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汝、眼前の純白を愛せよ  作者: 狼子 由
第五章 Kiss You
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7 回る運命

「許さない許さない許さないんだからぁっ!」


 必死に叫びながら、その身体は大きく揺れている。限界を超えた状態なんだろう、とはすぐに分かった。

 焦点も危うい漆黒の瞳は、だけど確かにオレを睨みつけていた。

 千切れた袖、破れたスカート。腕も足も肌を晒し、乾いてどす黒く変色した血液をこびりつかせながら、それでも立っている。

 気を失ってたはずなのに、ここにいるのは何故なのか。説明してくれるとも思えない。言葉以上に、オレを見ているその表情から、憎しみを感じた。


 ――だけど、何故、魔王オレがこんなにも憎まれているんだろう。

 魔王の復活は、魔族からすれば喜ばしいことなんじゃないのか。


 それぞれに孤独だった魔族を呼び集めた魔王。

 その人が恨まれるとしたら、志半ばに魔王がこの世界を去ったからだろうか?

 孤独な人々を、救うと誓った人々を置き去りにして。

 それが、彼女には裏切りと映るのか。


 ――私が、裏切った、と。


 ベヒィマの声を聞いて、どくり、と胸の中で魔王バアルが動いた。

 オレはひとまずそれを宥めつつ、ベヒィマの方へと向き直る。


「ベヒィマ、あんたはオレのことを許さないと言うが――」

「――うるさい! あんたが……あんたなんかが、あたしの名前を呼ぶなあっ!」


 ベヒィマの踏み出した足が、ばきり、と小枝を折る音。


「――!? レイヤっ」


 瞬間、アルがオレの右腕を引いた。

 背後からジーズの声が響く。


「――【極限破壊(アルティメット・ボム)】!」


 まずい、ベヒィマにばかり注意が向かってた。防御が間に合わない。

 アルがオレの身体を抱え込む。背中を爆風に押されて、そのまま一緒くたに吹っ飛んだ。


 空中で離れそうになる右手を引いて、しっかりとアルの身体を掴む。

 来る――と思った瞬間に、肩が地面にぶち当たり、バウンドしてそのまま地面を転がった。


 止まらない――今はどっちが上でどっちが下なのか。ぐるんぐるん回る視界の端に、地面が途切れているのが見えた。


 崖だ。落ちる。ヤバい――

 勢いのまま、投げ出された身体が跳ぶ。

 咄嗟にどこかに掴まろうと藻掻いて――足掻いた左手が、二の腕の先で宙を切った。


「……あ」


 ――ない。

 肘から先に、あるべきものがない。


 いや、そうだ、なくなったんだった。

 吹っ飛んだはずの腕には、既に魔王バアルの魔術がかかっていたんだろうか。

 痛みもないし、血が吹き出すこともない。利き手じゃないからすっかり忘れてた。


 良いや、腕一本なかろうが、それ自体は大したことじゃない。

 それよりも、今まさに落ちかけていることの方が問題だった。


 掴まれない。

 駄目だ、落ちる――

 せめて守りたいと引き寄せた右手の中で、アルセイスが呪文を叫ぶ。


「――淀みなく及ぼせ ――【力場の固定(マイト・グラウンド)】!」


 ぐっと腰を上から掴まれたように、落下する速度が遅くなった。

 転がりながら呪文を唱えておいてくれたらしい。物に力をかけて、浮かせたり沈めたりする魔術だ。上向きに力を加えられて、落下する速度が少し遅くなった。

 が、落ちている状況は変わらない。多少空気抵抗が強くなったようなものだ。

 そもそも、魔力消費が大きいので、そんなに長い間発動し続けられる魔術でもない。

 アルセイスはオレにしがみついたまま、ぎゅっと眉を寄せた苦しげな表情で【力場の固定(マイト・グラウンド)】を維持している。

 その身体を胸の中にぎゅっと抱き込んで、そのまま背中から地面に激突した。


「――ぐっ!」

「……っれ、レイ、ヤ……?」


 痺れるように広がる背中の衝撃の後、胸元でもぞもぞと動いている感触。どうやらアルも無事みたいだ。

 かなりの距離をから落ちたはずだけど、【力場の固定(マイト・グラウンド)】のおかげでとりあえず即死は免れた。とは言え、すぐに立ち上がれそうな状況じゃ、ちょっとない。

 腹の奥から込み上げてくる塊を、咳き込んで吐き出す。

 口元を熱い液体が流れ落ちた。


 ヤバい、いくらひどくぶつけたからって、良い年してよだれなんて恥ずかしいな。

 慌てて拭った右手が、赤黒い汚れに塗れる。

 ……血?

