30 汝、眼前の純白を愛せよ
本日更新2話目。最終話です。
「……ってことがあったんだ」
「ウッソだぁ!」
子どもたちは一斉に声を上げ、きゃっきゃと笑った。
いつの時代も、子どもは無邪気で残酷で現実的だ。人族もフェアリーもエルフもサラマンダーの子どももみな等しく。
どうやら、オレの話はどの子にとっても事実としては受け入れられなかったらしい。
「ぱんつがないと、みんなノーパンで生活しなきゃじゃん」
「人族とサラマンダーがケンカしてたなんて、絶対ないよ」
「兄ちゃん、嘘つきだー!」
「うそつきだー」
語り終えた途端、手のひらを返すように散っていくのも素直さのあらわれだろう。
なんか寂しいけど、泣いたりとかはしない。大人だし。
「バカねぇ。そんなの誰も信じないってば」
背中をぽんと叩かれて振り向くと、呆れた顔のヘルガが立っていた。
ついさっきまで子どもたちへ話していた昔語りの頃よりも、はるかに大人びた表情で。
虹色の髪と羽が眩くて、子どもたちが遠巻きにこちらをちらちらしているのが見える。
女性らしいラインを描いた身体は柔らかそうで、思わず目がいってしまう。
オレの視線を見咎めて、ヘルガが軽く片眉を上げた。
「……今ならまだ遅くないわ? 私の方は独り身なのだけど」
「遅い遅くないの問題じゃないだろ。そういうの、冗談でも言わないこと。じろじろ見て悪かったよ」
オレは胸元で両手を振り丁重にお断りした。
ヘルガはつまらなそうな顔で、くるりと踵を返す。
「あーあ、結局こうなるのだから。命賭けてまで追っかけた意味ってどこにあるのかな」
「オレのことなら、あんたには感謝してるよ、すごく。あんたが困ってたら、どこにいても飛んでく。本当だ」
去ろうとする腕を引き留めて答えると、半分だけ振り返ったヘルガは困惑したような顔のまま微笑んだ。
「……知ってるわ」
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あの日、みんなの魂を集め終え、ほうほうのていでドワーフの山に戻ってから、あっという間に十年が経った。
メイノ王の技術力に頼るまでもなく、世界樹の杖の力があれば、失われた身体を修復するくらい朝飯前だった。
……いや、朝飯前は言いすぎだ。個人的には結構苦労した。
具体的に言うと、頭の血管切れて鼻血吹く程度には。
だらだら血を吹きながら全員の身体に魂を戻し終えたとこで意識を失って――目が覚めたときには、一週間が経っていた。
「レイヤ……っ」
で、最初に見たのが、ボロッボロ泣きながらオレに抱きつくアルの顔だったりしたので、もうオレだって我慢できる訳がないのだった。
「アルセイス」
「お前っ……もしかして、このまま目が覚めないかと、俺は……」
「アル、聞いてくれ」
肩を掴んで少し距離を取り、そして正面からその目を覗き込んではっきり言った。
「結婚しよう」
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「……で、実際に式を挙げるまでに十年もかかる辺り、玲也にも反省すべき点があるのでは?」
オレより頭一つ小さい位置から、黒い瞳がじとりと見上げてくる。
美少女然とした顔をして、まっとうすぎる指摘をするのは、誰あろう、魔王バアル――バアル・コピーである。
その細い指がオレの首元のタイを掴み、ぎゅっと締めあげた。
必要以上に力がこもってる気がするのは気のせいか?
