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汝、眼前の純白を愛せよ  作者: 狼子 由
第二章 Change Your Ticket
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4 新しい扉の予感

 ようやく糸が通った針で何をするのかと思ったら、先程と同じく、延々とガーゼを縫うことになった。

 糸は通っているが、端を止めていないので、スカスカと糸は抜けていく。


「ど? 針と糸に慣れた?」

「飽きた」


 うんざりした表情で文句を言いながら、それでも一応言われたとおりに指を動かすアルセイス……あっ、また針を落とした。


「君ね、自分で教えてほしいって言っておきながら、さっきから文句ばっかりじゃない?」

「口で文句言うくらい良いだろ。手は動かしてるぞ」

「床を探してる時間の方が長いけどね。針、なくさないように」

「分かってる」


 オレも小さい頃、母親が裁縫をしているときに針に手を伸ばして、えらく怒られたことがある。刺さったら危ない、なくしたら一大事って。昔のひとは縫い針一本なくしただけでも、見付かるまで探し続けていたという。

 ランジェリの世界――つまりこの世界は屋内でも靴を履いている文化なので、オレの常識とは違うかもしれないけれど、なくしたらもったいない、というのはあるだろう。


「針を一本なくすと、結婚が一年延びるって言うでしょ」


 ルシアがため息とともに、アルの膝の横にあった縫い針を拾い上げた。どうやら、そんなことわざ的な迷信があるらしい。アルもしかめ面でその指先を見上げる。


「もう良いから、次の工程に進めろよ。針を探すのはもううんざりだ」

「あたしが教わったときは、こればっかり1ヶ月近くやらされたわよ。『布が無駄になる』って」

「……急がなきゃいけない理由があるんだ」


 真剣な顔で囁くので、どきりとした。

 まさか、ルシアに事実を告げるつもりだろうか。その……早くぱんつ穿き替えたいって。

 その表情のまま椅子に座り直したアルに、ルシアも遠慮がちに声をかける。


「……急ぐ理由って何のこと?」

「近々、旅に出ることになった」

「えっ」

「人族の動きがおかしい。先のゴブリンの襲撃もそうだが」

「じゃあ、ラインライア王国に遠征するってこと……? 戦争になるの?」


 ルシアの声は震えていた。

 旧版ランジェリの頃と状況が変わっていなければ、ラインライアは人族最大の王国だ。エルフ達の住むこのアルフヘイムとでは、国としての大きさが違う。領土の広さもそうだが、そもそもエルフは少数民族なのだ。人口の多い人族とぶつかることになれば、たとえエルフ達には高度な魔術があると言っても……かなり厳しい戦いになるはずだ。

 アルは針先をじっと見つめて、ぎこちなく指を動かす。


「いや、今はまだそこまで言い切れるような状況でもない。結局、あのゴブリン達も何もせず撤退した。どこへ行ったのかも分からないままだ。だが……魔王の復活に備えて色々調査をしなければならない」

「魔王が絡んでるってこと?」

「絡んでるかどうかを調べに行くんだよ……落とした」

「落とすな!」


 改めて針を探しにしゃがみ込んだ床の上で、額を突き合わせて話を続けている。


「調査って何?」

いにしえの勇者の足跡そくせき辿たどることになるな」

「じゃあ、聖武具の在り処を回ることになるわね」

「そうなるな」

「人族もそうだし、火竜サラマンダー族や人魚マーメイド族の地域にも……危険じゃない?」

「いくら相手が積極的な交流のない種族だとは言っても、お互いのパワーバランスというものがある。まさかアルフヘイムの王子の正式な訪問に対して、正面切って堂々と何をすることもないだろ」


 2人の会話を聞くともなしに聞きながら、手を動かす。

 そう言えば、旧版ランジェリでもエルフ族とサラマンダー、エルフ族とマーメイドは仲が悪かった。サラマンダーもマーメイドもそれぞれに、エルフの持つ聖槍リガルレイアのような聖武具を受け継いでいて、それを持って勇者のパーティーに入ってくるんだけど、イベント会話になると良くレスティキ・ファと喧嘩していた覚えがある。


「そんなの、正面じゃなければ暗殺されることだって十分にあるじゃない……ゼルスィだって……」


 その言葉には答えないままアルセイスが立ち上がったのを、気配だけで感じた。

 音も立てずに再び横に座り、針を動かし始める。その背中を追いかけるように、床にしゃがんだままのルシアが声を上げた。


「――そもそも、向こうは魔王の側についてるかもしれないのよ」

「逆に、俺達が魔王の復活を企んでいると誤解されていることだってあるかもな。だから、それを確かめに行くんだ。多少の危険は織り込み済みだ」

「でも……危ないことに変わりないわ」

「王のめいだ」

「だけど――待って。ねえ、1人じゃなくて皆で行くのよね?」

「今のアルフヘイムから、そう人手を割く訳にもいかないだろ。こいつを連れて行けば十分だ」


 こいつ、のところでオレの方に2人の視線が向いて――そこでようやく、オレにも分かった。オレに勇者としての記憶とやらを取り戻させようとしているというアレ。アレがこういう話になってるのだ。

 待って待って、まずはレスティから伝わる書物を見せようとか言ってなかった? 何で旅立ちの話になってるの?


