14 【遥けき】日々 4
「私はスィリア、人族の王国ラインライアの王子だ。あなたがこの本に書いてある魔族の長、というのは本当ですか?」
興味津々の顔つきで尋ねた男は、我らと同じ黒い髪、黒い瞳をしていた。
掲げた書物はかつてのレスティキ・ファの手によるもの。その中にならば、確かに私の話が書かれていてもおかしくはない。
だが、人族は私の管理区域の住人だ。
それなのに――
「――今のラインライア王に、息子はいないはずだが」
私の管理区域内で、こんな男は見たことがない。
今の王族の中でも、魂の輪廻においても。
隣のレスティキ・ファへ視線を向けるが、彼女も警戒した表情で首を振っている。
アルフヘイムの森の奥深く、外からは隠された王宮図書館へ、レスティに気取らせず忍び込むことが出来るなど、只者ではないのは確かだ。
レスティを背後に庇い、男を睨み付ける私の前で、彼はくしゃりと顔中で笑って見せた。
「ああ……なるほど。管理者というのは伊達じゃないんだね。ラインライアのことをよく知っている」
「そうだ。ラインライアの王族は全て把握している」
「じゃあ、知っているはずだ。私の母、追放された王妃の話を」
「追放――確かに、今のラインライア王は前妻を追放し、今の妃を娶ったと聞いている」
男の微笑みは消えなかったが、声だけが僅かに湿った。
「その前妻が、私の母上だよ。父ときたら、後妻にも妾にも息子が出来ないことに焦って、追いやったはずの女の子どもを奪い返そうとしたんだ」
「確か、追放の理由も」
「女神の声に従って、なんて言ってたね。笑ってしまうよ、あの男にそんなものが聞こえるものか。あんな身勝手で傲慢な……ああ、これは世界の管理者に伝えたりしてはいけないのかな。女神の声を否定するとは何事か、なんて怒られてしまいそうだ」
言いながらも、微笑みは消えない。
微笑んでいるのに、確かに泣いていると分かった。
多分私も、同じ傷を抱えていたから。
本当は、疑念は晴れた訳ではない。
私が王子の存在を知らぬことは、まあ良い。
だが問題は、彼の顔に全く見覚えがない、ということだ。
私がこの世界の管理者となった時からを思い返してみても、彼の存在は記憶に存在しない。
これは、単に私が忘れたとか、知らない、覚えていないなどと言う話ではないのだ。
同じ魂の繰り返す輪廻に、彼の姿は一度たりとてない。
つまり、完全に新しい存在――異常の可能性。
異常ならば、修正しなければならない。
女神の定めた運命に従うならば。
そう反射的に考えて――そうして、そのことに自分自身で嫌気がさした。
複製でない、新しい存在を生み出そうとしている私が、こんなことではどうしようもない、と気付いて。
「……スィリア、と言ったな」
「王子、と呼ばれる方が多いけどね。それよりも、名前で呼んで貰う方が嬉しい。もう、呼んでくれる人はほとんどいないけれど」
その表情があまり寂しそうだったから――信じてみようと思ったのだ。
つい、思ってしまった。
だから――
「スィリアよ。お前の目の前の管理者が、実は女神を倒そうとしている反逆者なのだと言ったら、お前はどうする?」
差し伸べた手を、後から後悔することになるなど、その時は思ってもいなかった。
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「ばか。もう、ばか。どうして、そういうことを初対面の男にぽんぽんバラしてしまうの」
スィリアと名乗った男が帰った後も、レスティキ・ファの怒りは解けなかった。
ぽこぽこと軽い音を立てて背中を叩かれている。普段の拳の重さとは比にならないほどの柔らかさだから、本気で怒っているというよりは、怒ってみせることが大事なのだろうが。
この力について、どれほどレスティが手加減しているのかを知っている私としては、甘んじて拳を受けるくらいは何でもないことだ。
「もう言ってしまったものはしょうがないじゃないか」
「しょうがないなんて言ってる場合じゃないわ。どうするの、あの男が悪人で、あなたに何か危害を加えるような……」
「その時は、また一からやり直しだな。君の魂と再び巡り合うところから」
そっと拳を手のひらで受ける。
レスティは黙って目を伏せ、赤らめた頬を私の肩に寄せた。
「……ようやく思い出せたのに、私、また忘れてしまうの?」
「大丈夫、そうしたらまた私が教えてあげるよ。何度もこうして出会ったこと、私が君を愛していること」
幾たびも繰り返す輪廻で、私は彼女と出会い、別れを重ねてた。
