38 私には必要ありません ②
以前、イディス様経由でお兄様からこの毒の粉を返してもらっていた。
調べるために使っているから、量はかなり減っている。飲んだとしても、彼が死ぬことはないでしょう。だからどうしても、私の手で彼に返したかったのだ。
「どうして俺に返すんだよ」
「あなたからもらったから、あなたに返すだけ」
「俺が飲んだらどうするんだよ!?」
「……わかってくれた?」
冷ややかな口調で問うと、ゼラス卿は驚いた顔をした。
「わかってくれた……って、どういう意味だよ」
「毒を渡された人の気持ちをわかってくれたかと聞いてるの」
「……そ、それはっ」
言葉を詰まらせたゼラス卿に苦笑する。
「あなたには感謝していることもあるの。あなたがバカなことをしなければ、私は自分を嫌いなままだった」
「大人しくて泣き虫なのがダリアだろ? 俺が守るって言ったじゃないか!」
「あなたに守ってもらわなくていい」
なかなか受け取ってくれないので、私は彼の胸に包みを押し付けた。彼は包みを抱きかかえるようにして受け取ると、傷ついたような表情を見せる。
どうして私が悪者みたいになるのよ。
「あなたと同じことを言いたくないから、その毒を飲めだなんて言わない。相手が誰であっても、こんなものを渡すほうが間違ってるの!」
どうとも思っていない人から渡されただけでも嫌な気分になるのに、好きだった人から毒を渡されたら、どんな気持ちになるのか、彼は理解できただろうか。
そう思った時、ゼラス卿は口を開く。
「俺は、どうすれば良かったんだ?」
「……私が毒を飲むことで、自殺しようとするほど嫁に行くことを嫌がっていたと思わせ、その間に代わりを探すつもりだったのよね?」
お兄様にそんな話をしていたことを思い出して尋ねてみた。
「そうだよ。大人しく俺の言う通りにしていてくれていれば……! 毒を渡したのも表向きは俺じゃなくてラムラ様だ。俺たちの仲を引き裂いた彼女を陥れることだってできたはずなんだよ!」
「……そうね。私に手紙と毒を渡してくれたのは、ラムラ王女だものね」
頷いたあと、私は彼を睨んで続ける。
「あなたの考えなんてどうだっていい。あなたに毒を渡された時点で、あなたを好きだった私は死んだの」
「悪かった! 悪かったよ! だけど、今の俺にこれを渡すのは違うだろう」
泣き言を言うゼラス卿に苛立ちを覚えた。
「精神的にボロボロになっていた私に渡しておいてよく言うわ」
黙って話を聞いていたナナが口を開く。
「ゼラス卿、あなたは本当に自分のことしか考えていないのですね」
「そんなことはない! 俺はいつだってダリアのことばかり考えてる!」
「ダリア様のことを考えている方のする行動とは思えないことばかりされているようですが?」
「お前に何がわかるんだ!」
ゼラス卿がナナに掴みかかろうとすると、彼女はシルバートレイの縁を彼の鼻先に押し付けた。
強い殺気を感じるのはナナからか、もしくはシルバートレイからなのか。
……シルバートレイなわけはないわよね。
動きを止めたゼラス卿にナナは言う。
「あなたは騎士だということですが、私にも勝てない弱い騎士のようです。これ以上、惨めな思いをしたくなければ、大人しく引き下がってはいかがです?」
「お……俺は弱くなんか……!」
焦った顔で否定するゼラス卿に、私が尋ねる。
「あなた、どれくらい剣の鍛錬を怠っているの?」
「……ダリアがロフェス王国に行ってからだ」
「毎日していたものをしなくなったんだもの。ナナに弱いと言われても仕方がないんじゃない?」
「ダリア……」
ゼラス卿は信じられないものを見るような目で私を見つめた。
今度こそ終わりにしよう。
「あなたは私には必要ありません。あなたのことを必要とする人もいるでしょう。その人とお幸せに」
笑みを浮かべてカーテシーをしたあと、ナナに話しかける。
「ナナ、話はもう終わったから行きましょう」
「はい!」
