interlude 背負わざるもの
木々の間を駆け抜ける。
何もかも後ろに置いて。
国も、伝承も、背負い続けてきた次期継承者としての立場も、もうここにはない。
隅々まで見知った森は、最後まで俺に優しかった。
突き出た枝も盛り上がった木の根も、人族には獰猛な獣たちさえ、俺の行く道を遮ろうとはしない。
いつだって森は俺の家で――そして、守るべき場所だった。
今までは。
そう言えば、勇者の伴侶になるかもしれないと覚悟はしていても、森を離れる覚悟はしていなかったな、と何となくそんなことを思い出した。
さしたる問題もない。ただ、背中が軽いだけだ。
自分の偏った思考を振り返ると、勝手に笑えてくる。
命を賭けても守ろうと思っていた国も勇者も、俺のものなんかでは全然なかった。
勝手にそう思っていただけだ。
……これが笑わずにいられるか。
「ふ、ふふふ……ふふ、はははははっ」
「アルセイス……? 何笑ってるんだよ」
「あはは、ほら。早く走れ! もうすぐ森を抜けるぞ」
それ以上は問われることもない。弾む息だけが答えだ。
重なる枝の向こう、西へ向かう街道が見えてくる。
葉の隙間から漏れ差す光を見ていると、じわりと滲んでいるように見えた。
本当の勇者は、レイヤの妹らしい。
ならば、俺が伴侶として選ばれることなどあり得ないだろう。女の身体では。
いや、むしろその為にこうなったのかもしれない。俺じゃない、弟に全てを譲れとの神の思し召しなのかも。
奪われた聖槍リガルレイアくらいは、弟のために取り戻してやるべきだと思う。
だけど、それだって今すぐでなくて良い――きっと、弟が成長した頃にひっそりとその手に届くくらいがちょうど良いのだろう。
それならもう、俺がどう落ちぶれて生きようが、どこで野垂れ死のうが、何もかも自由じゃないか――!
枝を抜ける。剥き出しの日光が一際明るく瞼を差す。
石畳の街道の上に着地して、ようやく足を止めた。
繋いでいた手を下に引かれて振り返ると、しゃがみこんだレイヤが荒い息を繰り返している。
「今ので息が上がったのか? 軟弱だな」
勇者にしては、と言おうとしてから、いやこいつは勇者じゃないんだったと自分で思い出した。
勇者なんかじゃない。自分でもよく分からないらしい不思議な能力があって、ちょっと魔術の使えるだけのただの人族だ。
ただの人族の癖に、俺から全てを奪い取った。
こいつを恨めればきっと楽なのだろうけど、こいつ自身も翻弄されているだけだ。
騙され誑かされ、持ち上げられて捨てられる。
運命の波に揺さぶられる様を見ていると――とてもじゃないが、他人事とは思えない。
彼を糾弾するルシアの思いは痛い程わかるが……それ以上に、この年若い少年を庇ってやりたい気持ちの方が上回った。
それは彼のせいではないのだと、俺くらいは言ってやらなければいけないような気がした。
本当は、人族という種族のことはあまり好きじゃない。
魔力が弱い癖にドワーフ程の体力もない。特筆すべき何かがある訳でもない。その癖、勇者を輩出した一族であると自負があるためか、変に偉ぶって物を言う。
いや、全ての人族がそうではないのかもしれないが、そういう人族に嫌な思いをさせられた記憶がたんまりとあるのだ。……特に、ラインライアの王族には。
嫌な過去を振り払うように首を振り、俺は繋いだままの手を引いてレイヤの身体を引き寄せた。
まだ息を弾ませながらも、ふらりと立ち上がったその肩の下に自分の肩を差し入れる。
「ぅおおおい!?」
「肩を貸してやるから、とっと歩け。こんなとこでへばっててどうする。日がある内に宿場町まで辿り着かなきゃ野宿だぞ」
「いや、それは分かってるけどあの、何か良い匂いがするからあんまりちょっと近寄られるとその」
「匂い……? どこかで魚でも焼いてるのか? 俺には分からないが」
エルフである俺よりも鼻が利く人族なんているものだろうか。
