゃ……成長期のお嬢さんの変化は目まぐるしいよ」
「へー……」
「お頭の方も成長著しくてね、興味のあることは何でも聞きたがる。そして、聞いたことは片っ端から話したがるのさ――君がここに来る前に連れてたエルフ、『アル』って呼んでたかな、君は」
「……つまんねぇこと覚えてるな、あんた」
一度、うっかり愛称を口にしたことがあったけど、まさかこの人が覚えてるとは思わなかった。
冷や汗がだらだら流れる手のひらを、ズボンの脇にこすりつける。
「女性のエルフだと聞いてたけどね」
「……そうだよ」
「ところで、アルフヘイムの王子は女性と見紛うような美しい青年らしいけど。確か名前はアルセイスと言ったね」
「――ああ、もう! だから何だよ。シャーロット姫から何聞いたか知らないけどな、今、オレの傍にアルがいるワケじゃないし、あんたがいくらエルフの王子に興味があるったって、全部ムダ――」
回りからじりじりと脅してくるやり方にキレかけて、捲し立てようとしたオレの口に、ダニエルの指先があたった。
押し当てられた指の向こうに、つりあがった唇の端が見える。
「既に捕らえたよ」
「……は?」
頭の中が混乱して、何を答えるべきか咄嗟に浮かばない。
前方で、ヘルガの羽がぷるぷると震えているのだけが目の端に見えている。
「何だって?」
「アルセイスと名乗るエルフ、既に僕の手の中にあるって言ってるんだ」
「……んな、バカな。だって昨日の今日だぞ? あんたがいくら顔が広いったって」
「今はまだ調教が終わってないからね、会わせてあげる訳にはいかないんだ。だから、信じないなら仕方ないけど……あ、そうだ。こういうのはどうかな? ほら、遺髪……とはちょっと違うか」
ダニエルが胸元からハンカチの包みを取り出した。
指先で開いた中には、確かに長めの金髪の一房が包まれてる――けど。
「わ、分かるかよ、こんなので! これがアルの髪かどうかなんて……」
「まあ、君がそう言うなら仕方ないね。信じなくても良いけど、一応持っておいたら? はい」
手渡されたそれを一生懸命観察したけれど、やっぱりこれがアルの髪だって確信できるポイントはどこにもなかった。
もちろん、逆に「これはアルのじゃない」なんて言えるポイントもない。
オレがハンカチごと手のひらを握りしめたのを見届けて、楽しそうに笑ったダニエルは足を止めた。
「じゃ、僕はここで。良いかい、くれぐれも今日のお客様には失礼のないように。シャーロット姫のように笑ってすませてはあげられないからね。ほら……その髪の主の命は僕の手の中に握られてるってことを忘れないように」
何を言い返すこともできず、ぐっと息を詰めた。
同時に、頭の中で必死に対応を検討する。何でこのタイミングで、こいつは追加で脅しをかけてきたんだ。オレが暴力なんかに屈するような弱い人間だって知ってる癖に。
昨晩のオレとヘルガのことを、何かの方法で知ったのだろうか。
それとも、今日の客はそれほどに重要だってことなのか?
嘘だと思うけど、絶対絶対9割近くは嘘だと思ってるけど……残りの1割で本当にアルがこいつに捕まってるのなら、オレがここで逃げるワケにはいかない。
混乱する頭の隅で――だけど、今のダニエルとの会話、何かが引っかかった。
引っかかった原因をまとめることができなくて、とりあえずポケットにハンカチごと髪の毛を突っ込んだ。
何だろう、今の違和感。
何か手がかりを、とオレの頭が叫んでる。
とにかく少しでも情報を引き出したくて、ダニエルを煽るように問いかけた。
「あんたがそんなダメ押ししてくるなんて……今日の客、そんなに大物なのかよ?」
黙って先を歩いていたヘルガが扉に辿り着き、震える拳で扉をノックしている。
廊下に響く固い音を聞きながら、オレはダニエルを睨み付けた。
エセ紳士は胡散臭い笑いを口元に浮かべて答える。
「そう、すごく大物なんだ。王族と多少の繋がりがある定時度じゃ、歯牙にもかけられないくらいにね」
「へえ、あんたでも?」
「そう、僕でも、さ。なにせ――再来した勇者様なんだから」
「は……勇者、だって?」
「レイヤ、こっち」
ダニエルの声に重なって、ヘルガの呼ぶ声が聞こえた。
その人物をこそ探しに来たんだ、とオレの頭が思い出すよりも早く、扉の向こうからくぐもった答えが返される。
扉を開き一礼したヘルガの背中の向こう、見慣れた姿が立っていた。
城と緑のラインの入ったチェックのスカートに、胸元に校章のついた深緑のジャケット。肩を越える黒い髪を頭の両側で高く結んで、ベルベットの緑のリボンをつけている。ややつり目気味の黒目がちな瞳は、どこか生意気で賢しげな雰囲気だ。つんと尖った鼻先、赤みの強い厚めの唇。
成長期の少女の、まだ育ちきっていない細い手足が滑らかに動く。
その少女を、オレは、知っていた。
「……り、莉亜?」
「あ、やっと来た。ほんっと、お兄はトロいんだから」
両手を腰にあてて胸を張る妹の姿を、オレは呆然と見詰めるしかなかった。




