16 深夜の元恋人たち
日が暮れて、王城の上の方に位置するシャーロット姫の部屋は、まっすぐに夕日が差し込み始めてきた。
濃密な空気の漂う室内で、彼女は重々しい声を絞り出す。
「つまり、私とユスちゃんの間には、もはやどうやっても子どもは作れないということか?」
「うん。一度解放した下着を戻すことはできないし、解放してしまうともう同性間では子どもができない。だから」
「ふむ……」
シャーロットはそう呟いたきり、口を閉じた。沈み込む表情に、オレたちはかける言葉もない。
ぱんつを穿くと今までとは生殖の方法が使えなくなる。
そのことを言うべきか言わざるべきか、迷いはした。が、目下、最重要な協力者である姫に、おかしな誤魔化しはしない方がいいと判断したのだった。
自信がないけれど、アルのように性転換させることも出来る可能性もある。
もし本人が望むなら、そして、あの時具体的に何をしたのか斎藤さんに確認できれば、の話だが。
ところどころ非常に抽象的な表現を交えつつ説明した結果……それでも、一定の理解は得られたらしい。主に、最も大事なポイントについて。
シャーロットはしばし唸っていたが、ある段階でふっと顔を上げ、オレたちに微笑んだ。
「まあ良い。方法があるかもしれないということは分かった。しかし、こればかりは相手がいることだからな。私一人で悩むことでもあるまい。それに、婚姻自体は問題ないのだ、少なくとも今は。むしろ、早めにその話を聞けたことで、何が何でも早急にこの話を押し通さねばならぬと気づけたぞ」
あっ、そうですか。結婚を取りやめにする方向はないんだね、なるほど。
……まあ、好きな相手が傍にいるって、結構その……うん。それはそれで大事なことだよな。
ちらりと横を向くと、アルセイスが軽く肩を竦めているのが見えた。
そして、その向こうで、誰にも視線を合わせずにぼんやりと窓の向こうを見ているバアルの姿も。
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シャーロット姫の部屋の片隅で真夜中を待つ間、短い休息をとることになった。
オレもうずくまってうとうとしていたけれど、そんな静寂を揺らす潜めた声に、夢から引き戻された。
「……本当に一人で行くつもりか?」
「くどいな。そんなに私の身が心配か?」
くす、と笑うその声さえもどこか空虚に聞こえる。バアルだ、と気づいた後で、会話の相手がアルセイスであることに思い当たった。
どうやら、アルセイスが、再びバアルに詰め寄っているらしい。
話題は昼間と同じ、バアルの単独行動について、だ。
アルの困ったようなため息が聞こえてくる。
「あのな、俺はお前のレスティじゃないが、お前のことを憎んでいる訳でもない。いなくなればいいなんて思ったことはないぞ」
「おや、意外な言葉だが」
おどけた声は、だが、アルセイスの言葉は、彼女の心のどこにも刺さらなかったと告げていた。
「あなたはレスティじゃないと、私が一番よく分かっているさ。あの頃から――千年前から既に、この世界は崩壊が始まっていたのだから」
「だが」
「……レスティはもう、どこにもいない。あなたに引き継がれた魂は、レスティのものと呼ぶには断絶と欠落が多すぎる。だから、こんなに近くにいるというのに、私のことすら思い出さないのだろう」
衣擦れの音が聞こえる。それに、押し殺した息と。
「……どうだ? これだけ近ければ、多少は通じるものがあるか?」
「貴様――」
アルセイスの怒りに満ちた押し殺した声を聞いて、オレは慌てて飛び起き、二人の間に割って入った。
「はい、ストップストップ!」
「レイヤ、お前……」
「おっと、起こしてしまったかな」
月明りしかなくても、慣れた二人の表情や体勢はよく分かる――いや、バアルがわざとオレから見えやすい場所にいたのだろう。のしかかっていたアルセイスの上から、ぱっととびすさった。
オレの手が触れるより、バアルが身を引く方が早い。多分、最初からさっさとのけるつもりだったのだろう。
いかにも悪いシーンを見られた、という風にバアルはにやにやしていたが、オレが怒っていないのに気づいて苦笑に切り替えた。
「こちらの思惑に気付いているなら、もう少し乗って演技をしてもらいたいものだが」
「あんたの思惑に乗る理由がないだろ。オレとアルに嫌われて、後顧の憂いなく単独行動に赴く……って、死亡フラグだぞ」
オレの背中にしがみついてたアルの手に力がこもる。
