17 精神的絶対絶命
「ルシア! アルを――治癒魔術を!」
「分かってる!」
ぐったりしたアルの身体を地面に横たえ、正面のルシアに懇願した。
力強く請け負ったルシアが呪文詠唱を始める。
「【創生の光、この手に宿れ――治療】!」
アルの背中が仄かに輝く。
一度では足りず、二度、三度繰り返すルシアの姿を見守っている間も、背後では鱗が空気を切り裂く音と、斎藤さんの放つ魔術の音が交差していた。
が、どうも斎藤さんの動きが一拍遅い。
「あーっと……【地の底より流れ出――】いや、えーと……ああ、もう! セット、全詠唱破棄――【華焔の旋風】!」
「バカが! 千年の間に魔力どころか頭まで腐れたか! 今、呪文をド忘れしておった!」
「うっさいんですよ、この……ぼてふりの辛さも農業の厳しさもサラリーマンの悲哀も知らずに! セット、全詠唱破棄――【極限防壁】!」
【極限防壁】の連発で鱗を避けながら、斎藤さんはなお口の中でぶつぶつと呪文を探している。
「……【地の底より流れ出ずんば】――じゃないし、【地の底より流れ出よ】? いやいや、【地の底より流れ出でにけり】……いや、やっぱり【地の底より流れ出よ】ですよね……ああ、くそ! セット、全詠唱破棄――【華焔の旋風】!」
「そんなものが効くか、愚か者め!」
魔術の焔を鱗で切り裂き、海魔レヴィは斎藤さんの背後へと回りこもうとする。
斎藤さんの方も詠唱破棄で応戦しているが、どうも途中で止まるのは、何とか呪文を思い出そうと試みている様子だ。
ゲーム中のラン・ジェ・リでは、魔族のみが使える全詠唱破棄は待機時間が短い分、通常の魔術に比べると威力がやや低い。逆に全詠唱で魔術を放つと、待機時間は長くなるが威力がでかい。
ゲームの中では敵方の魔族は皆これを上手く組み合わせて、隙のないように攻撃してきてたワケだが……。
「あああああ! 【地の底より流れ出よ 燃え立つは地獄の焔】――じゃ、ないんですか!? くっそ! じゃあ何なんですか、もう!」
「――煉獄! 煉獄の焔だよ!」
「愚かもここに極まれりだな!」
呪文を間違えて地団駄を踏む斎藤さんに、慌てて木の裏から正しい呪文を教えてみる。
だけど、そんな隙を海魔が見逃すはずもなく、斎藤さんの正面に立つレヴィの胸元から鱗が飛んでいく。
「くそっ――セット、全詠唱破棄――【極限防壁】!」
「きひひ、避けてばかりでは追い詰められるばかりじゃぞ」
「なっ、しまった――」
「――斎藤さん!」
正面から飛んできた鱗を避けようと【極限防壁】を張ったところに、真後ろに回っていた蛇女の尾が斎藤さんの背中を勢い良く跳ね飛ばした。
力に負けて空中へ浮き上がった身体に向け、再びレヴィの鱗が襲いかかる。
「――セット、全詠唱……がふっ!?」
心もとない足場のまま【極限防壁】を張ろうと捻った身体を、先回りしていた蛇の尾が叩き落とした。 土煙と地響きを上げて地上に沈み込んだ斎藤さんを見て、じゃらじゃらと駆け寄った蛇体が、トドメを刺すように斎藤さんの上を踏み回り高笑いを上げる。
「きひひひひ! これで名実ともにわらわが魔族の頂点じゃ……! 今更戻ってきおっても、貴様の席などもうないわ!」
「ああ! やだっ……あの人やられちゃったじゃない!」
アルを癒やしていたルシアがレヴィの笑い声に気付いて悲鳴を上げる。
「落ち着け、ルシア! アルの様子はどうだ?」
「だいぶ治ってきたけど、まだ眼が覚めないの……!」
……まずい。
アルを呼びにきた見張りは、今頃は宮殿に着いているだろう。王は兵士の派遣を検討しているはずだ。
王が来るまで持てば良い。だけど、さっき斎藤さんの後ろに尾を回り込ませたスピードから見ても、海魔レヴィはかなり足が速い。気を失ったアルを抱えて、レヴィから逃げられるとは到底思えない。
地面にめり込んだ斎藤さんを執拗に踏みつける海魔の笑い声が響く。いつあいつが気を取り直しこちらに向かってくるかと思うと、心臓ごと握りつぶされるような恐怖を感じた。
「ねえ、レイヤくん……!」
オレと同じ結論に辿り着いたのだろう。泣きそうな声で、ルシアが呼びかけてくる。
「何だよ」
