10 手段と目的
完全に日が沈んでしまえば森は歩きづらくなる。
分かっていても、ティルナノーグに戻る訳にはいかなかった。
むしろ、森で野宿する方が良いかもしれない。そう言い出したのはヘルガだ。
「あなた達が【転移】で姿を消した後、私、一度ティルナノーグに戻ってたの。グリフォン達を一人じゃ捌き切れないから」
「……で、ティルナノーグのフェアリー達と力を合わせてグリフォンを撃退しているところに、シトーが【転移】で現れてお前を攫った、と」
「攫うなんてそんな。味方は多い方が良かろうと、ここまで連れてきて差し上げたんじゃないですか」
アルの言葉に斎藤さんは慌てて訂正を入れたけど、客観的に考えて、今頃ティルナノーグは大騒ぎになっているはずだ。グリフォンの大群を片付けている最中に、突然【転移】で現れた男が王女を連れてどこかへ消えた――【転移】はそもそも魔族にしか使えない魔術だし、王女は過去に一度人族に攫われて奴隷にされていたという経緯もある。
「あなたもその状態じゃ……どう言い繕っても人族には見えないし」
「シトーにベヒィマ、お前がいくら王女の恩人だって、長年敵対してきた魔族が相手じゃ丁重にはして貰えないだろうな」
アルがいつものようにばっさり切り捨てて、オレはがくりと肩を落とした。
こっちからの好意はあるんだけど、アルが容赦ないのは変わらないらしい。
恨めしい気持ちで見上げると、ぱっと青い眼を見開いてから慌てて逸らされた。何だ、その反応。冷たいぞ。
「魔族が嫌がられるったって、こんな……壊れかけの機械みたいなの、魔族だっておかしいだろ」
「どの種族もそれぞれに交流の少ない種族はあるんだが、その中でも魔族だけはほぼ孤立していてな。聞いたことも見たこともないような存在は魔族の仕業だと思われやすいんだ」
アルの言葉には多分に偏見が含まれているような気がする。いや、多分、本人が偏見を持っているんじゃないのは、言葉から分かってる。問題は、そういう偏見があるということを包み隠さない部分だろう。
良くも悪くも正直過ぎる人だ。
「あんたは魔族なんかじゃないわ。あたしが保障する」
オレ達の会話を黙って聞いていたベヒィマが、ぼそりと呟いた。じゃあ何なんだよ、と泣きそうな気持ちで答えようとした瞬間、ヘルガが両手を上げてオレ達の間に割り入った。
「――とにかく。あなた達をティルナノーグに連れてく訳にはいかない。少なくとも、今は。だけどこのままじゃ私を探してフェアリー達が追ってきちゃう。だから、私はこれからティルナノーグへ戻る。うまいこと言ってあなた達の荷物や野営の準備を持ってくる。そうしたら……もうティルナノーグへは寄らずに、あなた達は別の場所を目指した方が良いかも知れない」
それからちらりとオレを――いや、オレの脇腹の奥で動く機械部品を見た。
「……特に、これは、修理とか要るんじゃないかしら」
「直せるのかな……」
「とりあえず、腕の方は修理って言うか治療って言うか、義手だろうが何か付けられるんじゃないかしら」
「人族の使う機械に似ているような気がするが……あれも元はドワーフ達の技術だからな。ドワーフと連絡が取れれば何とかなるだろうか」
アルセイスの方は、ヘルガよりもうちょっと容赦がない。
白い指先で傷口――と呼ぶべきか破損孔とでも言うべきか――に触れて検分している。
痛くはないんだけど、何だかちりちりと熱いような感じで、思わずその手を掴んでしまった。
「悪い、痛かったか。どうなってるのか気になって、つい」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……アルは気持ち悪くないの、これ」
「中のお前はどうやら最初から俺と一緒にいたお前だし、それがお前なのなら、別に。気持ちが悪いと言うなら、いつの間にか中身が入れ替わってる間のお前の方がよほど気持ち悪い」
安堵とは別に、胸のどっかがぐさりと痛みを覚えた気がする――多分、オレの痛みじゃないけど。
斎藤さんがにこにこしながら手を上げた。
「あ、じゃあ私、そこの羽虫の帰りを待ってるのも手持ち無沙汰ですし、ドワーフ達の山に行ってちょっと聞いてみますね。ほら、私なら【転移】でぱっと跳べますし」
「あんたが【転移】で跳べる先じゃないでしょ、ユーミルは」
ベヒィマのつまらなそうな声が響いて、一瞬、斎藤さんの表情が悔し気に歪む。
オレ達の味方じゃないのは確かだが、ベヒィマは斎藤さんの味方をするつもりもさらさらないらしい。
「……鬱陶しいですね」
「どっちにしろ却下だ。あんたにはここでオレ達に、何がどうなってるのかきっちり説明する役目があるだろ」
「えー、でもほらそれは、私に尋ねるよりベヒィマに聞いた方が……」
「何であたしが、あんた達の知りたいことに答えてやらなきゃいけないの。どうしても口を割らせたければ殺しなさいよ」
オレだって、殺せと言われて無抵抗の少女をあっさり殺せる程、冷血じゃない。
どちらかと言えばそういうことに躊躇のない方であるアルセイスが、オレの表情を窺ってちらりと視線を向けてくる。当然、オレは大きく首を振った。それで納得したアルは両手を上げて何をするつもりもないことをベヒィマに示して見せる。