頷いたナナは、ゼラス卿をひと睨みしてからシルバートレイを持つ手をおろした。ゼラス卿はへなへなとその場に崩れ落ちて座り込む。
「ダリア、俺はっ!」
ゼラス卿は何か言おうとしていたようだけれど、彼のほうには振り返らずにナナと共にイディス様の待つ馬車に向かった。
******
ゼラス卿と話をした日から約三十日が過ぎようとした頃には、ロフェス王国の暮らしに慣れてきて、王太子の婚約者としての日々を慌ただしく過ごしていた。
そして、ユーザス王国にも色々と動きがあった。
元国王の刑が確定し、お兄様が国王に即位した。
元国王はシルコットの夫が管理している飛び地にある採石場で肉体労働をすることになった。
貴族用の刑務所に入れられることも検討されたが、シルコットの夫が「労役をさせるならぜひ我が領で」と名乗りを上げたのだ。
肉体労働だけでも大変なのに、かつて愛した人の夫に使われるということは、かなりの屈辱らしく、精神的にも体力的にも追い詰められている状態だと聞いた。
元王妃は王城から追い出され、敷地内にある離れに暮らしているが、軟禁状態になっており、可愛がっていた娘にも会えない状況だ。
その可愛がっていた娘は、ゼラス卿と結婚した。
どうしても結婚したいという、元王女の願いをゼラス公爵が聞き入れた形だ。
そして、結婚させると同時に公爵はゼラス卿を廃嫡し、住む家だけ用意して公爵家から追い出した。
元ゼラス卿と元王女は平民扱いとなり、職もなく、今は毎日喧嘩をして暮らしているそうだから、近いうちに離婚もありえるかもしれない。
そうなった時、出戻ろうとする元王女をお兄様が王城の敷地内に入れるとは思えない。
元王女のことを恨んでいる海賊もいるから、その点は気をつけてほしいと思っている。
爽やかな風が吹く、よく晴れた日の午後、庭園を散歩している時に、イディス様が苦笑する。
「結局、反省はしたんだろうか」
「……後悔はしているようでしたが、悪いことをしたという気持ちはないようですね」
自分の思うがままに好き勝手なことをしてきたから、こんなことになったのだと、元王妃や私の元婚約者は気づき始めているようだ。
それでも気づくのが遅すぎるわよね。
「私が幸せになることが、彼らへの最大の復讐になると思っています」
「そうか。じゃあ、彼らだけでなく、それ以外の人も羨むくらいに幸せにならないといけないね」
「どういうことですか?」
「幸せにするって約束しただろう?」
そう言って、自信満々の笑みを浮かべたイディス様は立ち止まり、私の手を取る。
「僕と結婚してください。ありきたりな言葉しか言えないけど、絶対に幸せにします」
「……イディス様」
嬉しくて急に涙が溢れ出したので、イディス様が慌てた顔になる。
「そ、そんなに嫌だった!? で、でも、本当に大事にするから! あ、いや、大事にするなら身を引かないといけないのかな?」
「違うんです! これは嬉し涙です!」
「……良かったあ」
胸を撫でおろすイディス様を見て思う。
どうしてこんな私を好きになってくれたのかしら。
そんなふうに思うことが、まだ私が私を好きになれていない証拠でしょう。
私を大事に思ってくれる人のためにも、私が私を愛せるように頑張っていかなくちゃ。
「ありがとうございます。まだまだ弱い私ですが、これからもっと努力してまいりますので、よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくね」
手を繋いで歩き出す。
「そういえば、リックス殿下が妻を探すらしいんだ。ナナを推薦しようかと思うんだけど、どう思う?」
「素敵な考えだと思います」
庭園に咲いている花々が風に揺れ、甘くて優しい匂いが、微笑み合う私たちを包みこんだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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