「えっ……2人きりってこと?」

「そうだ」

「余計危ないんじゃ……」


 オレに向けるルシアの視線が不審者――を通り越して、性犯罪者を見るような目になっている。オレはなんにもしてない、と言いたいとこだけど、なんにもしてなくはないので言い切れないのが悔しい。やったことを思い返すと、言葉の通り性犯罪。ちょっと意味は違うけど。

 アルセイスは全く考える間をおかず、針先に目を戻す。


「ま、そうかもな」

「だったら」

「おいとけないだろ、アルフヘイムに危険分子を」

「ちょっと」

「代わりと言っちゃ何だが、聖槍リガルレイアは俺が持っていって良いことになった。俺のことより、俺がいない間のアルフヘイムのことを心配してくれよ。あと……」

「何よ」

「……針、落とした」

「――もー! いい加減にしなさい!」


 さすがにアルと一緒に針を探すのに飽きたルシアによって、本日のお裁縫教室の終了が言い渡されたのだった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 ルシアの家を出て歩きながら、一日中机に向かっていて固まった背中と肩を軽く動かす。首を回すとごりごり音が鳴る。指先は変な力が入っていて、使った覚えのない関節が妙にきしむ。


「レイヤ」


 前を歩いていたアルに呼ばれて、オレは顔を上げた。

 沈み始めた太陽を背に、アルはオレの方を見つめている。


「さっき、ルシアの家で言ったこと」

「……旅に出るってやつ?」


 問い返すと、小さく頷いた。


「アルフヘイムに残されてるのは、祖レスティキ・ファが勇者について書いたものだけだ。だけど、千年前の勇者は自分でも色々書き残していて……勇者の旅路に沿って、世界中に散らばっている。お前の記憶を取り戻すためには、そういうものを見てみた方が良いと思うんだ。何せ、千年前の自分が書いたものなんだから」


 絶対的な事実を告げる顔で言い切られて、一瞬答えに詰まった。

 そんなことしても記憶が取り戻せるワケがない――なんて、言えない。こんな真剣な表情を前にして、言えるワケない。


「明日は、レスティキ・ファの残した書を見せてやる。それから裁縫の練習をして……そうだな。ある程度お前にまともなものが縫えるようになったら、早く旅立とう。アルフヘイムの平和もいつまで続くか分からない。淫魔シトーさえ蘇った今、俺達には一刻の猶予もないんだ」


 そのことを言われると、ますます心が痛い。

 斎藤さん――淫魔シトーの復活はほぼオレのせいであるからして。

 何も答えられずにぼんやりと立ち竦んでいると、アルセイスの方がこちらへ戻ってきた。


「どうした? おかしな顔をしている」

「……おかしな顔は生まれつきです」

「記憶がないのが不安か? 寂しいのか?」

「そういうことじゃなくて……」

「安心しろ。レスティキ・ファの末裔として、俺が面倒見てやる。先祖の言いつけだからな」


 オレの手を引いて、アルは宮殿へ向かって歩き出した。


「記憶がないんだから、身体の清め方とかお前知らないだろう。全部教えてやる」

「え、待っ……清め――それってお風呂……!?」


 慌てて言葉が出なくなってる間に、ずんずん引っ張られていく。

 待って待って。お風呂? ちょ、入り方教えるって……まさか一緒に……!?

 ヤバいヤバいって言葉だけが頭の中を回ってて、何がヤバいんだか自分でも段々分からなくなってくる。

 いやほら、だってアルは今女の子だけど、中身は男だから大丈夫……? いやいや、外側が女の子なんだからやっぱダメだろ。いやいやいや、でも本人は平気なワケだから別に構わない……。

 あっ、何だか新しい扉を開けることになる予感……!


 もやもやしつつ、でも「嫌だ」とも言えなくて(言えなくて!)、黙ってついてった結果。

 ――この世界では、お風呂もトイレも魔術で済ませるらしい、ということが判明しました。

 そりゃそうか、黒いアンダーウェア、脱げないんだもんな……。

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