27 求めよ、さらば
「――玲也。私を継げば、お前もこれだけの力を宿すことができるのだ」
指先を失ったまま、女神バアルは、こちらをじっと見つめている。
視線の先はオレの持つ杖へと向かっていた。その先端から花びらがまた、ひとひら零れ落ちる。
「私は、お前に世界樹の杖を渡すためだけに待っていた。世界をやり直そうが、続けようが、どちらもそれを持つお前次第だ」
「ああ……」
「そんな顔をするな。どんな魂も輪廻を繰り返せば劣化する。先ほどのシトーとのやり取りが少しばかりその時間を早めたとは言え、もともと私の身体は限界に近づいていた……やはり、永劫のものなどないのだ」
はらはらと花びらが散っていく。解けていく女神の身体と共に。
その微笑みそのままに艶やかに、まるで最後を数えるように。
「これで最後かよ? あんたほんとにこのまま消えていいのか?」
オレの母親を名乗る人は、満足げな笑みを浮かべたままだ。
正直、オレにはこの人との思い出なんてなにもない。母親と言えば、向こうの世界に残した人のことであって――それはオレの中ではこの人とは一致しない。
それは残念なことかもしれないが……彼女の言う輪廻を経て、オレの記憶はたぶん、完全に失われている。
だから、消えることを咎める気にはなれなかった。
ただ、本当にこれでいいのか、それが少し気にかかっただけだ。
オレには絶対に認められないやり方――やり直した世界は、本当にあんたの意に沿うものだったのかと。
彼女の目はオレを見ているようで、もうどこも見てやいない。
なにかを懐かしむように遠くに目を向けているだけだ。
「お前は、同じものではないと言うが……母星にも帰れず、一人見知らぬ世界に私には残された方法はこれだけだったのだ。もう一度同じ人に会う、それだけを果たすために。だが、そのためには見たくはないものを――自らに向き合う必要があった。虚勢を張る癖に弱く、理想のみを掲げて現実的な手段を持たない愚か者……私はそれを認められなかった。この世界の魔王も、莉亜も、等しく私の似姿でしかない」
諦めきったその顔が許せない。
莉亜があんなに藻掻いたのは、ぜんぶ女神のためだと言うのに。
「それで莉亜を愛せなかったって言うのか」
「そうだ。私にはできなかった。私と同じものを見ていても、苦痛でしかない」
「あんたと莉亜は全然別の人間だ! あんたが勝手に重ねているだけで……オレと同じあんたの子のはずなのに!」
そんなの、莉亜があんまり可哀そうだ。
思わず吐き捨てたオレに、女神バアルは微笑で応えた。
「私は好きでお前たちを産んだのか? 知っているだろうに」
「……じゃあ、なんでオレだけ可愛がったんだ! どうして、オレと莉亜に差を付けた!? オレだってあんたの嫌いな、あんたの血を引いてるはずだ。それとも、それもわざとなのか?」
比較する対象がいなければ、莉亜の苦しみも少しはマシだったはずだ。
それを知っていて、オレと莉亜に差をつけたなら、それは最悪の母親だ。
そう思って尋ねてみたが、意外にも困った顔で首を傾げられた。
「……その発想はなかったな。さすがに、故意に苦しめようとまでは思っていない。私だって、子を愛するという心はあるのだ。愛せない理由がなければ愛すさ。莉亜には愛せない理由があり、お前にはなかった。それが……たぶん、お前たちの違いなのだろう」
「そんなもの――!」
「いずれにせよ、私にはもう一度やり直す時間はない。失敗も不出来も自覚しているが……出来ぬものは出来ぬ」
女神の身体は既にほとんど崩れ落ち、ただその幸福そうな笑顔だけが宙に浮いて残っている。
恍惚に瞼を伏せ、消えていく身体にもはや何の思い残しもなく。
「お前がこの世界を零には戻さぬと、私を継ぐというならちょうどいい。莉亜を救ってやれ。私にはどうしても出来なかったが、お前ならできるのだろう?」
「できるかどうかは分からない。だけど、やるだけだ」
「ふふふ……そういうところがどうにも、私とは違ってね。ああ、だが……これでようやく君の元へ行ける。レスティ……」
白い顔の中央にぴしりとヒビが入った。そこを起点にほろりと崩れた肌が端から分解され、光の破片になってはらはらと散っていく。最後に残った黒い瞳が溶けていくのを、黙って見守っていた。
そのオレの肩の後ろで――なにかがちかりと光った気がした。
「――セット、全詠唱破棄【氷矢の一撃】」
はっとして振り返る、その真横を透明な氷の槍が抜けていく。
まっすぐに貫かれた女神の瞳が、ガラスのように砕けて消えていくのが見えた。
「……シトー! あんたはっ!」
「くくっ……どうせ死ぬんだ。いつまでもぐだぐだと。本物じゃないなら、邪魔なだけで、す」
