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汝、眼前の純白を愛せよ  作者: 狼子 由
第五章 Kiss You
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11 【遥けき】日々 1

 魔王バアルの記憶がぐらりぐらりと脳を揺らす。

 傾いだ身体を、斎藤さんの――シトーの手が支えた。

 指先が、絡みつくようにオレの脇腹の傷に触れる。


 痛みはない、ただ圧倒的な違和感でその場に崩折れそうになる。

 慌てて戻ってくるアルセイスの足音が聞こえたような。

 だけどそれよりもっと近く、耳元に微かに囁かれた。


()()()()記録(データ)にだってあるでしょう? 基盤(オペレーティング)構成(システム)が違うだけで、記憶庫(ストレージ)は同じはずだ。ちゃんと走査(スキャン)してください。さあ、何が見えますか……?」



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 女神の掟は絶対。

 背いてはならないと、この世界の全存在が認識している。

 ――いや、逆か。

 私達は皆、()()()()()作られたのだ。

 けして背かず、運命(プロトコル)に従って生きる存在として。


 女神(マニファクチャラ)が作った存在は、何一つ無駄も誤りもなかった。

 我らはそれぞれに役割(パーツ)を定められ、それを果たす為だけに存在した。


 伝達者たるフェアリーが川を通じて海へ運び、マーメイドが取り込んで、智を司るエルフ達が保管する。

 不要物はサラマンダーによって廃棄され、エンジェルが検分した後、新たにドワーフ達が創造する。

 人族の制御の下、世界(システム)は滞りなく回る。


 我らは――魔族は、世界(システム)管理者(アドミニストレータ)だ。

 全ての種族が、運命(プロトコル)通りに動いているかどうかを監視する存在。


 人族という制御(コントロール)装置(ユニット)も存在すると言うのに、我らが女神はそれだけではご不満らしい。

 不満と言うべきか、不安と呼ぶべきか。

 世界の外から監視する管理者(アドミニストレータ)を置くべきだと考えたのは、女神なのだから。


 我らは世界(システム)に支配され、かつ世界(システム)から外れた存在。

 他の七種族の描く輪廻(サイクル)には入れない者。


 だから――見守るしかない。

 恋人が、友人が、深く愛した者をサラマンダー達が埋葬する(ディスポーズ)のを。

 再び複製(コピー)が生まれるまで、ただ待ち続ける日々を。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「――繰り返される複製に、遺伝子(データ)の方が耐えられぬのだ。世界(システム)は緩慢に破滅に向かうのが明白だ。これを黙って見過ごすことはできない」


 山上に、冷たい風が吹いた。

 マントと共に私の髪が跳ねあがり絡みつくが、目を閉じることはしなかった。


 見下ろす先に蹲るのは一人の男。

 その足元で、岩に張り付いた苔がじりと剥がれて落ちる。


 力で捻じ伏せ、ようやく私の前に膝を突かせたとは言え、男は私の言葉を理解したようには見えなかった。ひねくれた黒い瞳は虚ろで、何を感じる様子も見せない。

 管理者(アドミニストレータ)の長たる私は、尋ねるより前にその名を知っている。

 記憶(ストレージ)装置(デバイス)から強制的に引き出した同族の名はシトー。淫魔シトー。

 シトーは無造作に長く伸ばした前髪の下から、私をじっと見つめている。


「……で、あんたが言いたいのは、女神をぶっ殺すから力を貸せってことだけか。魔王なんて大層な肩書きぶら下げて、わざわざ俺を揶揄いに来たのか?」


 拗ねた様子も、私には寂しさとしか感じられなかった。

 私も同じだ。永久と定められた日々を、ただ決められた場所を監視することで生きてきたのだから。

 シトーの管理区域はエンジェル達の住むガローデマーン。広大な天空を――演算を続けるエンジェル達を眺めるだけの日々は、さぞや辛かったに違いあるまい。


 私が黙って頷いて見せると、シトーは少しの間沈黙した。

 それから、呆れた様子で乾いた笑いを漏らす。


「馬鹿じゃないのか、くだらねぇ。そんなこと出来るもんか。死ぬことさえ自分の思うように出来ねぇのに」

「そうか、お前も試したのか」


 私も同じだ、と呟く。

 一瞬だけ、シトーの瞳が揺れた。


 輪廻(サイクル)へ割り込めないかと、何度自殺を試したことか。

 この手から何度も失い、そしてまた次に再び出会えるまでの長い空白に耐えかねて。


 同情から立て直したシトーが私を睨み付ける。


「それで? 同じだから何だって言うんだ。魔族はみんな、死ぬことを許されねぇってだけだろ。早く持ち場に戻れ、あんただけじゃなく俺まで女神に怒られちまう」

「不在を誤魔化す方法がある。長年かけてようやく確信を得た。これなら――そう簡単に女神にはバレない」

「……何だと?」


 瞬間、瞳に宿った光の色の活力は、希望と呼ぶに相応しいものだった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 私が抱えて来たベヒィマの姿を見て、シトーは初めきょとんとした顔をしていた。

