10 勇者さまのご期待にこたえて
オレが照れていようが、未来が絶望的だろうが、夜は更けていく。そして、夜が更ければ――果たさねばならぬ約束があるのだった。
ちょっとばかりやる気というか、何かその……どきどきするのはほら、こういうのってなんだろな?
何の用なんだろう。多分アルに関わることなんじゃないかな、とか思いつつも、ちょみっとだけそこはかとない希望というかもしかしてまさかまさか……みたいな。夜だし。深夜の呼び出しだし。
ルシアがオレ自身のことなんて気にしてるワケないって分かってても、期待だけは勝手に膨らむのだった。
新旧のぱんつの差違について本格的に考え込み始めたアルセイスを置いて、オレは部屋を出た。一旦自室に戻った後、宮殿の誰もが寝静まった頃を見計らって、そっとルシアの家へと向かう。
アルフヘイムの家々の影、ふくろうだかみみずくだかの不気味な鳴き声の響く中を、月明かりを頼りに息を殺して。
夜中とは言え、既に道を覚えたルシアの家にたどり着くのは、そう難しいことではなかった。見慣れた木製の扉を軽く叩くと、乾いた音が夜のしじまに響いた。
小さな軋みとともに薄く開かれた扉の隙間から、室内の灯りがほのかに漏れる。突き出された白い手が、オレを中へと招いた。
手の動きに従って中へ入ると、テーブルの上に置かれたオレンジ色の灯りがゆらゆらと揺れている。オレの隣をすり抜けていったん台所へと姿を消したルシアは、しばらくして湯気の立つカップを2つ持って戻ってきた。昼間とは違う、ざっくりとしたワンピースのようなガウンのようなシルエットの室内着を着込んだルシアは、テーブルにカップを置くと、手近な椅子を指す。
「……ま、座って、これでも飲んで。ちょっと落ち着いて話したいことがあるのよ」
椅子を引きながらよく見れば、机周りの床には端切れが散らばっていた。昼間の裁縫教室のとき、たしかに布を切り落としたが、あの時はちゃんとテーブルの上に端切れを集めておいたはず。それに、どうもあの時より端切れの量が増えてるような。鮮やかなオレンジ色に見えるけど。
「……レイヤくん?」
「あっ、ご、ごめん」
床をじろじろ見ていたオレに、何やら不審なものを感じたらしい。灯りに照らされて影がちらちらするルシアの瞳が、真っ直ぐにオレを見つめた。
視線に気圧されて、慌てて聞きたいことを頭の中から引っ張り出してくる。
「あ、あの……それで、今夜はオレに何の話があって呼んだの?」
様子を探るつもりもない直球だけど、呼んだのは向こうなんだから、これはこれで良いだろう。
オレの問いに、ルシアは眉を寄せて、目を伏せる。
「実は……」
言い出しづらい様子を見れば、さっきまでの期待が脳裡を横切って、勝手に胸が高鳴る。「実は……」の後に、あのガウンを脱いだルシアが、オレの腕に飛び込んできたらどうしよう……なんて。
余計な心配だと分かってるけど、ちょっと妄想するくらいは許してほしい。そもそもこんなシチュエーション、フィクションでしかお目にかかったことがないのだ。夢見がちになるのも当たり前だろう。
そこはかとなくウキウキしているオレとは裏腹に、思い詰めた様子のルシアはため息とともに言葉を続ける。
「……君を呼んだのは、その……最初は、アルの話をしようと思ってたのね」
「お、おう……」
だよな、そりゃそうだよな。分かってるよ。分かってたよ。
分かってたはずなのに、ちょっと切ない気持ちで頷いたところで、「最初は」という言葉の含みに気付いた。
ルシアの深刻な表情に変わりはない。
「だけどね、その……君達が帰った後で、ちょっとそれ以上に確認しなきゃいけないことが起こっちゃって」
「……お?」
「アルに聞いても良いんだけど、でも、君が来るなら君に聞いた方が早いし」
「う、うん……?」
「――ねえ、これってどういうことなのかな?」
ぎゅっと自分のガウンの襟元を掴んだルシアの両手が、風を切って勢い良く両側に開かれた。ばさりと翻るガウンの布地。
直後、オレの目の前にはその下にあったものが堂々と晒された。
「えっ!?」
エルフ全体に共通する細身の身体に、今まで気付かなかった実は結構なボリュームのありげな胸部。オレの半分くらいしかないよに見えるくびれたウェストと、そこからなだらかに降りるハリのある太もものライン。
揺れる灯りに照り返された白い身体が、健康そうな肉体によく合うオレンジ色の下着をまとって、オレの前に突き出されていた。胸元の開いた丈の短いシャツ様のブラジャーみたいなものと、昼間に作ってた短パン様のぱんつに包まれた、しなやかな身体。
……あれ? オレ、まだ妄想にハマってる?