女神バアルが創ったオレの身体は、この十年でぐんぐん背が伸びた。なにがどうなってるのかは分からないが、ドワーフの山で造られた人工の身体とは全然違うらしい。
最近、顔を合わせるたびにメイノ王やバンダナさんが「分解させろ」って言ってくる。いつか、寝てる間にバラされてるんじゃないかって、ちょっとだけ怖い。
で、そんなオレとは正反対に、純正ドワーフの山製のバアル・コピーは十年前からまったく外見が変わっていない。
よって、オレたちの身長差と見た目の年齢差はぐんぐん開いていくばかりだ。
「あんたほんとその……歯に衣着せずにずけずけ物言うの、ちょっとなんとかしてくれよ」
「自分の情けなさを私のせいにされてもな」
「昔はもうちょっとこう、大人しかっただろ」
「大人しくしていると無限につけあがる奴もいるのだと学んだのだ」
「あー……うん、なるほどね……」
その名を出されれば、黙らざるを得ない。
オレはがしがしと頭を掻いて、大きくため息をついた。
思い切り息を吐ききって、さらにそこから三十秒ほど待ってから、ようやく口を開ける。
「……で、どうなの?」
「どうとは、なにが」
「あいつ、その……その後、元気なの?」
バアルはその愛らしい顔面に相応しくきょとんとした様子で、小首をかしげた。
「なぜ私に尋ねる?」
「いや、だってあんた、あいつとちょくちょく会ってるんだろ」
「会う訳があるまい。私はお前について旅をしていて、あいつはお前とは顔を合わせたくないときた。ならば、私もまた顔を合わせる機会がない。……そもそも、あまり会いたい相手でもなし」
「えっ? ま、待てよ。だってあんた、家族だから見守るとか言ってたじゃないか」
「見守る、ではない。見張るのだ。奴にこれ以上悪事を働かせる訳にはいかぬ」
バアルは指先をぱしん、と鳴らした。
途端、その手の上に小さな水晶玉みたいなものが浮かび上がる。
その内側に何か、小さな影があるような気がして――目を凝らしたところで、ばっと顔を上げた相手と目が合った。
「――うわっ」
「落ち着け。奴にこちらは見えていない。偶然だ」
バアルの指が水晶玉をつるりと撫でる。
カメラが寄っていくように、内側の人影が大きくなる。
はっきりと顔が見えたときには、もう誤魔化しようもなく、その人物が例の――あの、例の人だと分かってしまった。
「……あの人、眼鏡、かけるのやめたんだ」
髪も下ろしてるし、スーツも着ていない。絶やさずたたえていたニヤニヤ笑いもやめて、その表情は妙に静かに見えた。
良く見れば、彼の正面には何人かの子どもが座っている。
ちょうどついさっき、オレが向き合っていたのと同じように。
「私が最後に話した時には、既にこの姿だったな。ま、眼鏡もスーツもあれだけ破損したら、直すよりありものを買う方が楽ではないか?」
「あんたが最後に話した時って……」
「十年前だ。当然だろう」
つまり、あの後からずっと、バアルも会ってない訳だ。
シトー……斎藤さんに。
「思えば、お前は一度も話をしないままだったか。お前が目覚めるより先に向こうが回復して出て行ったからな。これ幸いと無一文で追い出した。そう言えば、この話をするのも初めてであるな」
「……オレ、てっきりあんたはちょくちょく斎藤さんと会ってるもんなんだと」
「私の方から会おうとは言わぬし、向こうからはその方法がないだろう」
「いや、場所によっては無理かもだけど、あの人なら【転移】でいつだって来れるんじゃないか」
かつて女神が創った管理者だ。
世界すべてを網羅――とはいかなくとも、彼が行ったことのない場所など数えるほどしかないに違いない。
だからこそ……オレに会いに来ないのは、遠慮というか、それなりに、あの人なりに気を遣ってくれてるんだと思ってたんだが。
バアルは、微笑によく似た形に眉をひそめる。
そして何でもない雑談の続きの口調で、呟いた。
「魔族としての核を一度は壊されたのだ。永らえたとは言え、もはや魔力はほとんど使えまいよ」
「そ、そうなのか?」
「よく考えれば、オリジナルの魔王バアルが自壊を選んだのも同じ理由やもしれぬな。最後にシトーの攻撃を受けたとき、核を破損していたのだろう。無力のまま異界に一人追いやられ言葉も通じず……ふふ、私が同じ境遇であれば確かに死を選んでもおかしくない。ここではまだ言葉も通じる。たった十年さすらう程度では比較になるまい」
なるほど。十年会っていないのも良く分かる。
斎藤さんがやったことを思えば、そう簡単には許せないってことが。
オレだって、あいつが可哀そうという言葉は喉に突っかかって出てこなかった。