 認識した途端に、閉じたはずの唇を割ってぼたぼたと溢れてきた。


「レイヤ!? お前、またどっか――」


 慌てて身を起こしたアルセイスが、オレの身体を見下ろして絶句している。その視線を追いかけて、オレも言葉を失う。

 いや――そもそも、これで声なんて出る訳がない。

 オレの脇腹、肋骨の真下辺りから飛び出た太い木の枝が、空を指していた。


 どうやら着地点は偶然、倒木の真上だったらしい。

 立派な大木の枝は、オレとアルの体重で折れるなんてこともなく、ぶっすりオレの身体を貫いたのだろう。


「……今、治癒魔術をかけるから!」


 オレの太腿にまたがったまま、アルセイスが呪文詠唱を始める。

 魔術で折られた枝が抜き取られる時だけ、肋が軋むような違和感を覚えた。

 どうにも現実感がない。

 痛みのない、じりじりとした痺れだけが身体を走っている。


 どういうことだろう。

 確かに、これは()()の身体のはずなのに――


 ――そう、()の身体のはずなのに、どこか自分のものという気がしない。

 レイヤと共有しているからだろうか。

 呼ばれもしないのに、こんなに簡単に入れ替わるとは。

 ……いや、やはり呼ばれたのだろうか。レスティではなく、ベヒィマの悲痛な声に。


 まあ良い、そんなことよりも気になるのは、らしくもなく呪文を間違えながら、何とか私を助けようとするレスティの姿だ。

 その憔悴した様子を見ながら、ごぽりと鳴って血を吐く喉を面倒臭く感じた。


 か弱い身体。

 こんなことで、すぐに使えなくなるなんて。

 かつて女神に与えられた肉体には、もう少し耐久性があったはずだが。


 文句を言っていても仕方ない。このままここにいれば、ジーズもベヒィマも追ってくるだろう。

 私が戦えないなら、レスティを、早くここから逃さなければいけない。


 名前を呼ぼうとして口を開けたが、血の塊ばかりが溢れてくる。

 そんなつもりではないのに、うがいのような音ばかり、喉元でごろごろと鳴っている。


「――【治療ヒール】! それ以上喋ろうとするな……傷に障る」


 3度目の【治療ヒール】を終えたレスティが、瞳に涙を溜めて私を見下ろす。

 笑い返そうとして吹き出し、ついに鼻から血が垂れた。

 ああ、もう最悪だ。こんな情けないところを見られたくはなかったのに。

 咳き込む度に撒き散らされる汚れが、レスティの頬を汚す。拭いてやりたいが、私の手はもう既にどろどろに汚れていた。

 さて、どうしようかと考えているところへ――聞き慣れた声が響いた。


「――魔王さまっ!」


 ばたばたと騒がしい足音が近づいてくる。私と千年を共にしたと言うならば、少しは落ち着け、と言ってやりたい。

 だが、まあ……助かったのは事実だ。

 今の私では、泣きながら何度も【治療ヒール】を繰り返すレスティを守ってやることは出来ないだろうから。


 いて欲しい時に傍にいるのだから、やはり彼は私の側近なのだろう。

 微かな喜びを感じたけれど、勿論そんな言葉は口に出来ないまま、首元に見慣れた気配が跪くのを感じた。


「魔王さま、大丈夫ですか!? これは一体――」


 シトーの声が、途中で途切れる。

 どうしたのだろう。

 目を開けると、眼鏡の向こうで見開かれた黒い瞳が、じっと私の身体を見下ろしていた。


「……これは、まさか」


 まさかもクソも、死にかけてるのは私にだって分かっている。

 どうせ死ぬならもうそれで良いから、せめてレスティだけでも逃して欲しい――と、言おうとした。

 声は出なかったけれど。

 それでも、シトーならばそれくらい分かるに決まっていると、何の根拠もなく信じていた。


 ……いや、駄目だな。言葉が使えてさえ、シトーとは意思疎通できないことも多い。

 多分、今回も伝わってない。

 だが、まあ伝わらなくとも何とかしてはくれるはずだ。突然大声で喚いて、レスティを逃がす囮くらいにはなってくれる。そういう奴だ、昔から。


 そういうものも含めて、信頼と呼ぶなら、多分。

 これ以上なく、私はシトーを信頼している。


 笑い混じりにシトーの顔を見上げたが――その瞳に浮かぶのは、絶望と怒りの色だった。


「……待ってください、どういうことです。あなた……あなたは一体……?」


 震える声が、私の頬に当たる。


「……あなたの身体は()で出来ているんですか?」


 その視線が当てられている私の左手から、こきり、と何かが噛み合う音がした。


「血が……止まっ、た……?」


 黒く濡れた両手を上げて、レスティが囁く。

 言葉通り、腹の奥から溢れ出していたものはもうなく、ようやく空気が通い始めた。

 ごほ、と最後の塊を吐き出してから、私は空いた右手で顔を拭う。


「……ああ、レスティ……助かった。さあ、すぐにティルナノーグへ向かおう。ジーズが我々を追いかけているとしても、ティルナノーグを目指しているとしても同じだ。私達も戻り体勢を整えよう」


 右手で脇腹を押さえつつ、起き上がろうと身体を捻って――触れた指が、冷たく硬い感触に当たった。

 ぎしぎしと軋みながら、それでも回る。

 小刻みに動きながら、行きつ戻りつ。

 リズミカルに鳴って、私の身体に動力を伝える。


 肉の隙間、開いた傷の奥で――歯車がカチリ、と冷えた音を立てた。

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― 新着の感想 ―
[一言] バアルさん、自分の中のレイヤ君の事も気にかけてるし、ますます良い人としか思えない(>_<) アル君のことをレスティって呼んでる時、なんだか切ない感じがします(*´ェ`*)
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