そうして、ようやく、今までの彼女のすべての記憶を取り戻すすることに成功した。
圧縮され、暗号化された1冊の書物。
アルフヘイムの王宮図書館に隠されていた文書。
それは、これまでの複製が重ねた記憶を、彼女という端末の奥から引き出す方法だった。
女神の決めたルールでは、王宮図書館の記録は絶対不可侵。
反逆を心に定めたからこそ、記録に手を伸ばすことが出来たのだ。
そして――私は、今日、最大の禁忌を犯すためにここにきている。
「……レスティ、ようやく見付けたんだ。複製ではない、新しい生命を生むための方法を」
「あったのね。今までとは全く違う、新しい可能性を生む技が」
抱き寄せた彼女の身体は、柔らかく温かかった。
いつもならそれだけで心安らぐその感触に――今、私は例えようもなく興奮していた。
私の腕にそってしなる脇腹の頼りなさ。
押し付けられた胸元の熱さ。
鼻先に当たる艶やかな金髪の感触。
瞳の中に輝く光。唇。花のほころぶような。吐息。その――
「君の協力が必要だ、レスティ。どうか、私と――」
「ええ。あなたとなら、変わっていくことも怖くないわ」
私は彼女の肩口に顔を埋めた。
受け止められる快楽に震える唇で、静かに呪文を唱える。
「――【永劫の鎖に封ぜられし 混沌の主 我が父よ 凍てつく闇の底より 今ここに目覚めよ ――下着解放】
抱きしめていたレスティの身体が、光に包まれる。
鮮やかな真紅の輝きが、閉じた瞼を貫いて瞳に刺さる。だが、決して手を放したりなどするものか。
彼女は――私のものだ。
私が彼女のものであるのと同様に。
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「……で、レスティキ・ファと実験を始めた、ということでよろしいですか。魔王さま」
「その喋り方はよせと……」
「私がどんな風に喋ろうが私の勝手でしょう。それとも、あなたは私の口調まで支配するような、そんな絶対的な権力を私に対して振るうおつもりですか?」
手元に文字を書き留める姿勢で、シトーは慇懃無礼に微笑んでいる。その揺らがぬ目に凝視されて、私の方が黙って目を逸らした。
ここで今までの喋り方に戻せと強いれば、シトーの全てを私が選択することになりそうな気がした。口元は歪んでいるが、目が笑っていない。
沈黙を無言の受容と取ったのか、シトーは表情を変えぬまま問いを重ねる。
「実験の結果については」
「まだ分からん。私とレスティの問題だ、しばらく放っておいてくれ」
「ですが、それが女神への最大の切り札なのですよ。こうして私も巻き込まれた以上、問題はあなただけのものでは――」
「――いずれ結果が出れば報告する。まずは待て」
「……結果が出るとお思いなのですね」
「? 結果が出なくてどうする。その為の実験だろう――いや、実験などと呼ぶのも止めてくれないか。私は彼女と愛を交わしているのだ。それはそんな矮小な言葉で表現できるようなものでは――」
突然、シトーの握っていたペンが砕け散った。
欠片が手元に当たり、鋭い痛みが走る。慌てて手を引いた。
「ああ……失礼。どうやら、軸が脆くなっていたようですね」
落ち着き払ったシトーは、驚きに目を見張ったままの私の手を取る。
指先から垂れ落ちる体液に、静かに唇を寄せた。
振り払う。赤い体液が飛び散って、シトーの頬を汚した。
「おい――」
叱るべきか、謝るべきか。
咄嗟にその後の言葉が浮かばない。
混乱したまま、何を言えば良いのか分からなくて――ただ、シトーの目を見てはいけない気がした。
その目の奥には、私を踏み止まらせる何かがあるような気が。
黙って踵を返した私を、シトーは呼び止めなかった。
ただ、短く息を吐く音だけが。
やけに、耳につく――
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――はい、ストップストップ。
あのー、ちょっと? どこまで行ってるんですか、あなたは。
私との出会い? 魔族三将との絆? あの女の人となり?
そんなの、どうでも良いでしょう。
潜りすぎてるんですよ、もっと浮かんで。そんな深くにはありません。
あなたが知りたいことは何でした?
偽物とは何か――は、もう薄々気付きましたね。
他は何でしたっけ、私の裏切りでしたっけ。
ええ、どうぞどうぞ。私が裏切ったとお思いなら……確かめてご覧なさい。
あなたが魔王さまの複製なら、多分、ほら……この辺りに。
さあ、あなたの言う裏切りの幕開けです――