個人的に色々消化しきれないこともあるし、そもそもあの人とはそうそう簡単に割り切れないものがあるのだ。たぶん……お互いに。
バアルはオレを斜めから見上げ、にやりと唇をゆがめてみせた。
「『私はけっしてお前から目を離さん。この世界から出てゆくことも認めん。自ら死ぬことさえ許さん。もっとも今のお前にそんな力はあるまいが。お前はこれから一人で彷徨い、バアルが――私のオリジナルがその命を賭けて何をしようとしていたのか、自ら答えを見つけてみせろ。彼女亡き今、答えを得る方法があるかどうかは知らぬが』――と、まあこれくらいは言ったな」
「えらく絶望的な状況だな」
「もとより、あれは忍耐力と耐久性に優れておるのだ。唯一の美点であり最悪の欠点だな」
バアルの目が、ふいとオレから逸れた。
複雑な感情が、その黒い瞳で揺れた気がする。
「それに……一筋の希望? いや、どうかは分からんが、まあ約束は与えてある」
「希望? 約束?」
「『答えを理解した時、私は再びお前の前に姿を現そう』とは言っておいた」
「……じゃ、それを希望に、あの人は一人で頑張ってるってことか」
「どうかな……まあ、まったくどうでも良いかもしれん。私は所詮、複製でしかない」
「そんなこと――」
思わず否定しかけたオレをバアルが指先で制す。
「お前が私を唯一と思ってくれていることは知っている。だが、アレにとっては、どこまでいっても私は複製なのだ。それはけして変わるまい。本物がもうどこにもいないとしても」
「だ、だけど」
「ま、その辺りは奴次第だ。いつかまた会うことがあるかもしれないし、そうでないかもしれない……今は、それでいいと思っている」
バアルの手の中に、再び水晶玉が浮かび上がる。
斎藤さんは、あの頃よりどっか穏やかな雰囲気で微笑んでいる。子どもたちにも、ずいぶん懐かれてる様子だ。中にはずいぶん小さい子もいて、身体によじ登ってこられたりしているが、斎藤さんが顔をしかめる様子はない。
その纏わりつかれる様子を見て、かつてオリジナルのバアルが魔族たちに声をかけ、家族として遇していた頃のことを思い出した。
ベヒィマやジーズが奪い合うようにバアルの手を取っていたことを。
「言っただろう。私はもう絶対にアレから目を離さぬ。それだけだ」
なら、もうきっとこれからずっと、一人にはならないしなれないのだろう。
たとえどこにいても、何をしていても。
バアルも、それにあの人も。
「さ、分かったら行け。馬子にも衣裳だ。その姿なら隣に立ってもさほどみすぼらしくはなるまい」
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「まったく、遅いのじゃ。遅すぎるのじゃ!」
「ご、ごめん」
「わたくしたちではなく、お待ちの方に謝りなさいな」
美少女――と呼ぶ年齢を過ぎ、圧倒的美女の貫禄が出始めた王女二人が、両側からオレを挟んでぷんぷんしている。
国家の威信をかけて飾り上げた二人の姿は、もとからの美貌も相まって、他に並ぶものもなく煌びやかだ。
微かに眉を寄せただけで、土下座して謝りたくなってしまうので、美しさというのは罪である。
正統派美女のシャーロットに、クール系美女のユスティーナ。
結婚後の今もまだ、一夜の恋でもお相手したいと名乗りをあげる者も出てくる訳だが、二人とも他に心変わりすることはない。
淫欲の封印が解けきる前、そしてそのことが世界中に広まる前に、電撃的に結婚した両国の王女同士は、結果としてこれまで交流のなかったラインライア王国と火竜の砂漠を結び付けた。
ユスティーナの口利きで、火竜の砂漠の軍事力を背後につけたシャーロットときたら、向かうところ敵なく……まあ、あの、最終的にはアルバート王子を押しのけ、満場一致で現ラインライア女王陛下におなりあそばしたとだけ言っておく。
まさしく、栴檀は双葉より芳し。
ラインライア女王とその王配の全面バックアップのおかげで、さしたる混乱もなく世界の封印は解かれつつある。
かつてこの星に降り立った女神の定めし運命は、徐々にではあるが薄らいでいる。
今やもうオレの手の中にない世界樹の杖をその触媒として。
運命を解除し女神が改変する前のこの星の姿を取り戻すために、世界樹の杖は使われている。
使われているということは、オレが使える状態じゃないってことで……ま、つまり今のオレは例によって中途半端に魔術が使えるだけの人族だ。
そんなオレにも分け隔てなく優しくしてくれるのだから、ラインライア女王陛下とその王配殿下の公明正大たるや。