や、そんなことないよな。これは現実。現実にルシアは――
「――えっえっえっ!? あの……ええっ!? ちょ、その……オレ……オレは! こういうのはほら、健全なお付き合いが順番のお家デートは未成年らしくっ!」
何言ってるか自分でも分からない。
あれだけ事前に「もしそうだったらどうしよう」って考えてたはずなのに、本当にそうだったらどうするべきなのか、本当は全然考えてなかったらしい。
慌てて立ち上がったオレとの距離を、下着姿のルシアは一歩縮めて踏み込んできた。
近すぎる距離から見下ろす胸元の丸みの見事さに、目が離せなくなる。
「ねえ! これってどういうことなの? わたしのアンダーウェアが消えちゃったんだけど」
「アンダーウェ……はい?」
「絶対に脱げないはずのアンダーウェアが、するっと脱げて消えちゃったの! 昼間アルったら変なもの作らせるなあって、アンダーウェアがあるのに何でそんなの穿くんだろうって、不思議に思ってちょっと引っ張っただけなのに――わっあり得ない、ずれるなんて、と思ってる内に消えちゃったのよ。……ね、これって君やアルに関係あるんでしょ。だって君が勇者なんだもんね?」
真下からオレを睨み付けたルシアは、困った顔で矢継ぎ早に尋ねてくる。そう言われて見れば、確かに今のルシアはこの世界のデフォルト下着を身に着けてはいなかった。
元気の良いオレンジが目に眩しい。胸元を掴まれてがくがく揺すられながら、オレは必死で横に首を振る。
「あ、や……ま、待って……! オレが勇者とか……いや、それは違うし!」
誤魔化した、というよりは、必死過ぎてうっかり本音が出た、ってとこだったけど、結果的にこの状況での受け答えは間違ってない。
そんな複雑な事情を知らないルシアは、胸元のやらかいのをぷるんぷるんさせながら首を振っている。
「違わないよ! だって、アルがあっさり人族を受け入れるなんて、相手は勇者でしかあり得ないもの!」
よく分からないけど、アルと人族の間には何やら事情があるらしい。
となると、ルシアは最初から予測がついてて、でも何も言わずにオレやアルに裁縫を教えてくれたんだろうか。ならば、今夜は本当はその話をしたかったんだろうけど――
「ねえ! わたしのアンダーウェア、どこ行っちゃったの!?」
――確かに、こっちの方が問題としては優先だ。
混乱を極めてオレの身体をがくがく振り回し始めたルシアの手を取り、オレはルシア以上に混乱した頭を振り回して叫び返した。
「――待てよ。話をするなら、まずは服を着て! この世界のエルフは、どいつもこいつも下着姿でうろうろするの恥ずかしくないの!?」
両目を見開いたルシアは、ぎちぎちと音がしそうなほどぎこちなく首を傾げると、そのポーズのまま困った声でぽつりと呟いた。
「……恥ずかしいって、何が?」
本気で分かってない様子に、頭がくらくらする。
生まれた時からアンダーウェアを身に纏っていたこの世界の知的生物には、どうやらオレが持つのと同じ羞恥心というやつはないらしい。
この手の出来事に対するアルの反応の鈍さが、元男だからとか個人の性格とかを超えたものだということを、ようやく、オレははっきりと認識した。