「レイヤくん、勇者なんでしょ? 呪文だってちゃんと覚えてるし、【地殻盾】なんて中級魔術だって使えてる」
「いや、確かに使えたけど……」
その一発で既に頭が重い。これがMP換算するとどの程度の消費なのかは分からないが、同じ呪文をあと1発はいけるとしても、2発……いや、3発放つのは絶対に無理だろう。
「ね、勇者なんでしょ? いくら記憶がないって言っても……ここまできたら何か思い出さない!? このままじゃ君もわたしも……アルも助からないじゃない!」
悲痛な声ですがりつかれて、答えようもなく沈黙する。
ぐらぐらと揺すられる肩をなすがままに。
そんなこと言われたって、オレに何ができるって言うんだ。
本当に勇者なのはオレじゃない。出来ないことは出来ないんだ。
「ねえ、レイヤくん!」
「……めろ、ルシア」
小さな声が真下から聞こえ、力ない腕がそっとルシアの肩を掴む。
はっとして下を見ると、青い瞳が薄っすらと瞼を開けていた。
「アルセイス……」
「……アルっ!」
慌ててオレの身体を突き放し、ルシアはアルの肩を抱き起こす。
「良かった、目が覚めたのね! でも、動かないで。傷はまだ完治してない――」
「……自分の身体のことは自分で分かる。それより、お前に頼みたいことがある」
ルシアの身体を支えにして、アルが立ち上がった。しかし、頼りない歩みは、走って逃げられるような状態ではない。
「アル、おい、無理するなよ」
オレの手を無視して、アルセイスはルシアを真っ直ぐみつめた。
「ルシア。レイヤを連れて宮殿まで逃げろ」
「――おい!?」
「ちょっと! それ、どういうこと!?」
「レイヤは勇者だ。こいつが死ねば、復活しつつある魔王に対抗できる者は他にいない。何があっても失う訳にはいかない。たとえ俺の命に代えても」
最後の言葉で、ようやくアルと視線が合った。
その目があまりに真剣だったから――死ぬつもりだって分かってしまった。分かりたくもないのに。
がつんと頭を殴られたようだ。
勇者と取り違えられたからじゃない。
ニセモノの勇者のために、命を捨てようとしてるひとがいるから。
オレなんて助けたって、なんにもならないのに。
本当に魔王に対抗できるのは、オレじゃないのに――!
「アル――!」
「良いか、レイヤ。お前は真っ直ぐに宮殿へ向かえ。王は事情を知っているし、ルシアと俺の付き合いが深いのは誰だって知ってる。どこにだって入れるだろう。そうしたら、お前は」
その一瞬だけ、アルはオレから視線を外した。
「……お前は、祖レスティキ・ファの遺した書を持って、ルシアとともに森を出ろ」
「森を出ろって――アルっ!? 何言ってるの!」
「今のアルフヘイムの兵力では、アレに勝つことができるかどうか分からん。良いか、ルシア。お前は勇者を守って他の聖武具を――」
「――いやよ、そんなの! 君を置いて行けるわけないじゃない!」
「やれ。これは俺のアルフヘイムの王の息子としての命だ」
「知らないよ、そんなの! わたしの隣にいるのは、いつだって幼馴染のアルだもの!」
ヒートアップする2人の会話に挟まれて、オレの心は冷え切っていた。
世界を守るために命を賭すアルセイスと、そんなアルを見捨てられないルシア。
どっちの主張も正しくて――正しくないのは、ただ。
前提になっている条件だけだ。
「……アル、ルシア」
言うつもりなんてなかった。
うまく逃げ切れば良い。ここが異世界で現実なら、オレは死ぬワケにはいかない。
オレを守ろうとするアルの言葉にうまく乗っていれば、とりあえずこの場は乗り切れる。
ここで真実を告げたところで、誰にとっても不幸しかない。アルもルシアも最後の希望を失って絶望するだけだ。
分かってる。言うつもりなんてない。
言うつもりなんて。
「……ごめん」
ぽつり、とこぼれた言葉にも、言い合う2人の注意を一瞬引く程度の力はあったらしい。
エルフ達の視線をひしひしと感じながら、でも、顔は上げられないまま。
オレの口は、緩んだ蛇口のように言葉を漏らした。
「ごめん。オレ、本当は――オレ、勇者なんかじゃないんだ」
言葉を受け止めそこねて困惑していた空気が、徐々に張り詰めていくのを肌で感じて、頭を上げることすらできなかった。