まあ、レイヤは人族の中でも色々と規格外のところがあるらしいから、そういうものかも知れない。
会話をしているのになぜか顔を背けるので、その目を覗き込もうとして身を寄せた。
慌てたレイヤが身体を離そうとして足をもつれさせる。
「――おいっ」
「うわっ!?」
その腕を取ろうと掴んだ途端、逆に掴まれてそのまま石畳の上に一緒くたに転がった。
「……痛ててて」
したたかに腰を打ったレイヤが俺の下で呻いている。
その後頭部を咄嗟に支えたので頭を打ったりはしていないと思うが、さすがに身体を支えるのは無理だった。体格差もある……ただ、以前の俺なら出来ただろうと思えば、これが男女の腕力の差か、とため息をつくしかない。
「大丈夫か?」
「あ、うん……大丈夫、ありがと――ぎゃあああああっ!?」
目が合った途端に、耳元で叫ばれた。
四つん這いになった俺の下から、後ろ向きのままあり得ない速さでレイヤがいざり出ていく。
悲鳴のうるささに心臓が止まるかと思った。
「おい……」
耳鳴りの響く頭を押さえながら顔を上げると、悪漢に脱がされかけている処女のようなポーズをしているレイヤと目が合った。
その額まで全部真っ赤になっている顔を見ながら、ふと自分の身体を見下ろす。
……なるほど。微妙な距離らしい。男女としては。
それにしても、やや反応が激しすぎるきらいがあるように思うが。
「……悪かった。何をするつもりはないから、とりあえず立とう。な?」
「な、な、何するって、あんたが何かする方じゃないだろ!」
「分かってるならさっさと立て。こんな身体になったからって、俺が旅に乗じてお前に手を出すとでも思ってるのか」
「バっ……なっ……何言ってんだ、あんたは! あんたが手を出してくるならオレは喜んで――じゃない、諸手を上げて――でもない、大歓迎――ああっもう! とにかく距離が近すぎるんだよ!」
とっ散らかり過ぎて何が言いたいのか分からないが、俺の見た目は女だからこそ迫られると困るというのは……まあ、男として分からなくはない。見た目と違って中身は正真正銘の男だ。変に近付かれて、こっ……子どもとか出来ても、困るんだろう、うん。
全体としてレイヤの話は分かりにくいが、最後の一文だけは素直に受け取った。とにかく距離が近すぎるのは困るらしい。
「ああ……気を付けるようにする。近付かれても気持ち悪いか」
「いや、そういうことじゃなくて! 何であんたが気持ち悪いんだよ、むしろオレは……その……」
その、の後をしばらく待っていたけれど、そのまま俯いてしまったので、結局は何が言いたいのかよく分からない。
言いたいことがあるならはっきり言えば良いのに。言わなきゃ伝わらない。
何か物慣れない様子に加え、そういうところも心配で、やっぱ俺が面倒を見てやらなければいけないと思ったりする。
最終的にレイヤはそのまま沈黙して、目にうっすらと涙を溜めながら尻をはたいて立ち上がった。
それを見守ってから俺も立ち、ため息をついてからレイヤの傍へ歩み寄る。
「……ま、とりあえず行こうか。一緒に行くのが嫌だとか、そういうことじゃないんだよな?」
「嫌なワケないだろ……ありがたいと思ってるよ」
「なら良かった」
微笑んで見せると、レイヤは慌てて目を逸らし、俺を置いて早足で歩き出した。
その背中を見ながら――俺はすっきりした自分の腰周りを見下ろして、尻を叩いた。
そうだ、行こう。
下着の快適さも格段に上がってる。
もう歩く度に情けない気持ちになるような状態じゃない。
プラスもマイナスも、何もないんだ、もう。
背負っていたはずのものは、何も。
残ったのは、頼りない旅の道連れを望む場所まで無事に送り届けてやろうかって、そんな降って湧いたような責任くらいだ。
良いさ、どこで死んでも構わない命だ。
せいぜい初めての自由を楽しもうと――軽くなった肩をぐるりと回してから、歩き出した。




