10 妖精の糸
フェアリー族の国ティルナノーグは、繊維製品一般に関連するもの――紡績、織布、縫製――そういった手仕事を貿易上の要としている。
そもそも旧版ラン・ジェ・リで、そういう設定だったことを思い出した。
麻に綿に絹、牧畜はしないので羊毛はないが……代わりに蜘蛛の糸を紡いだりもする。
製品は質が良く供給は安定しており、これまでに蓄積された経験と技術からしても、正直この分野で他国が追随するのは不可能――紡績においてはほぼ一国独占状態を保っていたのが、ティルナノーグだった。
糸を紡ぎ、機を織り、衣服を縫い上げる。
世界の仕立て屋。生まれついての織姫。
彼らは言う。
全て、羽が教えてくれる、と。
本当に生まれつきの能力なのかどうかはおいておいて、どうやらフェアリーが繊維製品の仕立てに長けているという点は、ゲーム通りだったようだ。
斉藤さんは、旧版ランジェリを作る時の元ネタをほとんどいじっていないらしい。
――で、そんな生まれつきの才能を持たないオレなんかは、ぱんつ一つ縫うのにも一苦労なワケで。
「違う、また縫い目が大きくなってる。もっと丁寧に」
「え? こ、こうか……」
「遅い、早く!」
びし、と伸ばした定規で手首を叩かれて、うっかり針を落とす。
「針を落とすなんて仕立て屋失格」
拾おうとかがんだ背中を定規で叩かれたところで、さすがにオレもキレた。
「――あんたな! 自分でやっといて何なんだよ! ただ単に難癖つけたいだけじゃないのか!」
「私のやり方が気に食わないなら、サボタージュでもストライキでも一人ですれば。私は困らない。勝手に死ね」
やらかい花びらみたいな色してる癖に、籠っているのはこれ以上ない程冷たい感情。
反射的に言い返しそうになる声を、必死な思いで飲み下した。
ヘルガの言う通り、ここで反抗して教わるのを拒否したところで、あの性格の悪い紳士に殺されるのはオレだ。
そしてオレは、まだ死ぬつもりはない。
苛立ちを紛らわすために、今作ってるぱんつをアルセイスに渡すときのことを想像した。
多分、喜ぶと思う。
あいつ、ああ見えて可愛いのは好きなんだ。リボン付けただけで喜ぶくらい。
前よりぐっと可愛い装飾の増えたぱんつを見れば、いつものあの少しだけ頬を緩めた感じで「ありがとう」とか言ってくれると思う。
笑顔とまでは言えないアルの笑顔を思い出すと、何となく気持ちが落ち着いた。
落ち着いたところで針を握って、また続きを縫い始める。
ヘルガはそんなオレをじっと見下ろして、そしてまた目が荒くなり始めると口を出す。
その繰り返しだ。
「……休憩にする」
無表情なヘルガの宣告を受け、オレは机の上に嬉々として裁縫セットを放り出した。
力を入れ続けた指先も、近くでものを見すぎた目も怠すぎて痛い。
そのまま机に突っ伏したが、さすがにヘルガは休憩時間の過ごし方にまでは口を出さなかった。
「あー……オレ、ちょっとはうまくなってんのかなぁ……」
だらけたまま、真横にあった縫いかけのぱんつを眺めていると、ヘルガが何か言いたげにこちらを見た。
何だよ、と問う直前に、扉が開いて旦那様――例のうざい紳士が入ってきた。
「さて、ヘルガ。進捗はどうだい?」
オレの突っ伏してるテーブルに歩み寄ってきて、隠す間もなく脇に積んでいた完成済みのぱんつを取られる。
ためつすがめつ眺めてから、オレの横に立つヘルガへと視線を向けた。
ヘルガの気配が普段以上に固まるのを、背中で感じる。
「……どう思う、ヘルガ?」
「進度は良くはありません。ですが、少しずつでも多少はマシになってるかと……」
