8 造られたもの
誰も、何も言えなかった。
私自身にさえ、何が起こったのか全く理解出来ない。
確かに私は、私の世界で言う、いわゆる「人」とは違う存在である。
魔族とは、この世界で女神によって造られた存在である。
老いず、死なず、永劫を孤独に生き、世界を監視する為に生み出された者。
だが――それでも、少なくとも、生き物ではあったはずだった。
「……レイ、ヤ。これは」
茫然とした表情のまま、レスティが目を瞬かせる。
その視線の先、脇腹の傷口から、無機質な発条と螺子の塊がのぞいていた。
レスティの声を合図にしたかのように、シトーが身体を揺らめかせながら立ち上がる。
「それ。それは。その身体は。それは、それは、それはそれはそれは」
上ずった声が繰り返され、私は微かに眉を寄せた。
「……落ち着け、シトー。前から言いたかったが、お前は少し激情が過ぎるぞ。確かに混乱する気持ちも分かるがな、それをそのまま顕にしては、まるで私よりお前の方が――」
――お前の方が、機械のようではないか。
さすがに、口にするのは躊躇われた。
私自身は今の今まで、この身体を――自分を有機物の合成体だと思っていたものだから。
いや、思っていた、どころではない。
確かにそうだったはずだ。
思い返せば、こちらの世界に戻ってきた当初レスティに――いや、アルフヘイムの王子と共に森で魔物に襲われた夜、捻った足首を痛めたことがあった。すぐに【治療】を使うことが出来たから良かったが。
そうだ、あの夜の私は、確かに生物であった。
だが、それならば――今はなぜ?
「……シトー。とにかく移動しよう。手を貸してくれ」
差し出した手を、シトーは取らなかった。
今の彼には、私の声は聞こえていないようだ。頭を抱え、ぶつぶつと何かを呟いている。
全く、これだからシトーは。
ため息をつくと、見かねたレスティが肩を差し出してくれた。
予想外に差し伸べられた手の温かさに、私はその肩口にもたれかかるように頬を寄せる。
「君は、私を避けているのかと思っていたが」
「避けてはいない。ただ……レイヤの手を離すまいとすると、必然的にお前と一緒にいられないというだけだ」
迷いのなさには、苦笑するしかない。
ひそかに肩を揺する私を見下ろして、レスティは、ふん、と鼻を鳴らした。
「楽しそうだな、そんな身体で」
「悪くなさそうだぞ、この身体も。あまり痛みも感じないし、この状態でもまだ動く。それに……」
「それに?」
「こんな体でも、君はさして気にしている訳でもなさそうだし」
「……もう、お前の正体が何なのかなんて、気にする段階はとっくの昔に過ぎてるんだ」
「段階ね。なるほど、私は随分と君に愛されているらしいな」
「…………」
世迷言を、と切り捨てられるかと思ったが、意外にも否定の言葉はなかった。
いつも即断即決のレスティにしては珍しい。じっと眺めてみたけれど、こちらを見返しもしない。
こほ、とわざとらしい咳音の後、レスティは私を引きずるように歩き始めた。
「――とにかく、お前をティルナノーグまで連れて行ってやる。しばらくそこで大人しくしてろ」
「君はどうする、この状態でジーズやベヒィマとの戦いに戻るつもりか?」
「このままティルナノーグを戦場にする訳にはいかない。戦える者が戦うのは当然のことだろう」
ほら、こんな問いですら、答えに躊躇の色などない。
こういうところ、そっくりだ。
言葉遣いは荒いし、仕草は丁重ながらもどこか粗雑なところがある。
アルフヘイムで蝶よ花よと育てられたレスティと、彼女が別人だなどということは、教わるまでもなく分かっている。
だが――そういう強さには、やはり同じ血を感じる。
だからどうしても、目の前の娘がレスティではないと、心のどこかで信じきれないところがあるのだ。
「戦える者がと言うなら、私もそうだよ、レスティ。私もまだ動ける。君だけを行かせるつもりはない」
「動けると言っても……その身体は」
レスティの青い目が私の脇腹を見た。
キリキリと鳴るぜんまいが露出している。
「……大丈夫なのか?」
その一言に、諸々の意図を封じ込んだようだった。
ありがたい。
――お前の身体は何なのか、と問われたところで答えようがない。
「ああ、私はどうやら、これでも大丈夫のようだが……」
そうだ、もしかすると……答えられるのだろうか。
そこに座り込んだまま、ぶつぶつと独り言を続けているシトーには。