どうやら、バアルの言う演技そのものよりも、こっちの方が怒りを煽ったらしい。オレから離れ、バアルの首元に掴みかかっていった。
「これだから、お前を一人で放っておくと碌なことをしないな……っ!」
「はは、懐かしいな。千年程前にも恋人に言われたことがある。あなたにそれを言われると、私もどうにも弱いんだが……どうやっても偶数には割り切れない以上、単独行動が出るのは当たり前だろう?」
「俺が怒ってるのは一人で動くからじゃない、死んでもいいと思っているからだ!」
「誰が?」
「お前だよ! 自覚がないのか? レイヤに必要とされたからとどまっているだけで、必要がなくなればいつ消えてもいいと思ってるんだろう!?」
間近から睨まれて、笑い飛ばそうとしたらしいバアルは、途中でそれに失敗して顔を背けた。片手でおおった指の隙間で、形のいい唇が震えている。
「……消えてもいい、か。まあ、そうだな……そうかもしれない。いや、そもそも私は、ここに『いる』とさえ言えない。複製データだけの存在で、愛したものも憎んだものも、何もかも千年前のことだというなら」
今更、データだけが残ったところで、何の意味もないだろう、と。
ぽつりと呟いたバアルの言葉に、アルは更に噛みつこうと口を開く。その肩にぽんと手を置いて、オレはアルの肩越しにバアルをまっすぐに見つめた。
「アルセイスはさ、あんたを引き留めてんだよ、バアル。レスティとは違う言い方をしなきゃいけないから、すごい分かりにくい言い方になってるけど」
「引き留める……?」
見開かれたバアルの目が、アルセイスの顔の上をさまよう。
月光の下、アルは首元をほのかに赤らめて、呟いた。
「レスティキ・ファの……偉大なる我らが祖の恋人がお前ならば、俺がずっとあこがれ続けてきた勇者は、あの義体ではなくてお前の方ということだろう? 残された英雄譚のいずれがお前の成したことかまで細かく探るつもりは今はないが……その、俺自身はレスティキ・ファではないにしろ、やはり偉大な先人を見て、ああいう風になれたらいいと思ったことは何度もあって……」
「つまりさ、アルには珍しく直球以外のことを言おうとして、いつも失敗してるんだよ。あんたはアルにとって色々複雑な相手なんだ。少なくとも、ただ嫌いなだけじゃない。もちろん、レスティキ・ファの記憶が多少なりとも残ってるなら、それも影響してるかもしれないけど、どちらかと言えば――」
「――レイヤ! 俺はな、そうは言っても俺にはお前だけだと何度も!」
アルはがばっと振り向いて、オレに向き直る。
どうにも表現しようのない表情を、オレは頭をなでてやり過ごした。
「分かってるって。だから、オレは嫉妬なんてしたことないだろ」
実際、アルセイスにとってのバアルがどんな存在なのか、オレにはちょっと想像がつかない。ずっと憧れてた相手で、元の魂の恋人で――そういう存在の複製。
その上で、オレの身体と魂を浸食しかけた相手でもある。
混線が過ぎて、率直なアルセイスにとっては態度の出し方に悩むところなのだろう。
抱きついてきたアルを片手にとって、オレはバアルに視線を戻した。
「あんた、複製には価値がないって、本当にそう思ってるのか? レプリカは本物に敵わないって」
「本物ならば良かったと、思ったことは何度かあるよ」
「そうか? だって、オレとここまで一緒にいてくれたのは、いつだって複製のあんただったじゃないか。確かに、千年前にはもう戻れない。けど――今この世界であんたが構築してる関係は、それに劣るようなものか?」
自分のことをこんな風に言うのはちょっと恥ずかしいが、バアルを必要としてるのはオレだけじゃない。
アルにヘルガ、ベヒィマもだし、それに……いや、あの人はまあどうでもいいや。あいつは千年前から多分、そう変わってないだろうから。それに、何よりも「本物」にこだわってるのも、あの人だ。
「そうか……。そう言われてみれば、短い時間の間に、随分と知人が増えていたな」
バアルは唇を歪めたまま、静かに顔を伏せ、目元に手を当てた。その頬をきらりと光る雫が滑り降りたような気がしたけれど、はっきりとは見えない。その真実は月夜の中に紛れていった――ことにしよう。
ぽーん、と時計の鐘が鳴る。
隣室の扉ががちゃりと開き、ドレスよりは若干動きやすいだろうネグリジェ姿のシャーロット姫が顔をのぞかせた。
「さて、諸君。約束の時間だぞ」
シャーロットに頷きかけたバアルが、こちらを振り向く。
そのまなざしは、既にいつもの力強さを取り戻していた。