「少しずつ? 多少はマシ? 僕がそんなレベルのものを客に出すと思う? 君は僕の店の客層を理解してくれてると思ってたけど、違うかな?」
あくまでも問いかける口調だが、皮肉以外の何も含まれていない。
問われたヘルガの方は、びくりと身体を震わせて、可哀想なくらいに萎縮してしまった。
「も、申し訳……ありま、せ……」
「いやいや、謝らなくて良いよ、ヘルガ。ただ、こんな進み方じゃマズいって、僕はそう言いたいだけなんだ。いつまでもタダ飯食らいを住ませておくつもりはないし、既に商品に興味を持ってる向きも2、3あるんだよねぇ」
「はい……あの……が、頑張りますので……」
泣きそうな声で囁くのを見て、さすがに黙っていられなくなった。
「おい、あんた。良い加減に――ぐぇっ!?」
「あなたは黙ってて!」
立ち上がろうとしたところを、後ろからヘルガの両手に押しつぶされる。
机に胸元をぶつけて悲鳴をあげるオレを、紳士は楽しそうに見下ろした。
「僕は別に何を言ってくれても良いけど……ま、ヘルガがそういうなら君は黙っておいた方が良いんじゃない? ね、ヘルガ」
「はい……! あの、私は――」
「ああ、分かってるよ。ヘルガは僕の優秀な仕立て屋さ。前にうちにいたヤツらみたいに、状況が読めない訳でも逃げ出そうとする訳でもない。僕に忠実だ、役に立ってるよ」
虹色の髪に、紳士の手が伸びる。
ヘルガはガタガタと震えながら、その手から逃げ出そうとする自分を必死で抑えているように見えた。
頭を撫でられるのを、目を閉じ歯を食いしばって堪えている。
しばらくその様子を眺めると、紳士は潰されたままのオレに視線を戻し、肩を竦めて見せた。
「……ま、そういうことだから。君も罰を食らったり廃棄されたりしたくなければ、頑張りなさい。うまくいかなかったとしても、今のところヘルガを廃棄するつもりはないけれど――まあ、あんまり無様なことをされると叱りつけることになるかもね」
「――ひっ……!」
「ちょ、あんたなぁ! 悪いのがオレだって分かってるなら――ぎゃふっ!?」
「――黙っててって言ってるでしょ!」
後頭部を押されると、天板に顔面からぶつかることになるので非常に痛い――ということを理解した。
無言で悶絶しているオレに、嘲笑を向けると、紳士はそのまま部屋を出て行った。
扉が閉まったところで、ようやくオレの頭からヘルガの両手が離れる。
「……はあああああ……」
安堵の息を吐くと同時に、ヘルガの頭がオレの隣に降ってきた。
そのまま、オレと似たような姿勢で天板に頬をつけ、こちらに視線を向ける。
「……旦那様を刺激するようなこと言わないで。あの人、本気で捨てるの」
「オレからすりゃ、銃で脅されてぱんつ作らされてるよりは、捨てられた方がなんぼかマシなんだけど」
「バカ。五体満足でまともに放り出される訳がないでしょ。酷いところに売られることになるの。それこそ……死んだ方がマシってくらいの……」
ぶるり、と身震いしたヘルガは即座に身を起こし、ついでにオレの背中も引き起こした。
「さ、休憩おしまい。続けるわ。時間の猶予なんてないの」
さっき休憩に入ったばっかりじゃないか、と反論したかったけど、さすがにそれは言わずに黙って頷いた。
スパルタ教育なのには理由があるって分かったし、何より――どうやら、オレとヘルガはこのことについては一蓮托生らしいから。
そのことに、ようやく気付いた。
それにしても、何でヘルガはこんなにあの紳士のこと怖がってるんだろう。
ヘルガぐらいの腕前があれば、他でも仕立て屋として働けると思うんだけどなぁ。