見た目と生きてる時間の長さが比例しないのが魔族だと知ってても、無抵抗の少女を喜んで嬲り殺すような精神性は持っていないのだ――ここにいる、一人を除けば。
「ああ、はいはい、分かりました。じゃあ、後顧の憂いを失くすためにここでサヨナラしちゃいましょう」
あっさりとベヒィマの傍へ向かおうとする斎藤さんからは、同族への同情とか親愛とかそういうものが一切感じられない。その上、このどさくさに紛れて、とりあえずこの場をしのいで全てを誤魔化そうという狡さも混ざっていそうだ。
苛立ちを露わに、オレはそのジャケットの肩を背中から掴んでぐいと引いた。
「止めろ。オレはあんたから聞きたいんだよ、シトー。私と千年前に何があった、何故裏切った。それに……私が偽物だと言うなら、私とは一体何なんだ。お前の言葉からは嘘と欺瞞しか感じられん」
振り向いたシトーが、一瞬、色のない瞳で私を見た。
すぐに朗らかな笑顔を取り戻し、私の手にそっと手を添えたけれど。
「ええ、はい。魔王さまがそう仰るなら一から十まで説明いたしましょう。ええ勿論、喜んで」
明るい口調の裏にかき消されたけれど、先程の視線だけが瞼に残った。
まるで、路傍の石ころを見るような、何の興味もない眼差しが。
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「これを言うと、さすがの魔王さまも怒るような気はしてたんですよね……でもほら、あなたはもう偽物だって分かっちゃいましたし」
ティルナノーグへ戻るヘルガを見送った後には、どこからも近付きようのない三角形が出来上がった。
相変わらず笑顔を絶やさない斎藤さんと、オレを支えるアルセイス、そして落ち葉の上に座り込んだままのベヒィマだ。
「いえ、偽物だからと言って、ここで見捨ててしまおうとか、そんなことは思っていないですよ。あなたをこちらへ連れて来たのは私ですし、ほら、野垂れ死にされるのも寝覚めが悪いですし……」
「あんた、本当はそんなこと気にしないだろ」
あからさまな嘘に反論してみたけれど、斎藤さんは素知らぬふりで聞き流した。
あれだけ動揺してたんだから、きっとその『偽物』ってとこは重要な部分なんだろうけど……どうにか揺さぶりをかけてやりたいが、ほぼ完全に立ち直っちゃったこいつにどう言えば効くんだか。
「まあ、裏切りって言ってもね、そんな大したことじゃないんですよ。ほんと」
物腰柔らかにそう言って誤魔化そうとする斎藤さんに、ベヒィマが冷たい視線を向けた。
「嘘ばっかり。あんたのせいで魔王さまは負けたのよ、この期に及んで何言ってるの」
ぴし、と斎藤さんの笑顔が凍った。
扱いに困っていたけれど、どうやらベヒィマが嘘発見器の役目をしてくれそうだ。
一瞬、座り込んだままの少女に向けて凄まじい憎悪の視線を向けてから、ようやく心を立て直した斎藤さんは優雅に髪を掻き上げてこちらへ向き直った。
「良いでしょう。真実が知りたいと言うなら、まずは――そう、その千年前の裏切りについて私の言い分も聞いて頂きましょう」
胸の奥で、ざわりと波立つような感触を覚えた。
オレじゃない、多分バアルの方だ。
アルセイスの腕が、揺らぎかけたオレの身体を咄嗟に支えてくれた。
「――千年前、確かに、それまで平和の続いていた世界に争いを起こしたのは魔王さまの方でした。ですが、それはむしろ正義と言える行い――だったはずなのです」
長い指を胸元に添えて、小首を傾げて見せる。
滔々と歌い上げる詩人のように、舞台上の役者のように、斎藤さんは声を張り上げる。
「では、何故そんな魔王さまが『悪』とされ、勇者が正義と伝わっているのか。それは、魔王さまが反旗を翻した相手が、この世界を管理する女神だったからです」
「――そうだ。私は女神を斃そうとした。何故ならば、女神は――」
勝手に開いた口が、私の言葉を語る。
覚えている、そうだ。覚えている。
永久に孤独のまま、世界を監視する運命を覆そうとした自分のことを。
「魔族と――同じ一族と生まれながらも、我らは孤独。老いず死なず、ただそれぞれが永劫に、女神に定められた場所に異変の起こらぬことを眺め、時に生まれた異常を潰すだけの日々。寿命よりも先に自らの機能が壊れそうだと、知らず絶望を感じていた毎日の中に」
「あの人は来てくれた。あたしの――魔族達の手を取るために」
震える少女の声が、後を継いだ。
シトーはちらりとそちらを見たが、すぐに私に向き直る。
「あなたは――いえ、魔王さまは私達を一つにまとめ上げ、生まれつき女神の与えた全ての役割を破棄しようとしました。その為に作り上げたのが」
シトーの指先が、ぴし、とアルの腰辺りに向けられた。
「下着なのです――ぶへっ」
顔を真っ赤にしたレスティキ・ファのしなやかな脚が、シトーの顔面をもろに蹴飛ばした。
見事な上段回し蹴り。これは蹴られても仕方ない。
吹っ飛ぶシトーの姿を見ながら、そう言えば前にも同じようなことがあったな、と頭の隅で思い出し――くらり、と身体が揺れた。
かつて、そう。
私が破壊しようとした、完璧な秩序について。