おかげさまで、オレたちが全壊させた例の地下神殿を、今日のために使わせてもらえることになっている。
もう絶対戻ってこない人に――魂すらもうこの世界にはない人たちにも、もしかしたら届くかもしれないって。
いや、たぶん届かないんだろうけど、届くかもしれないと思うのはオレの勝手だから。
「なにを我々に見とれておるか。そなた、そのような場合ではないだろう」
「わたくしたちに構っているこの間にも、あちらはお待ちでいらっしゃるわよ」
「いや、そりゃそうだけど……シャーロットもユスティーナもすごく綺麗だ。わざわざ来てくれてありがとう」
オレの言葉なんて当然という顔で受け流し、シャーロットは黙って顎をしゃくった。
もちろん分かっている。彼女たちの指す先に誰がいるかなんて。
開かれた扉の向こうから光が差し込んでくる。
逆光で表情は分からないが、その輝くような輪郭は見えていた。
「……いや、ちょっとほら、気持ちの準備をしてるところでさ。なにせその、十年も待たせたところだから、さすがに顔を合わせづらい」
「いまさら準備などいるか。ここから更に何年待たせる気だ、愚か者め」
「いくら人族より長命とは言え、永遠に生きる訳でもないですのに」
「待たせる気はなかったんだよ。ただ、ある程度その、世界が落ち着くまではって……向こうも頷いてくれたから、あの」
「言い訳無用」
「早くいきなさい」
「や、そんな押さなくても自分で……うわっ!?」
二人に思い切り背中を押されて、たたらを踏む。
扉の向こうに踏み込んだオレの肩を、細い手が支えた。
「大丈夫か?」
おずおずとかけられた声は妙に頼りなげだ。
思わず顔を上げると、ヴェール越しの青い瞳とまっすぐに目が合った。
一瞬、目を細めたアルセイスは、真っ白な手袋に覆われた指先で顔を覆ってしまう。
「お、おい……なんだよ?」
「いや、お前があんまり可愛いから……すまん。直視できない」
「それってオレの台詞じゃねぇの!?」
実際、ウェディングドレス姿のアルセイスは馬鹿みたいに可愛かった。
少なくとも、白い上下の揃いをお仕着せみたいに着せられたオレよりは万倍可愛い。いや、オレと比べるなんておこがましい。なんならさっきの女王と王配カップルと比べてもアルセイスの方が断然可愛い。
上気した頬がヴェールの向こうに透けて、こちらに向けられる視線から目が離せない。
ヘルガの手配してくれた純白のドレスはシンプルに身体に沿っていて、細い腰のラインは折れそうなくらいだ。広がった裾にあしらわれたレースが陽光を反射してきらきらしている。
オレは咳ばらいを一つしてから、改めてアルセイスに向き直った。
「ンッ……あの、綺麗だ、アル」
「お前も」
「いや、オレはいいから。お前が――んんっ!?」
突然、ヴェールの中に引き寄せられたかと思うと、柔らかな唇が押し当てられた。
細い両手がオレの肩を抱きしめ、支えてくる。
「……レイヤ。本当にいいんだな? こうなったからにはもう離しはしないぞ」
「だーかーら! それはこっちの台詞だっての! いや……ああ、もういいか」
物欲しげに開かれた唇にもう一度、今度はオレの方から口づけを落とした。
滑らかに磨き上げられた陶器のような額にコツンと自分の額を当てる。
「一緒にいよう。これからもずっと。いつか、どっちかがいなくなる時まで」
「うん……」
滲んだ目元を唇で吸い取ってから、アルの背を支えてその場に立たせる。
腰に当てた腕に寄り添うように、細い手が絡み付いてきた。
裾を引くアルセイスに歩幅を合わせ、まずは一歩。そして、更に一歩。
扉を抜け、階段へ向かう。
見下ろせば、神殿まで続く赤い絨毯の途中に、来賓たちが集まっている。
バアル・コピーに叱られるジーズの声や、メイノ王を嗜めるヘルガ、それにはしゃいでレヴィに絡んでいる莉亜の声まで聞こえる。
現エルフの森王――アルセイスの弟や、サラマンダー族のエルネスティ王まで。
以前には考えられなかったような繋がりが、この世界に生まれ始めている。
オレがそのきっかけの一つになったと言われると、面映ゆいけど……。
いずれにせよ、世界はまだ新しい一歩を踏み出したばかりだ。
純白の光に包まれ、オレたちは一緒に歩いていく。
今までの続きで、これまで繋がった道の向こうにある――だけど、誰も知らない純白の未来に向かって。
長いお話に、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
健やかなる日も病める日も、良きも悪きも見守ってくださったあなたに、億千万の感謝の言葉を。
またどこかでお会いできることを祈りつつ。