血まみれの身体で、それでも不敵に笑っている。立ち上がろうとして、ふといつもの眼鏡がないことに気付いたようだった。床に転がっていたヒビだらけのそれを拾い上げると、砕けたグラスがぱらぱら落ちる。
フレームだけになった眼鏡をかけ直し、シトーは口元の血をスーツの袖でふき取った。
「本物の魔王さまは死んだだなんて、途方もない大嘘をついて。創造主を名乗っていましたが、私が以前会ったときはもう少し力に溢れていましたよ。たった千年やそこらで弱体化する程度なら、さっさと死んでおけば良かったんだ」
「……あんたのそういうとこ、ずっと、本当にどうかと思ってたよ」
バアル以外はなにもかもいらないと切り捨てる、その孤独。
自分の信じること以外は、すべて嘘だと言い切る独善。
睨み付けると、シトーもまたフレームごしに微笑みを浮かべた。
「やあ、奇遇ですね。私もあなたのそういうところ、なかなかに苦手でして」
「そういうとこ?」
「女神に妹、レスティキ・ファ。妖精に火竜に人間の姫君。しまいには海魔まで――みんなまとめて地獄へ引き込んで、自分のせいじゃないって顔してるところですよ」
反吐が出るんですよね、そういうとこ。全部あなたが殺したのに。
囁かれると、身体中の血が沸き立った。
「……オレのせいでみんな死んだって言いたいのか」
「他に理由がありますか? あなたの理想に付き合って、それであの始末だ」
シトーの視線の向こうには、累々と並ぶみんなの死体がある。
分かってる。だからこそ、みんなの魂を掬うのはオレじゃなきゃいけない。
こうなったからには早く。今すぐにも行きたい。
だというのに、シトーの方はまだオレに用があるようだった。
「ま、そんなことはいいんです。さっきの女神との会話によると、どうやらこの世界を最初からやり直せる方法があるそうで。その杖――あなたが持っていてもどうせまた間違うだけですよ」
「そんな訳あるか。今度こそオレは、これで――」
「いいえぇ、それは私が使わせていただきます」
にこりと笑ったシトーが手を差し出す。
オレはその手を無視して、眉をしかめた。
「あんたが持ってどうするんだ。神様になるつもりか?」
「ええ、まあ。それしか方法がないのなら、そうするべきでしょうね」
「方法?」
「まさに先ほどの女神がやった通りですよ。探すよりも、創った方が早くありません? 魔王さまのこと」
「この――!」
そんなものは絶対本物じゃない。
ついさっき女神だって、それを思いながら消えたはずだ。
なのに、こいつは全然そんなこと理解してない。
思わず足を踏み出したオレを見て、シトーは表情を真剣なものに戻した。
「そもそも魔王さまがこの世界を追われたところから間違っていたんです。あんなの女神の自虐に巻き込まれたようなものじゃないですか。なら、そう……全部やり直して、魔王さまが幸せに生きられる世界を創りましょう。もちろん、私はもう一度魔王さまの右腕として……ええ、今度こそあの方を守ってみせますよ。あんな方法以外に選べる方法があるなら私は――俺は、あのときだってそうしたはずだ」
片手で顔を覆い、激しく首を振る――その後悔はいかにもそれらしく見えた。
全部が嘘な訳じゃない、たぶん真実だってそこにある。
だけど。
「……あんたがバアルを裏切ったのは、あいつを守るためなんかじゃないよ」
ぎろりとこちらを見たシトーを、オレは杖の先で指した。
「あんたはただ、バアルがレスティキ・ファのものになるのが許せなかっただけだ。綺麗ごと言って、二人を引き離したかっただけだろ。綺麗ごとを綺麗に実現させることもできない癖に、幸せな二人を見守ってるのが嫌だっただけだ!」
「……なんだと?」
シトーが、ぎしりと歯を剥いた。
こんなにもボロボロの癖して、まだ向かってこようとする――いつか、それを愛の深さだと思ってた時もあったんだ。
だけど、そうじゃない。ようやく分かった。こんなのは愛情なんかじゃないんだ。
「今だって、失ったってことが認められないだけだ。もういないんだって理解したくないから、他の方法を探そうとしてる。最初からあんたは求められてなかったんだ。なのに、今でもずっと自分にとって都合のいい夢を追ってる」
「では、お前はどうだ? 死んだ奴らの魂を掬おうとするお前は、俺となにが違う? 奴らが一度でもお前に掬ってくれと言ったか?」
世界樹は花びらを振りまいている。
ひときわ強い風が、神殿の中をごうと吹き荒れた。宙を舞っていた花弁が、一瞬、風に巻かれて途切れる。
風がおさまり静寂が戻った瞬間、オレは杖を抱えてシトーの方へ走る。
「――違わない。オレも取り戻したいだけだ。だから、この杖は絶対にあんたには渡さない!」
今度こそ間違えない。
アルセイスを取り戻したいのは、ただ、オレがそうしたいだけだ。
それでも、絶対に手を放さない。約束したんだ。
たとえそれが、オレのエゴだったとしても。