 直後、ごう、と吹き上がった山風に煽られて慌てて後退る。

 その表情があまりに無防備だったので、こみ上げる笑いを殺し損ねた。


「……何笑ってんだよ、あんた」

「いや、何……ふふふ」

「笑ってる場合かよ、何を連れてきやがった」

「何って――見れば分かるだろう。我々と同じ魔族の娘だ。名前はベヒィマ」


 私の横腹にしがみついたベヒィマが、ぎっとシトーを睨み付ける。

 シトーもまた渋面を浮かべてベヒィマを見下ろした。


「名前なんざどうだって良い。俺が聞いてるのは、何故その魔族の娘とやらがここにいるかってことだ」

「あたしがここにいて問題ある?」

「大ありだろ、ここは俺の管理区域だぞ!? てめぇは自分の区域に戻れ!」

「何よ、あんたも知ってるんでしょ。こっそり管理区域を離れる方法。そうじゃなきゃ、この人の顔見てそんな平然としてられるわけないし」


 つん、と唇を尖らせてそっぽを向いたベヒィマを見て、シトーは苛立ちを募らせたらしい。


「うざってぇ上に性格最悪か、こいつは!」

「落ち着け、シトー。お前が喧嘩腰だからいかんのだ」

「そーよ、何もかもあんたが悪いのよ」

「――っざけんなよ、てめぇ!」


 掴みかかろうとしたシトーの身体を、咄嗟に掴んで止めた。

 どうにも魔族は他人との交流に欠けるせいか、折衝や譲り合いに難のあるものが多い。異常(バグ)を修正する感覚で、目の前の問題を排除しようとするのだろう。


「離せよっ! こいつ……ぶん殴ってやる!」

「短絡的に物を言うな。お前らがぶつかって怪我でもしてみろ、それこそ女神に察知されるぞ」

「……ぐぐぐぐぐ」


 振り上げた拳を震わせながら、唇を噛みしめて踏み止まる。私の腰から手を離したベヒィマが、その正面で挑発するように舌を出した。


「こんの……」

「落ち着けと言っている。ベヒィマも止めろ」

「ふん、こいつの顔見ていると腹が立ってくるのよ」

「ああ、俺もだよ」

「……良かったな、気が合うじゃないか」

「違うわよ!」

「そうじゃねぇだろ!」


 双方から同時に噛み付かれるが、どうにも腑に落ちない。

 やっぱり気が合うんじゃないだろうか。


「……とにかく。無用な諍いは止めろ。我らは同じ目的に向けて手を組んだ者同士だ。足の引っ張り合いをしても始まるまい」


 しばし睨み合った後、2人は同時に顔を逸らした。

 視線を合わせないことは、停戦の意思の現れらしい。獣のようだ。

 ひとまず緊張した空気が薄れたことで、私はほうと息を吐き、シトーに向けて尋ねた。


「それで。エンジェル達の様子はどうだ」

「今のとこ変わった様子はねぇ。あいつらも俺達と一緒で少しばかり特殊だから、注意して見てはいるが」

「特殊……?」


 ベヒィマの独り言を拾って、シトーは軽く眉を上げた。


「見たことねぇのか、あんた」

「『テメェ』から『アンタ』に繰り上げ? 随分と魔王に懐いた子犬ね」

「――こんの」

「止めろと言ってるだろ。ほら、シトー。百聞は一見に如かずだ、案内してやれ」


 今度の睨み合っている時間は短かった。

 ベヒィマは好奇心を抑えられず、シトーは見せびらかしたい気持ちを我慢できなかったようだ。

 顎をしゃくって先導するシトーの後を、私の背中を掴んだままベヒィマが追いかける。私はベヒィマの手に押されながらシトーに続いた。


 巨石を乗り越えて、風の通らぬ冷えた洞窟に踏み入る。

 湿った空気の奥、立ち止まったシトーが足先で()()を指した。


「……ほら、こいつだよ」


 背後でベヒィマの息を呑む音が聞こえた。

 シトーは少しだけ頬を緩めたが――それでも、笑う気にはなれなかったようだ。そのまま、視線を足元へ戻した。


 転がっているのは、動きを止めて久しい一体のエンジェルだ。

 壊れてからかなり時間が経っているのだろう。穴の開いた胴体から覗く歯車は錆つき、見開かれた瞳は光を失って内側から曇っている。壊れている――死んでいるのは明白だった。

 折れた腕から流れたオイルが、シトーの足元を黒く汚す。

 背中の羽から落ちた羽毛がオイルに塗れて散らばっている。


「……これは、何?」


 掠れたベヒィマの声に答えたのは、シトーだった。


「エンジェルだ。ちょっと裏の手を使ってね、サラマンダーが埋葬する前に隠しちまった。ふん、まあしばらくは見付からないはずだぜ。ひらひら飛ぶだけが仕事のエンジェルなんざ、女神の忠実な下僕、命令の指示者――」

「――天空舞う麗しき機械製下僕オートマトン世界(システム)演算(アリスメティック)装置(ユニット)だ」


 私の声が後を取って洞窟に響く。

 反響に怯えるように、ベヒィマの手が強く私の腰を抱いた。

 その頭を軽く撫でてからしがみつく腕を外し、壊れたエンジェルへ一歩近付く。


 機械製下僕オートマトンの唇は、もの言いたげに半ば開いたまま。

 私は冷えた唇に指先を当て、こじ開ける。

 その内側に接続し、必要な情報データを吸い上げるために。

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