「おい、シトー。お前は大丈夫か? 何を1人で悩んでいる。この身体、私がどうしてこんなことになっているのか、お前には分かっているのか?」
シトーの動きがぴたりと止まった。
顔を覆った指の隙間、震える唇が開こうとした――瞬間に。
「――シトーじゃなくても分かるさ、お兄ちゃん。千年前のことを知っている魔族なら、誰でもな」
足音もなく、背後から声をかけられた。
振り向かずとも声で分かる。
敵に回ったとしても、かつては肩を並べて戦っていたのだから。
「……ジーズ」
「おれは言わないぜ。あんたにそれを言うのは、主から止められている。聞きたきゃシトーをぶん殴って聞きな、お兄ちゃん。最も――」
じろり、と黒い瞳がシトーを見据えた。
「――魔族一の裏切り者が、まだここにいるつもりなら、だがね」
「――私は……っ」
咄嗟に言い返そうとしたシトーの視線が、私とぶつかる。
数秒の後、怯んだように、シトーの目が逸らされた。
「……裏切りでは、なかったの、です。そうしなければ、魔王さまが……」
「本人に言ってやれよ、そんな地面に向かってぶつぶつ言ってないでさ」
「……っ、あなた方こそ、どうして勇者の――」
シトーの言葉は途中で途切れた。
背後に現れた気配に気付いて。
空中に現れた漆黒の【転移門】。円形に口を開けた闇の中から、傷だらけの少女が這いずり出てくる。
「ベヒィマ! 貴様――」
「……死んで、シトー。消えて、何もかも。裏切り者はこの世界から去って。あたしの夢を壊さないで。いつかの続きの邪魔をしないで――【氷柱の剣舞】!」
慌てて身を捻り距離を空けようとしたシトーの身体を、至近距離から氷の刃が貫く。
ずたずたに引き裂かれたスーツが飛び散り、赤い血が宙に舞った。
そして――その全てが地面に落ちた後には、うずくまるベヒィマの姿だけが残っていた。
「シトーは……?」
「派手な目くらましだが、うまいこと逃げたみたいだぜ、アルシアちゃん。やっぱり見捨てて逃げるんだな、あいつは」
忌々しさを吐き捨てるように、ジーズがレスティの問に答える。
シトーに向けた蔑みの視線をそのままに、ジーズの目が、レスティに支えられて立つ私を見た。
「……あんたもそうするかい、お兄ちゃん。今なら何もかも忘れて、大好きなアルシアちゃんと2人でどこか遠くで暮らす選択肢もあるぜ」
「私は……」
「レイヤ」
私の身体を抱くレスティの手に、一瞬、力がこもった。
その手に込められているのがどんな思いなのか、無言のままでも私には分かっていた。
彼女がレスティの魂を継ぐものなら、何を考えているかなど、悩む必要もなかった。
「私は――オレは、自分が間違ってたならそれを知りたいし、莉亜が何してるかなんて考えないで、どっかで幸せに暮らそうって思えるほど能天気でもない。何も知らないのに延々と恨まれたり期待されたりするのももう嫌だ。オレが何かしたって言うなら、言ってくれ。裏切ったなら何が悪かったのか教えてくれ。その権利があんたにないなら――莉亜ともっかい話したい。一方通行の使いっ走りに何言われても、大人しく従う気なんかありゃしねぇよ!」
ジーズの目が、馬鹿にするように細められた。
1人じゃ立てもしないのに吠えるだけはいっちょまえだって、その目が言っている。バカにして、軽んじて、言い返すのもくだらないってそんな顔で。
でも、そんなの全然怖くない。
世界が、勝手にオレを敵や味方に分類しようとしてることに比べれば、全然。
黙って引っ込んで、そうして知らない内に何もかもが終わるよりは、よっぽど。
「口だけは昔から変わらねぇな。見逃されるのが嫌なら――やっぱりここで死ぬか、坊や」
「あ、たしも……あいつ、は、許さない……から」
うずくまっていた地面から、ふらり、と立ち上がったベヒィマが、こちらを見た。
黒い瞳に浮かぶ憎悪を、間に入ったアルセイスが遮る。
「お前らが、誰にどう裏切られて、ぐじぐじと愚痴を零しているのか知らないが――」
背筋を伸ばした強気の瞳は、確かに私のレスティと瓜二つで。
そうして、それでもどうしようもなく、オレだけが知っているアルセイスだった。
「――ここにいるのは他の誰でもなく、ただのレイヤだ。恨みつらみをぶつけたいなら、他所でやれ」
ティルナノーグも聖弓フロイグリントもヘルガも、ついでにオレのことも守ってやる、と不敵な笑みが告げていた。
その表情があんまり予想通りで、他に類もなく強いから、オレもなんだか分かってしまった。
ああ、オレ――アルセイスのことすごく好きなんだって。




